1話 最悪な席替え
どういうわけか不幸は連鎖するものらしい。
「なに、その変な時計」
俺は退屈なテキストから目を離して、隣の席に座る美少女を見遣った。
セミロングの薄茶色の髪がまず目についた。篠原水希。ドイツと日本のハーフだという噂は本当らしい。青い大きな瞳が黒板を見つめている。均整の取れた顔は一流の絵画でも眺めているみたいだった。
篠原は学校一の美少女、いやテレビや雑誌の中にいても違和感がないくらいの容姿を持っている。椅子に座る佇まいは深窓の令嬢を思わせる。
実際、彼女の父親はIT会社の社長で、超金持ちらしい。社長令嬢で、眉目秀麗、おまけに学業もすこぶる優秀。非の打ち所がない彼女は当然、学内の人気者で、彼女に関する噂や情報は耳を塞いでいたって、俺の耳にまで入ってきた。
どうしてそんな彼女が、21世紀で最も平凡な人間である俺の隣に座っているのか。神様は俺によっぽど恨みでもあるらしい。
高二の春、新学期が始まったばかりの大事な時期だった。クラス替えがあり、新しいクラスに、新しいメンツ。誰もが人間関係の構築に勤しむ中で、俺、高槻悠太は一身上の都合で学校を一週間ほど休んでしまった。
この一週間のブランクは致命的なもので、俺以外のクラスメイトたちは早くも仲良しグループという小集団を形成し、人間関係を完成させていた。当然、出遅れた俺は、見事に孤立してしまった。もはやグループの中に俺が入り込む余地がない。
だが、そんなことは不幸でもなんでもない。もともと一人で過ごしている方が気楽な質であるし、一年の時に一緒のクラスだった男子も幾人かいたから、話し相手がまったくいないわけでもない。そいつらに頼み込めば、どこかのグループに混ぜてもらえるかもしれない。まあ、そんな面倒なことをいまは考えている余裕はないが。
問題は、俺が休んでいる間に行われた席替えだった。公平なくじ引きで、決められたそれは壊滅的な結果を齎した。
男子の誰もが、あの篠原の隣の席を狙っていた。担任のお節介で、男女が必ず隣合うように席は分けられ、男子と女子がそれぞれのくじを引いた。俺のくじは代理で誰かが引いてくれたらしい。くじと言っても、同性間で裏取引が行われ、それぞれがお目当の席に座れるよう駆け引きが行われたそうだ。
しかし、肝心の篠原の隣の席を休みの俺が獲得してしまったらしい。その場にいない俺とは交渉ができないので、そのまま席が確定してしまった。そうして現在に至る。教室の一番後ろの列、窓際に俺と篠原は並んで座っている。
普通の人間なら小躍りして喜んだかもしれない。だが、俺は21世紀で最も平凡な人間なのだ。自分と不釣り合いな美少女が隣にいたところで、声を掛けられるわけもなく、ただ煩わしいだけだった。
まさに俺の平穏な学園生活は、地獄に変じつつあった。男子連中からは授業中でも恨めしい視線を浴びせられ、女子連中からまで不当なやっかみを受ける。
「どうして篠原の隣があいつなんだよ」
「水希ちゃんと、高槻くんじゃ、雲泥の差があるわね」
「月とすっぽんだな」
「美女と野獣ね」
「アキレスと亀か」
(一つ妙なのも混ざっているが)俺の耳に届くだけでもこの言われようだから、影ではボロクソにこき下ろされているのだろう。
おまけに授業後の休み時間になると、大勢の人間が篠原を囲んで、談笑を決め込むものだから、おちおち寝てもいられない。授業が終わるたびに、俺は教室を離れて、どこかで時間を潰さねばならなかった。
「こんなところでこの時計が役に立つとはな」
俺は今日から付けてきた腕時計で時間を確認する。時計は教室にしかないから、こうでもしないと授業に遅れかねない。腕時計と言っても、高級品でもなんでもなく、普通のクオーツのデジタル時計だった。
次の授業は担当教員が出張のため、自習だ。俺は針のむしろのごとき自分の席に戻って、問題集を開く。特段、勉強が嫌いなわけでもないけれど、今日ばかりは集中もできそうにない。
見張りの教員もいないため、教室では会話する声がちらほらと聞こえた。また自分の悪口を言われているのかと思うと、温厚な俺でも多少は苛立ってくる。そんなときだった。
「なに、その変な時計」
まさか、と俺は隣の篠原を見遣った。俺に話しかけているのか?
「そんなダサい時計初めて見た」
篠原水希の美しい瞳は確かに俺を捉えていた。
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