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哲学に関連する作品

リアルストーリー

作者: 恵美乃海

先日投稿いたしました「パーフェクトドリーム」と同じ話です。

「パーフェクトドリーム」がオリジナルだったわけですが、登場人物、その他の固有名詞が、執筆当時の時代の趣味、感性に受けそうな、ということを意識したネーミングでした。

また、そこに記した野球、相撲の記録も虚構世界とはいえ、現実離れしています。


作者本来の趣味(平凡で、地味、質実、昭和的なネーミングが好きです。また、虚構世界であっても、現実にありえる範囲内と考えられることが望ましいです)とは異なったので、自分自身としては、こちらを決定版にしたい、という意図で、登場人物等の固有名詞を変えたのが、この「リアルストーリー」です。


当初は、この世界における日常生活も描こうと思って、主人公、義雄のある日も書き始めました。

が、言わば思想小説なので、これ以上書く意味はないかな、と思った所で終わらせました。

1.島田哲也


島田哲也は十五歳だが、すでに将来を誓い合った恋人がいた。彼女の名前は杉野和美、一歳年上である。


 杉野和美は、「歴史的」「神秘的」というような最大級の形容詞をつけたくなるほどの美少女である。

 切れ長の一重の目、さらさらと背中まで伸びた黒髪、スレンダーでありながら、要所はボリュームをもった立ち姿。

 そしてその美は、正統でありながら官能性を併せ持っていた。性格も穏やかで、いつも微笑みをうかべていた。


 俗界に降り立った天上の美女。それが杉野和美であった。


 学院の男子生徒はみんな、いや女子生徒もまた杉野和美に憧れていた。

 

 季節は初夏。放課後、島田哲也は杉野和美とともに、ダブルのジャケットである制服姿のまま、学院からほど近い小高い丘に登り、彼らが住む街を見渡しながら、並んで座った。


 哲也は、和美に自分の夢を語った。夢といっても壮大なものではない。


 「僕が好きなのは、歴史と、文学をはじめとする芸術。それから哲学です。僕はそれらを学び続けていく人生を送っていきたいと思っています。学者になりたいのです。でも何か新しい理論や、学説を打ち立てたいという気持ちはないのです。これまでの人間の歴史で多くの偉大な人たちが創造し、遺した作品にふれ、学ぶことによって自らの精神を高めていきたいと思っています。

そして、世界の色々な場所を見て回りたい。そこで色々と感じてみたいと思っています。

和美さん、あなたといっしょに」


 和美はうなづいた。神秘の微笑みとともに。

 

 和美とともに歩むこれからの人生。それを思うと、哲也の心は喜びにふるえた。

が、哲也と和美は永遠に少年と少女のままで、年齢を重ねることはなかった。




2.富島悠一



 甲子園に、天才少年選手が出現した。その名は富島悠一、百八十二㎝、九十四㎏。

 兵庫県の西武庫学院高校の一年生である。

夏の全国選手権大会兵庫県予選七試合で、投げてはパーフェクト一試合。ノーヒットノーラン一試合を含む全試合完封。奪三振は、六十三イニングで八十八個。一試合平均十二・六個。打っては、四番打者として三十二打席二十八打数十六安打。五割七分一厘。ホームラン四本。


 驚異的な記録をひっさげて甲子園に登場した富島悠一は、開幕日の第二試合で、これまた一年生の天才選手、神野光雄、百八十八㎝、九十㎏。を擁する東京都の江戸川実業高校と対戦した。


 この試合で、富島悠一は、被安打二。与四球一。奪三振十四。

打っては四番打者として、四打席四打数二安打。二対ゼロで江戸川学院に勝利した。

 神野光雄は、三番打者として四打数ノーヒット。被安打四。与四球三。奪三振十二。以降、富島悠一の好敵手と称される。


 この大会、西武庫学院はあとの五試合にも勝利し優勝した。

富島悠一は投げては、大会通算で、被安打二十。与四球八。失点、自責点一。奪三振は、五十四イニングで八十。一試合平均十三・三個。打っては二十八打席二十二打数九安打。打率四割九厘。ホームラン二本であった。


 富島が在学中の西武庫学院は、このあと彼が三年春まで四季連続優勝。三年夏は準決勝で江戸川実業に敗退。


 甲子園通算、二十六勝一敗。


 投げては二百三十六イニングスで失点十三、自責点十二。防御率0.46。

 打っては、九十八打数四十三安打、打率四割三分九厘。本塁打九本(2、1、4、2、0)。対江戸川実業は三勝一敗(2-0、2-1、1-0(延長十四回)、対戦なし、2-4)。対神野は十九打数六安打。三振四。


 神野が在学中の江戸川実業は、一年夏から、一回戦負け。準優勝、準優勝、ベスト4、優勝。

 甲子園通算、十八勝四敗。

投げては、百八十一イニングスで失点二十、自責点十八。防御率0.90。

 打っては八十打数三十四安打、打率四割二分五厘。本塁打十四本(0、2、6、4、2)対富島は十八打数四安打。本塁打一。三振六。


 富島、神野は高校卒業後、プロ野球の世界に飛び込んだ。

富島悠一は、半宗教的思想団体「南無薬師観世音会(薬観会)」の会長の次男であったが、この薬観会が新たにプロ野球チーム「摂津ペガサス」を誕生させた。


 富島、神野は、ともに新球団摂津ペガサスに入団し、その中心選手となった。富島悠一の背番号は26、184㎝、100㎏。右投両打。神野光雄は24、192㎝、98㎏。右投右打。


新人であったそのシーズン。


 富島悠一の投手記録は、三十四勝六敗八セーブ。三百四十三イニングで自責点五十二。防御率1.36。奪三振二百九十六。最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率。

 打撃成績は、五百十九打数百四十七安打。打率二割八分三厘。ホームラン四十一本。打点百四。最優秀選手。


 神野光雄の投手記録は、二十六勝八敗三セーブ。二百九十七イニングで自責点は六十八。防御率2.06。奪三振三百二十。最多奪三振。

 打撃成績は、五百七打数百三十六安打。打率二割六分八厘。本塁打四十六本。打点九十九。本塁打王。


(以下、年齢はシーズン開始時)

摂津ペガサス


一番ショート朝井治(十八歳、29。右右。二割九分八厘、十二本。九勝八敗)。


二番レフト秋川昌二(十八歳、22。右左。二割七分六厘、四本。十二勝七敗)。


三番センター神野光雄


四番ピッチャー富島悠一


五番サード朝井徹(二十歳、27。右右。二割八分五厘、十六本。四勝三敗)


六番ファースト行岡正(十八歳、9。左左。二割七分一厘、四本)


七番セカンド朝井保(十八歳、28。右右。二割五分八厘、二本)


八番キャッチャー倉田虎三郎(十八歳、2。右右。一割九分一厘、六本)


九番ライト白木清(十七歳、6。右右。二割四分六厘、四本。一勝二敗)


その他の選手


ライト芦川清一(十八歳、64。右右。二割三分九厘、五本)


セカンド宮島鮎太(十八歳、4。右右。一割八分二厘)


外野手平井速雄(十八歳、8。左左。二割二分六厘、一本)


ショート椎野雅樹(十八歳、25。右右。二割二分、二本)


肥田順(十八歳、20。右右。五勝三敗)


立川準造(十八歳、23。右右。二勝二敗)


里見亮輔(十八歳、21、左左。一勝三敗)


チーム打率二割六分四厘、百四十六本。防御率2.84。


シーズンの百四十試合を九十四勝四十二敗四引き分けで優勝した摂津ペガサスの日本シリーズの対戦相手は、昨年まで四年連続日本一の東都ジェネラルズ。百二勝三十六敗二引き分け。


投手陣は、


通算二百六十八勝の柴田輝幸(三十四歳、背番号24、右右。今シーズン十八勝六敗)。


牧久司(十九歳、28、左左。二十三勝六敗、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、いずれも初)。


澤本敬介(二十二歳、22、右左。新人。法政大卒。六大学通算四十三勝九敗。四百九十ハイニング、自責点七十五。防御率1.36。奪三振四百二十二。三百十九打数八十四安打。二割六分三厘。本塁打二十六本。今季は十六勝四敗。最優秀勝率)。


名取智清(二十二歳、14、右右。新人。専修大卒。十五勝六敗)。


厨川昌一郎(二十五歳、26、右右。十四勝六敗)。


南田秀也(二十七歳、16、右右。十一勝五敗)。


打撃陣は、


一番センター夏川行雄(二十五歳、9、右両。二割七分五厘、四十二本)。


二番レフト馬場宏(二十歳、10、右左。二割九分五厘、十二本)。


三番サード白木明(三十五歳、6、右右。二割六分四厘、四十六本。本塁打王(8回目)。通算本塁打六百二十二本)。


四番ファースト葉山敏治(三十二歳、4、左左。二割九分三厘、三十四本。通算本塁打三百十六本)


五番ライト・ピッチャー澤本敬介(二割八分、三十六本)。


六番ショート賀川隆(二十五歳、2、右右。二割九分三厘、二十三本)。


七番キャッチャー高川伸一(二十六歳、8、右右。二割五分五厘、三十一本)。


八番指名打者、ライト岩田信彦(三十一歳、3、右右。二割六分三厘、十五本)。


九番セカンド佐川浩二(三十一歳、1、右右。二割五分七厘、三本)


チーム打率二割七分五厘、二百五十一本。防御率2.49。


日本シリーズは


東都球場。


第一戦、1対2X(延長十三回)。勝利投手、牧。敗戦投手、富島。


第二戦、5対4。勝利投手、神野。敗戦投手、澤本。


摂津武庫川球場


第三戦、2対0。勝利投手、富島。敗戦投手、柴田。


第四戦、2対1。勝利投手、神野。敗戦投手、名取。


第五戦、4対2。勝利投手、富島、敗戦投手、牧。


4勝1敗で摂津ペガサスが征した。


富島悠一、三十一回2/3、失点、自責点4。奪三振二十七。防御率1.14。

二十二打数六安打。打率二割七分三厘。打点三。最優秀選手。


神野光雄、十八回、失点、自責点5。奪三振十六。防御率2.50。

二十一打数六安打。打率二割八分六厘。本塁打二。打点五。


 富島悠一の実家であり、父が会長をしている、

 半宗教的思想団体「薬観会・南無薬師観世音会(南無薬師如来、南無観世音菩薩会)」は、団体をあげて歓喜の祝賀会を挙行した。


そこには会長である富島寿一。会長夫人富島京子。


会長の長男、富島寛一。長女、礼子。次女、孝子。三男、貞一の姿もあった(悠一は次男)。


富島悠一、神野光雄の野球人生は、その一年で完結した。


「南無薬師観世音会」もまた、その活動を終えた。



3.秋川昌二


「アレクサンドロス大王の親友で、ペルシャ王の母が・・・」

「ヘファイスティオン」


「ナチスの機関紙・・・」

「フェルキッシャー・ベオバハター」


「ロセッティが見出し、ラファエロ前派の女神と・・・」

「ジェーン」


「谷崎潤一郎の小説「細雪」の四姉妹の名前・・・」

「鶴子、幸子、雪子、妙子」


「相撲で勝ち名乗りを受けた力士が行う手刀は・・・」

「天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神」


「ニックネームは王様。野球のメジャーリーグのオールスター・・・」

「カール・ハッベル」


「織田信長の傅役で・・・」

「平手政秀」


「山縣有朋が京都に・・・」

「無鄰菴」


「プロティノスを・・・」

「新プラトン主義」


「聖徳太子が執筆した三経義疏・・・」

「勝鬘経、維摩経、法華経」


 

 ことごとく、秋川昌二が解答した。

数多くあるクイズ番組の中で最も権威のある「クイズマスターズ」。その中で「クイズマスターの称号をもつ強豪のみを集めた「グランドマスターズ第一回大会」で、特別参加の十六歳の少年が優勝した。


 秋川昌二がクイズ番組に出場したのは、そのときだけであった。



4.国ノ里


 大横綱治ノ里(はるのさと:本名、神野守)の長男、久ノ里(景一)は、中学卒業と同時に大相撲に入門し、二十歳で横綱に昇進した。


 二歳下の従弟にあたる、大横綱梅が枝の長男二代目梅が枝(本名小木通)も、中学卒業と同時に大相撲に入門。二十歳で大関に昇進した。 


 翌年の初場所、プロ野球チーム「摂津ペガサス」に入団していた、大横綱治ノ里の次男、神野光雄が国ノ里と名乗り、三男で高校二年生の輝也が康ノ里を名乗り、翌春場所に入門した。


 大学一年生で大学選手権、日本選手権を征した土田定男が土田川を名乗り、翌年初場所大相撲に入門した。


 土田川は幕下十枚目格付出し。幕下、十両を全勝優勝。夏場所に新入幕。その夏場所は、国ノ里、康ノ里の新入幕の場所であった。


 その夏場所の成績は

東横綱、久ノ里。二十二歳。189㎝、146㎏。十四勝一敗(梅が枝)。


東大関、梅が枝。二十歳。194㎝、162㎏。十二勝三敗。

東前頭十六枚目、土田川。十九歳。182㎝、164㎏。十四勝一敗(久ノ里)。


西前頭十六枚目、国ノ里。二十歳。192㎝、128㎏。十四勝一敗(土田川)。


東前頭十七枚目、康ノ里。十八歳。192㎝、142㎏。十四勝一敗(土田川)。

であった。


優勝決定戦は


久ノ里(下手投げ)国ノ里

土田川(突き落とし)康ノ里

土田川(寄切り)久ノ里


 その場所を最後に五人は相撲界から去った。


久ノ里、優勝十回。全勝優勝六回。四連覇。四十八連勝。


梅が枝、優勝一回。全勝優勝一回。


国ノ里、6-1、7-0、7-0、5-2、6-1、6-1、13-2、14-1


康ノ里、    7-0、7-0、7-0、6-1、6-1、14-1、14-1


土田川、                    7-0、15-0、14-1。

優勝一回。


対戦成績


久ノ里10-2梅が枝


久ノ里 0-0国ノ里(優勝決定戦1-0)


久ノ里 0-0康ノ里


久ノ里 1-0土田川(優勝決定戦0-1)


土田川 1-0梅が枝


土田川 3-0国ノ里


土田川 3-0康ノ里(優勝決定戦1-0)


梅が枝 0-1国ノ里


梅が枝 0-1康ノ里


国ノ里 0-0康ノ里


五人相互の通算対戦成績


東横綱  久ノ里 12- 3

東大関  梅が枝  2-13

東関脇  土田川  9- 1

東小結  国ノ里  1- 4

西小結  康ノ里  1- 4



5.チャガタイ


突蕨の王子、二十歳のチャガタイは、愛する鹿毛馬ナイスケイチャに跨り、国王である父スキタイ、四歳上のオゴタイとともに十万騎の軍団の先頭に立った。


かなたには四十万の大軍の先頭に立つ帝国ホアキンの皇太弟、二十二歳のイワンの姿があった。


イワンとチャガタイは、その容姿の美。その頭脳の天才。その性格の完全さにより同時代人から半神的な目で見られていた。そのふたりが初めて会いまみえた。


が、同時代人が半神と見ていたもうひとりの人物、天上世界を現世に顕現させる二十歳のパウロが、ふたりの中間にその姿を現した。


パウロの元にイワンとチャガタイが近づき、三人は至近の距離でお互いを視た。三人が微笑み、そこに光とともに、パウロが顕現させていた世界よりさらに高次の天上世界が顕現した。


その場に終結したひとびとだけでなく、世界中のひとびとが、完全なる歓喜につつまれ、至高の美をみた。永遠に等しい一瞬ののち、天上世界は消滅し、同時にチャガタイとイワンとパウロもひとびとの視覚と記憶から消えた。






        昨日と同じ、今日と明日


 義雄は、ヘッドホンをはずした。そのヘッドホンは現実世界と何ら変わることのない仮想世界を、使用者の脳にもたらすシステムツール「リアルストーリー」につながっていた。


久しぶりにほぼ半日を「リアルストーリー」がもたらす仮想世界での観念遊戯に費やした。


「リアルストーリー」が誕生して、すでに相当な年数が経過したが、近年の「リアルストーリー」の進化はすさまじい。その仮想世界に登場させるキャラクターは、使用者の希望の精緻な部分までも具現化し、時に使用者自身も気づいていない理想像をもシステム自身が生み出すようになった。


今日、義雄は、最近特に時間をかけて詳細な背景世界を作り上げ、お気に入りとなっていた五つの仮想世界で、思うさま遊んだ。


義雄は、中学卒業をもって、「リアルストーリー」を使うことはやめようと決心していたからである。

「今日が最後」の決意のもと、義雄は、最後を飾るにふさわしいと自分が思う、五つの理想世界で遊んだのであった。


クイズの天才のキャラクターのときの、問題はなんだったのだろう。たしかに義雄が興味を持っているジャンルからの出題ばかりだったが、現実の義雄には全く分からなかった。


「リアルストーリー」でのキャラクターとストーリーの詳細設定の中で、クイズの天才少年が並み居る強豪を打ち破って勝利するのにふさわしい問題とインプットしたら、ああいう問題だった。しかも、そこまで聞けば正解が推測できるポイントで答えるというご丁寧さだ。


「あれでは、僕自身のクイズの力量アップにはあらないな」と義雄は思った。


 そして、杉野和美と若き天才力士たち。理想の美少女と理想の力士。最高のものにふれると、その感動に義雄の胸は高鳴る。

だが、その感情は一時のもので充分だ。


 書物はいう「ドラマッチクなものを求める心を抑えよ」と。

最高のもの、理想にふれたあと。


 現実の世界はいとおしく、万象に対しやさしい気持ちになる。それは義雄が何度か味わってきた感情だ。


 義雄は翌日の自分の予定を思い浮かべ、ひとり微笑んだ。



 浜甲子園団地の中にあるアパートの三階が義雄の自宅である。

季節は三月。土曜日の早朝、義雄は自宅を出て、阪神鳴尾駅に向かった。


 駅での待ち合わせの相手である道子は、同じアパートの五階に住んでいる。しばらく歩き、見通しのよい道路に出ると、百メートル程先を歩く道子の背中が見えた。

義雄も十分前には駅に着くようにアパートを出ている。

「うーむ」義雄はうなった。

「やっぱり道子さんはいいなあ」

駅に着くころに追いつけるよう、歩くペースをやや速めた。


 駅に向かう途中で、道子が後ろを歩く義雄に気が付き、軽く手をふって、義雄が追いつくのを待った。

「おはようございます」

「おはよう、義雄君」


 義雄は先日、中学校を卒業した。道子は高校一年生。道子が一学年上だが、義雄が三月生まれなのに対して、道子は六月生まれなので、ほとんど二歳の年齢差がある。二人が付き合っているのは、近所に住む幼馴染であることとともに、共通の趣味を持っていることによる。

「あっ、道子さん、今まで見たことのないブラウスを着ていますね」

「うん、先週、出屋敷の古着屋さんで買ったの。八百五十円よ。」

「へえ。もしかして、今日、僕とデートだからですか」

「そういうことにしておくわ。似合っているかしら」

「はい、とっても。素敵です」

「ありがとう。義雄君もそのオーバーとセーター、素敵よ」

「ごっつぁんです」

今日の義雄の装いは、道子も何度か見ているはずだが、道子に素敵と言われれば、嬉しい。


 電車の窓から、臨海部の緑に囲まれた工場群を眺めていると各駅停車の電車は尼崎駅に着いた。尼崎で急行に乗り換え、梅田に到着。義雄にとっては、久しぶりの大阪だ。


 梅田から地下鉄に乗り難波駅で降りた。地上にあがってしばらく歩き、ふたりは目的地である大阪府立体育館に着いた。建物は相当に古いが、体育館としては堂々たる大きさである。


 体育館で開催されているのは、大相撲の春場所。今日は十四日目である。ふたりは、二百円出してそれぞれ自由席の当日券を買い、館内に入った。


 館内全体でもお客さんは、まだ十名に満たない。土俵にもまだ誰もいない。取組開始までまだ十五分ある。

折角、当日券を買って相撲を見るのだから、一番最初から全部見ましょう。と数日前に義雄と道子はふたりでそう決めた。二百円で朝の九時から夕方の六時まで楽しめるのだから、結構なことである。


 相撲に興味を持ち始めた幼稚園の時から、義雄は春場所開催中、毎年二回か三回は相撲を見物する。幼いころは家族で来ていたが、二年前からは、道子とふたりで見にくることが多い。ふたりの周りの親しい人の中に、彼らと同等のレベルで相撲が好きで、相撲に詳しい人物はいない。


 相撲は、自分と同じレベルで、好きで詳しい人と一緒に見るのが一番楽しい、というのは、これまでの経験から、義雄が実感していることである。


 過去に別の男友達と二回、ふたりで見に来たことがあったが、一回は、相手が退屈しているのを感じて、何かと気を使った。もう一回は、色々と質問してくるので、そのことは嬉しかったから、義雄は丁寧に答えたが、土俵の取り組みに集中できなかった。


 自由席は客席の一番上の数列だが、ふたりは一番前の桟敷席に陣取った。今日は土曜日だから満員御礼の垂れ幕が下がるだろうが、客席が埋まってくる幕下の取り組みの途中辺りまでは、桟敷席で見続けることができるであろうことは、これまでの経験で分かっていた。


 館内に暖房が入るのは十両の土俵入り以降である。ふたりが、家から持ってきた水筒に入れていた熱いお茶を飲んで体を温めていると、土俵の上の照明がともり、呼び出しが拍子木を合わせて鳴らす析の音が館内に響き渡った。


 先ずは、まだ番付に載っていない今場所が初土俵の力士の取り組みである。

 春場所は学校の卒業の季節なので、一年六場所の内、最も入門する力士の多い場所だが、十四日目ともなれば、大半の力士は既に、来場所序ノ口に四股名が載るのに必要なだけの勝ち星をあげ、出世を果たしており、以降は、今場所はもう登場しない。


 土俵下には、東西ふたりずつが立っている。五十八人入門した今場所で、最後に残された四人ということになる。だが、彼らの表情にさほどの悲壮感はうかがえない。相撲部屋は、稽古はかなり厳しく、番付順による序列も守られているが、年齢が上の力士であれば、関取でなくてもそれなりに敬意を払われるし、色々な雑用もみんなで分担している。

 

 男社会だが、部屋の雰囲気は、学生たちの合宿所に似た雰囲気のようだ。序列としては、部屋の力士の中で最も下になる新弟子であっても、毎日は結構楽しそうだ。




 二十世紀の終盤、ソビエト連邦をはじめとする社会主義国家の崩壊により、冷戦時代は終わった。世界史的にみれば、戦争の時代であった二十世紀に対して、来るべき二十一世紀は平和の時代になる。当時そのように予想し、未来に希望をもったひとは多かったであろう。


 だがそうはならなかった。二十一世紀になっても世界は混迷を続け、国家による、あるいは企業による大競争社会となっていったのである。


 日本もまた、世界経済の渦の中に巻き込まれていった。ひとびとは、人生の様々な場面で、否応なしに競争に加わらざるをえない。勝ち組、負け組という言葉が生まれ、かつては一億総中流社会と言われていた日本は、格差社会となっていき、その格差は広がっていった。連日残業を続け、休日もほとんどなく働き続ける会社員。上流社会の一員となることを目指し、過酷な受験勉強を続ける学生。一方、競争社会から脱落していく多くのひとびと。学校内に蔓延するイジメ。緊張を要する人間関係。


「もっと住みやすい世の中にすることはできないのか」それは多くのひとの心の中にある叫びであったろう。


 しかし、その社会は一方で、活気に満ち溢れ、日々興奮に包まれ、ますます便利になっていく様々なものに囲まれた社会でもある。今のこの社会以外にどんな社会がありえるのか。その時代に生きるひとびとにとって、別の社会を想像することは難しかった。


 二千十年代の後半、別のありえる社会を示すひとびとが世にあらわれた。最初の人がだれであったのか、を特定することはできないが、別のありえる社会を唱えるひとの数は増えていき。社会に対し、徐々に影響力を持ち始めた。


 彼らの主張の一部を列挙すると、次のようになる。

・世界経済から離脱した一国完結経済体制の樹立(経済に限定した鎖国主義)


・上記を実現するための食糧自給率100%、原子力にもよらないエネルギー自給率100%の達成


・上記を達成するための、第一次産業従事者の会社型組織化。脱石油エネルギー社会を実現させるまでの期間分の原油の備蓄


・時代の最先端技術を求めることは継続しつつも、それを実現化させる分野の限定


・ひとびとが生きていくうえで本当に必要な職業はなにか。その峻別と、余剰職業の段階的縮小による国民全体の総仕事量の軽減


・エコ社会の実現。社会全体の物量の抑制


・私有物の削減


 そしてこのような社会を実現させるためには、ひとびとに望まれる資質として


・穏やかであること


・和を尊ぶこと


・創造よりも伝統、古典を重んじること


・勝利に大きな価値を求めないこと


・家族、地域を愛すること


・年長者に対する敬意をもつこと


・ドラマチックなものを求める心を抑制し、日常を愛すること

といった点をあげた。

またこのような社会であっても


・勤勉であること


・自らの職業に対する責任感をもつこと

は、不可欠であり、それがなくなれば、怠惰に流れ、単に退嬰的なだけの社会になる危険を秘めた主張であるということも述べられた。


 隠れた主張としては、


 ひとびとの中に生来的にある、自己実現、創造性、競争における勝利、理想を追求してやまない心などは、進化を続けるIT技術がもたらすバリエーションに富んだ仮想現実社会にて実現させることが奨励された。


ひらたくいえば


「現実の世の中に退屈したら、仮想現実社会の中で、思うままにふるまって、すっきりさせる。それからまた現実社会に戻って、穏やかに過ごしてください」


ということである。


 社会にこの主張の支持者が徐々に増加していった。


 穏やかな社会の実現を求める。その主張に共感、賛同するひとびとは、やがて政党を作った。その政党の名前は「保守平和党」


 いくどかの総選挙を経て、保守平和党が第一党となり、政権を担うことになったのは、今の世の中を「住みにくい」と感じるひとびとが「住みやすい」と感じるひとよりも、多くなっていたことによるであろう。


 保守平和党が使っていた標語で最も有名になったのは、


「昨日と同じ、今日と明日」


であった。



五つの仮想現実界については、投稿済の以下の作品に関連しているかな、と思います。


1. 島田哲也 「緊褌巻 改訂版」


2. 富島悠一 「ベースボールタウン鳴尾」


3. 秋川昌二 「クイズに燃えていた、あの愛しき日々」


4. 国ノ里  「相撲小説「金の玉・四神会する場所」シリーズ」


5. チャガタイ「架空歴史小説「ホアキン年代記」シリーズ」

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― 新着の感想 ―
[一言] とてもレベルの高い作品で、知能の低い自分が付いていくのが必死でした。 情けないですが、それでも自分なりに最後まで読み上げました。 難しい議論や討論は無理ですが、結果的に仮想空間であったオチに…
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