8 手遅れ悪役令嬢、新キャラに遭遇する
「あの、離してくれませんか」
「いや、ちょっと待ってくれ。なんで貴方がこんなところに……」
かつての同級生とはいえ別段親交があったわけではない。
私は早々に去りたかったのだが、肩を掴んだフェオドールは離してくれない。
店の前での攻防にただならぬ雰囲気を感じたのか、マルゴさんはコレットを店の奥にある住居スペースに下がらせて、私とフェオドールを店の中に入れてくれた。
なんていったってフェオドールは乙女ゲームの攻略キャラ。赤毛に少々軽薄そうながらも派手な整った顔立ちで、さらに身なりがいいと、こんな下町ではとにかく目立つ要素の塊のような男だ。
店の扉をしっかりと閉めて、クローズの札を出してしまえば、とりあえず通行人からの視線は遮られる。ほっと息を吐いた。
「ええと、お兄さんはクリスちゃんの知り合い……でいいのよね……? ここで話してて構わないよ。あたしはクリスちゃんが戻るの遅くなるって伝えてくるから」
そう言ってマルゴさんは表に出て行く。
こっそりと「変なことをされそうだったら大声で叫ぶのよ」と忠告をしてくれたが、マルゴさん……それは大丈夫だと思う…。そいつ女に不自由しないチャラ男キャラですから。
そしてマルゴさんの一貫して踏み込んだ話を知ろうとしない態度にも安堵する。
パン屋のことも店名もフェオドールに伝わらないようにしてくれたさりげない気遣いもありがたい。
「それで、なんのご用ですか?」
思わず刺々しい声になってしまった私にフェオドールは苦笑する。
「悪かったな。突然押しかけたみたいになって。用というほどのことではないんだ……。クリスティーネ嬢をこんなところで見つけたから驚いてしまって、つい」
つい、で安住の地を引っ掻き回されてはたまらない。
「今の私はクリスティーネではありません。クリス、とお呼びください。ただのクリスです。フェオドール様」
「噂には聞いていたけど…本当に公爵家から勘当されてこんなところに住んでいるんだ。クリスティーネ嬢…失敬。クリス嬢に様付けされるのはなんだか落ち着かないな」
下町をこんなところと言われるのも腹立たしいが、それも仕方がない。フェオドールは身分は平民なのだが、貴族街に高級百貨店なんかを経営している富豪、オリック商会の一人息子だ。お母様が貴族の血を引いているとかで伝手があり、オリック家は爵位を賜るのも近いだろうとか、色々噂されるほどの。
「こんなところ、にオリック家のフェオドール様が何の用です。わざわざ退学した旧友を探しに来たわけではないのでしょう」
こんなところ、にアクセントを置いた皮肉は通じたようだ。ばつが悪そうな顔をして頭をかいた。
「いやぁ……この商店街に驚くほどの美女がいるって聞いて……。どれほどのものか見に来たんだよ。まさか君だったなんて、予想外で驚いたけど。俺はてっきり、君は公爵家の領地のどこかでひっそりと暮らしているのかと思っていたからね」
「そりゃすみませんね。ご期待の美女じゃなくて」
「いや予想よりよっぽど……いや、やめておこう。それより君は本当にエレナを突き落としたりしたのか?」
「……そうですね。間違いなく私がこの手でやりました」
「本当…なのか。君とエレナは仲良くしていたはずだ」
「そうですね……今でも大切な友人だと私は思っています……。フェオドール様はあの時ダンスホールにはいなかったのですか?」
「様はよしてくれ。俺は貴族の身分じゃないし、親父が金を持ってるだけの放蕩息子だよ」
「それでは…フェオドールさん、と」
「うん、それで。俺はあの時、卒業後に親の決めた相手と結婚する先輩と、最後の思い出作りとして空き教室にしけこんでたのさ。だから実際には見ていなかった」
と、恥ずかしげもなく私にウィンクしてくる。
あー……フェオドールはこういう人なのだ。派手な見た目通りの軟派男というか、遊び人というか……。王立魔法学園は貴族以外は少ないので、それだけでも目立つのだが、この男は普段の素行でも悪目立ちしていた。だからゲームでは同じく悪目立ちしていたエレナと仲良くなるルートがあるわけなのだが。
「怒らないんですか? エレナはフェオドールさんにとっても友人だったでしょう?」
「俺が怒るのは筋違いだろう。君がエレナを突き落としたことにエレナが怒るならわかる。そりゃあ、もしも何の反省もなく責任も取らされずぬくぬくと暮らしているならまだしも、貴族の名前を奪われて下町で辛い労働をして暮らすのは、公爵家の令嬢にとって重すぎるくらいだと思うよ」
いつもチャラ男みたいなフェオドールがいつになく真面目な顔をしている。
「なあ……もう1年経ったんだ。君がここの生活から抜け出したいなら俺が支援をしてもいい。結婚相手を探してもあげてもいいし、なんなら俺の家に来たっていい」
私はその申し出に首を振った。
「いいえ、私は今の生活が気に入ってますから。それよりもフェオドールさん。最近のエレナは……どうしていますか? 差し支えなかったらでいいので、教えてくれませんか」
「振られてしまったか」
肩をすくめる。本当にイタリア男か何かみたいだ。
「エレナは元気だよ。最近は忙しそうにしているけどね。さすが、マティアス殿下の婚約者は大変だ。放課後と休日はマナーとか色々学ぶことがあるんだってさ。だからクラスでもあまり話してはいない。まあ、俺みたいな遊び人が、将来の王妃に親しくしない方がいいだろう? それで今度の卒業パーティーの時に正式に婚約が発表されるらしいんだ。すごい玉の輿になるからね、うちの店も特需を狙ってる。エレナをモチーフにした……ああ、これは関係なかった。……でもね、エレナは少し寂しそうだ。それは、君がいないからだと思うよ……」
「そう……ですか。教えてくれてありがとうございます……」
エレナの話を聞くと、胸が痛くなる。会いたい……けれど悪役令嬢にそれは許されないのだ。でも最近のエレナの話を聞けてよかった。
頭を下げる私に、フェオドールは固い声で言う。
「やっぱりおかしいと思うんだ。君とエレナはお互いに思い合ってる。なのに、何故君はあんなことをしたんだ?」
「……さあ、わかりません。私の体が私の意思ではなく勝手に動いたと言えば、信じてくれます?」
フェオドールとはどうせもう会うこともないだろう。お互いに信頼関係もなければ彼に信じてもらう必要もない。怒らせたって構わない。だから正直にそう言った。さすがに乙女ゲームがどうとかシナリオの抑止力とかの話はするつもりはなかったけど。
「……わかるよ」
けれどまさか肯定されるとは思わなかったが。顔には出さないけどかなり驚いた。
「……そういうことってあると思う。少なくとも俺はあった。あとで何故そんなことをしたのか悩むことがさ。あー…これは言うか迷ったんだけどさ」
フェオドールは私に向き合うと、唐突に頭を下げた。
「君がエレナをいじめていたって話をマティアス殿下にしたのは俺なんだ。……すまなかった」
「は!?」
衝撃の新事実だった。
私がエレナを突き落とした時、どういうわけか他にも影でいじめていたという噂が出たのだ。ゲームでもそうだったからっていうのと、突き落とした事実に背びれ尾びれがついただけかと思っていたけど、主犯が目の前にいたなんて。
「あの後、同じクラスの何人かが呼ばれて、教官に話を聞かれたことがあったんだ。とっさにエレナが君に嫌がらせされていたところを見たことがある、だなんて口走ってしまった。後で否定しようにもマティアス殿下が同席していたから、王族への虚偽の罪になると思うと言い出せなくて。……あの時は俺の口が勝手に動いたみたいだった。今の君の境遇は俺の話したことのせいでもあると思う。……本当にすまなかった」
ああ…私がエレナを突き落としたような、本人の意思とも違う、抑止力のような何か。きっとそれがフェオドールにも影響を与えたのだろう。彼もまたゲームの登場キャラクターなのだから。
「他にもこの学園に来てから、たまにだけど、普段の俺なら絶対にしないようなことをしている、させられていると感じることがあった。これが何かはわからないけど、ずっと誰にも言えなかった。君もそうだったのなら、今からでも誰かにこの件を伝えて調査を……」
「やめておいた方がいいです。フェオドールさん」
私は彼の言葉を遮る。ゲームのシナリオ通りに進ませる抑止力があったとして、それに抗うことができない以上深く踏み入れない方がいい。誰かに話したところで信じてもらえるような事柄ではない。頭がおかしくなったとか、虚言癖だと噂が立つとか、ろくなことにならないだろう。
「もうすぐ卒業でしょう。忘れた方がいいです。何度も言いますが、私は今の生活が気に入っていますし、もう終わったことですから」
「……そうか。わかった。あの俺の意思とは違うのに体が動くって感覚、やられた自分にしかわからないしな……。なあクリス嬢、君の近況はエレナに伝えてもいいか?」
私は少し悩み、そして首を横に振った。
「エレナに直接ではなく、マティアス殿下に聞いてみてからの方がいいのではないでしょうか。私のことを聞いてエレナが単独で下町にやって来てしまう可能性もありますし」
実際に他のキャラクターのルートで、エレナが行動力を発揮した結果、下町の端のスラム街に迷い込んでしまう、なんていうのもあるのでエレナに危険が及ぶのは避けたい。ちなみに危なくなったところで対象キャラクターが助けてくれて、っていうテンプレ展開なんだけど、テンプレとはいえあれはときめいたなぁ。
「マティアス殿下か……そうだな。卒業されてしまったから、俺みたいな平民にはそうそうは会えないんだが……。機会があればそうしてみるよ」
私は頷いた。マティアス殿下ならエレナにどこまで伝えるかの線引きを考えてくれるだろうから。私が遠くで元気にやってるとだけでも伝わったら、エレナはほっとしてくれるだろうか。
「なあ、クリス嬢。もう会えないかもしれないから、最後に……俺のことを殴ってくれないか?」
「はい!?」
「やっぱり俺、君にひどいことをしたと思うんだ」
「だからもういいですって」
「いや、ごめん。多分俺の気がすまないだけなんだ。俺のせいでもあるのに、君に何もしてあげられないのが心苦しい。けじめっていうか、一発殴ってもらえたら俺の気がすむから、頼むよ」
なんなんだこの人、自分を殴れとかメロスとセリヌンティウスか!?セリヌン系男子か!?
私は嘆息した。なんかもうやけくそだ。
「はあ……わかりました。じゃあ私が一発殴りますんで、それでお互い手打ちってことにしましょう。でも、私はもう貴族のお嬢様じゃないんですから、本気で力一杯いきますよ? 痛いですよ!」
「ああ、承知の上だ」
身構えて顔を差し出すフェオドール。なんなんだこの人。ドMなのではないだろうか。だとしたらご褒美ってことになってしまう。
私は遠慮せず、思いっきり手のひらを振りかぶる。ばちん、と破裂音がした。
うん、いい腕の振りだった。角度も最適。ものすごくいい一撃が入ったのは間違いない。
……勢いあまってフェオドールが吹っ飛んでたけど、まあ大丈夫でしょう。
「はい、これでおしまい」
手をパンパンと払う。
起き上がったフェオドールの頰には立派な紅葉がついている。
「予想以上だった」
そんなに頰を腫らせていながらも爽やかに笑うフェオドール。こんな人初めて見た。