44 手遅れ悪役令嬢、正念場を迎える4
この部屋にはユニトとイレールも一緒だった。ユニトに関して、まだどうするかはっきりと結論が出ていなかったのだ。
衛士達も扱いかねているようだった。
修道院に送るにしても、受け入れ先を探さなければならないし、その前に調査や裁判でしばらく勾留もされるだろう。
おそらくは私が以前入ったことのある貴人用の収監室に入るのだと思う。
ふたりとも、お父様と変わらないほどに真っ白な顔でソファに座っていた。
特にユニトはひどく不安定そうに見えた。
当然だろう。長期間軟禁されていたも同様の状態の変化のない日々から突然連れ出され、挙句目の前でこんな凄惨なことが起きたのだ。
私も先程からずっと鈍い頭痛があり、気を抜くと目眩がしそうだった。
目の前で人が死んだのを見せられるだけで辛い。それが他国の敵であってもそうだ。同情だとかそんなものではなく、人の死も、血が流れるのも、見ていて楽しいものではない。
お父様を連れて無事に屋敷に戻るまでは、となんとか気を張っていなければ、再び倒れてしまいそうだった。
「……ユニト、大丈夫?」
ユニトのことも心配だったが、マティアス殿下に彼女の処遇を頼んだことでもう私にやれることはない。
おそらく、ベルトワーズ公爵家からの迎えの馬車が来たところでお別れになるだろう。
……そしてそれが今生の別れになる可能性もある。
「……クリスティーネ……」
ユニトはゆるゆると顔を上げた。
「ここは……恋ラプの……ゲームの中じゃないのね」
ユニトはポツリと言った。
「私、ここがずっとゲームの中だと思っていたの。私はちょっとした例外でゲームに入ってしまっただけ。実際にはゲームと同じように世界は動くって思って……。それでね、この世界に本当の人間は私だけだと思っていたの。貴方に会って、この世界の人間は私とクリスティーネのふたりだけだと思った。そんな例外があるからゲームと少し違うのもしょうがないかなって……そう思っていて……だけど違うのね」
ユニトは私と同じことを考えていたようだった。
流石に人間が自分だけだと考えたことはなかったけれど、この世界はゲームのシナリオ通りに動くのだと思っていた時期があった。
しかしこの世界は同じような事柄は確かに起こるものの、それはただ漠然とシナリオ通りに動いているからではない。この世界に住む人間のさまざまな意思により水面が揺らぐように常に流動している。だからほんの些細なきっかけで全く異なる未知の結果になりうる。
この世界はなんなのか、神様にも会ったことなんてないし、世界の真実は私なんかには計り知れないけれど、それでも多少のこと、自分の手が届く範囲のことは自分の意思で決めていける。
それは間違いないし、前世の世界となんら変わらない。ごく普通の世界だ。
「私、これからが少し怖い。どこに行くのかまだよくわからないし、修道院?ってところ、それがどんなところで、どんな人がいて、私どうなるのか全くわからない。怖いしすごくドキドキする。だけど、嫌なドキドキだけでもないっていうか、……私でも頑張れば、幸せになれるかな。ヒロインみたいに……。私、頑張れるかな……」
「頑張れるよ。私も何もできないけど、少しは頑張った……つもり。色々空回りもしたけれど、でも私にできる精一杯をしたつもりよ。……だからユニトもこれから頑張っていけるよ」
「……ありがとう。『悪役令嬢』にそう言ってもらえるとさ、本当にそんな気がしてくるね」
「まあ、肝心な時に体が動かないなんてこともあるけどね。なるべく危ないことからは離れるべきかな」
ユニトは笑った。
ふわふわした浮世離れした微笑みとも子供のような笑い方とも違う。
年相応の微笑みのような。
それはなんだか憑き物が落ちたような、スッキリしたそんな笑顔にも見える。
「イレール、貴方も……長らく私に付き合ってくれて……ありがとう。私さ、イレールと長いこと一緒にいたのに、お礼言ったの、もしかして初めてかも」
「姫さ……ふふ、もう姫様なんて呼ぶ必要はありませんね、ユニト様。わたくしは、20年前、子守の仕事だと言われて貴方様付きになりました。20年子守をしてきましたが……ようやくお役御免になれそうですね」
ユニトは相変わらず不健康そうな青白い顔だが、表情が見違えるほど変わっていた。イレールも最初に見た陰気そうな姿は微塵もない。
「私、この世界の文字が書けるようになりたいな。修道院に行ったら、教えてくださいって言えばいいのかな。文字、書けるようになったら、クリスティーネに手紙を送りたいし。それに、私がこっちの文字を書けるようになれば、イレールも読めるでしょ?……手紙、書くから」
「わたくしは、自分の名前とあと少しくらいしか読めませんが……。あ、いいえ、わたくしも学べばいいのですね。そんなこと、今までは思ってもみませんでした」
ふたりが同じ修道院に行けるかはわからない。それはお互いもよくわかっているようだ。
そもそもイレールはカステレード公爵に情報を流したことを罪に問われる可能性もある。情状酌量されることを祈っているが、どうなるかは私にも全くわからない。
けれど、ユニトに目標ができたことはきっと良いことだと思う。
私はそこでフィリップお兄様とグレンお兄様が迎えに来たので、お父様を連れて戻ることになった。
ユニトに笑顔でさよならを告げて。
それからしばらくして、どこかに勾留されていたカステレード公爵含むカステレード一族の処罰が終了したと聞いた。
公爵及び直系の男子、加担した家臣は処刑。
処刑は公開もされたが、私は見に行くつもりなんてさらさらなかった。
そして子女や縁戚の人間も修道院や各流刑地への移送が完了した。
ユニトも王都から遠く離れた地にある、更生施設を兼ねた修道院に入ったそうだ。
かなり厳しいことで有名な修道院だったし、彼女の境遇から考えるとおそらく一生出ることはないだろう。
しかしながら、厳しいもののしっかりと教育をしてくれるところでもあるらしいので、きっと文字もすぐに書けるようになるだろう。
しかしイレールはやはり情報を流した罰として5年の禁固刑が下った。
これでも、脅されての行動であったこと、ユニトの為を思っての行動で、自分の利益の為ではなかったということで多少は軽くなったそうだ。
そして禁固刑ながらも本が与えられ、読み書きの練習も許可されたそうだ。
こちらはイレールが怪我をしたお父様の血止めをしてくれたことが、ベルトワーズ公爵の救命措置を手伝ったとしての特赦なのだそうだ。
禁固刑の後にはユニトと同じ修道院に行くらしい。5年後には今度はユニトが先輩としてイレールに教えることになるのだろう。
後に、エドガーやあの最初に刺された衛士の安否も聞いた。
エドガーは一命は取り留めたものの、傷が深く、護衛騎士として今まで通りには戦えなくなり、退役することになったそうだ。
衛士も同様で、傷病兵の扱いで退役なのだと言う。
傷を塞ぎ、それ以上の出血を抑えることはできるが、損傷が酷いと治るまでに時間がかかる。そして元通りに完治させるためには定期的に魔法をかけてもらう必要がある。しかし癒しの魔法を使える人はそう多くないし、高額の費用がかかる。
衛士には癒しの聖魔法をかけてもらえるツテもないだろう。
エドガーも下級貴族出身だそうで、同様に難しいそうだ。
体制に問題があるとマティアス殿下にもわかってはいるが、今の段階では多めに退職金を渡すくらいしかできないらしい。
他にもあの暗殺者の手にかかり亡くなられた方もいたそうで、後にマティアス殿下による慰霊のセレモニーが行われた。
セレモニーではあるが、暗殺者はもういない。襲われる心配もない。
おかげで無事にセレモニーは終了したが、失われたものは大きい。
そして暗殺者を脱獄させる手引きをし、侍女の服や武器を与えた者も捕らえられ、同様に処刑されたそうだ。
彼らはベクレイアと同盟を結びたいという派閥の過激派だったらしい。
そしてあの暗殺者は侍女の服を着ていたが男性だったそうだ。パッと見では全然わからなかった。
エドガーはタイミング悪く、既に脱獄しており侍女に扮した暗殺者に騙し討ちされ、後ろから刺されたのだそうだ。
全身鎧でも可動域には弱い箇所があるために、そこを狙われたのだそうだ。
話を聞くと、やはりその暗殺者はかなりの手練れなのだと思った。
かつてベクレイアとの戦争が終わるきっかけに、ベクレイアの有名な将軍を倒したということがあったのだが、その将軍の息子だったらしい。
アンゲルブルシュトへの私怨あっての凶行であるとベクレイア側との話し合いで結論が出たそうだ。……彼はベクレイアからも切り捨てられたのだ。
国同士の話は聞いていて愉快ではない。
その暗殺者であるが、私達が到着した時には既に脱獄していたのだとか。
今更ながら恐ろしいのは、私達がユニトから話を聞いて王城に向かったのがもっと遅ければ、マティアス殿下やエレナが危なかったかもしれないということだった。
あの鼻持ちならないローランは護衛騎士の中でも1.2を争う実力者らしいから、結局はあっさりと返り討ちで終わったのかもしれないが、最後に投げた苦無がもしもエレナに刺さっていたらと思うと恐ろしい。
この事件があったため、王城内は更にピリピリとし、アンリ殿下は更に仕事に追われ、アンリ殿下と会える少ない機会がまたも減ったのだった。
……あと2年で結婚準備、ちゃんと終わるのだろうか……。
私には再び外出禁止が出た。
仕方なしに屋敷にこもってパン屋の計画を練ったり、経営を勉強するという日々に戻った。
安全で平和な日々だ。
それにお父様のお見舞いというか、顔を見せることが日課に増えただけだろうか。ほんの少しだけは態度は軟化させることにした。元通りの親子として接することができるかはわからないけれど、こういうのは大抵時間が解決するだろうから。
そして、私にはひとつまた目標が増えていた。
まだほんの小さな思いつきでしかないし、それが上手く行くためには色々と大変できっと難しいだろう。
だけど思うのだ。
こんな些細なことが、成長するということなのかもしれない、なんて。
前世の分と今世の分合わせれば結構長いこと生きている気がするのに、私はまだまだ未熟だ。肝心な時に何もできない。
だからせめて、少しずつでもできることを増やしていきたい。
私はまだまだこれからも成長していける。
多分、きっと、
……手遅れだなんてことはないのだろう。




