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43 手遅れ悪役令嬢、正念場を迎える3

「クリス!」


 温かい手に抱き起こされて目が覚めた。

 アンリ殿下の黄水晶(シトリン)の瞳がすぐ近くにある。


「わ……私……?」

「大丈夫? 起こすけど、頭は痛くない? 気分は?」


 どうやら気絶していたようだ。


「ええと、大丈夫そうです」


 アンリ殿下が手を貸してくれて上体を起こした。


 暗殺者に投げられた苦無がてっきり私の体を貫いているのかと思ったが、どこにも痛みはない。強いて言うなら倒れた時に打ち付けたお尻だろうか。

 もしかしてたまたま驚いて気絶したことで偶然避けられたとか、そんなしょうもない理由なのだろうか。


 しかし私は目の前で蹲る人を見て息が止まった。



「クリス、どうか落ち着いて……」


 アンリ殿下の声も私の耳を素通りする。


「お父様……!?」


 お父様は蹲り、普段は若々しく端正なその顔に今は脂汗を流している。


「……やあ、私のかわいいクリスティーネ。……怪我はないかい?」


 お父様の左肩にはべっとりと血がついていて、それはダラリと垂れた腕を伝い、床に赤い模様を描いていた。


「おっ……お父様! 怪我をっ……!」


 お父様は辛いだろうに脂汗を流したまま私に笑いかける。


「はは……大したことはない。20歳……いやせめて10歳若ければ無傷で跳ね返せると思ったんだ。あの程度ならね」


 格好悪いところを見せたね、と苦しげながらいつもの軽口を叩いてみせる。



「すみませんが、抜きます。痛みますから舌を噛まないように、歯を食いしばっていてください」


 しかしお父様の傍らにはひどく真剣な顔をしたアンヌが跪いていて、お父様の肩から躊躇なく苦無を引き抜いた。


「ぐぅっ……!」


 お父様のうめき声と共に血が更に溢れる。


「どなたか、血止めをお願いします! 布で押さえてください!」


 アンヌはそのまま血に濡れた苦無の刃物部分を薬品のついた綿のようなもので拭っている。

 私は座り込んだまま、体がピクリとも動かない。腰が抜けて再び今にも倒れそうなのを辛うじてアンリ殿下に支えられている状態だった。


「血……血止めを致します」


 代わりにイレールが近寄って来るとぶるぶると震える手で布を持ち、お父様の左肩の傷をぐっと押さえた。白い布はみるみる赤く染まる。


「もっと強く!」

「はい!」


 アンヌにそう言われたイレールは手にぐっと力を入れて押さえた。



「毒反応出ません! よかった……! ですが早く治療師を呼んでください! 出血がひどいです!」


 アンヌの一連の作業はどうやら苦無に毒が塗られていないかどうかを確認していたようだ。

 私はそれらをただ呆然と眺めていた。


 そしてようやく今頃、私がこうして無事なのはお父様に庇われたのだと気がついた。私は何もできなかった。


 あの暗殺者が侵入し、マティアス殿下を襲おうとした時、お父様は既に動いていたのだろう。でなければ私を庇うことなどできるはずがない。


 時期王であるマティアス殿下より、公爵家当主である我が身より……ただの令嬢でしかないこの私を。

 ……得体の知れない人間が自分の娘に転生し、他人の記憶を所有している私のことを。


 私のすぐ横で私と同じように呆然と立ちすくんでいるユニトは「こんなのゲームと全然違う……変だよ……だってこんなイベントじゃない」そうぶつぶつと呟いている。顔からは完全に血の気が引いている。

 


 そうこうしているうちに、いつのまにかマティアス殿下の執務室には多くの衛士や従僕が駆けつけてきていて、最初に刺された衛士にも止血を試みられていた。

 マティアス殿下の周りも後から駆けつけて来たであろう護衛騎士に挟まれて安全を確保されている。

 暗殺者を切り捨てたローランは無言で剣の血を拭っている。彼の前には布が被せられていて見えないものの、その膨らみからおそらく……暗殺者の死体があるのだろう。

 彼は護衛騎士として口だけではなく本当に腕が立つ人だったのだろう。あっさりと暗殺者を殺してのけた。彼がいなければもっと大変なことになっていたかもしれない。




「すみません、遅くなりました! お怪我をされたのは!?」


 バタバタと従僕を連れて執務室に入って来たのは、私の大切な友人であるエレナ・ヴァリエであった。いつもよりも動きやすそうなドレスに白い清潔そうなエプロンをつけ、長い髪をきっちりとまとめている。

 真っ先に従僕にお父様のところに案内されるが、それはお父様が留めた。


「私より、そっちの衛士の彼の方が傷が深い。先にそちらを」


 エレナは頷いて最初に刺された衛士のところで跪き、癒しの聖魔法を行う。

 キラキラと緑の優しい光が部屋中を漂う。


「なんで……? ヒロインは癒しの魔法は使えないのに」


 そう言ったのはユニトで、私もエレナが癒しの聖魔法を使えることは知らなかった。

 適性があっても、癒しの聖魔法は習得が非常に難しいからだ。勿論、ゲームでもエレナは癒しの聖魔法は使えないという設定になっていた。



 お父様は血を失った為か、白い顔で目を閉じている。そんな状態でも最初に刺された衛士の方が傷が深そうだからと順番を譲ったのか。


「お待たせしました。患部を見せてください」


 衛士の治療を終わらせたエレナが寄ってくる。


「私、たくさん勉強したんです。マティアスに少しでもふさわしい人になれるようにって。これなら戦えない私でも、いざという時、マティアスを助けられるでしょう?」


 エレナは聖魔法を使いながらそう言う。

 先程のユニトの言葉が聞こえていたのか、それとも癒しの聖魔法が使える理由を友人である私に教えてくれただけなのかはわからないけれど。


 聖魔法の淡い緑の光を浴びるエレナは、本当に、すごく……綺麗だと思った。





 お父様の傷は深く、また出血もひどいためにエレナの癒しの聖魔法だけでは完治することはできないそうだ。

 癒しの聖魔法は万能ではない。

 傷の表面は癒しの聖魔法で塞がれたが、内部…傷ついた神経や筋肉なんかが治るのは時間がかかるらしい。しかも複数回は定期的に癒しの聖魔法をかけてもらう必要があるのだとか。

 それでも癒しの聖魔法のおかげで、普通の怪我よりは治りも早いらしい。

 しかし出血による貧血はどうにもならない。お父様は真っ白い顔で固く目を閉じていた。

 屋敷に帰すにしても少し休ませてからの方がいいと、私達は用意してもらった別室に移された。ベルトワーズ公爵家には既に連絡をしてくれたらしい。

 迎えの馬車が来るまで、お父様は長椅子に横になっている。



 エレナは他にも治療する人がいるからと部屋から出て行った。


 ……結局戻って来なかったエドガーは無事なのだろうか。

 お父様よりひどい怪我をしていたあの衛士は……。

 きっとあの暗殺者が脱獄した際に巻き込まれた人もいただろう。



 私にずっと付き添ってくれていたアンリ殿下もアンヌを伴って部屋から出て行った。

 今この部屋には先程まで休んでもらっていたオルガが急遽駆けつけてくれていたが、ひどく申し訳なさそうにしていた。


「私が休憩などしていなければ……」


 そう自分を責めてしまっているのだろう。

 普段はキリリとした眉をしょんぼりと下げている。

 しかし私もアンリ殿下もオルガが一生懸命に馬を走らせてくれたことを知っている。責めるつもりなんて微塵もない。

 何もできなかったのは私だってそうだ。ただ呆然としていた私が何を責めるというのだ。


「顔を上げてちょうだい、オルガ。あんまり情け無い顔をしているとパトリシアに怒られるわよ」


 そう言うとオルガは身をよじらせて「ひええ」とさらに眉を下げて情け無い声を上げるのだった。



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