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幕間 アンリ・アンゲルブルシュトの憂鬱

 アンリ・アンゲルブルシュト、その名を聞けばこの国(アンゲルブルシュト)の人間なら誰でも王族だと理解できるだろう。



 そしてきっとこの国で最も恵まれていて、何不自由なく暮らし、欲しいものは全て手に入れているのだと思われるだろう。

 確かに僕は他の人よりも多くのものを持っていると思う。

 自分で言うのもなんだがそれなりに容貌は整っている。王族・貴族の必須技能とも言える魔法力も高い。同い年の子供よりはるか先のことをもう勉強し、なおかつ理解もしている。王族として恥ずかしくない程度に優れている人間だと思う。





 ――しかし、僕は、本当に欲しいものだけは、この手にひとつも持っていないのだ。






 僕の父、先の国王であったその人は、健康上の理由を持ち出して、息子である王太子――僕の兄に王の位を譲った。

 だが、実際には迎えたばかりの若く美しい側室に夢中になっていただけであった。

 豪奢な離宮を作らせて、そこにたくさんの側室や愛妾を迎えて侍らせた。そうやって遊興に耽ることを許される代わりに、息子である今の国王に位を譲ることを了承したのだ。


 その中の何番めかもわからない側室の女性が僕の母だった。


 母は、美しい自分だけを愛しているような人だった。

 身を飾る化粧やドレス、宝石のことを考えるのが大好きで、それらを好きなだけ得るために、父親とそう変わらない年齢の先王の側室になった女だった。




 僕は彼女に抱かれた思い出がない。育てるのは乳母に任せきりだった。

 貴族は得てしてそういうものだが、自らの子に全く興味を示さず、一度たりとも抱きもしないのは早々いないだろう。


 乳母が「この子がお可哀想ですから、せめて抱き上げてくださいませ」と言うのに、「嫌よ。わたくし、この細い腕が自慢なの。そんな子供なんて抱いて腕が太くなったらどうしてくれるの」と返すの常だった。

「仕方なく産んだ子ですけれど、そんな子供を産んだせいでわたくしの容色が衰えるのは許せないわ」

 確かそんな言葉もあった。


 幼かったはずの僕の記憶にしっかりと残るほど、そんな会話ばかりを聞かされて育ったのだ。


 しかし、ある程度大きくなってからは一度も会ったことはない。顔は忘れてしまって、細すぎる二の腕だけが記憶にある。

 向こうもこちらに興味はないようでそれからも接触はなく、先王も彼女も亡くなったという話は聞かないからきっとまだ離宮のどこかで生きてはいるのだろう。

 まあ生きていても死んでいても変わりはない。いてもいなくても変わらない僕と同じで。





 そのようにたくさん側室を娶った割には、父の子供は驚くほど少ない。

 現在の国王陛下である兄、そして既に降嫁して遠方の貴族に嫁いだ姉、そして僕だけである。

 ここ数代、王家は皆こんな感じだ。もう血が駄目なのかもしれない。そのくせようやく生まれた子を産み捨てたり、毒を盛ったりして更にその数を減らしている。

 歴代の王はそんな事実を見ないようにして側室をたくさん娶るのだった。


 そういうわけで兄や姉と僕は随分と歳が離れている。

 そのため、兄も僕が生まれるより先に正妃を娶っていたし、既に嫡男も生まれていた。


 それがマティアスだった。

 僕より一つ年上なのに、続柄は僕が叔父さんということになる。


 ――マティアスがいるせいで、僕の存在はぽっかりと浮いてしまっていた。

 王弟というのはたいていはスペアとしてしか必要とされていない。しかしもう跡継ぎがいる以上、僕はスペアとしてすら必要とされないのだ。そして王位なんて欲してもいないもので、しばしば命を狙われるのが常だった。


 マティアスがいる限り、僕が王位を継承する可能性はかなり低くなる。

 それこそ王とマティアスが同時に亡くなるでもなければ。そして、そんなことが本当に起こらないようにと、僕や僕の周りは常に監視をされている。王位なんかいらないと口で言ったって信用されるはずがない。

 しかしどんな生活でもいつかは慣れる。僕は監視だらけの生活にもすぐに慣れた。



 ただし、マティアスよりも優秀になると目を付けられるかもしれないので、それだけは避けるようにしていた。もしマティアスより優秀でいると、マティアス派からは危機感をもたれるし、反マティアス派は僕を王につけようと暗躍しかねない。そのどちらの派閥も危険だった。

 そして何より、息子(マティアス)を愛している王妃が一番の脅威だった。何度か毒を飲まされたことも、衣服に毒がなすりつけられていたこともあった。それは大抵ただの脅しだったけれど、そういった毒で苦しみもがいた事は忘れられない恐怖だった。


 だから普段から勉強も魔法力も、決してマティアスより上に行かないように気を使っていた。

 けれど不真面目であるのも、あからさまに手を抜くのも危険だった。

 マティアスはとても優秀だったし、年齢も僕よりひとつ年上だったから、その少し下をキープし続けることで、マティアスよりも優秀にはならないが、いても毒にはならない存在、放っておいてもかまわない。いつか何かに使える可能性もある、とならなければ命の危険があったのだ。

 


 この国は魔法と毒の国、他国からそう呼ばれているように、王家では暗殺にたびたび毒が使わている。無味無臭の即死毒――シャミーラムもある。毒消しを常に持っていてもシャミーラムだけは危険だった。

 

 それだからいつも、とにかく目立たないようにと気を配って、ひっそりと生きていた。


 しかしそんな僕にマティアスは優しかった。


 当時まだ弟が生まれていなかった彼は、ひとつ年下の僕に兄貴風を吹かせて、僕がわざと間違えた問題を最後にちゃんと見直しをしないからだぞ、とよく教えてくれたものだ。

 勉強だけでなく、剣でも、魔法でも越えないようにした。

 そして僕はいつだって、マティアスはすごいね、と言い続けたのだ。

 それは本心だった。僕の持っていない物をたくさん持っているマティアスは本当にすごい。

 ……すごく羨ましい、本当にそう思っていた。


 若干の嫉妬を感じはするけれども、僕はマティアスのことが嫌いではなかった。

 僕にとってはむしろ眩しい存在でもあった。




 マティアスは、美しい金髪と宝石のような深い青い瞳をしていた。

 日の下で見ると、金の髪がきらきらと光を弾いて神々しいほどの美しさだった。

 彼を見た人は皆、感嘆の吐息を漏らしていた。

 だからそんなにも皆から愛されるのだろうか。

 成長するにつれ、整った顔立ちに凛々しさが増し、ますます女性達は魅了されていった。

 一方僕は、ぱっとしない茶色の髪をしていた。父にも母にも似ていない。父の母、僕の祖母が同じ色だったらしいけど、会ったことはない。もう亡くなられていたからだ。肖像画を見たことがあったが、確かに僕と同じ色のようだった。


 大きくなってから知ったが、僕の顔立ちは、母によく似ているらしい。もう何年も会ったことがなく、顔なんて覚えていないと思っていたがなんのことはない。毎日鏡で見ていたわけだ。

 子供を抱きもせずに捨てる女。それに似ている僕もまた、同じように心が冷たいのだろう。







 7歳の時、王城でマティアスと同じ年頃の貴族の子供が集められたお茶会があった。マティアスの側近候補を見繕うための会である。


 各々の貴族達は自分達の子供にきちんと貴族教育を施しているとアピールする場であり、女の子は王族や有力な貴族の婚姻相手にと見初められる可能性のある場でもあった。


 そういうわけで張り切っている貴族の子弟達はマティアスにアピールすることばかりを考えており、僕はほったらかしだった。こんなお茶会なんて面倒なだけなのでむしろ好都合だった。

 阿呆だと思われない程度にぼんやりとして、時間が過ぎるのを待っていた。




 ――そのお茶会で、僕は最初、等身大の人形が座っている、と思ったのを覚えている。




 銀糸の髪、紫水晶(アメシスト)をつるりと研磨させて眼窩にはめ込んだような美しい人形。だがその人形は生きていた。


 彼女は僕が近寄ると立ち上がり、見事な口上で挨拶をした。しっかりとした家の令嬢なのだろう。仕草から何から洗練されていた。あとで公爵家の令嬢と聞いて納得したものだ。

 そうしてにっこりと微笑んだ顔はもう人形には見えなかった。

 僕はもっと彼女と話してみたいと思った。個人に興味が沸くこと自体が始めての経験だった。


 しかし彼女、クリスティーネ・ベルトワーズは周りの人間に押されてマティアスのところに行ってしまった。楽しげに話す二人を僕は離れたところで眺めていた。


 並ぶとなんとお似合いの二人だろうか、とどこかの家の貴族が話しているのを聞いた。


 ――本当だ。

 二人ともきらきらと輝いて、対で作られた飾りもののようだと思った。僕が触っていいもののはずはない。






 彼女と話をしたのは、ほんの僅かだった。


 お茶会の席で、マティアスと僕の間に座った彼女は、お菓子を口に含んではニコリと笑い、お茶を飲んではまた笑っていた。何をしても楽しそうで輝いていた。会話のほとんどはマティアスに取られてしまっていたが、それでもポツポツとは会話をした。


「アンリ殿下の髪の毛は、パンのような色で大変美味しそうでいらっしゃいますね」

「え?」


 最初は何を言われたのか一瞬わからなかった。美味しそうと言われたのはさすがに生まれて初めてだ。いやこれからもないだろう。……変わった子だ、と思った。


「アンリ殿下は、そのお菓子はあまり好きではないのですか?」


 先程彼女がニコニコして食べていたお菓子だった。

 欲しいのかと思って、手渡そうとすると拒まれた。


「とても美味しかったので、アンリ殿下も召し上がったら、きっとニコニコになりますよ」


 クリスティーネは両手で自分の頰を押さえて笑う。その愛らしい仕草と笑顔がとても胸に残った。

 彼女に勧めまれるままにお菓子を口にすると、何度も食べたことのある味なのにいつもより何倍も美味しく感じられた。


「本当だ。すごく美味しい。ありがとう」


 いつのまにか、作り笑いではなく本当に微笑んでいた。

 その笑顔はきっといつもよりも不恰好でひどいものだっただろうけど。

 そんな僕に彼女は笑いかけてくれた。





 ――あれ以来、僕は甘い物が大好きになった。



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