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34 手遅れ悪役令嬢、念願の帰宅をする

 卒業パーティーが終わった後、私はまたアンリ殿下の屋敷に戻った。

 そして次の日、私は一年ぶりの実家――ベルトワーズ公爵家にようやく帰ることが許されたのだった。


 アンリ殿下の別邸には私とは入れ違いの形で数日後にはジェミール殿下が来るらしい。まだ後見をすると決まったわけではないそうだが、もう母親である王妃と一緒にさせるわけには行かないからだ。

 せめてジェミール殿下にはこの居心地のよい屋敷で、心安らかに過ごしてほしいと思う。


 この件についてパトリシアも引退しなくてよかったと言っていた。まさかほんの数日で事態がここまで変わるなんて私も思ってもみなかったけれど、アンリ殿下がジェミール殿下の後見をする以上、人手は多い方がいいのは確かだ。そしてジェミール殿下の養育もパトリシアになら安心して任せられるだろう。

 そういうわけでパトリシアもアンヌもオルガも忙しそうにしている。今日この時ばかりは今まで私の前に出ないようにしていた使用人達もチラホラと忙しそうに立ち働いている。しかし私には見知らぬ人への恐怖心はもうなくなっていた。アンリ殿下と私が婚約したのを皆知っているらしく、好意的な雰囲気であることも大きい。


 帰るために荷造りなどをすべきなのだろうが、元々手ぶらでこの屋敷に来た私には荷物らしい荷物はない。

 私は深緑のワンピースに、マルゴさんからもらったあの黄色いストールを掛け、アンヌが選んでくれた黄薔薇のストールピンを付けたシンプルな装い。これでおしまい。私のために買ってくれた服や小物は後ほど運んでくれるらしいので、帰る時も手ぶらなのだっだた。



「何から何までお世話になりました。ありがとうパトリシア、アンヌ、オルガ」


 忙しい中、玄関先まで見送りに来てくれたパトリシア達に声をかける。


「アンリ様に会いに、いつでもいらしてくださいましね」


 パトリシアが微笑みながら私の手を包み込むように柔らかく握ってくれる。その温かい手にはもうなんの含みもない。


「早くクリスティーネ様のウエディングドレス姿が見たいですわね」


 ……その言葉に私は真っ赤になった。

 今の私は正真正銘のアンリ殿下の婚約者なのだ。いつかは、ウエディングドレスも着る日が来るのか……感慨深いというかなんというか。うん、……考えただけで赤くなる。

 そんな私を見てパトリシアもアンヌもオルガもクスクスと笑うのだった。




「そろそろ行こうか」


 アンリ殿下は私を促して馬車に乗せる。

 以前のように馬車の進行方向に並んで座った。

 アルノーの詰所からアンリ殿下の別邸までこうして馬車に乗ったのが随分昔に感じる。しかしほんの数日前でしかないのだ。怒涛のような数日間だった。


 アンリ殿下は手を握るとかハグとかの触れ合いが存外好きなようで、馬車に乗る時にエスコートされた手はそのまま握りこまれて離されないまま馬車が発車するのだった。

 私としてはまだ若干こういうことに慣れなくて、毎回ドギマギとしてしまう。


「……本当はもう少しいてほしかった。せっかく君が家にいたのに、すれ違ってあまり話せなかったから」

「アンリ殿下はお忙しそうでしたから。でも今日は良かったんですか?」


 陛下はまだ呪いで寝込んでいた体力が回復しておらず、執務はまだ当分は無理だそうだ。そのため、アンリ殿下は今回の事後処理も含めてやることがいっぱいなんだとか。昨日の今日だししばらくは陛下に無理はさせらないのは当然だろう。


「マティアスもいるし大丈夫。それに卒業パーティーの次の日だし、さすがに今日くらいは休ませてもらうよ」

「わ、私は今だけでも一緒にいられるのが嬉しいです!」


 私は最大限の勇気を出して、アンリ殿下の肩にもたれかかった。――が、少々勢いあまって側頭部での頭突きをアンリ殿下の肩にかましてしまった。

 ……何故いつもここぞという時に私は失敗してしまうのだろう……。

 私のそんな頭突きの勢いにも怒らず、アンリ殿下は私の側頭部を優しく撫でてくれるのだった。


「……そんなこと言うと返したくなくなる。けど、それはそれで君の兄弟が怖いからやめておくよ」


 そんなやり取りをして、私が赤くなったり湯気を出していたら馬車が止まった。

 ――実家 ベルトワーズ公爵家の屋敷に到着したのだった。




 敷地内にある来客用の馬車の降車場に降り立つと、待っていた案内係の使用人はアンリ殿下に歓迎の挨拶をした後、私を見て本当にうれしそうに「おかえりなさいませ!」と言ってくれるのだった。私が小さい頃からずっと働いてくれている使用人だ。


 ――私は本当に帰って来たんだ。


 屋敷の外観なんかは一年も経ったような気がしなかったが、ようやく実感が込み上げてくる。



 屋敷の玄関扉が開かれる。


 開いた瞬間、「おかえりなさいませ、クリスティーネ様!」そう声がかかった。

 一年前まで私付きの侍女をしてくれていた女性達だ。幼い頃から知っている家令や従僕の姿もある。私の為にわざわざ玄関先まで集まってくれたのだ。


 そして――

 一年ぶりのお母様、長男のフィリップお兄様、次男のグレンお兄様、そしてエミリオ。お父様は王城に行っているのか姿が見えない。皆うれしそうに微笑みを浮かべていて、私への拒絶の色はないことに安堵する。

 フィリップお兄様が一歩前に出て、アンリ殿下に当主名代として形式通りの挨拶をして握手を交わした後、私の方を向く。

 お父様似の穏やかな外見に優しい微笑みを浮かべている。


「おかえり、クリスティーネ」

「はい、ただいま戻りました……!」


 それを皮切りに私は一年ぶりの懐かしい家族に囲まれるのだった。


「おかえりなさい、クリスティーネ」


 一年とはいえ、お母様には全く変わりがない。私にそっくりな、というか私が母親似なのだが、4人の子持ち、しかもフィリップお兄様の年齢を考えても40代半ば頃なはずなのだが、そうとは思えないほど若々しいお母様。言わなければ私の姉にしか見えないだろう。

 お母様は私の顔を撫でて、僅かに涙ぐみながら微笑んでくれる。ふわり、と優しいいい香りがした。


「顔をよく見せてちょうだい、クリスティーネ。……元気にしていた?」

「はい……。お母様もお元気そうでうれしいです」

「とても顔色がいいわね。よかったわ」



 エミリオは昨日の卒業パーティーでも会ったが、家で見るとやはり少し身長が伸び、顔のラインなんかも随分とシャープになったと実感する。母と私とエミリオはとても似ていて、よく三姉妹と間違えられてはエミリオがキレていたものだが、もう完全に男の子にしか見えなかった。一年も会ってなかったのだから当然か。弟の成長はうれしい反面少しだけ寂しくもある。


「昨日も会ったけど、姉上はポヤポヤしてるからボクの見える所にいないと、何をしでかすかわかったもんじゃないからね……。まあおかえりくらいは言ってあげるよ」

「ただいま、エミリオ。喜んでくれてうれしい」

「べ、別にそんなんじゃないってば!」


 しかしツンデレなところと少々毒舌気味なところは相変わらずのようだった。



 フィリップお兄様は穏やかそうな容貌に、鳶色の髪も琥珀色の瞳もお父様にそっくりだ。中身もよく似ていて、非常に優秀だが冷酷なところもあると言われるそうだ。しかし私にとっては子煩悩な父同様に弟妹煩悩というか、とても可愛がってくれて時に甘やかしてくれる兄なのだった。

「クリスティーネは本当に偉かったね」と、まるで小さい子に言うように言い、私を抱きしめてくれる。私はもうレディなのだけれど兄からすれば小さい頃と変わらないのだろう。


「ただいま帰りました。フィリップお兄様。私はそんな子供ではないです」

「わかっているよクリスティーネ。ただクリスティーネが帰ってきてくれてうれしいんだ」


 ……若干涙ぐんでいるフィリップお兄様である。



 そんなフィリップお兄様のストッパーであり、家族間の潤滑油にして縁の下の力持ちであるグレンお兄様。しっかり者の次男なのである。

 お父様にもお母様にも似ていて、整った顔立ちながらもエミリオのように女性的な部分はない涼しげな美丈夫だ。青銀の髪にヘーゼルの瞳で、見た目と同様に常に冷静沈着で落ち着いている。

 一番わかりにくい性格をしているが、私にとっては家族思いで優しい兄なことには変わりない。少しだけアンリ殿下にも似ているかもしれない。……何を考えていりのかわからないところとか。


「クリスティーネ、大きくなりましたね」

「ただいま帰りました。グレンお兄様」


 頭を撫でてくれつつ、まるで久しぶりに会う親戚のおじさんのようなことを言ってくるが、私の身長は去年の時点で伸びきっていた気がする。この一年で伸びたとは思えない。……やっぱりよくわからない兄なのだった。


 アンリ殿下はそんな私達の再会を邪魔しないように、優しく微笑みながら、少し離れたところで見守ってくれていた。




 再会の挨拶がひと段落ついたのを確認して、アンリ殿下はフィリップお兄様に手土産を渡している。抜かりなく用意していたようだ。……私はすっかり失念していた。


「王城で採れた白鐘草の花の砂糖漬けです」


 綺麗な小箱に白い花の砂糖漬けが詰まっている。砂糖がキラキラと輝いて、まるで宝石のようだ。


 白鐘草はアンゲルブルシュト国花で、小ぶりの百合のような花だ。花の部分が下向きに咲き、鐘のように咲くから白鐘草という。とても良い香りがする花で香水に加工されることも多いが、花びらは薬効を持つので薬草茶にすることもある。中でも王城で栽培されている花にはすごい効き目があると言われている。土のせいか品種かはわからないが、他で栽培したものより効き目が強いのだそうだ。そういうわけで砂糖漬けと言ってもお菓子というより貴重な薬のようなものだ。陛下も白鐘草のお茶で体力を回復させているはずだ。


「これは貴重な品を、ありがとうございます」

「おそらく、今後は白鐘草の栽培を縮小すると思われますので、ますます希少になると思います」

「ああ……そうでしょうね。大事に使わせていただきます」


 アンリ殿下とフィリップお兄様の含みのある言葉に私は頭に疑問符が浮かんだ。国花なのに何故、と思った私の耳元でアンリ殿下がそっと囁いて教えてくれた。


「……これがシャミーラムだよ。正しくは根から抽出したもの、だけど」


 そうだったのか……!私は口を押さえた。

 国花ということで王城内の薬草畑で大切に栽培されているから材料に事欠くこともなく、毒としても使いやすいのだろう。薬用の栽培という隠れ蓑にもなる。

 

 

 ……見た目は美しくて香りもよく、そして花には薬効もあるけれど、しかしその根は猛毒。まさに毒にも薬にもなる花だったのだ。

 シャミーラムもまた、王妃に似ていた。

 もしくはその逆か。


 王妃として民の前に立つ時は、実に立派な人ではあった。陛下を支え、優秀な息子を産み、国母としての義務を果たした。ひと癖もふた癖もあるような貴族達の中で負けず劣らず社交をこなし、数々の流行を生み出した。功績は多数ある。それらが薬ならば、王妃の深すぎる愛情は他者にとっては毒であった。それだけのことだったのだ。


 何事も一面から見ただけではわからないということを、私は理解した。

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