33 手遅れ悪役令嬢、卒業パーティに出席する4
「まあ、その辺りの話はおいおい詰めていくことにしよう。カステレード公爵家の力も弱まったし、陛下の病も消えたことで、マティアス殿下には数年ほど時が与えられた。とはいえ陛下はお体も弱られているし、王妃のことを知って随分と悲しまれていたから、なるべく早くマティアス殿下の即位を盤石なものにしたいと思うのだが」
「問題は私なのですね」
そうはっきりと言ったのはエレナであった。沈痛な面持ちながらも、しっかりと顔を上げている。自分がマティアス殿下のウィークポイントになるとわかっていつつも、現実から目を背けない。
そしてそんなエレナを守るように立ちはだかるマティアス殿下。
「しかし私はエレナ以外の女性を迎えるつもりはない」
お父様はそんなふたりを微笑ましいもののように見ている。
「あまり、この手は使いたくないのだけど。背に腹は代えられない……。エレナ・ヴァリエ嬢、貴方はベルトワーズ家の養子になるつもりはないかね?」
「えっ!?」
エレナの口からも私の口からも同じ言葉が飛び出た。
「本来ならばあまりベルトワーズ家に権力が集中するのもよくない。しかし、大公という新たな位をつくるのであれば、少々偏りが出ても後々にはなんとかバランスが取れるだろう。マティアス殿下をベルトワーズ家が後押しすると示すこともできる。勿論、養子は書類上だけのことだ。結婚式をする際にはバックアップを惜しまないつもりだが、花嫁の両親としての権利はエレナ嬢のご両親から奪うつもりはない」
「わ、私はうれしいわ、エレナ! 貴方が妹になるなんて……」
私の顔は隠しきれない歓喜に溢れる。
兄と弟しかいなかったのだ。何度妹が欲しいと思ったことか。
「……いや、クリス、誕生日的には君が妹じゃないかな?」
アンリ殿下の冷静な突っ込みを受けつつも、その気持ちには変わりない。
「私が妹でもいいわ!」
姉も欲しかったのだ。
しかしエレナは複雑そうにしている。
「クリスティーネと姉妹になるのも楽しそうですが、すぐには決められません」
「勿論それで構わないよ。ご両親やマティアス殿下ともゆっくり話し合ってくれ。そして私の可愛いクリスティーネ、随分と興奮しているみたいだけれど」
お父様は私とアンリ殿下の間を指差した。
「……いつまで握ってるんだい?」
それがずっと繋いだままだった手のことに気が付き、私は真っ赤になって握っていた手を振り払った。
頬がカッと熱くなる。
エレナはそんな私を見て吹き出した。マティアス殿下も声を出さずに笑っている。
私は猛烈に恥ずかしくなるのだった。
「そろそろ卒業パーティーが始まる時間だ。さて、アンリ殿下、……あのことはどうする?」
「勿論、お披露目をするにふさわしいでしょう」
「うーん、まあいいだろう。いずれうちの長男と決闘になるかもしれないが」
「負ける気はありません」
何の話をしているのだろう、このふたりは。
……案外お父様とアンリ殿下は似た者同士なのかもしれないと思った。
「その前にまずお化粧直しです!」
割り込んだ声は、フィオナを案内してきてからずっと静かにしていたオルガだった。
「クリスティーネ様、エレナ様、お化粧がどろっどろなのをご理解しておりますか? いえ、直すより一からの方がよいでしょうか。ささ、話が済んだのでしたら殿方は一旦出て行ってください!」
アンヌも無言でうんうんと頷いている。
確かに先程、エレナとびちゃびちゃになるほど泣いていたのだった。そんなひどい顔で私達はずっと……?
エレナと思わず顔を見合わせて、お互いのその酷い化粧の崩れに笑ってしまうのだった。
私とエレナは化粧を直され、髪の毛も結い直される。ドレスの皺もチェックされきっちりと伸ばされ、パーティが始まる前からヘトヘトになったところでようやく解放されたのだった。
しかし本番はこれからだ。
そして、私はアンリ殿下に、エレナはマティアス殿下にエスコートされて卒業パーティーの会場に向かうのだった。
……一年ぶりの、あのダンスホール。
私は今もあの感覚を覚えている。
大勢の前で糾弾される恐怖、大切な友達をこの手で失ってしまった絶望と混乱。
友人、家族、全ての大切なものを失ったあの日から一年、私は全てを取り戻した。いや、それ以上の物を沢山手に入れた。
その内のひとつであるアンリ殿下に腕を絡めて、私はしっかりと顔を上げ、微笑んで入場するのだった。
高い天井には輝くシャンデリアがキラキラときらめいている。王立なだけあって十分すぎるほど豪奢な意匠を施した広いダンスホール。そして、それに負けないほど着飾った生徒達。
ざわついていた会場内が私達を認めた瞬間、シン、と静まり返り、直後揺り戻しがあったかのようにどよめいた。
華やかに着飾った卒業生に在校生。その中にはいくつか見覚えのある顔もある。
皆、驚きに満ちた顔で私を見ている。中には失礼にも指を指してくる人すらいた。
友人と参加しているらしいエミリオも見つける。一年ぶりの弟の姿にうれしくなるが、エミリオはどういうわけか口を大きくポカンと開けている。お父様から何も聞いていなかったのだろうか。
「噂は本当だったんだ……」「あれ、去年の」「何でアンリ殿下と」
ざわめく生徒たちの会話の中、いくつか拾えた単語から、アンリ殿下がわざと流しておいてくれた婚約の噂を知っているであろう人、去年の出来事を覚えている人、様々であるようだった。
しかし私達の直後に入場したエレナに視線が移ると同時に、皆の意識もそちらに移ったようだった。
堂々たる態度で王弟よりも後、一番最後に入場した男爵令嬢でしかないエレナ。そんな彼女をエスコートするのは去年に卒業した王太子殿下である。
王立魔法学園での卒業パーティーは、前世のアメリカのドラマで見るようなプロムに比べるともっと宮廷舞踏会寄りである。
つまり序列や家の格が重要視されるのだ。
王族であるアンリ殿下より後にエレナが入場し、更にそのエスコート相手が王太子殿下であることで、エレナこそが次期王妃であるとこの場に知らしめているのだった。
一応学園の行事でもあるので、そこで理事長が現れて挨拶や進行を伝える。
それが終わるとパーティーの始まりであった。
卒業生による剣舞や楽器演奏などが披露され、ダンスが始まる。
エレナ達も、そして私とアンリ殿下もダンスに参加するのであった。
一曲終わって、一旦その輪から外れると、遠巻きにしていた生徒達が近寄ってきていた。
「アンリ殿下、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。貴方達もおめでとう」
どことなく見覚えのある生徒達である。名前までは思い出せないが同じ学年だったはずだ。
アンリ殿下は学園にいた頃はいつもこうだったという微笑みで、にこやかにお礼を言っていた。
そんなアンリ殿下に挨拶をしながらも、私のことを訝しげにチラチラと見てくる者もいる。
その内の一人が話しかけてきた。
「あの、アンリ殿下、お連れの方はもしかして……」
「ええ、クリスティーネ・ベルトワーズ嬢です。去年まで僕達と共に机を並べていたのを覚えていてくれたんですね」
「皆様方、お久しぶりですわね。クリスティーネ・ベルトワーズでございますわ」
私はにっこりととびきりの笑顔で挨拶をする。
しかしながら彼らはまだ表情を隠すのに長けていないらしく、お互いに顔を見合わせ、複雑な表情が見切れてしまっていた。
その中でも一番見覚えのある、確か伯爵令嬢だった女生徒が一見にこやかでありながらも取り繕いきれていない微妙な顔で問いかけてくる。
「あら、確かクリスティーネ様といえば、去年まではマティアス殿下の婚約者であったと記憶しておりますけれど、……違いましたかしら? それにどうして急に学園をお辞めになってしまったのか、私達とぉっても気になっていましたのよ」
探りを入れていると言うよりも最早喧嘩を売っているような態度である。
「ええ、色々ありまして、学外で学ぶことになりましたの。実り多き一年を過ごせましたわ」
「まあ!色々とは……? お聞かせ願いたいですわぁ!」
「……クリスティーネはベルトワーズ卿から頼まれた重要な仕事をしていたんですよ。詳しい話は今はできませんが、そのうちに皆様にも知れることだと思います」
伯爵令嬢の追撃から庇ってくれるアンリ殿下。これ以上は今は話せないと釘までさしてくれる。
ファインプレーである。
流石にそれ以上の追撃はできずに口ごもる伯爵令嬢。
また別の令嬢が、今度は実に楽しげに頰を紅潮させながら話に混じってくる。
「アンリ殿下がクリスティーネ様をエスコートなさっているということは、もしかしておふたりはご婚約が決まったのですか?」
きゃっきゃっと無邪気な様子である。
私は何と答えたものか迷い、アンリ殿下を覗き見る。
そしてたまたまこちらを見ていたアンリ殿下の黄水晶の瞳とかち合って、胸がドキリと音を立てる。
アンリ殿下はますます笑みを深めた。
「はい、実はこの一年ずっと求婚をしていたのですが、クリスティーネからもベルトワーズ卿からも、やっと色よい返事を貰えたんですよ」
そう言って私の髪を一房掬い、口付けを落とす。
瞬間、質問した令嬢だけではなく周りの令嬢数人が黄色い悲鳴をあげたのだった。しかし私は当然のごとく真っ赤である。
ようやく先程のアンリ殿下とお父様の会話の意味が分かった。
これを狙ってたんですね……。
私とアンリ殿下の婚約の話はあっという間に広がることだろう。
「おふたりの馴れ初めなんかを聞いてもよろしいかしら!」「ええ、聞きたいわ!」「是非お聞かせください!」
きゃあきゃあと騒ぐ女子達の勢いに、先程の伯爵令嬢は輪から弾き飛ばされていた。離れていたところから睨んでいたが諦めたように離れていった。
「実は幼い頃に王城でのお茶会で、一目見た時からずっとクリスティーネに恋をしていたんです」
「まあ素敵! 初恋が実るだなんて……まるで恋愛小説のようですわね」
頬を染めた令嬢がほうっとため息を吐く。
しかし私は恥ずかしさのあまり、ろくに頭に入ってこない状態だった。
「クリスティーネ様ったら恥じらう様子までお美しいわ」
「そうでしょう? 今日の装いもあって月の女神のように美しいよ。クリスティーネ」
――もう限界だった。湯気が出ます……。
しかしながら、あの伯爵令嬢のような人もいるとはいえ、思っていたよりも周囲はずっと好意的だったのは以外だった。もっと針のむしろかと思ったのだけれど。
そう思ったところで人垣が割れる。
まるでモーセの十戒の海が割れるシーンのようだったが、そこにいたエレナを見て納得した。堂々とした自信に満ち溢れた歩みでこちらに歩いてくる。今のエレナを見た人は自然にそうなっていまうようだった。さすが未来の王妃。
「クリスティーネ!」
彼女は輝くような笑顔でこちらに寄ってきたかと思うと、堂々とした態度からガラッと一転して、甘えるように私に腕を絡めてくるのだった。
元々片側はアンリ殿下にエスコートされて埋まっているので、私の左右の腕はエレナとアンリ殿下に取られた状態になっていた。……身動きが取れないのだが、そんな態度はおくびにも出さない。
「ねえ、マティアス殿下が少し席を外されているの。戻ってくるまで私もここにいていいかしら」
「ええ勿論よ」
「私はマティアス殿下と以外踊る気はないのだけど、色んな人から声をかけられてしまって……さっきからしつこくて」
「あら、大変ね」
「でもクリスティーネとなら踊りたいわ! 私、前にダンスを教えてもらった時、練習で散々クリスティーネの足を踏んだのを覚えている? あれから上達したから是非見せたいわ!」
そう屈託なく言って周りを微笑ませるエレナ。
「ありがとう……」
私は小声で呟く。
おそらくこの一年、エレナもまた学園での噂を訂正して回ってくれていたのだろう。そして、このような態度を周囲に見せることによって、一年前のことやマティアス殿下との婚約にお互い確執はないとアピールしてくれているのだった。
「俺もいるんだけど」
そう割り込んできたのはフェオドールだった。
彼もまた卒業なのだが、エスコートしている女性はいない。
「あら? フェオドールさんはひとりなの? エスコートする女性の2.3人はいるかと思ったのに」
「いやあ、卒業パーティー直前の忙しい時期にどなたかに連れ回されてしまったのでー!」
アンリ殿下を見ていやみたらしく言うフェオドール。
アンリ殿下は全く気にした様子もなくニコニコと美しく微笑んでいるのだった。
そういえばそうだった。それで大方声を掛けそびれたのだろう。ちょっとだけフェオドールが気の毒になる。
「姉上!」
またも聞き覚えのある声に振り返るとそこにはエミリオがいた。先程は友人らしき少年と一緒だったようだが置いてきたのだろうか。
在校生はエスコート相手がいないことも多いし、スーツも卒業生に比べると若干カジュアルな雰囲気だ。紫がかったグレーのスーツがよく似合っている。一年で少し大人びたような気がする。
「ちょっと、どういうことなの? ボク聞いてないんだけど! ってかいつ帰ってくるの? フィリップ兄上が最近怖いんだけど!」
「一気に話さないでくれる、エミリオ? ねえ貴方、少し身長伸びた?」
「ああもう! ポヤポヤのままじゃん!」
頭をぐしゃぐしゃにしていらだったそぶりを見せるエミリオ。……やっぱり変わらないかもしれない。
「エミリオさん、お久しぶり!」
「あ、エレナ先輩、どうもお久しぶりです。先輩方、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません」
そう言ってその場の人に挨拶と卒業の祝いの言葉ををきちんと言っている。よしよし偉い。
「エミリオはエレナと面識があったの?」
「……何度か家に来てくれたんだよ。……姉上がいない時」
小声でそう教えてくれた。……なるほど。
「エミリオ、クリスティーネとのことは近いうちに説明しにいくから。ベルトワーズ卿からもあると思うし」
そう言うアンリ殿下に嫌そうに「わかってます……」とそっぽを向くエミリオ。
流石にアンリ殿下にその態度は、と叱ろうとしたが当の本人のアンリ殿下に止められてしまう。
「僕がクリスティーネのことを取ってしまったからね」
「ちっ違うし」
その会話を聞いていたエレナはクスクスと笑っている。
そんな中、フェオドールがやけに大人しいと思ったら、エミリオを熱い視線でじっと見つめている。
「……可愛い」
そう呟いたような気がしたのは気のせいだろうか。
エミリオはややカジュアルとはいえちゃんとスーツを着ているし、髪も他の男子生徒に比べれば若干長めながらもショートボブくらいの長さなので、まさか女性と間違えるなんてことはないだろう。一応後で訂正しようと思って……そのまま忘れて後に大事件になるのだが、それはまた別の話。
私達の集団に、戻ってきたマティアスも加わり更に賑やかさが増す。
――卒業パーティーの夜は賑やかに更けていった。