28 手遅れ悪役令嬢、求婚される
私はあれからアンリ殿下に全てを話していた。
一年前の卒業パーティーの時のこと、フェオドールとの話でわかったこと。そして、前世の記憶のことも全てだ。長い話になった。
オルガが新しく淹れてくれた紅茶は、話をしているうちにすっかり冷めてしまっていた。
しかし長々と話していたせいで喉の渇きを覚え、その冷たくなった紅茶で喉を潤すのだった。
そして話し終えた私はチラリとアンリ殿下の様子を伺った。
向かいに座るアンリ殿下はソファに足を組んで静かに座り、私の話に口を挟むこともなかった。
相変わらずの無表情だったが、その黄水晶の瞳は静かに伏せられ、真剣に私の話を聞いてくれていたようだった。少なくとも荒唐無稽な話に怒っていたり馬鹿にしている風ではなかったことに安堵する。
「……以上です。いくらかは憶測もありますが、前世の記憶については嘘偽りありません」
アンリ殿下は思案するように僅かに目を閉じた。
「そう……わかった。僕はそれを信じるよ」
「……まさか、信じてくださるのですか?」
私は目を見張った。
……はっきり言って、狂人であると罵られてもおかしくない。
この国の宗教には前世や来世といった輪廻転生の考え方がないのだ。死後は神の元に魂の核だけが向かい、魂のそれ以外の部分は大地に溶け込み魔法力の素となり、国や子孫を反映させるという考えだ。
それ故に、創作物などでも輪廻転生を受け入れてきた日本人の感覚よりも、前世の記憶というものを受け入れ難いのは間違いない。
しかも前世の記憶というだけではなく、この世界が私の前世ではゲームの……創作物の世界だなんて、そう簡単には受け入れられるものではないだろう。
「正直に言って、前世の記憶……別の世界に生きていた記憶があると言われても、すぐには信じ難い。けれど君は実際に普通の手段では知らない事柄を知っていた。兄上の病がベクレイアの呪いであることと、その直し方についてだね。それに……他でもない君が言うことだから、僕はそれを信じたいと思う」
「あ……ありがとございます!」
……それなのにアンリ殿下は私を信じてくれたのだ。すごく、うれしい。
胸がじんわりと熱くなって、私は胸の前を手で抑えた。
「そして君が思った通り、君がエレナを突き落としたのは秘術によるものだと思う。ヨシュアはマティアスの乳兄弟でもある。幼い頃から王城に出入りしていて、王妃からの信も厚い。秘術への適性があるのなら、マティアスの為に使うようにと教えられていた可能性がある」
「しかし、人を操る秘術には代償がかかるのでしょう? それがどういうものか知りませんが、アンリ殿下が躊躇うほどの……」
アンリ殿下は僅かに口籠もり、躊躇いながらも答えてくれた。
「あの秘術の代償は……幻覚や悪夢だよ。術者にとって1番見せられたくないものを繰り返し見せてくる。……だから長期間に使用を続けると精神が破壊されて……最終的には……主人に忠実なただの暗殺者になる」
「そんな……!」
私は絶句した。
ヨシュアは最低でも3回は秘術を使っている。
そしてアンリ殿下もかつて私を助けるために……。
「アンリ殿下は……大丈夫なのですか?」
「数回程度なら問題ない。僕は幼い頃に独学で秘術を学ぼうとしたことがあって……。けれど代償のこともあって、すぐに使うのを止めたんだ。だからさほど影響もない。こないだのは久しぶりだったから、君を襲った男の動きをほんの一瞬だけ止めることが精一杯だった」
ふと、私は思い当たることがあった。
「あの時……なんだか顔色が悪かったのは、もしかして」
「いや、君のせいではないよ。僕が咄嗟に使ってしまったせいだ」
……やはり、あの時、顔色が悪いように感じたのは秘術の代償による悪夢や幻覚のせいだったのだ。私を助けるために人知れず苦しんでいたのだろう。
「すみま……いえ、ありがとうございました」
私は謝りかけ、私のせいではないというアンリ殿下の言葉を思い出し慌てて飲み込み、お礼を言うにとどめた。
「ヨシュア・アトキンはこのままだといずれ精神が崩壊する」
「……マティアス殿下はそのことを知っているのでしょうか」
「いいや、マティアスは知らないはずだ。マティアスはヨシュアを信頼している。王妃が自分ではなくジェミールを次期国王にしたいというのは薄々気が付いているようだったけれど……」
思えばマティアス殿下も可哀想な人だ。ずっと王太子として努力していたのに実の母から裏切られ、背中を任せられるはずの乳兄弟もそちら側に付き、更にはエレナ・ヴァリエとの出会いから全て人為的なものだったのだから。
しかし、仕組まれたとはいえ、マティアスとエレナの間には愛が芽生えたのは事実。
「私は、やはりマティアス殿下に次期国王に、そしてエレナには王妃になって欲しいです。ヨシュアも出来ることなら助けたい……秘術から解放してあげたいです」
「そうだね。それが一番問題なく収まると思う。けれど王妃や、そのカステレード公爵のこともある。特にカステレード公爵は抜け目のない人物だ。証拠なども全て処分してしまっているだろう」
「……成功するかはわかりませんが、私に考えがあります」
私にはずっと考えていたことがあった。
私ひとりであれば出来ないことだが、アンリ殿下がいるならば可能性はある。
アンリ殿下は頷く。
「聞かせて欲しい」
私はその作戦を話し始めた。
「まず、アンリ殿下と私、クリスティーネ・ベルトワーズの婚約を大々的に広めて欲しいのです。それから――」
私がその作戦を話し終えると、アンリ殿下は考え込んだように顎に手を当てている。
「……なるほど。わかった。出来ないことはないと思う。……けれど君も危険になる」
「それでも構いません」
私はきっぱりと言い切った。決心はついている。
危険だとしてもアンリ殿下がいるなら何も怖くはない。
「クリス」
「はい」
アンリ殿下が私をじっと見つめる。
アンリ殿下が私をクリスと呼ぶ響きが好きだ。パン色の髪も、黄水晶の瞳も。
「もしも全てが成功したなら、君は何が欲しい?」
「私の欲しいもの……ですか?」
私はきょとんとして聞き返した。
「褒賞のことだよ。勿論、君を公爵家に戻し、名誉の回復をすることは僕が責任を持つ。……偽りの婚約に関しても後々に響かないようにする。けれどそれだけではこの危険を顧みない作戦に対してあまりに君に報えない。ただでさえ君は多くの物を失ってきた」
偽りの婚約……。胸がズキリと痛む。
そうだった。アンリ殿下が私を守るために婚約者ということにしてくれているだけなのだ。
私は手のひらをぎゅっと握る。
……私の欲しいもの、それは。
「アンリ殿下!」
私は勢いよくソファから立ち上がり、アンリ殿下の座ったソファの前まで移動した。手を伸ばせばすぐに手が届くほどの距離。
壁際に同化したようにひっそりと立っているオルガにちらりと目線をやると、オルガは了承したように音も立てずに退出していく。
それを見届けて、珍しく驚いたように目を見張っているアンリ殿下を見下ろして口を開いた。
「もしも、アンリ殿下が嫌でなければ……どうか、私を……」
弱々しく消え入ってしまいそうな声に、今この時は絶対に最後まで言い切らなければならない、とお腹に力を込めた。
「私を、貴方の本当の婚約者にしてくだしゃっ!?」
――噛みました。
……なんと言うことでしょう。一世一代の告白で、よりにもよって噛みました。
ひどい失態に、カーッと顔から火が出そうに熱い。むしろ湯気が出ている。
恥ずかしさにじわり、と涙がにじむ。
ここで泣く方が困らせる、と涙を引っ込めるために目に力を込めようとして、突然、視界が塞がれた。
――それがアンリ殿下の肩口だと気がついたのは、腰が抱き寄せられてからだった。
アンリ殿下が立ち上がって私を抱きしめているのだ、とようやく脳が追いついて理解する。
「あ、アンリ殿下……?」
ぎゅう、と私の顔がアンリ殿下に押し付けられて、出た声がくぐもる。
「……いいの?」
「え……」
一瞬、何を言われたのかわからなくなって聞き返した。
「クリス、君を僕のものにしてしまっていいの? 君を守るためだなんて言い訳して、僕は君を勝手に婚約者にした。それはね、一時でも君を僕のものにしたかったから。……でも君がいいって言うなら、僕はもう君を絶対に手放してあげないよ。……それでもいいの?」
私はアンリ殿下の肩口に埋もれていた顔を上げる。
その黄水晶の瞳をしっかりと見つめた。
「いい、です……。私はっ……貴方が……アンリ殿下が好きだから、いいです!」
言いきった、そう思った時、綺麗な黄水晶の瞳が目の前いっぱいになる。
星のように煌めくその瞳をうっとりと眺めていた。
唇に柔らかな感触がして、すぐに離される。
「……キスをする時くらい、目を閉じて」
「……っ!」
キス、されたのだ。慌てて目をぎゅっと閉じるとまた、唇にキスを落とされる。
啄むように何度も口付けられて、膝から崩れてしまいそうなほど脱力した。膝がガクガクと震える。
しかし、アンリ殿下の腕が私の腰をしっかりと支えていて、腰を抜かすことさえ許してもらえない。
「クリス、顔が真っ赤になってる。可愛い」
ようやく目を開けると、私の方をうっとりと見ているアンリ殿下と目が合う。
アンリ殿下の表情の変化はささやかだったけれど、うれしそうで幸せそうで、だけどちょっと意地悪そうに笑っている。そう感じた。
そんな顔も見るのは初めてで、私もなんだかうれしくなって自然と笑みが零れた。
「……大事なことを言い忘れてた。クリス、ちゃんと立っててくれる?」
「へ?」
アンリ殿下が私の体を離す。私は膝がガクガクだったけど必死で立っていた。
アンリ殿下は私の前に跪くと私の右手を取る。
「……クリス、愛しています。どうか僕と結婚してほしい」
そう言うと私の手の甲に口付けを落としたのだった。
「っ……はい……!」
アンリ殿下から何度も受けていた求婚。
――私は今度こそ、それを笑顔で受け入れた。




