3 手遅れ悪役令嬢、隠しキャラと邂逅する
衛士と共に入ってきたのは、私にとって意外な人物だった。
私は目を見開いた。
「やあ、クリスティーネ嬢」
艶のある明るい茶色の髪は彼が歩くたびにさらさらと揺れる。淡く輝く瞳は黄色い果実を石にしたような黄水晶。マティアス殿下のような男性的でありつつも華やかさを併せ持つ系統とは異なるものの、彼もまた非常に整った顔立ちをしている。男性に向かって美人、という形容をするのはどうかと思うが、男臭さの少ないスッキリとした美しい顔は美人と形容するのにふさわしい。一見すると線が細そうに見えるが、身長は高く、均整の取れた肉体であるのがわかる。芸術品のような男だった。
……私は彼のことをとてもよく知っている。
普段学校で見る彼はいつだってにこやかで優しげな表情をしていたのに、目の前の彼は完全な無表情をしている。そのせいかその整った顔立ちが際立って冷たさを感じるほど。
彼はアンリ・アンゲルブルシュト殿下――アンゲルブルシュトの名から分かるとおり王族である。現国王の年の離れた弟にあたり、私やエレナとは同じクラスの同級生でもあった。年齢としてはマティアス殿下の一つ年下だが叔父になるというわけだ。
そして彼は――
「かっ隠しキャラ!!」
――アンリ殿下……彼こそが最難関と言われる全キャラクターの全ルートを終わらせた後にのみ現れる隠しキャラであった。いや、本当に最難関なのよ。彼のルートを出すのにわたしが何時間かけたと思ってるの。最終的には普段は見ない攻略サイトまで見てしまったほどだ。美形揃いのキャラクターの中でもわたしは特にアンリ殿下の顔が好みだったので、一番楽しみにしているルートだったのに、クリアする前にわたしは死んでしまったのだ。……生まれ変わった今でも悔やまれてならない。
アンリ殿下はゲーム内において、通常のルートではヒロインのエレナに今現在の状況・各パラメーターを教えてくれる役目のお助けキャラであり、いつもニコニコ微笑んでいて誰にでも優しく親切に接してくれるキャラだ。実際の彼もクラスでいつもにこやかに振舞っていた。クリスティーネとは別段親しいわけではなかったが、学園でも公式の場でも何回かは会話をしたことがあった。
しかし今の彼はその時とは全く雰囲気が異なる。それもそうか。罪人の私を前にしているのにニコニコなんてするはずがない。けれど私はその顔に少しだけ見惚れてしまった。
表情を削ぎ落とすとその整った顔が際立つなんて気がつかなかった。その冷たく光る黄水晶の瞳をもっと近くで見てみたい……。そう思い私は……。
「ふっ不敬でありますぞ!」
衛士の言葉に私ははっと我に返る。そうよね、いくら好みだからってじっくり眺めている場合ではなかった。
慌てて、しかしそうは見えないよう出来る限り優雅に臣下の礼を取り私は口を開いた。
「……大変失礼をいたしました。アンリ殿下、わたくしにどのようなご用件でございましょう」
まあ聞かなくてもだいたい分かっている。審問以外の何物でもないよね。けれど意外だったのは、特にこの件については関係がないアンリ殿下が来たことである。王族とのトラブル、ということになってもおかしくない事件なので、ありえない話ではなかったけれど。
正直なところ、マティアス殿下が来て酷く詰られる可能性も考慮していたのだ。
椅子を勧められ、私とアンリ殿下はさほど大きくないテーブルに向かいあって座った。衛士はアンリ殿下の少し後ろで私を睨むようにして見張っている。
アンリ殿下が口を開く。首を傾けるとさらりと揺れる綺麗な茶色の髪の毛をつい目で追ってしまう。そんな場合ではないのに。
「お分かりだと思いますが、エレナ・ヴァリエ嬢の件で審問に来ました。中立な状態で話しを伺います。貴方は本当にエレナ嬢を階段から突き落としたのでしょうか? 私とマティアスは少し離れた場所にいたので直接は見ていないのです。僕が騒ぎが起こって向かった時には貴方は既にアトキン殿に取り押さえられていましたし」
私は極めて平静を装って肯定した。
「確かにわたくしがこの手で行いました。それを見ていた者も多数いるはずです」
「ええ。ヨシュア・アトキン殿が目撃していたようですね。ですが貴方とエレナ嬢は友人関係にありました。それは同じクラスの僕も実際に確認しています。そして貴方は嫉妬だとしてもそのように短略的なことをする方ではないでしょう」
怜悧な顔のまま、そう尋ねてくる。聞きたいことの意図がわかって、私は手のひらを強く握った。
「……つまり、この件はわたくしの単独ではなく、裏に首謀者がいてその指示でわたくしがエレナを突き落とした……とでも言わせたいのですか?」
「端的に言ってしまえばそうです。これが貴方を助けられる最後のチャンスだと思ってください。貴方は、貴方の意思で、エレナ嬢を突き落としたのですか?」
「…………」
私は答えられなかった。確かに突き落としたのは私だ。それは間違いない。けれど、それが私の意思なのかと言えば違う……はずだ。
けれど、ここが乙女ゲームの世界でシナリオ通りに進むための抑止力により突き落としました、と言って信じてもらえるわけがない。どう考えても頭がおかしくなったと判断されて、勘当されて放逐されるルートが鉄格子のはまった修道院か何かで一生飼い殺しルートに変わる程度の差しかない。
そして、どうしても私の意思でやりました、とも言いたくないのはそれすらも王族相手の虚偽になるからであるのと、何より自分の意思でエレナを傷つけただなんて口にしたくもないからだ。
それゆえ、私が取れる行動は『口を開かない』以外にないのだった。
「おい、お前!アンリ様がお尋ねだろう!答えぬか!」
頑なに口を開かない私に焦れた衛士が私に詰め寄ろうとした瞬間、アンリ殿下は静かに右手を上げて衛士を制した。
「よくわかりました。答えたくない、それとも答えられない……かな。それが貴方の答えでいいですね?」
私はほっとして息を吐く。意図をわかってもらえたからだ。
「そのように判断していただいて構いません」
「そうですか……。それでは、審問については以上となります。……何か聞きたいことは?」
「エレナは……どうしていますか……? 彼女は大丈夫でしたか?」
気になっていたのはこれだけだ。エレナはあの時には怪我もなさそうに見えたが、実際にはどこか痛めているかもしれない。頭を打っていたりなんかしたら恐ろしい。突き落とした私が聞くべき事柄ではないだろうが、どうしてもそれだけが気になっていた。
「エレナ嬢は怪我ひとつありません。打撲も、かすり傷すらありませんでした。ヨシュア・アトキン殿が転落する前にギリギリ受け止めたようです。アトキン殿も丈夫さが取り柄のような男ですから何事もありません。エレナ嬢には今はマティアスが付いています。……どうか安心してください」
「そう……」
よかった……!本当によかった!ヨシュア、グッジョブよ!私を取り押さえた時に、ものすごく腕が痛かったのは忘れてあげることにした。
エレナに怖い思いをさせてしまったが、痛い思いはさせなくてよかった。
ほっとしたせいで思わずポーカーフェイスが崩れて唇がによによとしかけ、慌てて引き締めた。
アンリ殿下がどういうわけかこちらを見て驚いたように、僅かに目を見開いていた。この部屋に入ってからずっと無表情だったというのに。
どういう心境の変化だろうと、じっとその顔を見つめていると目が合った。黄水晶の瞳がきらりと瞬く。星のようだ、と思った。
マティアス殿下と婚約していた時は努めて考えないようにしていたけれど、実は顔だけなら断然アンリ殿下の方が好みだと以前から思っていた。もしかしたら記憶が蘇る前でも前世のわたしの影響があったのかもしれないけど。
マティアス殿下だって当然ものすごいイケメンなんだけど、金髪碧眼のいかにもな王子様タイプのイケメンキャラってテンプレすぎるというか……。クリスティーネは恋愛面での情緒が育っていなかったのか、初恋もしたことがなく、マティアス殿下にドキッとしたことすらなかったのだ。
ああ、それにしてもアンリ殿下って本当に綺麗な顔をしているなあ……。よく見ると虹彩が緑がかって見える時がある。それが本当に宝石か何かのようで――
黄水晶の瞳をじっと見つめたまま、時間はゆっくりと流れ……。
「クリスティーネ嬢……いや、クリスティーネ、僕と婚約する気はない?」
止まった時を動かしたのはそんな爆弾発言だった。