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22 手遅れ悪役令嬢、眠れない夜を過ごす

 ――突如、ガンガン、と扉が激しい音を立てた。


 ……私の一世一代の告白を邪魔したのは、そんな無情なノック音だった。



 ノックされたのは応接間の入り口の扉のようだった。

 しかしパトリシアもオルガもアンリ殿下が用事を言いつけて、今は出かけているはずだ。しかし、もう戻ってきたのだろうか?

 音もなくアンヌが続きの間から出てきて、扉の外を警戒するように私の前に立つ。


「誰だ?」


 アンリ殿下もすぐに扉を開けず、用心しているのがわかる。


「わたくしです! パトリシアでございます!」

「パトリシア?」


 しかしアンリ殿下は警戒を解かない。


「……パトリシア、何故戻ってきた?」

「警戒令が……王城にて警戒令が発令されたのです! アンリ様、どうかここをお開けください!」


 ……警戒令?

 アンリ殿下はアンヌに頷いて合図すると、アンヌが静かに扉を開ける。

 パトリシアは血相を変えており、部屋に飛び込むような勢いで入ってきた。ひどく焦っているのが見てとれる。

 パトリシアの後ろにはオルガが控えているが、パトリシアと違い、そこまで慌ててはいないようだった。


「パトリシア、警戒令とは何事だ? まさか兄上の具合に何か……」


 具合が悪いと聞いたので、私も真っ先にそれが思い浮かんだが、すぐに否定された。


「へ、陛下のご様子は昼間とは変わりありません。そちらではなく、ベクレイアです! 隣国ベクレイアが……我が国に向かって挙兵したと……!」

「国境付近の砦から早馬で情報がありました。国境付近にて挙兵の兆しあり、だそうです。進軍はまだしていませんが武装した兵が集まっているとのこと。警戒令は王城への招集を促すものです」


 パトリシアとは対照的に落ち着いているオルガがそう補足をしてくれる。

 ベクレイア……恋情ラプソディア2での舞台だが、今作には関わりがないと思っていたのに……挙兵ということは戦争になるのだろうか……。


「ベクレイア!? こんな時に……! わかった。すぐに王城に向かう」

「わたくしも共に向かいます」


 急ぎ足で支度を始めるアンリ殿下にパトリシアが付随する。オルガはさっと身を翻して先に出ている。おそらくは馬車を手配しに行ったのだ。


「わ、私は」


 私はこんな時、どうすればいいのか分からず、ただ狼狽えるだけであった。


「クリス、君はここにいて欲しい。王城も何があるかわからないから連れては行けない。とりあえず状況を見てくるから、待っていて」

「は、はい……」


 アンリ殿下が私をぎゅっと抱きしめてくる。心臓が音を立てて跳ねた。

 反射的に身をよじるが、背中に回された腕は私を解放しない。


「ふあっ!?」


 そして私の手を取り、その指先に口付けられる。


「!!」


 唇は一瞬で離される。けれど確かに唇のしっとりとした感触を指先で感じた。

 突然のことに頭がおかしくなりそうだった。これ以上ないほどに真っ赤になっているのが自分でもわかる。

 抱きしめられたまま、アンリ殿下の体温を感じる。あとなんだかよくわからないけど、とにかくいい香りがしてクラクラする。

 すごく落ち着かないのに、妙な安堵感がある。離してほしいのに離してほしくないような。

 心臓がバクバクと音を立てているのがきっと伝わってしまっている。


 アンリ殿下は私を抱きしめたまま、耳元で囁く。


「行ってくる。また……パンを焼いてくれると嬉しい。パトリシアは連れて行くから、何かあったらアンヌかオルガに頼って。あのふたりは信用して大丈夫」


 私は湯気が出そうなほど真っ赤になって首振り人形のようにコクコクと頷くことしかできなかった。


 体を離された後も、口付けられた指先が熱く火照っている気がする。

 まるで本当の婚約者や、恋人同士のような触れ合いだった。

 偽りの婚約なはずなのに、つい期待してしまいたくなる。



 けれどそれに浮かれて喜んでいる場合ではなく、隣国ベクレイアの挙兵という事実が重くのしかかり、不安感が暗雲のように心を占めて行くのだった。




 アンリ殿下達は王城に向かい、私もアンヌに促されて自室に戻ることになった。

 部屋に戻って寝支度を済ませ、寝台に横たわったものの眠れるはずもなかった。



 隣国との戦争……。かつて、私が生まれるよりも前のこと。

 アンゲルブルシュトとベクレイアでは隣接しあった領土の境界線問題で争い、小競り合いを繰り返していたのだという。

 小競り合いといっても戦争は戦争だ。

 ベクレイアの兵は少数で森や掘った穴に隠れ潜み、夜になるとアンゲルブルシュト側に現れては、畑に火をつけ、村を襲ったのだという。

 軍隊を差し向けても、ベクレイアの兵はさっと逃げ隠れしてしまうため、倒すことも捕まえることも難しく、いたちごっことなり被害はじわじわと拡大したのだと聞いた。

 結局、戦争は長期化し互いに疲弊しあったところで、元々の地力の高い我が国が有利に立ち、ベクレイアの名のある将軍を討つことに成功し、それを見たベクレイアが降伏してようやく終わったのだ。

 それ以来、ベクレイアとは国交断絶しているのだという。

 しかしこれらの私の知っていることは学園時代に歴史の授業でやった内容でしかない。

 戦争だなんて、前世でも今世でも実感がなく、不安は増すばかりであった。

 小競り合いと言っても戦争が始まれば人は死ぬ。貴族でも次男以下の若い男性は徴兵されるだろうし、アンリ殿下はその立場上、軍を率いて戦いに出る可能性が高い。


 私にも何か出来ることはないのだろうか。

 とはいえ他国の情勢にも詳しくない、自国の王妃に命を狙われている私なんてアンリ殿下には足枷以外の何者でもない。

 強力な魔法が使えるわけでもなければ、前世の記憶はパン作り以外には役立たず。せめて前世の記憶でベクレイアに関わる内容をもっと思い出せたなら……。しかし『恋情ラプソディア2』は無印に比べればハマった度合いは薄く、一部設定やシナリオが思い出せる程度でしかない。しかもゲーム中より100年も前にあたる今現在で有効な手段などわかるはずもなかった。

 それでも何かないのか、と必死でゲームの内容を思い出す。


 私は布団の中で重苦しいため息を吐いた。



 ……私は何も変わっていない。

 運良く周囲の優しい人に助けられてきて、結局自分じゃ何もできないままなのだ。無力な自分がなさけない。

 このまま屋敷でおとなしく待っていれば、いつかこの嵐のような日々は去ってくれるのだろう。アンリ殿下のことだから、きっと私にとって悪くないようにしてくれるはずだ。

 ……でもそれは、アンリ殿下に私の分の負担をかけているだけなのだ。



 私だけじゃない。アンリ殿下にばかりこの国の問題、負担がのしかかっている気がしてならない。王族で、まもなく卒業とはいえ、まだ学生なのだ。

 それなのに陛下の病で学生でありながらも政務を肩代わりし、ろくに帰ることも出来ない日々を送り、そんな中王妃は次男かわいさに長男を失脚させようと企む……。


 そこで私は、はたと気付いた。

 あれ、ちょっと待って。何かおかしい。



 王妃が私を失脚させてマティアス殿下との婚約を破棄させたいと思ったとして、婚約破棄の原因はゲームのシナリオ通り『クリスティーネがエレナを衆人環視の中、階段から突き落とした』ことである。

 しかし王妃が私とマティアス殿下の婚約を破棄させたいと思ったとしても、それが起こることを予測できるはずもない。

 私とエレナの関係は良好だった。それは同じクラスの人は皆知っていた。また、自分で言うのもなんだがゲームの悪役令嬢クリスティーネとは違い、そんなことをする人間だと王妃に思われていたとは考えられない。


 つまり、『クリスティーネがエレナを階段から突き落とす』ことが起きると知っていた人物がいた可能性があるのだ。


 ……それは私以外の転生者だ。私よりもずっと早くに前世の記憶を取り戻し、王妃にゲームのシナリオを入れ知恵していたのだとすれば、この仮説が成り立つ。けれど。

 王妃が前世の記憶などと言われて、そう簡単に信じるだろうか。王妃にとってよほど信の厚い人だったとか、前世の記憶と言わずに未来予知であるとごまかしたとか。そういう考えもできる。


 しかし、もうひとつの可能性がある。

 ……クリスティーネがエレナを突き落とすのを、人為的に行わせればいい。

 普通なら出来ない。けれどこの世界には魔法――そして王族以外知る人の少ない、秘術がある。そして平民として生きていた私をわざわざ人を雇って殺そうとするくらいなのだ。人を使って秘術を使わせるくらいしたっておかしくはない。



 抑止力のような力があるとして、突き落とすイベントが起きると知っていた人物――私以外の転生者がいる。

 抑止力のような力がもしなかったとしたら、秘術で私にエレナを突き落とさせればいい。

 どちらでも結果は変わらない。

 私はあそこで前世の記憶が蘇ってしまったために、もうどうしようもないのだ、と諦めてしまった。

 しかし、あそこで諦めずに「自分の意思でエレナを突き落としたのではない」と言っても既に醜聞として知れ渡り、遠からずマティアス殿下との婚約は解消されただろう。



 ……両方、なのではないだろうか。

 それが私の結論なのだった。

 私含む『恋情ラプソディア』のモブ含む登場キャラクターは、シナリオ通りの行動を取るとは限らない。それは私がエレナと友人になり、ゲームのような嫌がらせをしなかったことからわかる。


 けれど、ある程度はシナリオ通りに動いていたと思う。

 卒業パーティのあの時、ゲームと同じように私とエレナはホールの踊り場にふたりっきりでいた。

 マティアス殿下はその場におらず、他の生徒からは遠巻きにされ、しかしながら衆人環視はあるという絶好のロケーションである。

 シナリオを知っていれば、突き落とさせるにはもってこいな場面を予測できる。



 あとは秘術に、突き落とさせるだなんて、便利なものがあるのかということなのだけれど。


 ……アンリ殿下が、私を襲撃者から助けるために使ったと言った秘術。私はあの時、間近で見たわけだが、襲撃者の動きを止めた、そう見えるような効果だった。相手の動きを止める……本当にそれだけなのだろうか。肉体の動きを止めることが出来るように、任意的に対象の肉体を動かすことが出来る、つまり操作できるという秘術であるのなら。


 ――私にエレナを突き落とさせることが可能であるということ。



 私は、自分がろくな魔法を使えないことと、前世の世界にはそもそも魔法が存在しないことで、この可能性に気が付かなかった。



 私は1年前から王妃に嵌められていたのだ。

 もしかしたら、もっとずっと前から。

 王妃教育でにこやかに話している間もずっと、私のことをずっと罠に嵌めようと失脚させようと虎視眈々と狙われていたかもしれないのだ。

 ……今更ながら、ぞっとするほどの恐怖を感じた。




 さらにこのタイミングでのベクレイアの挙兵。陛下の病は当然だが国内でもトップシークレットだ。

 この挙兵が偶然とは考えられない。陛下が病で倒れている今を好機と知っているのだ。

 それは王城に、間者やそれを引き入れた人間がいるということを示している。

 私以外の転生者は、もしかしたらベクレイアの情報をそんな人間に伝えている可能性がある。

 王妃以外にも、敵がいる。


 戦争が始まれば人がたくさん死ぬかもしれない。その中に、私の大切な人が含まれているかもしれない。

 それなのに、この国にそれを望んでいる人がいるというのが恐ろしい。

 つい先ほど王城に向かったアンリ殿下の身だって危険なのだ。




 もっと情報が欲しい……。

 布団の中でまんじりともせずに爪を噛み今までの情報を整理して、とにかく思考を巡らせた。


 けれど私は本当に何も知らず、何も出来ないのだということをただ痛感するばかりだった。

 もう絶対に手遅れなんかにさせたくないのに。

 そもそも情報はアンリ殿下からの伝聞のみ。あまり長く話すことすらできなかったから、圧倒的に足りていない。せめて他の立場の人からも話が聞けたなら。

 ――お父様には今は連絡が取れない……。

 ――アルノーさん……いや、こちらも連絡を取るのは難しいだろう。そもそも連絡先も知らない。私にはあの詰所がどこだったかもわからないのだ。そして探しに行こうにも外に出るのは危険だった。


 誰か……。

 その時私の脳裏に、赤い髪のチャラ男の姿がよぎった。


「フェオドール!」


 そう、フェオドールだ!

 オリック商会の一人息子である彼はその商売柄、世間の噂に詳しかったはずだ。

 それに彼は言っていた。『自分が絶対にしないようなことをしている、させられている』と。

 私はそれもフェオドールが攻略キャラクターであるがゆえにゲームの抑止力によるものだと思っていたが、フェオドールもまた秘術で操られていたのだとすれば。

 確か、私がエレナを苛めていたというのを肯定したという話だったはずだ。それもまた、私の評判を著しく下げ、婚約破棄に繋がるものだ。

 その時の話をもっと詳しく聞いておけばよかった。

 いや、今からでも聞けないだろうか。

 フェオドール……学園かオリック商会に行けば会えるだろう。

 しかし私には外出は許されていない。オルガとアンヌを連れて行っても、ふたりを無駄に危険に晒すだけだ。

 それならば、呼び出すことはできないだろうか。

 ゲームの時の記憶を思い起こす。ええと……確か、学生時代から商会の仕事を手伝っていて、その顔のおかげで女性貴族相手には非常に受けがいいからと、呼ばれた時にはできるだけ行くようにしていたはずだ。そう、商会でも貴族女性向けのファッション小物なんかを取り扱っているから尚更。

 逆に言えば、王弟の屋敷に、婚約者が商品を見たいから、と呼びつけてもおかしくないのではないだろうか。


 私は脳内であれこれ考える。

 アンリ殿下のこと、ベクレイアのこと、そして秘術のこと。

 私に出来ること。何か使えないだろうか。




 考え過ぎて頭から湯気が出そうになった頃、空が白んで長い夜が明けたのだった。





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