2 手遅れ悪役令嬢、前世の記憶を思い起こす
退場したらどうなるのか、なんて私は考えていなかった。
ゲームの時はエンディングでほんの一行でクリスティーネのその後が書かれるがそれだけである。
『クリスティーネはこれまでの行いを反省せず、ベルトワーズ公爵家から勘当され、その後の行方はようとしてしれない……。』これだけ。
けれども私は生きているので、人生が一行で終わるわけはなかった。
「……これからどうすればいいのかしら」
実家から勘当・放逐されるのは決定として。悪役令嬢という役割は終わったはずだが、クリスティーネはまだ17歳なのである。人生はまだまだこれから始まったばかりのはずだ。
私が衛士達に連れてこられたのは、どこかの建物の一室だった。考えていたような薄暗くて汚い牢屋ではなかったことに安堵する。
それほど広くもないがそれなりに小綺麗な部屋で、家具も一通り揃っている。
普通の客室とは違うのは、全ての家具や調度類がしっかりと地面に溶接されていること。そして窓が通常の部屋よりも高い位置にあり、外を覗くことができないこと。その窓には鉄格子がはまっていることだった。
おそらくこの部屋はそれなりの身分の人間を閉じ込めておくための場所なのだろう。入り口の扉にも外から鍵がかけられているはずだ。
私は部屋の片隅にある椅子に腰掛けた。
そして時間がたっぷりとありそうなこの部屋で、前世の記憶を思い起こしていた。
前世のわたしが何という名前でどういう人生を送ったかは、あまり関係がないことだから割愛する。まあそれなりに普通の学生で趣味の一つがゲーム、特に乙女ゲームと呼ばれる、女性主人公がイケメンの男性キャラクターと恋愛するのを楽しむゲームにハマっていたくらいだろう。
そのうちの一つがこの世界『恋情ラプソディア』だった。
設定は比較的シンプルで懐古ゲームでもあったこの『恋情ラプソディア』は貴族が集まるアンゲルブルシュト王立魔法学園がメインの舞台になっているゲームである。貴族とは名ばかりの貧乏男爵家に生まれたが、愛らしい容姿と突出した魔法の才能をもったデフォルト名エレナ・ヴァリエが、学園にて王族や上級貴族、富豪の息子といった見目麗しく優秀な男性陣と時に恋愛、時に友情を育み、聖女を目指していくというゲームだった。
乙女ゲームだが、ただ男性キャラクターと恋愛するノベル形式のゲームではなく、ゲーム内に一年という限られた期間があり、毎日エレナの行動を決めて動かすことでイベントが発生したり、内容に変化が出てくる。そして各キャラクターとの友情・恋愛・聖女というパラメーターが上下し、複雑に分岐したエンディングを迎えることができるというゲームだった。そしてゲームのラストの1日があの卒業パーティの日なのである。そこで各種のイベントが起きてエンディングに向かう。例えばマティアスルートであれば、嫉妬に狂った悪役令嬢がヒロインを突き落とす……のような。
その複雑さが楽しくて、前世のわたしはこのゲームをやりこみまくったのだ。それこそ全キャラクターのBADエンドを含む全ルートをコンプリートして、最後に現れる隠しキャラのルートが出現するほどに。しかしながら、隠しキャラのエンディングを迎える前に前世のわたしは死んでしまった。
今、この私がここにいるのはもしかしたらその未練があったせいかもしれない。
さて、ゲームと今私がいる世界はほぼ同一なものと思って間違いない。
それはクリスティーネとして生きてきた17年の記憶がそれを裏付ける。国の名前、年号、起こった事件などだ。更に言うと私が喋っているのも日本語ではない。クリスティーネとしての記憶があるおかげで言葉に不自由しないのは助かった。
この国、アンゲルブルシュトの世界観は中世ヨーロッパの雰囲気によく似ている。それでいて文化は少なくとも近代寄り、食べ物や技術はイギリスの産業革命より後のような感じだった。細かいところの時代考証はしないゲームのご都合主義ではあるが、一応この国の成り立ちとしても石油や石炭などは存在せず、その代わりこの世界には魔法が存在し独自の発展を遂げている、ということになっている。
それゆえに飛行機や車はなく、乗り物は馬車。さすがに魔法力で動く車などは存在しないが、紙に不自由することもなければ、川や水が綺麗で、食事も洗練されている。砂糖やスパイスはそれほど貴重でもない。
貴族を中心に魔法が発達した世界であり、大きい貴族であればあるほど魔法力が強い、となっている。王族も当然そうである。そのために貴族のほとんどと庶民の中でも魔法力があるとされている者は16歳から3年間、魔法の力について学んだり、制御法を身につけるために『王立魔法学園』に通うことになっている。勿論私も魔法の力がある。さほど強くないが炎の加護の力だ。
王立魔法学園には私やエレナ、マティアス殿下も通っていた。あのヨシュア・アトキンも侯爵家の人間で、マティアス殿下の護衛兼学友として殿下と同じクラスだったはずだ。
マティアス殿下、ヨシュアは3年生。先ほどの卒業パーティでこの学園を卒業したことになる。
私とエレナは2年生。来年卒業……とはいえおそらく私はこのまま退学になることだろうが。
王城の周りは貴族街及び高級店が並ぶ一等地、そこから少し下に下ったところが王立魔法学園都市。そのさらに下が平民が暮らす下町だ。下町の端にはスラム街のような荒んで治安の悪い場所もある。
私の実家は当然貴族街の中に大邸宅があり、そこから毎日馬車で通っていた。エレナは学園都市の寮に住んでいたはずだ。他の貴族や王族は学園都市にある別邸から通ってくることが多い。
ゲームとしての時系列を簡単に説明すると、エレナは魔法力が非常に高いことがわかり2年次から編入してくることになる。そして色々なイベントを経て1年間を過ごす。マティアスルートであれば、学園を中心に婚約者のいるマティアスと禁断の恋に落ちて、クリスティーネにいじめられつつもひっそりと愛を育み、最終日、卒業パーティで嫉妬に狂ったクリスティーネに階段から突き落とされる。しかし運のいいことに無傷で助かり、クリスティーネは失脚。そしてエレナはマティアスの新たな婚約者となる。
クリスティーネはエレナのお邪魔キャラであり、全ルートに共通してこまごまと嫌がらせをしてくる。
貴族である公爵家の娘であるクリスティーネは、自分で説明するのも何だが、腰より長い艶やかな白銀の髪に紫の瞳を持つ気の強そうな美女である。だが公爵家の出身であることを鼻にかけ、エレナに面と向かって嫌味やいちゃもんをつけてきたり、靴を濡らしたり、教科書やノートを焼却炉に放り込んだり……といったことをしてくるのである。各キャラとの恋愛パラメーターを伸ばすための障害というイベントを用意してくるキャラクターなわけだ。
分かりやすいいじめをするとか、なんて直情的で短絡的なアホ令嬢だろうか。堂々と自分の手を汚すのは逆にすごいと思う。私のことなんだけど。
そして突き落とされたエレナにマティアス殿下が走り寄るスチルが入り、二人は結ばれる。
マティアストゥルーエンドに入るためには恋愛と聖女のパラメーターを高く両立することが必要で、それらが達成されていると、エレナは国王や王妃、そして民衆からも時期王妃として認められ祝福されるのである。
あの時エレナに駆け寄ったマティアス殿下を見たので、おそらくマティアストゥルーエンドか、少なくともハッピーエンドには入れるだろう。
……エレナには幸せになってほしい。階段から突き落としてしまったとはいえ、それ以外のいじめのような行いは一切していない。本当に、クリスティーネにとってエレナは大切な友人だったのだ。ゲームと違う最大の箇所はそこだろう。
現実の方では、私が2年生になった時に同じクラスにエレナが編入してきた。非常に強い魔法力が覚醒したという理由だったが、大抵は子供のうちに魔法力の有無がわかっていることが多いので、エレナのようなタイプは珍しい。
そして大貴族である公爵家として若干浮き気味であった私と、特殊な例の編入生であり、奨学金を貰っていることでやはりこちらも悪い方に目立っていたエレナが仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
授業で二人一組を作る時、あぶれた者同士、自然と一緒になった。図書館で語り合ったりオススメの本の貸し借りをしたり、一緒に喫茶店に行ったり買い物に行ったこともある。放課後、学校の厨房を借りてお菓子やパンを作ったこともあった。その後に作ったものを食べながらお茶をするのが楽しかった。エレナが作ったお菓子をマティアス殿下に渡して喜んでもらえた時は自分のことのようにうれしかった。私が作ったお菓子は弟のエミリオが食べたんだったっけ。最初は酷い出来だと弟に言われたけど、何度も作ったから今ではずいぶんと上達したのだ。特にレーズンを入れたお菓子が気に入って、時折作るように強請られていたのだが、もう食べてもらう機会はないのだろう。
私がマティアス殿下と結婚した後に、エレナも側室として迎えられたらきっと楽しいだろう。気心の知れた正妃と側室になれるだろう、と本気で思っていたのだ。
実際に正妃が側室の面倒を見ることは普通にある。愛憎どろどろ渦巻く後宮物語、みたいなこともあるらしいけれど、エレナとならば心配ないと思っていた。
卒業パーティが始まる前までは私は全てを持っていた。優しい家族、婚約者、大切な友人……。今は全てを失ってしまった。こうなるとは思いも寄らなかった。
にじむ視界をごまかすようにぎゅっと強く目を瞑った。
ガンガン、と扉が乱暴にノックされ、前世のことや今までのことに思いを馳せていた意識が戻る。
淑女として、誰かに見られる前に衣服が乱れていないかチェックしたかったが、卒業パーティー用の豪奢なドレスのまま、へたり込んだり取り押さえられたりしたのであちこちが薄汚れている。髪も乱れてボサボサだ。どうにもしようがない。
私が返事をする前に扉は開かれた。私はせめて、しっかりと顔を上げて出迎える。
前世はともかく今の私は公爵家令嬢クリスティーネなのだから。




