14 手遅れ悪役令嬢、入浴する
目が覚めた時、私は見知らぬ部屋にいた。
ああ、こういうのは既に二度目だ。あまりそう何度も味わいたくはない感覚だけれど。
しかしながら前回に比べると頭も気分もスッキリとしていて、目が少し腫れぼったいくらいで体も軽かった。もしかすると随分長く眠っていたのかもしれない。
上体を起こして辺りを見回した。うん、とりあえずふらつきはしなかった。
ここは典型的な貴族様式の客室のようだった。
広々とした室内は開口部を大きく取った窓のおかげで明るく、圧迫感がない。室内の家具や装飾も華やかながらも派手過ぎず、絶妙なバランスで上品に纏められている。豪奢な部屋にありがちな押し付けがましさがない。居心地がよさそうで落ち着く、とても素敵な雰囲気の部屋だった。アンリ殿下の別邸かなにかなのは間違いない。とても彼らしいと思う。
窓から入る日差しから考えてお昼前後くらいだろうか。
昨夜、おそらくは深夜の寝静まった頃に襲撃されたのだろう。その後アンリ殿下に助けられてアルノーさんの詰め所に運ばれるまでに気絶していたりもしたが、意識がなかったのはそれほど長い時間だったとは思わない。
そして馬車に乗ったのが多分、朝日が出る直前、薄明の頃だった。
多分、なのはお姫様抱っこをされて頭が沸騰していたからだし、馬車に乗ってからは恥ずかしいくらい泣いていたから、いつ頃かなんて気を払う余裕がなかったからもある。
しかし、ここに運ばれたのが朝くらいだとすると、やはり随分と長く眠ってしまったようだ。
改めて自分の格好を省みると、平民が着る綿の寝巻きな上にボタンは弾け飛び、胸元まで破れてヒラヒラになってしまっている。更に、襲われた時に背中から倒れたりなんだりしたので、随分と薄汚れていた。
こんな綺麗に整えられた寝台にこの格好で横になっていたのが申し訳なくなってくるほどだ。
着替えか何かがないかとキョロキョロとすると、ベッドサイドテーブルにお気に入りの黄色いストールがきちんと畳まれて置かれているのを見つけた。ほっとしてベッドサイドテーブルににじり寄り、肩にストールをかけた。少なくとも破れた胸元が隠せたので安心だ。なんだかこのストールがセキュリティ・ブランケットの役割をしてくれているようだ。
さて、これからどうすればいいんだろう、と首をひねった時、扉がノックされた。
物音から起き出した気配を察知されたのかもしれない。
あまり気の緩んだところは見せない方がいいかと思い、ストールを綺麗に巻きつけ直し、ベッドサイドに座って姿勢を正してから返事をした。
私が返事をするやいなや、ざっと侍女達が現れた。
やせいの じじょが あらわれた! ×3 といったスピード感である。
部屋に入ってきた3人の侍女のうち、最も年嵩の、40代くらいに見える女性が口を開く。彼女が代表者というか、侍女の中で一番偉いようだ。背が高く、背筋がまっすぐに伸びている。アルプスの少女に出てくるロッテンマイヤーさんをもう少し柔らかい雰囲気にした感じだろうか。
「おはようございます。ご気分はいかがですか? 痛いところ、体調の悪いところなどはございませんか?」
キビキビとした動きながらも、私を思いやっているのがわかる優しい声の響きに安堵する。
「ええ、大丈夫です」
「左様ですか、よろしゅうございました。湯浴みの用意が整っておりますが、いかがなさいますか?」
湯浴み! それは是非ともしたい。
貴族時代は欠かさず湯浴みをしていたけれど、下町では毎日は難しい。
パンを焼き終えた竃の排熱でお湯を温めて、それで体を拭いたり、盥風呂をするのが精一杯だった。
私の輝いた表情に気がついたのか、年嵩の侍女は頷くと、若い侍女に耳打ちをした。若い侍女はささっと退出していく。準備をしにいったのだろう。
「お立ちになれますか?」
どうだろう。足がくにゃくにゃしてしまい、アンリ殿下に運んでもらったのは、ほんの数時間前だ。しかしながらお風呂には是が非でも入りたい。前世の記憶のせいもあり入浴には並々ならぬ関心がある。服だけでなく体も多分埃や砂にまみれているだろうし。
私は恐る恐るベッドから降りて床に足をつける。今度は足が萎えることもなく、無事に立ち上がれた。
「大丈夫です。このような格好で失礼いたします。クリスティーネと申します。どうぞよろしくお願いしますね」
実家からの勘当が解かれていないはずなので、今は平民の身分のままの私だが、あまり下手に出過ぎるのもよくないだろう。かと言って自分の家でもないのだから、客人としての分をわきまえた態度にしてみたが、これで正解だったと思う。
年嵩の侍女は微笑んで、私に礼をする。
「わたくしはパトリシアと申します。どうぞ、パトリシアとお呼びください、クリスティーネ様。アンリ様の元乳母で、今は侍女頭をしております」
「ええ、ありがとうございます。パトリシア。お世話になりますね」
久々の湯浴みである。
パトリシアから、湯浴みの手伝いをするかどうか聞かれたが、断って一人でゆっくり入ることにした。
とはいえ向こうも仕事なので脱がせることはしてくれる。前世の感覚で言えば人に脱がせてもらうのは抵抗がありそうだが、貴族時代の記憶もある私には慣れっこだった。
パトリシアは、私の薄汚れている上に胸元が破けた寝巻きを、なんとも痛ましそうに見た。
「お寝巻きはさすがに処分させていただきますね。こちらで着替えもご用意いたしておりますのでご安心くださいませ。こちらのストールはいかがなさいますか?」
「ストールは大切な物なので、処分しないでいただけますか?」
さすがにそのストールは捨てないでほしい。色もすごくお気に入りなのだ。
「かしこまりました。それでは、洗濯だけはいたしますね。乾いた頃にお持ちいたします」
「はい、お願いします」
裸になった私を見て、パトリシアが驚いたように目を剥いた。
なんだろう。パンをたくさん食べていたせいか、確かに貴族の頃より全体的にお肉はついたけど……。そんな目を剥くほどひどかっただろうか……?
「お手を失礼いたします」
そう言ってパトリシアは私の左腕を取った。
「いたっ!」
途端、ズキリと痛む。
痛むところを見てみると、自分でも驚くほど青黒い痣になっている。
襲撃者に強く掴まれていた部分だ。くっきりと手指の形になっているのがわかって、総毛立つ。
パトリシアはこれを見て驚いていたようた。
「なんとおいたわしい……」
更にパトリシアに全身をじっくりと検分された。
「お背中にも少しですが痣と擦過傷が出来ておりますね。他に痛むところはございませんか?」
「他は大丈夫だと思います」
「一番酷いのが特に左腕でございます。湯浴みをお済ませになったら手当いたしましょう。あまりに痛むようでしたら湯浴みもお手伝い致しますので、ご遠慮なく声をおかけくださいませ」
そういうわけでやっと待望のお風呂タイムである。
前世の記憶で例えると、ホテルの大浴場のように広々としたサイズだ。昼間なのもあって天窓から光が差し込んで明るい。床や天井、浴槽も全て大理石で、歩くとひんやりとした感触が素足には気持ちいい。
ちなみに貴族の邸宅は魔法石を使った上下水道が完備だ。センサー代わりの魔法石にタッチするとまとまった量のお湯が出てくるので盥に貯めて、それを手桶で汲んで使う。魔法力を持っていないと使えないし、前世のようにひねれば出るシャワーとは使い方が少し違うがとても便利である。
いい香りの石鹸で丁寧に体を洗い、液体のシャンプーはないものの、髪にいいハーブが練り込まれた髪用の石鹸で髪の毛も洗う。
左手は見た目ほどひどい怪我ではなく、少し痛みはあるものの、動かせないほどではない。体や髪を洗うのに支障はない。
久々なのでたっぷりの泡の感触が気持ちがいい。全身を隅々まで綺麗にしてから広い浴槽に入った。
手足をうんと伸ばしてたっぷりのお湯に沈むと、思わず声が出てしまうほど気持ちよかった。温度もちょうどいい。綺麗なたっぷりのお湯というのはかなり贅沢なのだと実感する。体のこりがほぐれ、全身の毛穴が開いて、そこから、これまでの疲れやら何やらが全部流れていきそうなほどだった。
あまりにも気持ちよくてこのままゆっくり長風呂をしたいが、逆上せる訳にもいかない。適度なところで上がることにした。
パトリシア達は上がるまで待機してくれていて、ささっと体の水分を取り、着替えを身に纏わせ、髪を乾かしていく。
おそらくアンリ殿下もそうだと思うけれど、貴族時代は室内着にいたるまでオーダー品だった。少なくともこの国では既製品の服は平民や貧しい貴族が着るもので、大抵の貴族はオーダーかセミオーダーであることが多い。しかしながら、今回はさすがにサイズも図らずに昨日の今日でオーダーは無理なのだろう。着替えとして用意されたのは市販品あろうシルクのブラウスと深い赤色をしたベロアのロングスカートだった。勿論それだって、かなり上質な品なのは間違いない。久々に着たシルクの感触は、肌にサラサラとして少しくすぐったい。
身分的には平民なのでシルクだって分不相応なのは間違いないが下町には下町用の服があるように、貴族の屋敷にはそれにあったドレスコードがあるのだ。ほんの少しだけ、マルゴさんが用意してくれていた服のことを思い出して切なくなった。
着替えた後はドレッシングルームに移動して、ドレッサーの前に座らされる。座っている間に、さっと水分補給用の飲み物が用意され、髪の毛を編み込まれていく。パン屋だと、簡単に紐でくくってまとめるかそのまま流していたので新鮮だ。髪を切ってしまっているので、以前ほどの長さはないが、それでもささっと手早く可愛く纏めてくれた。
左手の手当も同時進行だ。
ひんやりとする緑がかった軟膏が塗られ、ガーゼが当てられ、包帯で巻かれていく。ちょっと大袈裟過ぎるかと思ったが、少し動かしてもいたまなくなった。
顔には簡単な化粧まで施される。
全てが終わった頃には見慣れた貴族の令嬢が鏡に映っていた。
自分で言うのもなんだが、お母様によく似ていて美人だと思う。ゲームのクリスティーネも美人だったが、そのきつい性格が前面に出ていていかにもライバルっぽいきつそうな美人、というタイプだった。
今の私は悪役令嬢に見える? それとも……。
鏡に映る自分に自問自答するのであった。
ようやく身支度が整い、アンリ殿下の前に出ても恥ずかしくない格好になったので、パトリシアにアンリ殿下のことを聞こうとする前にさえぎられた。
「さあ、この後は少し軽食でも召し上がられませんか?」
そういえば半日以上何も食べていなかった。
お腹の虫も、空腹なのを思い出したのか、きゅるっと音を立てる。
私は赤くなりながらパトリシアに頷いた。




