13 手遅れ悪役令嬢、涙する
「お待ちください! このお方はベルトワーズ公爵家の令嬢です! 一旦は親元に返すのが筋ではありませんか?」
真っ先にそう声をあげたのはアルノーさんだった。けれどアンリ殿下は取り付く島もない。
「もう決めたことだ」
「それは横暴というものです。クリスティーネ様のご家族がどれだけ心配しておられるか、お分かりでしょう? それにクリスティーネ様の心身共にお疲れのご様子。ご実家にて静養させてあげてください。どうかお願いいたします。何卒……」
「彼女は今は公爵家から勘当された身。公爵家やその家族が今更何を言う」
アンリ殿下は吐き捨てるようにそう言った。
……アンリ殿下、こんなことを言うような人だっただろうか。無表情の時でも物言いまでは冷たくなかったのに。まるで氷のような声だった。
その整った顔立ちのせいでより一層冷たく感じる。まるで実際に部屋の温度が下がったかのようだった。
私自身に関わることながら、何も口出しできる雰囲気ではなく、おかみさん達とおろおろとして動向を見守るほかない。
「アルノー、僕が何者かわかっているだろう? こちらにはこちらの事情がある。それ以上の口出しは許さない」
「ぐっ……」
アルノーさんも王弟殿下にそこまで言われてはどうしようもない。見かねて私は声を上げた。
「アルノーさん、私は大丈夫ですから」
アルノーさんはひどく申し訳なさそうに、でも私の身を案じてくれているのが伝わる。
「ですが……」
「それよりも、マルゴさんやおかみさん達の安全のこと、どうかよろしくお願いします」
私はソファに座ったままだったけど、ぺこり、とお辞儀をした。
私がいなくなれば商店街は安全になるはずだけれど、あんな襲撃者を雇うよな人なのだ。念には念を入れたい。
「クリスティーネ様! 私に頭を下げるなど……!」
アルノーさんはぶんぶんと首を振る。
「しかしながら、お知り合いの方々の安全は私が全責任を持ってお守りしますので、ご安心ください」
そう、胸を叩いて請け負ってくれた。うん、安心だ。
私はほっと息を吐いた。
「クリスちゃん……」
「俺らは帰って、家の掃除でもして、またパンを焼くだけだ」
「そうだね。最近忙しくて、随分前に踏み抜いた床板だってそのまんまだったからね、いっそ大掃除から始めるかね。クリスちゃんが戻って来た時には、またパンを焼いて待っているからね」
後半、若干涙声になったおかみさんが私をぎゅうっと抱きしめてくれた。暖かい。
パン屋で過ごした1年、おかみさんは下町のお母さんでおやじさんはお父さんだった。
マルゴさんがお姉ちゃんで、コレットは妹かな。
私はそんな人達に囲まれて、幸せな1年を過ごせたのだ。
「はい。私は必ず無事に戻りますから」
戻ったとして、パン屋で働くのは続けられるかわからない。だから、私はそういう言い方をした。
私を狙ったらしい襲撃だとか、お父様の意向とか、アンリ殿下がどういうつもりなのかとか、今後どうなるか全くわからない。
でも生きてさえいれば、いつかまた下町に行くことだってできるだろうから。
「それでは部下を呼びますので、ご自宅までお送りします。その部下をそのまま付けますから、掃除にでもなんでもお使いください」
「お、じゃあイキのいいのを頼むよ」
「ええ、お任せください」
そう言ってアルノーさんが呼んだ部下は、おかみさん達を連れて去っていった。
「おかみさん、おやじさん、1年間、ありがとうございました!」
私はおかみさん達が見えなくなるまでずっと頭を下げていた。
顔を上げたら泣いてしまいそうだったから。手のひらを強く握って、涙をこらえて頭を下げていた。
なんとか涙を見せずにすんだこと、おかみさん達が元の暮らしに戻っていくだろうことを確認してほっと息を吐き、アルノーさんに向き直った。
「アルノーさん、ありがとうございます。それからお父様にも、お礼をお伝えください。それから……家族みんなに、私は元気だって、伝えてもらうことは出来ますか?」
「はい。クリスティーネ様のお言葉、確かに承りました」
アルノーさんは優しく微笑んで了承してくれた。
そして私は、アンリ殿下に向き直った。
「アンリ殿下、私は貴方に従います。ですが、もう部外者のおかみさん達はいませんし、事情くらいは話していただけますよね?」
アンリ殿下の胡乱げな視線はアルノーに向いていた。おそらくは信用ならない、という意味なんだろうけど、アルノーさんだってお父様に事情を伝えないといけないだろう。
一歩も引かない私に、彼は少し嘆息して口を開いた。
「まず、先程の襲撃者達だが、捕らえて事情を聞く前に服毒した為に、誰が差し向けたのかわからなかった。身なりや所持品からして、冒険者か兵士崩れのゴロツキだから、ただ切り捨てられただけだと思う」
あの男、死んだのか……。身の回りで人が死ぬのなんて、前世でも今世でもほとんど縁がない。悪人だってわかっても、死んだと聞いたらなんだか恐ろしかった。
「だが、その毒はシャミーラムだった」
シャミーラム……? 聞いたことのない名前だったので首を捻る。
一方アルノーさんは聞き覚えがあるようで驚愕した顔をしていた。
「もういいだろう、アルノー。そのままを伝えればいい。お前なら意味がわかるはずだ。馬車を待たせている。彼女はこのまま連れて行く」
「……はい……」
アルノーもそこまで聞いては引き下がるを得ないようだった。
アンリ殿下に私を任せ、退出していった。
二人きりになったと思う間も無くアンリ殿下に促された。立ち上がろうとして足に力を込める。
だが色々あった衝撃のためか、体が言うことを聞かない。自分の予想よりもずっと疲弊していたようだ。
膝がくにゃくにゃと萎えてしまっていて、上手く立ち上がれずにバランスを崩し、尻餅を付くかのようにソファに座り込んでしまった。
「す、すみません! すぐに立ちますから!」
「いい」
アンリ殿下はつかつかと私に近寄って、背中と膝裏に腕を回して抱き上げるとそのまま歩き出した。
これは横抱き、またの名をお姫様抱っこ。あの、乙女ゲームでも恋愛小説でも必須の……お姫様抱っこである!
「あ、あ、アンリ殿下……!」
思わずどもりまくってしまう。
「この方が早いから」
そう言って私を抱き上げたまますたすたと歩き出す。
アンリ殿下は身長は高いものの、どちらかといえば細身のタイプだったから、こんなに軽々と運べるだなんて驚いた。
私を支えている腕は、思ったよりずっとしっかりしている。
体温を直に感じて、ひどく落ち着かない。こちらの体温が上がってしまいそうだ。
重くないかを聞こうとして、重いって返答されたらと思うと辛くて口が開けない。
沈黙が気まずくて、口を開いては、しかし何を言っていいのかわからなくて閉じるを繰り返した。酸欠の鯉のようにパクパクとして、傍から見るとひどく滑稽なことだろう。
普段よりもずっと顔が近いせいで、あの黄水晶の瞳も覗き込めそうなほどだけど、こんな時に目が合ってしまったら自分がどんな反応をしてしまうのかわからなくて、必死に見ないようにした。
「腕、僕の首に回すと安定するから」
「ふぁっ! えっ? な、何ですか!?」
「不安定だと揺れるし、危ない」
「は、はい……。し、失礼します……」
おそるおそる腕をアンリ殿下の首に回す。確かに安定はするものの、体が更に密着する。あの綺麗すぎる顔が近い…!
緊張のあまり、ゴクリと喉を鳴らす音まで聞かれていそうで恥ずかしい。
いたたまれない。恥ずかしくて今すぐ消えてしまいたい。せめて邪魔にならないように身を固くした。
「あ、あの、アンリ殿下、シャミーラムってなんですか?」
恥ずかしさと、沈黙の緊張に耐えきれられず、気を紛らわすために先程の疑問に思った言葉を聞いてみる。
「……シャミーラムは、王族だけが使う毒の名だ。君を狙ったのは、王族か、その身近な者ってことだよ。……だからアルノーは引き下がった。王族に対抗できるのは王族だけだから」
王族の毒……!? 私はそれを聞いてひゅっと息を飲んだ。
王族……まさか……マティアス殿下が……?
かつて婚約者だったのだ。それなりに長い付き合いだが、そんなひどいことをするような人ではない、と思いたい……。
「君が何を思ったかわかるけど、マティアスは違うと思う。多分……だけど。クリス、君はちょっと思い込みが激しかったりする?」
ちょっとだけ呆れの入った声は、先ほどまでの冷たい声とはやはり違う。温かみのある声だった。
私がそれに返答する前に屋敷に横付けした馬車の前に到着し、そのまま乗せられてしまった。
王家の紋は付いていないけど、かなり立派な箱馬車だった。
中は向かい合った2列の長椅子になっている。広々としていたが、有無を言わさず進行方向に座らされ、アンリ殿下もその横並びに座った。
向かい合ってでもよかったのに、何故、と思った私の頭を、横に座ったアンリ殿下は自分の肩にもたれさせた。
えっ? と思う暇なく、御者に発車の合図を送られる。
馬車はガタゴトと音をたてて出発した。
馬車の立てる音に掻き消されないよう、アンリ殿下は私の耳に唇を寄せて囁いた。
「……クリス、怖かったのによく頑張った。もう大丈夫だから」
そしてもたれさせた肩と逆の手で私の頭をポンポンと優しく叩いた。
「……ッ!」
私はひゅっと息を吸った。喉がきゅうっと苦しくなる。
「君はずっと頑張ってた。この一年も。その前からずっと。ここでなら他の誰も見てないし聞いてない。だから少しだけ休んでいい。我慢しなくていい。僕の前ではそんな風に無理して微笑まなくてもいいから」
「あ……、わ、私……」
もうそれ以上声にならなかった。大丈夫です、と言おうとしたのに喉に引っかかったように言葉にならなかった。堰を切ったようにボロボロと涙が溢れた。涙と共に、言葉とも嗚咽ともつかないものが溢れて止まらない。
私はアンリ殿下の肩にすがって号泣した。
しかしその泣き声は馬車の立てる音がかき消してくれるのだった。
卒業パーティの後、全てを失って下町の商店街にやってきて、やっと自分の居場所ができたと思った。
優しい人達に囲まれて、ここでなら私でも生きていけると思って、とにかく一年、頑張ってきた。
……なのに、また失ってしまったんだ。
また、私のせいで。
襲われた時、本当に怖かった。あの優しい人達まで巻き込んでしまった。辛かったけれど、それは私のせいだから、泣いてはいけないってこらえていた。
私は最初から抗うことを諦めていた。
悪役令嬢である私のせいだから、その運命を受け入れるしかないんだって。
助けを求めてはいけないって思っていた。
だって、助けを求めて、誰にも助けてもらえなかったら、……もっと辛い。
だから泣きたい時でも泣かなかった。泣けなかった。唇を噛んで、歯を食いしばって、強がって微笑んで、顔を上げなきゃって思い込んでいた。
そうやって頑張っていれば、悪役令嬢だった私でもいつか許されて、救われるって思って。
……幸せになれるんだって思っていたのに。
それなのに大切だったもの、守りたかったものはまた私の手から失われていく。
私が悪役令嬢だから全てが上手く行かないようになっているの? それとも別の何か?
もう何もわからない。考えたくない。
喪失感が胸をかきむしる。
私は子供のように声を上げて泣いた。
アンリ殿下は何も言わずにハンカチを渡してくれ、そのまま肩にもたれさせてくれていた。向かいに座らなかったのは、きっと私の泣き顔を見ないようにしてくれたのだ。
アンリ殿下のハンカチをびちゃびちゃのぐちゃぐちゃにしても涙は止まらなかった。
そして馬車が目的地に着いた頃には、私は泣き疲れて眠ってしまっていたのだった。
……だから、夢うつつの中で聞いたアンリ殿下の「それでも僕は君が羨ましい」という言葉が、夢なのか本当なのか、結局わからないままだった。




