12 手遅れ悪役令嬢、目を覚ます
私は微睡みの中にあった。体がゆら、ゆら、と揺れている。
小さい頃、遊び疲れて庭で眠ってしまった私を、お父様がベッドまで運んでくれたことがあった。起こさないようにそうっと抱き上げられた、あの時を思い出す。
遠く、優しい記憶だ。
私は涙が出るくらい優しい、その安心感に包まれて、ゆらゆらと揺れるのに身を任せた。
冷たい何かがが私の頰を撫でた……、ような気がして、私は一瞬だけ覚醒しかけ、また緩やかに微睡みの中に沈んでいった。
……なんだか眩しい気がする。私は薄目を開ける。
「クリスちゃん……? クリスちゃんの意識が戻ったよ!」
おかみさんの声に、私は重たい瞼をゆっくりとこじ開けた。おかみさんが私のことを覗き込んでいる。
あれ? 私はどうしていたんだっけ……? 寝坊しちゃったのかな。おかみさんに怒られてしまう。おかみさんはとっても早起きで、働き者で……私もああなりたいって思って……。
「クリスちゃん……よかった」
おかみさんにぎゅっと手を握られる。温かい手だ。なんだかすごく安心してしまう。
おかみさん、怒るどころか泣いてるみたいな声……。
そこまで考えて、ようやく今の状況を思い出した。
「あ……。わ……私……」
助かったのだ。
火事と、謎の襲撃者、どちらからも助かった。
私は安堵の息を漏らした。体から力が抜ける。
そういえばここはどこなのだろう。
私は見たことのない部屋のソファに寝かされているようだった。
白木を基調とした明るい部屋。
蝋燭ではなく、魔法石の照明が使われていて、それが煌々と辺りを照らしている。
室内は下町風の造りだが、ブレブレやマルゴさんの店より広々していて綺麗だ。
起き上がろうとすると、おかみさんが慌ててストールを巻きつけてくれて、しっかりとした腕で背中を支えてくれる。そうだった、寝巻きの胸元が少し破かれてしまったんだった。あの時の恐怖を思い出して一瞬体が強張るが、おかみさんが優しく背中を撫でてくれたので安心する。
おかみさんの助けで上体を起こしてソファに座りなおし、キョロキョロと辺りを見回した。
ソファから少し離れたところに腕組みしたおやじさんがいて、強面の顔に珍しく笑みを浮かべてこっちを見て頷いてくれる。よかったな、と言ってくれているのがわかって私は微笑んだ。
「あの、おかみさん、ここってどこなんですか? おかみさんの知り合いの家ですか? お店ってどうなったんですか?」
私の矢継ぎ早な質問におかみさんは困ったように眉を下げた。
「お店は大丈夫だよ。少し壁が焦げたり、ドアが壊れたりしたくらいかね……。見ての通り、あたしもブレイズも無事さね。それで……ここがどこかっていうのは、ちょっとあたしじゃ説明が難しくてね」
私は首を傾げる。かなりの煙だったと思うのに。お店が無事なようでよかったけど、さっぱりわからない。
その時、ドアがノックされ、私にも見覚えのある人達が入ってきた。
アンリ殿下……!
理由はわからないけど、やはり彼が助けてくれたのだ。名前を呼ばれたと思ったのは幻聴かと思ったけど現実だった。あの時来てくれなかったら私は死んでいただろう……。
けれど、なんだか少し顔色が悪いように見える。疲れているのだろうか。私のことを助けるために無茶なことをしたのだろうか……。
しかし、私は一緒に入ってきたもう一人の顔を見た衝撃で、気になっていた諸々が全て吹き飛んでしまった。
入ってきたのは私にとって実に意外な人物だったからだ。
「えっ? 常連のおじさん!?」
私は思わず大きな声を上げた。
アンリ殿下と一緒に入ってきた男性は、毎朝パンを買ってくれていた例の常連のおじさんだった。
ちょっと身なりがよくて、いつもパンを5個買って行ってくれるあの人だ。毎朝気さくに話しかけてくれるあのおじさん。しかしおじさんが何故ここにいるのか、どういうわけなのか、本当にさっぱり、わけがわからない。
「私からご説明いたします」
混乱している私の前に、常連のおじさんは跪いて、首にかけている革紐のペンダントを服から取り出した。
ペンダントトップは銀だろうか、金属で平たくて丸い、メダル状をしていた。
そしてそのメダルには見覚えのある刻印――ベルトワーズ公爵家の紋章が描かれているのだった。
「大変申し訳ありません。クリスティーネ様。ずっと貴方を謀っておりました。私の名はアルノーと申します」
「アルノーさん……?」
「ベルトワーズ公爵閣下の命により、貴方様の監視と身の安全を守るために遣わされました。しかしながら、この度は御身をお守りしきれず、誠に申し訳ございません」
「お、お父様が……?」
「この場所は、閣下からお預かりしております、我らの詰所でございます。ここには警備が居りますからとりあえずは安全です。また、クリスティーネ様のお知り合いの方のお宅にも今は私の配下が付いておりますので、どうぞご安心ください」
「うちの店に変な男どもがやってきて、火をつけたり暴れた時にね、この人達が来て助けてくれたんだよ。火もすぐ消してくれてね」
「あの煙のほとんどは虚仮威しの発煙筒でした。賊共はクリスティーネ様を燻り出すことだけでなく、我々の撹乱が目的であったようです。みすみすと奴らの作戦に躍らされ、恐ろしい思いをさせたこと、重ねてお詫び申し上げます」
唐突に情報が出すぎて追いつかない。頭が混乱する。
分かることは、私を勘当し放逐したお父様だけれど、それでもずっと影から見守っていてくれた。本当に危ないときはこうして助けてくれる。
お父様から見れば、私は自分の婚約者すら振り向かせられない、役に立たない駄目な娘な上に、三角関係のもつれなんていう醜聞で、ベルトワーズ公爵家に泥を塗ったに等しい。
それでも確かに娘として愛されている。
見守っているより修道院にでも入れた方がよほど手間もお金もかからない。なのに私に、こうして自由を与えていてくれていたのだ。そのことがとてもうれしく、お父様の子供であることを誇らしく感じた。
――しかし、気が付いてしまった。
急に寒々しく感じて、体に巻きつけたストールをぎゅうっと強く握り締めて俯く。
私の出自は今までおかみさん達には内緒にしていたのに、今のやりとりでそれがばれてしまった。騙されたと、思われるのではないだろうか。
おかみさん達は本当に気のいい人で、私を助けたり、雇ったりしてくれたのも優しさや親切心からだ。そんな人達に事情を黙っているなんて、騙したも同然じゃないか……。
それに、襲撃者は私の命を狙っていたようだった。マルゴさんのお店に入った泥棒だってそうだ。
……全部私を狙って、襲われたのだ。
何故私が狙われたのかはわからないけれど、確実に私がここにいたせいでみんなを巻き込み、危険な目にあわせてしまったのだ……。
それに気が付いてしまうともう顔を上げることはできなかった。
……私は悪役令嬢どころじゃない。とんだ疫病神だ。
私がいなければ、マルゴさんの店に泥棒が入ることもなく、コレットをあれほど怯えさずにすんだ。マルゴさんもあんなに真っ青になって自分を責めないでよかった。
おかみさんとおやじさんの大切なお店に火をつけられることも、二人を危ない目に合わせることもなかった。
私がいなければ――
突然、ゴチンッ、と頭に衝撃がきた。
「おめえは馬鹿かッ!」
びっくりして思わず顔を上げると、目の前に青筋を立てたおやじさんが仁王立ちしていた。
その握りしめた拳骨で叩かれたのだ、と気が付く。
「なんかくっだらねえこと、考えてやがるんだろう! 俺らはな、おめえがどっかの偉い貴族の娘だなんて、最初からわかってて雇ってんだ! それがナントカ家の娘だったって、何も変わりゃしねえだろうが!」
「お、おやじさん……」
「何クリスちゃんに手を上げてんだい! この唐変木!」
……おやじさん、宙を舞う。
「痛かったろ、クリスちゃん。うちの唐変木がごめんね」
おかみさんはおやじさんをぶっ飛ばすと、私の頭を撫でてくれる。
お母様のような暖かさだった。
「クリスちゃん、あたしらもマルゴも、あんたがワケありの貴族の娘ってのは分かってた。ちゃんと覚悟をして、あんたの味方になるって決めたんだよ」
「そうだ。俺はな、おめえが一年、真っ当に働いたのを見てきた。細っこい手で何やらせても危なっかしくてよ、こりゃあダメだ、すぐに逃げ帰ると思ったが、おめえは根性で乗り切った。俺は、おめえの根性のあるところが気に入ってんだ。今俺らがおめえを責めたりしないのは、ナントカ家の娘だからじゃねえ。俺らの大事な身内だからだ」
「お……おかみさん……おやじさん……。ありがとうございます……!」
泣きそうになるのを私は必死に堪えて微笑む。
私は幸せ者だ。こんなにも優しくて素敵な人達がたくさんいて支えてくれる。
「そうさ、あの無口な唐変木が、クリスちゃんのためにこんなに一生懸命に話すくらいさ」
「いやあ……うちの大切なお嬢様を突然殴ったときはどうしようかと思いました……」
と苦笑いするアルノーさん。
「クリスティーネ様は素晴らしい方々と出会えたのだと報告させていただきますね」
優しくそう言ってくれるのだった。
アルノーさんは苦笑いしていた顔を引き締めて真顔になった。
「しかしながら、クリスティーネ様には一旦ベルトワーズ公爵家にお戻りいただこうと考えております。やはり危険ですので。お知り合いの方の護衛はそのまま続けさせていただきますから、ご安心ください。……ご了承いただけますか?」
……やっぱり、そうなるよね。
私を狙ってきた理由が何なのかわからないけど、いるだけでおかみさん達を巻き込んでしまうのは確かだ。
私が頷こうとしたその時、それまで黙っていたアンリ殿下が会話に割って入った。
「それは却下する。クリスの……、いやクリスティーネ・ベルトワーズの身柄は僕が預かる」




