幕間 ベルトワーズ家朝食会議
ボクはエミリオ。エミリオ・ベルトワーズ。ベルトワーズ公爵家の末息子だ。
ボクの家は大貴族とか上級貴族とか呼ばれていて、確かに無駄にだだっ広くてやたら豪奢な屋敷に住んでいる。だから大貴族って案外足腰が鍛えられている。室内だけでもかなり歩くからさ。
そのベルトワーズ家の朝食用ダイニングホールでのことである。
東向きの窓からは朝の清らかな光がさんさんと差し込み、夜用ダイニングの重厚さとは逆の、朝の明るさと爽やかさを前面に出した、白と緑を基調としたシンプルな造りになっている。
ボクは非常に品のないことではあるが、室内の真ん中に据えられたテーブルの自分の定位置に座って頬杖をついていた。白いテーブルクロスのかかったダイニングテーブルにはごみひとつない。ごみどころかまだ何も用意されていない。
だってまだ朝食の準備が整う前の早朝だ。けれども既に家族全員が集合していたのだった。……ひとりを除いて。
「はい、本日も始めます! クリスティーネの会。おはようございます!」
ベルトワーズ家長男、フィリップ兄上のなんとも言えない口上から始まるのはベルトワーズ家毎朝恒例のクリスティーネの会である。
当の本人、クリスティーネ姉上は不在である。……ずっと不在なのである。
あの心優しくポヤポヤとした姉上が、婚約者だったマティアス殿下の恋人を、階段から突き落としたという信じがたい不祥事により、現在ベルトワーズ家から勘当されているせいだった。
「おはようございます、兄上」
フィリップ兄上の口上の挨拶に背筋を伸ばしてきちんと挨拶を返すのは、2番目の兄、次男のグレン兄上である。
このグレン兄上の下にクリスティーネ姉上、そして三男のボクという順番だ。
そして何故か拍手をしているボクらの父上と母上である。
父上とフィリップ兄上はよく似ている。
見た目も中身もだ。鳶色の髪と琥珀の瞳、そして穏やかそうな風貌までそっくりだ。しかしながら公爵家を率いる人間なので中身はただ穏やかなだけではない。何か色々難しいことを考えているみたいだけど、ボクにはまだよくわからない。
一方クリスティーネ姉上とボクは母上似。ボクは少し女顔なのが気になるので、もうちょっとくらいは父上に似たいものだった。
そしてグレン兄上は、両親のハイブリッドだろうか。いいとこ取りなのだ。身長も高いし。しかし身長はボクだって伸びているのだから、勝負はまだまだこれからだし。非常に優秀な人なんだけど、フィリップ兄上の補佐をすることに命を懸けている人だ。変人なんだと思う。
さて、クリスティーネ姉上はベルトワーズ公爵家から勘当され平民となってから一年、なんと意外なことにしぶとく……いやたくましく生きているらしい。
元々は勘当とはいえ、貴族にはそれなりの管理責任があるということで、下町に連れ出し、しばらく頭を冷やさせてから回収、反省するまでみっちりお説教をした後、ど田舎の領地のどこかに住まわせる予定だったそうなのだが、姉上はまさかの行動力を発揮。即座に平民のような服と職と住む場所を見つけてきたのである。
しかもそれがパン屋なのだから驚きだ。ボクは姉上の手作りという名の焦げた危険物を食べさせられたことがある。食べないと泣くから、仕方なくだけど。まあ何回か作るうちにマシな味のものを作れるようになってはいたけど。
昔から姉上は時々変なことをしでかす人だったけれど、こんなにアグレッシブな人だっただろうか。姉上が階段から落っこちて頭を打ったっていうなら話がわかるんだけど。人が変わった的な意味で。
そういうわけで、一応何かをしでかしたり、犯罪に巻き込まれたりしないように、見張り兼護衛としてこっそりと父上の子飼の配下を何人か送り込んであるらしい。まあ公爵家だもんね。色々隠し持ってるよね。
父上は現公爵で忙しいので、そこら辺のやりとりは今はフィリップ兄上が行なっている。
そういうわけで、このクリスティーネ会の司会はフィリップ兄上なのであった。
「それでは、今日のクリスティーネ。本日もアルノーの報告です。ええと 『クリスティーネ様は今日もお美しいです』 うん、知っているよ。あの子はいつだってどんな時でも美しいからね。 『本日は丸パンを買いました。クリスティーネ様の手作りの品です。お釣りを受け取る時に、お手が触れてしまいました』 うーんアルノー? あとで私のところに来るように」
報告をしたアルノーは父上と同じ年頃の男で、一見、地味で冴えない風貌をしている。そのせいで見張りやら潜入やらが得意なんだそうだ。そしてその見た目のわりには腕が立つから、いざという時の護衛にはもってこいなんだとか。
「それから…… 『雑談を兼ねて、奥様のお好きな胡桃入りのパン、エミリオ様のお好きな干し葡萄入りのパンをアピールすることに成功しました。近々購入ができるかもしれません』 ふむふむなるほど。先ほどのことは不問にする。私も胡桃パンは結構好きだな」
「べ、別にボクは干し葡萄がそんなに好きなわけじゃないし!」
ボクはそっぽを向く。
「兄上は胡桃もですが、チーズ入りの方がよりお好みではないでしょうか。私はどれも好きですが……悩みますね。ハードな食感のものが好ましいです」
「まあ……わたくしはうれしいわ。胡桃がカリカリしたあのパンは大好きよ」
フィリップ兄上のことを兄上、とだけで呼ぶのはグレン兄上だけだ。グレン兄上にとってはフィリップ兄上だけが兄だからなのだろう。しかし好みもしっかり把握しているのはちょっと引く。
一方、胸の前で手を合わせる母上は4人も生んだとは思えないほど若々しく、ボクやクリスティーネ姉上と並んでも姉妹にしか見えないとよく言われたものだ。まあ、ボクを妹だとぬかした奴は口を縫い付けてやるけどね!
穏やかそうにこの会を見守る父上は母上に優しい微笑みを向けている。この父上はパンには何も入ってない方が好きなので、きっと今日の丸パンを喜んでいるはずだ。
「さて、今日の議題はそろそろクリスティーネを呼び戻してはどうか、という件です。もうそろそろ一年になります。さすがに可哀想ではないでしょうか」
フィリップ兄上は悲しげに眉を下げる。
はい、と手を上げたのはグレン兄上だった。
「私の意見としては、クリスティーネが可哀想だからと簡単に勘当の意見を翻すのはどうだろう、ということです」
「でも、もう一年じゃないか。罰として妥当では?」
「ええ、罰としてなら、です。しかしながら、クリスティーネは立派にも下町にて働きながら交流もしており、幾人か親しい人間もおりますよね。彼らとの縁を切ることをクリスティーネは望むでしょうか」
「そうねえ……クリスティーネは優しい子だから……悲しんでしまうかもしれないわ。確か懐いている幼子がいたわね」
母上の言葉にフィリップ兄上は頷いて紙をパラパラとめくった。
「はい、下町で最初に訪れ、クリスティーネの交渉の末に服を用意してくれた古着屋の店主の娘さんですね。年齢は5歳。クリスティーネのことが大好きなようで甘えている姿がたびたび目撃されています」
「クリスティーネは昔から小さな弟か妹がほしいと言っていましたね」
「ふーん」
「エミリオはクリスティーネに甘えたくても年子だから甘えられなかったものな」
「年下特権なので遠慮なく甘えればよかったかと」
「別に!」
ボクは再びそっぽを向いた。
母上はポヤポヤとフィリップ兄上に尋ねている。
「ねえクリスティーネにいい人はいないのかしら?」
「パン屋の客の中にはクリスティーネを口説く者もいるようですが、クリスティーネは本気にしていないようです。またパン屋の店主が強面であり、しつこい男には睨みつけるため、お釣りを受け取る時に偶然手が触れる程度の相手しかいないようですね」
「クリスティーネはいい店を見つけたな。さすが私の自慢の娘だ」
うんうん、と満足げに頷く父上。
「本当ねえ……わたくしに似てちょっとおっとりしたところがあるから不安だったのだけれど……さすがフィドル様の血を引いただけあるわ。芯がしっかりしているのよ」
「いやいや、マリアンヌの美貌を受け継いでいるから、私も最初は心配で気が気じゃなかったよ。クリスティーネは私が初めてマリアンヌを見たときと同じ年頃だ……あの時、私はマリアンヌを見て、女神が降臨したと思ったものだ……」
「フィドル様……」
朝っぱらからいちゃつく両親である。しかしこれが常態なので放置である。
一方、フィリップ兄上は報告を続ける。穏やかなフィリップ兄上の周りの気温が下がったと錯覚を起こすほど、冷ややかな声であった。
「……ええ、ただしそれは1人を除いて、となります」
「王弟であるアンリ殿下のことですね、兄上」
フィリップ兄上に冷静に補足をしたのはグレン兄上だった。
この人はいつだって冷静だ。
「はい。王弟アンリ殿下、彼は毎朝パン屋に通っているようです。暇なんですか? 王族って。そしてクリスティーネから直接にパンを購入した後、結婚してほしいと囁き……手の甲に、く……口付けを……うん殺そう……」
最後にぼそっと物騒な言葉が聞こえたんだけど!
「ちょっとフィリップ兄上……!グレン兄上も止めてよね!」
「私は兄上が決めたことならば従います。兄上がお望みでしたら私がやりますが」
「もうやだこの過激派兄共!」
ちなみにフィリップ兄上がクリスティーネ過激派で、グレン兄上がフィリップ兄上過激派なのである。クリスティーネ姉上はポヤポヤだし、兄弟でまともなのはボクだけじゃないか!
「だいたいさ、そもそもクリスティーネ姉上とあのクソ殿下と婚約させたのが間違いだったんだよ! だってマティアス殿下ってば、まだ結婚もしてないのに早速他所に恋人を作ったんだよ? それも姉上の友人なんて、ひどすぎない?」
「うん、そうだね、マティアス殿下も殺そう」
「わかりました。それが兄上の望みでしたら」
「もー! それやめてって! うちが取り潰しされちゃうじゃん! ねえ父上も止めてよ!」
「うーん、取り潰しされるくらいなら色々持って国外脱出するから別に構わないけど、可愛い息子たちに手を汚して欲しくないね。あとこちらにも色々あるからね、それは保留ということで」
「わたくしはね、マティアス殿下ではなくてやはり最初からアンリ殿下にしておけばよかったと思うの……。だってアンリ殿下からは婚約の打診はなかったけれど……昔からクリスティーネのこと、好きそうだったもの。ピーンと来てましたのよ。だから最初から愛されての結婚の方がよかったのかしらって……」
「マティアス殿下は優秀だし、陛下から直々に頼まれての婚約だったから仕方なくとはいえ、もう少し考えた方が良かったね。陛下には暗愚だった先王の代わりに早くから王位についてもらっていたし、多少は融通を利かせないといけなくてね。しかしだね、私のクリスティーネの美しさを見たら、マティアス殿下も惚れないはずがないと思っていたんだよ」
「わたくしとあなたも親の決めた婚約でしたものね……。でもフィドル様……わたくしはあなたを見た瞬間恋に落ちましたの」
「ああ、私こそマリアンヌを見た瞬間、私の運命だと思ったよ」
「フィドル様……」
再びのイチャイチャである。恐ろしい想像だけど今後さらに弟か妹が増えるかもしれない。
「あー! もう! 今日も何も決まらないじゃないか! 学園に遅れちゃうよ!」
「そうだね、そろそろ頃合いかな。朝食にしよう」
「はい、そうですね兄上」
フィリップ兄上がベルで使用人を呼ぶと既に待機していたワゴンが入ってきて、あっという間に朝食の用意が整った。
「こちらがクリスティーネお嬢様のパンでございます」
「さあ、みんな、いただきましょうね」
こうして毎朝アルノーが買ってきたパンはボクらの朝の食卓に並ぶのだった。




