幕間 エレナ・ヴァリエの困惑しつつも楽しい日々 1
私、エレナ・ヴァリエは不本意ながら目立っている。
悪い方の目立ち方だ。どれもこれも全く自分で望んでなんかいないのに。
私はアンゲルブルシュト王立魔法学園の編入生である。
魔法学園の名の通り、魔法力がある貴族ばかりの通う学園だ。私の父は一応男爵家ということにはなっているのだが、領地もなければお金もない名ばかりの貴族だ。国からわずかに還付金のようなものが支給されており、働く気のない父はそれだけでやりくりしている。はっきり言って雀の涙のような額なので大変に貧しい。それだけじゃ生きていくのが厳しいので母が働いて家計にお金をいれている。私もよく近隣の農地やお店の手伝いなんかをして日銭を稼いだり現物をもらったりしていた。
そんな名ばかり貴族だったので、子供の頃に測定した魔法力は低く、王立魔法学園に通わなくてもいいくらいの値だった。学園に通うにはお金がものすごく掛かるので、両親も私も最初から行くつもりがなかった。
ところがある時、どういうわけか魔法力の再測定が行われたのだ。なんでも子供の頃の測定が間違っていた可能性があったのだとか。
そして再測定で私が叩き出した数値は非常に高く、最初の測定ミスの謝罪も兼ねて、国からの多額の奨学金が出ることになり、私は王立魔法学園に通うことになった。なお、両親には褒賞金が支払われたので、私が行きたくなかろうが何しようが、既に行くことが決定していた。
そんな経緯での編入なので前例がほぼないらしく、そのせいでやたらと目立つのだった。
それだけではない。
貴族ばかりなので、労働と完全に無縁のたおやかな美少女達の中で、ほぼ平民として暮らしていた私は全く毛色が違う。猫の群れに犬を放り込んだようなものだ。歩き方ひとつ取っても違うのだから、かなりしんどい。
初日、制服を着ているのに侍女に間違われる率の高さに辟易しつつも、私は一人になれる場所を探して学園内を徘徊していた。お昼ご飯を食べようと思ったのだ。
この学園にはとても素敵なカフェテラスだとか、重厚な作りの食堂や、新進気鋭の料理人が作る創作料理のレストランなんかがいくつも併設されてはいるのだが、どれも前に高級な、がつくのである。
奨学金には生活費も含まれるとはいえ、毎日のお昼にそんなご馳走を食べられるわけがない。何かあった時のために貯蓄は大事!
お弁当を家から持ってきている人もいるらしいが、運んでくるのは家の使用人、作ったのは家の料理人、という大変お高級なお弁当だ。私がいま抱えているお弁当とは比べ物にならない。
私のお弁当は、切れ込みを入れたパンに適当な具を挟んだだけのサンドイッチだ。これを衆人環視の中で広げる勇気はない。
そんなわけでコソコソと人の少ないところを目指して中庭の方に向かった。
中庭は手入れの行き届いた芝生や色とりどりの花の咲く花壇、実家のベッドよりよほど寝心地がよさそうなベンチ、それに適度な木陰がありつつも太陽の光が差し込み、ポカポカとしてとても気持ちの良さそうなところだった。それなのに思ったより人が少ない。
それは木陰の木漏れ日の下でも頑なに日傘をさしかけてもらいながら使用人に給仕をさせている貴族の令嬢を見て察した。
日焼け、厳禁。
日差しがこんなに気持ちいいのに日焼けをしないようにと、女子で中庭に出たがる人は少ないのだ。
なるほどと思い、私は中庭の端の方、特に日当たりがよくて気持ち良さそうなベンチに陣取るとお弁当を広げた。
「あれ? 君って編入生のエレナ・ヴァリエだろ?」
しかし私の楽しいお弁当ライフは唐突に終わりを告げた。
話しかけてきたのは同じクラスの赤毛で何か色々目立つ男子だ。顔はいいのだが、少々軽薄そうでもある。
「ええと、あなたは」
お名前、なんでしたっけ。
「ああ、ごめん。まだ初日だから名前覚えてないよな。俺はフェオドール・オリックだ。貴族じゃないから改まらなくていいぜ。でも同じクラスの王族と上級貴族の名前はちゃんと覚えておいた方がいい。トラブルの元だから」
「はあ、どうも」
気のない返事をする。貴族はこういうのが面倒くさいんだ。
とりあえずさっさとご飯を食べたいのだけど、このフェオドールはどうすればいいのだろうか。放置で食べていいだろうか。
「へえ、それ、もしかして自分で作ったとか?」
私の返事を聞く前にお弁当を取り上げられた。
「やだ! ちょっと! 返してよ!」
ムキになる私が面白かったのか、フェオドールはその高い身長を生かして、私の届かないところに持ち上げる。
「ふふっ、取り返してごらん子犬ちゃん」
うわーサブイボ立つわ。
フェオドールは私をからかうようにお弁当を持ったまま駆け出す。
本当! 一体! なんなの!
子犬と言われるのは腹がたつが、お弁当を返してもらえなければ午後を空腹で過ごさなければならない。
「返してったら!」
私はフェオドールを追いかけた。畑の手伝いで鍛えた足腰、なめるなっての!
しかし取り返すのに夢中で前が見えていなかった。
フェオドールの手からお弁当を取り返した、と思った瞬間、私は柔らかい壁にぶつかり、お尻から着地した。尻餅ともいう。
「いったぁ…」
柔らかい壁だと思ったものは壁ではなかった。
「大丈夫かい?」
手が差し伸べられる。
私の目の前で、すらりと背の高い男性が、私に手を差し伸べた。
芸術品のようなピカピカの手のひらだ。思わずその手を取ると、思ったより力強く引っ張り上げられる。
うっわ…めっちゃくちゃすべすべしてる…!
驚いてその人の顔を見る。
時が、止まったような気がした。
光を弾いてキラキラ光る金の髪。宝石より美しいんじゃないかっていう青い瞳。
何よりその顔。男性的でありつつも彫像のように整った顔立ちは、今まで見たどの男性よりも美しい。
その青い瞳と目があった。ああ、吸い込まれてしまいそうな青。
時が止まり、静寂に包まれ、この世界に私と彼しかいないような……というところで静寂が破られた。
「マティアス殿下に何をする!離れなさい!」
はっと我にかえると、彼のすぐ斜め後ろにいた大柄な男性が、私と彼の間に割って入った。
そこでようやく脳に言葉が戻ってくる。
マティアス殿下……それって……!
「王太子殿下……!」
私は口を押さえた。彼は、現在の国王の長男、王太子マティアス殿下だった。
「も、申し訳ありません……!」
私は真っ青になって慌てて頭を下げる。
しかも頭を下げる時に、マティアス殿下の制服の上着にべっとりとサンドイッチのソースがついているのが見えてしまって、卒倒するかと思った。
やってしまった……これ……不敬罪とかで私は死ぬのかな……。ああ、お父さんお母さん先立つ不孝をお許しください……。
「き、貴様! マティアス殿下のお召し物に汚れを……!? まさか事故に見せかけた暗殺か!! 殿下! 汚れに触らずに早急に上着を脱いでください!」
あーだめだーこれはだめだー。弁明も聞いてもらえず剣の錆だわー。
「ヨシュア、ヨシュア」
「殿下、危険ですからおさがりを!」
「ヨシュアってば、全く話を聞かないんだから」
ぽん、と肩を叩かれる。
「顔をあげなさい」
おそるおそる顔を上げるとマティアス殿下が優しい顔で私を見ていた。
「見ない顔だね。今日から来るって聞いてた編入生の子かな?」
「は、はい、そうです。エレナ・ヴァリエと申します……この度は……大変申し訳ございません……」
「大丈夫さ。今日は暑いから、上着を脱ごうと思ってたところなんだ。それよりヨシュアがすまなかった。彼は学友だけど私の護衛も兼ねているから、つい対応が厳しくなってしまうんだ」
大柄な生徒、ヨシュアも落ち着きを取り戻したみたい。ばつが悪そうな顔をしている。
「わ、悪かったな。俺はヨシュア・アトキンだ。マティアス殿下の大切な御身を守るために少し過敏になってしまったようだ」
「いいえ、悪いのは前を見ずに走った私ですから」
「そうだね、気をつけて。女の子が怪我をしてはいけないからね」
「は……はい」
マティアス殿下の優しい微笑みに、私はぼおっとなってしまった。
上着を脱いだマティアス殿下は鍛えているであろう肉体のラインがシャツ越しに見てとれて、それはもう眼福であった。
「さっきの、君の昼食だったんだろう?」
見ると地面に私のお弁当だったものが無残に転がっている。
「あー……」
「ごめんね、君のお弁当があまりにも美味しそうだったから、私の上着が食べてしまったんだよ。お詫びに、今から私達と学内のレストランに行くのはどうだい? もちろんこちらで出すから気にせずおいで」
「えっ、……でも」
願ったりな提案だけど、さすがに悪いのではないか……。そう思ったところでヨシュアからも頼まれる。
「俺が過剰に反応して驚かせてしまったから、殿下はそのお詫びをしたいようなのだ。申し訳ないが、少し時間をいただけないだろうか。貴方をこのまま帰したら後で俺が怒られてしまう」
そう言って大きな体を小さく縮めている。その反応が実に申し訳なさそうでおかしくて、思わず笑ってしまった。
「では、遠慮なく、ご馳走になりますね」
そういうとマティアス殿下は笑って頷いてくれた。
ふと、マティアス殿下の手が私の頰へ伸びる。
「土が……」
頰を撫でられ、どきん、と心臓が音を立てた。撫でられたところが熱を持ったみたいに熱い。
マティアス殿下も慌てたように手を引っ込めて、次はハンカチを差し出した。
「すまない、土がついていたので咄嗟に手が出てしまった。よければこのハンカチを使って」
真っ白で、糊のきいたシルクのハンカチである。
「あ、ありがとうございます……あの、洗ってお返ししますので……今だけ……お借りします」
マティアス殿下は笑って頷いてくれた。
きっと私の顔は林檎のように真っ赤になっているだろう。
密かに白いハンカチをぎゅっと抱きしめた。私とマティアス殿下を繋ぐのはこのハンカチだけ。綺麗に洗って、返すときに手作りのお菓子とか、一緒に渡したら受け取ってもらえるだろうか。
エレナ・ヴァリエ16歳、初恋は王子様でした。
なお、フェオドールはマティアス殿下を見たらさっさと逃げていたらしい。もしもヨシュアの剣の錆になっていたらフェオドールに取り憑いてやるところだわ。
腹立たしい気分だったが、フェオドールはしっかりと謝ってくれて、もうやらないと言ったので許すことにした。
「ケーキで手を打とうじゃない」
「ちゃっかりしてるな、お前。わかったよ。ケーキに紅茶もつけましょう! なあ、美味しい喫茶店があるんだ。今日の放課後一緒に行かないか?」
「うーん、しょうがないわね。行ってあげるわ」
私とフェオドールは笑いあった。異性だが学園に来て初めての友人ができた。
「ついでに、友人として色々教えてやるよ。覚えておいた方がいい貴族だとか、マティアス殿下のこととか、さ」
私は赤くなった。
「ねえ、私ってそんなにわかりやすい?」
「そりゃもう」
にやにやと笑うフェオドールの背中を平手で叩く。
「いってえ!」
とてもいい音がした。




