黒星発進者(ブラックスターター)
「はぁ……」
歴史的――あるいは、伝説的と言ってもいいかもしれない敗戦の翌日、友也はクレイドルシステムを横に見ながら盛大にため息をつく
その目の前に在るのは、先日の戦いで破壊された「愚者」。グラールハートのIC部門の技術者たちの手によって修復されるその様を、友也はどこか遠い目で見ていた
先日の敗北については、妹の紬には笑われ、父からは生暖かい慰めの言葉を送られ、母はただ心配していたという旨の話をされた
(いっそ、馬鹿にしてくれるとかすればいいのに……なんか、めっちゃ気を使われちゃったしな)
家族の対応に加えて、今朝学校へ行った自分を出迎えた級友達の反応を思い返した友也は先ほどよりも深いため息をついて自嘲気味に独白する
「……『黒星発進者』かぁ――ちょっとカッコイイのが悔しい」
「黒星発進者」は、先日の友也の敗北を報道したとあるマスコミのあおりに書かれていたものだ
アイドルクレイドルの歴史上初めて、エキシビションマッチでDOLLに敗北した唯一の「黒星」から始まった操者。皮肉と洒落がきいたその名は、今朝がたマスコミで取り上げられ、教室内でもすでに定着しつつあるほどに広まっていた
「ため息ばかりついていると、幸せが逃げますよ」
水の入ったボトルを差し出された友也は、落ち込んでいたために接近に気付かなかったその人物を見て視線を伏せる
「すみません。俺がふがいないばかりに、千歳さんにまで」
差し出された水を受け取った友也は、優しい声で自分を慰めてくれる千歳に謝罪する
先日の戦いで最も注目されていたのは間違いなく友也と愚者という初起動のIDOLAだったが、もう一つ世間が注目していたものがある
それが、「アイドルクレイドルを引退したかつてのトッププレイヤー――凛々島千歳が、サポーターとしてついた」ということ。
当然、友也の敗北を受けて世間では、「操者としてば一流だが、サポーターとしてはまだまだ未熟か!?」や、「やはりIDOLAに転向した判断は失敗だった」という論調も少なからず踊っていた
「気にしないでください。私達はパートナーなんですから。勝利も敗北も等しく二人のものです。次は勝てばいいだけのことですよ」
満面の笑みを浮かべ、自分に付いた汚名など気にした様子もなく励ましの言葉をかけてくれる千歳に、友也は感極まって頭を下げる
「ありがとうございます」
千歳のようなトッププレイヤーにパートナーと言ってもらえることが誇らしく、その言葉に答えたいという思いを改めて噛みしめながら千歳の横顔を見ていた友也は、思わず声を漏らしていた
「あの」
「はい」
その声に千歳が視線を向けてくるのを見た友也は、ばつが悪そうな表情を浮かべて自分の口から出た言葉をなかったことにしようとするかのように視線を逸らす
「……やっぱいいです」
単なる好奇心と不注意から出てしまった言葉を取り消そうとそう言った友也の言葉を聞いた千歳は、姿勢を正すと優しい声で語りかける
「遠慮せず、なんでも聞いてください。私達はパートナーなんですから、互いに遠慮し合っていては、いい絆を作れませんよ」
まるで自分の心の奥底に語り掛けているかのような口調で語りかけてきた千歳に、友也は一瞬だけ逡巡する
「じゃあ、失礼だとは思うんですけど――」
意を決して顔を上げた友也は、千歳を見てずっと抱いてきた疑問を訊ねる
「千歳さんは、どうしてIDOLAクラスに来たんですか?」
そう言った後で、それだけでは言葉が足りず、千歳が気分を害してしまうかもしれないと思い至った友也は、慌てて付け足すように自身の問いかけの意図を述べる
「あ、いや。DOLLのトップ操者だったのにもったいないなって……俺も友達も応援してたし、ファンだったから」
友也の言う通り、「凛々島千歳」と言えば、アイドルクレイドルに於いて上位に位置する操者だった
容姿端麗才色兼備。操者としても一流だった千歳は、男女問わず多くのファンがいる。IDOLAに転向せずともDOLLの世界では、まだまだステージの上で光を浴び続ける主役でいられたはずだ
にも関わらず、自身の父が経営するエクエススペードから脱退し、グラールハートに移籍し、さらに裏方になった理由が友也にはいまいち判然としなかった
「夢だったからです」
友也の問いかけに、その意図を正しく理解した千歳は、おそらく多くの人が抱くであろうその質問に納得したように息をついて、その理由を答える
「……!」
「友也さんなら知っているかもしれませんが、亡くなった私の母もIDOLAの操者でした。幼い頃、母がアイドルクレイドルの世界で戦う姿に強く憧れた私は、私もその場に立ちたいと心に誓ったのです――残念ながら、私には運命と通じ合う才能がありませんでしたが」
遠く懐かしい過去を思い出しながら苦笑混じりに言った千歳の笑みに、友也は小さく目を瞠る
いかにクレイドルシステムによって高い安全性が確保されているとはいえ、DOLLやIDOLAを操る人間の方は、時間や病、事故と言った様々な要因によって命を落とす儚い生き物
千歳の母もかつてIDOLAの世界で華々しく活躍しており、その姿を見て憧れたからこそ千歳は、その世界を目指したのだ。不運なことに、千歳には母と違ってIDOLAを操る才能はなかったのだが。
だが友也が目を瞠ったのは、千歳の過去を知ったからではない。そもそもアイドルクレイドルのファンである友也からすれば、千歳の母がIDOLA操者だったことなど、常識に近い情報だ
だからこそ、友也が何よりも驚いたのはそんなことではなく、千歳が自分と同じ――「IDOLAの世界に関わりたい」という同じ夢を持っていたことだった
「多くの人は言います。私には、IDOLAを動かす才能はないけれど、DOLLをそれなりにうまく使える。アイドルクレイドルでも、アイドルでも成功できるはずだって」
おそらく何度も言われてきたことなのだろう。どこか自嘲じみた笑みを浮かべた千歳は、粛々とした口調で言う
「でも、私はそれでも夢を諦めたくなかったんです」
それは、持たざる者からすれば贅沢な悩みだと映るだろう。だが、自分の夢をかなえるために、すでに手に入れた栄光を手放すのにどれだけの覚悟がいるのかなど想像に難くない
無難な道を選べば、富も名声もそれなりに手に入れられただろう。だが、あえてそれを捨て、日影でありながら自分の夢を追い続けることがどれほど困難なことか、友也には想像もつかない
「凄いんですね……」
(俺が千歳さんと同じだったら、それでもこうしてIDOLAの夢を追ってられたのかな……?)
自分にはたまたまIDOLAを動かす才能があった。だが、もし千歳のようにIDOLAを動かす才能がなく、何らかの道で人並み以上の成功を収めていたなら、千歳のようにそれでも夢を追い続けることができただろうか――友也は、そんな問いかけを自分自身の心の中でする
「友也さんは、どうしてタロット――アルカナの№0が『愚者』なのか考えたことはありますか?」
心から感嘆する友也の視線を注がれた千歳は、それが気恥ずかしかったのか、不意に自分から話題を切り出す
「え? あ……なんでだろ?」
これまで考えもしなかったことを訊ねられた友也は、視線を斜め上に向けながら思案を巡らせる
「あくまで私見ですが、それは愚者こそがあらゆる可能性を実現させるからなのではないかと思います」
その友也の反応を見た千歳は、優しく微笑んで自分の考えを伝える
実際、なぜタロットの0が「愚者」なのか、ということに対する答えを千歳は持っていない
――否。正確には、学術的な意味での話はいくつか知識の隅にあるが、そんなことを話すためにこの話を切り出したわけではなかった
「例えは、天動説が信じられていたころ地動説を唱えたコペルニクスは、世界から見て愚者だったでしょう。あるいは、生物の進化論を唱えたダーウィンも、そして飛行機で空を飛んだライト兄弟もそう。
いつだって、歴史を変えてきたのは、その時の世界の大勢に対して迎合せず、自分の信念を貫いた者達だったのです」
一つ一つ言葉を選びながら、友也を見据える千歳はまるで自分にも言い聞かせようとしているかのように語っていく
千歳の澄んだ声は心地よく、紡がれる声音はまるで一つの旋律のように耳から頭に、そして心に流れ込んでくるような感覚があった
「ただ賢いだけの者には、なにも変えられない。世界を変えられるのは、自分を実直に信じた〝愚者〟だけなのではないでしょうか?」
その表情を凛と引き締め、その優しげな美貌の中に強い決意を宿した千歳は、友也に問いかけるようにして己の考えを伝える
「世の中はこういうものだ」といって諦めることは誰にでもできる。そして、事実多くの人がそうやって生きているのだろう
誰もが夢で腹が膨れないことを知っている。誰もが憧れているだけでは現実が変わらないことを痛感している。だが、できないことをできないと決めつけ、やらなければ絶対になにもできない
そして、人類の歴史を変えてきたのは、そんな人達だったはずだ。多くの人が諦めてしまったことを信じ、それを叶えるためにその命を輝かせたものだけが、常識という壁を打ち破って奇跡を実現させてきた
そういう人達がいたからこそ、今日の人類の発展があるのだ
「まあ、それも博打のようなものです。当然成功するより失敗する確率の方が高いのは間違いないでしょう。でも、やらなければ何も変わらない」
可能性に賭ける。そう言ってしまえば聞こえはいいが、その分はたいていの場合かなり悪い。
そんなことは千歳自身も分かっている。人ができないということ、できると信じ貫くというのは容易ではない。並々ならぬ覚悟が必要なのだ
「とても傲慢な話かもしれませんが、私は一度きりの人生で無難な生き方をするより、愚かに自分の夢を叶えてみたかったのです」
世の中には夢を諦めてしまった人が多くいる。かなえられなかった人など数えきれないほどいる。自分が捨てたものが欲しくてたまらず、それでも手に入らなかった人も少なからずいるだろう
そういう人たちからすれば、今の自分はとても贅沢で、もったいないことをした「愚かな人物」と映るかもしれない。だがそれでも、千歳は自分の心の中で一際強く輝く夢を叶えたかったのだ
「……」
それを聞いていた友也は、照れているような、自嘲しているような笑みでそう言った千歳の笑顔から目を離せなくなっていた
自分もアイドルクレイドルで戦いたいという夢を以っていた友也だからこそ、自分が勝ち取った全てを犠牲にしてでもただ一途に一つの夢を追い続ける千歳の素晴らしさが分かる
決して本意ではない形で叶っているだろう夢の中に身を置いていながら、千歳のその姿はまるで輝いているかのようにさえ思えるものだった
「私は、あなたがいなければこの夢の世界にいられません。とても感謝しています」
「そんな……」
目も眩むほどに眩しい夢色の光を帯びた笑みで語りかけられた友也は、無意識に自分と千歳の姿を比較して、劣等感を覚えてしまう
「友也さんはどうですか?」
「え?」
しかし、そんな一瞬の翳りさえ許さないとばかりに続けられた千歳の言葉に、友也は俯きかけていた顔を上げる
「夢はありますか?」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情で目を丸くしている友也の視線を受けた千歳は、己の幸せをかみしめるように目を細め、その手を自分の胸に当てる
「私は、あなたに夢に連れてきてもらいました。でも、夢が叶ったらそれで終わりではありません。叶った夢にはその先があります……だから、二人で一緒に夢を叶えましょう?」
自分の心に触れるように胸に手を当てた千歳は、握手を求めるようにその手を友也へと差し出す
IDOLAに選ばれ、IDOLAに携わり、アイドルクレイドルへと参加したことで友也と千歳の夢は叶った
だが、これで終わりではない。夢が叶ったからと満足して終わるつもりはない。新しい夢がある――友也へと差し出された千歳の手は、そんな思いを言葉よりも雄弁に語っていた
「次は、二人でアイドルクレイドルの頂点へ行きましょう」
「……!」
その言葉に、友也は目を瞠る
アイドルクレイドルは、一年一期の開催期間を終えるごとに優勝とMVPが決まる。
「エクエススペード」、「ペザントクローバー」、「カレンシーダイヤ」、「グラールハート」の四社で順位がつけられ、更に勝敗、人気など、様々な部門ごとに非公式なものまで含めていくつものMVPが存在する
現在は、アイドルクレイドル――アルカナコーポレーションが定める公式的なものは「エクエススペード」が独占している状態にあり、特にグラールハートはそこから遠いというのが現状だった
自分達で頂点を取ろう――四つの会社、数えきれないほどのライバルたちを押しのけてその頂に立とうと求められた友也は、千歳の瞳と声が抱く輝きにつられるように、その手を伸ばす
「……はい」
半ば無意識に差し出した手で千歳と握手を交わした友也は、不思議とその夢を叶えたいと心から思っていた