運命の初陣
そして、月日は瞬く間に流れ――初夏の気配が近づいてきた日曜日、ついに友也が初めて試合を行う日がやってきた
友也にとってエキシビションマッチであり、同時にデビュー戦でもある戦いが行われるのは、都内に設けられた巨大なドーム――そこは、アルカナコーポレーションが管理する、アイドルクレイドル専用の戦闘会場だ
クレイドルシステムを用いるため、人間に対する危険性が限りなく少ないアイドルクレイドルでは、実際の武器を使用する。この会場は、そんな兵器とも呼ぶべきDOLLやIDOLAの力でも容易に破壊できないように作られた〝戦場〟だ
「ついに、ここに来たんだ……!」
千歳、彩音と共に会場へ車に乗ってやって来た友也は、目の前に佇む巨大な戦場を前にして期待に胸を膨らませ、歓喜に打ち震える
「さぁ、行きましょう」
そんな友也の様子に、遠い昔の自分の姿を重ねたのか、温かい眼差しを送っていた千歳は、その背を押すように声をかける
「はい」
千歳の声に応じた友也は、彩音を加えた三人で伴だって、客とは違うスタッフ専用の入り口からドームの中へと入っていく
「待っていたわ」
「……!」
ドームへと入り、スタッフオンリーとなる専用の通路を通ってあらかじめ用意されている控室へと向かっていた友也達の前に、一人の女性が立ちはだかる
肩にかかるほどの長さで整えられたやや赤みの強い、ウェーブがかった茶色の髪。切れ長の目は、そこに抱く瞳が宿す光がその意思の強さを見るものに訴えかけてくるかのよう
千歳よりも先輩で背が高いその女性の細く引き締まった身体は、出るところが出ており、女として培ってきた経験が色香という甘味になって凝縮された果実のようだった
ただ艶めかしいというだけではなく、強く気高い凛々しさを感じさせるその存在感と立ち振る舞いを見せるその女性の事を知らない者は、この場には誰一人としていない
「……渡辺さん」
「久しぶりね。凛々島さん」
その女性――「渡辺悠里」の姿を見止めた千歳がその名を呼ぶと、今日の友也の対戦相手でもある美女は、穏やかさの中に好戦的な意志を込めた瞳と笑みで答える
渡辺悠里は、千歳が現役の選手だったころに何度も相対した好敵手。千歳自身はどうか分からないが、悠里の方は少なくとも敵――好敵手として意識しているのであろうことがそのやり取りから伝わってくる
「あなたと直接は戦えないけれど、あなたがサポーターにつく彼と最初に戦えることを光栄に思うわ」
「今日はよろしくお願いします」
千歳を強く意識している悠里の視線が自分に向けられたのを見て取った友也は、慌てて頭を下げて挨拶する
「こちらこそ、あなたの胸をお借りさせていただきます」
それに続いて千歳が当たり障りのない言葉と共に一礼するのを見た悠里は、その目をわずかに険しくして言う
「このエキシビションマッチは、今まで何度も行われてきたけど、DOLLがIDOLAに勝ったことは一度もない。でもね、だからって負けてあげるつもりはないから」
一見すると煽っているようにも聞こえるその攻撃的な口調は、悠里が千歳を内心でライバルとして認めているからこそのものなのだろうと友也は考えていた
IDOLAは全二十二機しか存在せず、その全ての機体が操者を以って稼働しているわけではない。そのため、厳密には別れていてもIDOLAはDOLLと同じカテゴリーでアイドルクレイドルを戦うことになる
しかし、セフィラム鉱石によって神秘の力を得るIDOLAは、DOLLよりはるかに優れた力を持っているため、結果的にそれが戦果として如実に表れてしまう
事実、IDOLAがこの世界に現れてからこれまで、こういった対戦形式の試合に於いてIDOLAがDOLLに敗北したことは一度もなかった
「当然です。お互いにベストを尽くしましょう」
おそらく、この戦いを見に来る人の全員が友也の――IDOLAが勝つと思っていることを自覚していながら、悠里は微塵も臆することもせず、充実した戦意に満ちていた
その姿に嫌味などではなく純粋に敬意を抱く千歳は、悠里から差し出された手を取って硬く握手を交わす
(俺だって、憧れの舞台に来たんだ。今日まで愚者を乗りこなす訓練もしてきたし、渡辺さんにだって、勝ってみせる……!)
かつての好敵手同士が硬く握手を交わすのを見ている友也は、心の中で今日までの訓練を思い返して決意を新たにするのだった
『さあ、皆さま。ついにこの日がやってまいりました。新たに目覚めたアルカナ――№0「愚者」とその操者「括野友也」のデビュー戦!
これまで、一度たりとも起動したことのない「愚者」の力はどれほどのものなのか!? アイドルクレイドルの舞台に新たな戦士を迎え入れる前哨戦です』
試合の時間が訪れると、これから始まる戦いを盛り上げるためのアナウンスが会場に響く
アルカナと呼ばれるIDOLAは全部で二十二体。しかし、操者が選ばれるというその特異な特性上、常にその全ての機体が稼働しているわけではない
また操るのが人間である以上、老いや病、あるいは不幸な事故などでICを引退し、IDOLAの操者が離れることもある
操者がいなくなっても、新たな操者を見つけて稼働する機体もあれば、今まで誰一人として起動できなかったIDOLAがあることもまた事実。そして、友也が駆る「愚者」という機体も、これまで一度も持ち主を選んだことがない機体。それが現れるとなれば世間がそれに期待するのも当然と言ったところだろう
『さらに本日は、特別ゲストとして解説にアルカナコーポレーション総帥「オウル・アインツソウル」氏をお招きしております。よろしくお願いします』
『よろしく』
明るい声音で自己紹介をしたリポーターの女性に声をかけられた老人――「オウル・アインツソウル」は軽く目礼する
全てのIDOLAを開発し、アイドルクレイドルを主催するアルカナコーポレーションの総帥。それほどの人物が解説としてテレビに出ているのは、間違いなく友也――アルカナ№0「愚者」のためであることは一目瞭然だった
『では、早速始めましょう! まず始めに赤コーナーから登場するのは、ペザントクローバー所属! 渡辺悠里選手と、その機体コールドフレアッ!』
その声に従い、中央に設置されたリングに、渡辺悠里とその機体であるコールドフレアが姿を現す
知られている通りの重装甲の機体。頑強な装甲に、一撃必殺を信条とした大破壊力の近接装備を備えたその姿は、重騎士という印象が強い
「そして青コーナーから登場するのは、今日がアイドルクレイドルデビューとなる新人。二十二体のアルカナに選ばれた少年――「括野友也」選手!」
そして、その言葉を合図に名前を知られた人気操者である悠里のそれを遥かに上回る歓声が会場内を包み込む
「――っ」
そんな会場の歓声を全身に浴びながら姿を見せた友也は、どこが動きがぎこちなく、傍目にも緊張しているのが一目瞭然だった
『そして、これが世界初お目見えとなる運命の機体! №0を冠するアルカナの第一「愚者」だーッ!!』
そして、解説の女性が声を張り上げると同時、ついに全世界の人々の前に愚者がその姿を現す
白を基調としたボディに、それを際立たせる黒のラインやアクセント、そして巨大な角を備えたその姿は簡素でありながら洗練されたデザインと言えるだろう
これまで一度も起動したことがなく、開発されてから長らくアルカナコーポレーションで眠っていたその機体を目の当たりにした観客たちは熱気に満ちた眼差しを愚者へと注いでいた
基本装備を持たない「愚者」が今回対コールドフレア用にしてきた装備は、重攻撃を防ぐための盾と、翼のような形状を下高機動バックパック、そして遠距離攻撃用の大砲に巨大な剣だった
『さあ、未だ誰も見たことない愚者の力はどれほどのものなのか!? 全世界が固唾を呑んで見守っております!』
『友也さん。落ち着いて、機体にだけ意識を集中してください』
解説者の声を横目に、クレイドルシステムと同調し、自身の五感を愚者とリンクさせた友也の耳に、オペレートを担当する千歳の鈴やかな声が届く
「はい」
逸っていた高鳴りを呼吸と共に抑え、愚者という機体が得ている全ての情報を自分のものと一体化させた友也は、目の前にいるコールドフレアだけに意識を集中させていく
『作戦は事前にお伝えした通り。高機動を活かして動き回りながら、遠距離で装甲を削りながら、隙があれば近距離で関節を狙います』
「はい!」
幸いにともいうべきか、友也は操者として癖のない素人。そして愚者は特に秀でた性能や操作性以外に癖のある機能を持たない汎用にして万能の機体だ
そこから導き出される愚者の戦闘スタイルは、敵に合わせて装備を変えること。
そして近接戦闘に重きを置いた重装甲のコールドフレアを攻略するために、千歳が考えた作戦は、最も無難な遠距離からの攻撃を主体としたものだった
『さぁ、準備はよろしいですね?』
確認の意味を込めて訊ねた解説の女性は、目の前に置かれたマイクに誰もが知っているアイドルクレイドル開戦の言葉を注ぎ込む
『アイドルクレイドルゥ~』
その声に会場の観客、テレビ越しに見ている世界中の人、そして戦いを見守る関係者と操者達が息を呑み、意識を研ぎ澄ませていく
『FLAG・UP!』
一瞬の静寂を破り、放たれたその言葉と共に機体の前に設置されたラインが開き、二体の機体が会場へと突き進んでいく
(いくぞ……!)
愚者と一体となった友也は、自分が戦場にいるのと変わらない感覚の中、相対する重装甲の騎士へと向かっていった
※※※
『え、っと……』
あれほど熱気に包まれていたアイドルクレイドルの会場は、驚くほどの静寂に包まれていた
『こ、これは史上初の事態が起こりました』
その原因は一目瞭然。戦いが繰り広げられる中央の会場に横たわる壊れた愚者と、その前に佇む重装甲の騎士を思わせる機体だ
『しょ、勝者、渡辺悠里選手』
自身の動揺を鎮めるようにマイクに向けて、その予想外の信じ難い事実を述べた女性司会者の隣で、解説者のオウルはその表情を変えることなくその結果を見つめていた
『えっと……どういうことなのでしょうか? 括野選手は運命権能も使わなかったように見えましたが』
言葉を選んでいるのか、あまりの事態に言葉がでてこないのか――いずれにしろ、その困惑がありありと伝わってくる声で実況の女性の声が静寂に包まれた会場に虚しく響く
これまでこのエキシビションマッチに於いて、IDOLAがDOLLに敗れたことはなかった
それ以外でも機体の能力そのものが優れているIDOLAがDOLLに負けたことなどほとんどない。事前に対策に対策を重ね、数多の運に恵まれればそういうこともある――それが、IDOLAとDOLLの差だった
この戦いを見るほぼすべての人がその結果を予想していたはずであり、この戦いを見る人たちが何よりも興味があったのは、愚者という機体の力だったはずだ
だが、それが覆された。――それも、完全な敗北という形で
まさにそれは、誰もが予期しなかった出来事。だからこその困惑と混乱が会場を満たしているのも必然だといえるだろう
『愚者という機体は、アルカナの中でも極めて癖が強く、操者の操作をまともに受けないほど操縦が困難な機体だ。彼は操者の資格をとって間もないというし、思っていた以上に機体が付いてこなかったのだろう』
そんな会場の混乱をよそに、ただ一人目の前で起きた事態を正確に把握しているオウルは、居たたまれなさそうに呆然としている友也を画面越しに一瞥して淡々とした声で言う
『な、なるほど』
愚者という機体を作り、その力を知っているオウルの説明を受けた司会者の女性は一定の理解を示し、混乱の海から脱却して頷く
『あの機体は、道化だ。気まぐれで自分勝手で操者に操られながら、まるで全く別のものに括られているかのように動く――だがその反面、一度その真の力が発動されれば、二十二の運命の中でもとびぬけた力を発揮する』
『はぁ……』
オウルの言葉を聞いた女性司会者は、半信半疑と言った様子で気の抜けた声を返す
その本心はどちらかと言えば、オウルの言葉を信じていないようではあったが、そこはやはりプロ。そんなことはおくびにも出さずに、その職務を全うしようとする姿勢は純粋で素晴らしいものだった
『しかし、こんな機体だからこそ、我らとしては価値がある』
『と、仰いますと?』
会場の様子を見ながら口端を吊り上げたオウルの言葉に、女性司会者が小首を傾げる
『勝敗が読めない機体なら、賭けが楽しくなるだろう?』
意地の悪い好々爺とした笑みを浮かべたオウルは、そう言って破損した愚者がグラールハートのチームによって回収されるのを見送っていた
絶対数が少ないため、IDOLAはDOLLと同じ枠で稼働する。だが、IDOLAの力は絶対。普通に戦えば九分九厘勝利してしまう
アイドルクレイドルは、スポンサーからの資金提供なども受けているが、賭け事としての一面も兼ね備えている
さほど頻繁にIDOLA対IDOLAができない以上、どうしてもDOLLと戦わなければならないのだが、価値の分かっている戦いなど、賭け事としてつまらない
だが愚者は違う。DOLLと真正面から戦っても負けるほど弱く、しかしその真の力が発揮されれば、他の運命を退けるほどの力を持つ。――これほど読めない運命ならば、緊迫した面白い戦いを演出できるとオウルは考えているのだ
「随分、愚者を高く買ってくれているんだな。まあ、その方が我々としてもありがたいが」
その言葉を別室で聞いていたグラールハートのIC部門主任である安曇は、小さく笑って言う
初めてDOLLに負けたIDOLAとなれば、今後の活動で人気や評判が悪くなってしまうのを避けられないだろう
だが、オウルの言葉で悪印象の中にも、小さな希望が残ったのは僥倖とも言うべきことあ――それが、オウルの本心かどうかは別として。
「しかし、やはり友也君はまだ機体をものにできてはいなかったか……残念だ。せめて初戦は勝利で飾ってほしかったのだがな」
実際、これまでの戦績を考えれば、IDOLAである愚者が負けることはないと考えていた安曇は、自身の予想を裏切る結果に落胆を覚えながら、それを可能な限り面に出さないようにして言う
史上初の初戦敗北を喫した「愚者」の運命とそれを駆る友也に期待を抱きながら、安曇は画面を見る
「――それは、友也君に賭けてから仰ってください」
「なっ、なぜそれを……!?」
しかし、その言葉に投げかけられた彩音の冷ややかな言葉に、安曇は思わず表情を引き攣らせる
「い、いや待ってくれ! 私は友也君にも賭けたぞ!? ただ……そう、ただ念のために大穴の渡辺選手にも賭けていたというだけでだな……」
その言葉で、室内にいる全員から冷たい目を向けられた安曇は、自身の失態を誤魔化そうと必死で弁解する
アイドルクレイドルは賭博興行。その勝敗に金銭がかけられている。当然、IDOLAがDOLLに負けたことがないという事実から、そのオッズは友也と愚者に圧倒的に優勢
つまり、DOLLである悠里が勝てば、まさに一攫千金という状態だったのだ。そして安曇は、悠里の勝利にも投資していたのだ
「主任」
もはや弁解する余地もない事実を明るみに出されてしまった安曇は、彩音の冷ややかな視線に表情を凍てつかせる
「当選金で、私達をご飯に連れて行ってくださるなんて、素敵ですね。友也君も落ち込んでいるでしょうから、慰めてあげないといけませんし」
満面の笑みを浮かべながら、絶対零度の瞳を向けてくる彩音の言葉を聞いた安曇は、自分が獲得した賞金が失われるのを確信して力なく肩を落とした
「……はい」
「――『愚者〈フール〉』か」
一方その頃、その戦いをテレビで見ていた男は、頬杖をつきながら感情の籠らない無機質な視線を画面に送っていた
「っていうか、DOLL――しかも、この程度の相手に負ける様な奴を、お前が相手する必要があるとは思えないけどな」
それを一緒に見ていた褐色の肌を持つ男性は、大げさな態度で肩を竦めて隣にいる人物に声をかける
そこにいるのは、銀色にも似た灰色の髪に、切れ長の目を持つ二十代半ば程の青年。リプレイで流されている愚者とコールドフレアの戦闘を一切の感慨を持たない瞳で見る青年は、隣の褐色の男の言葉に一拍の間を置いて淡泊に答える
「社長の命令だからな」
簡素で簡潔なその言葉には、心からそれ以上の感情がこもっていない。それを受け取った褐色の肌の男が肩を竦めると、銀灰の髪を持つ青年はゆっくりと立ち上がり、テレビに映っている友也と愚者に背を向ける
「俺は、俺の仕事をするだけだ」