愚者
「アルカナコーポレーション」。――それは、かつてCSの研究機関の一つであり、セフィラム鉱石の研究が最初に行われた国際機関。
後に、セフィラム鉱石を用いてIDOLAを作り上げたその機関は、ICへと参入。それをきっかけとして、現在ではICの主催を執り行うまでに成長している
そして、そのAC本社は地球の衛星軌道上に作られている。
武器などの開発を行うに際し、非常事態でも容易に破棄、破壊することが可能になるため、現在ではある一定以上の危険性を伴う研究は宇宙に作られている施設で行われるのが一般的だ
特にIDOLAの力の源であるセフィラム鉱石は、昔宇宙空間で発見されているため、その探索と研究を行う施設を宇宙空間に作るのは、ある種の必然だった
そのAC本社の中。巨大な金属製のカプセルを、資材運搬用の軌道エレベーターに搬入していくのを、眼鏡をかけた女性が見守っていた
凛として毅然とした佇まい。一部の隙もないその姿は、まるで洗練された刃のようにも思える
「調子はどうだね?」
その声に視線を向けた女性は、精悍な顔立ちに、今日までの時間を皺として刻み込んだ白髪と髭が印象的な初老の男性の姿を見止めて一礼する
「総帥」
実年齢は相当なものであるはずなのにその腰は曲がっておらず、まるで衰えを若々しさと、人生の酸いも甘いも噛み分けてきた老熟した存在感を同時に纏っていた
その人物の名は「オウル・アインツソウル」。ACを総べる総帥であり、今となってはIDOLAの開発に関わった最後の生き残りでもある人物だ
「間もなく、『愚者』の搬送を開始いたします」
アルカナコーポレーション総帥――オウルは、厳かな声音と共に自身に向けた女性の視線に小さく頷く
「これでまた、新たな運命が目覚めたな」
※※※
「うわぁ、広……っ」
目の前に広がっている光景に、友也の口からは無意識の内に感嘆の声が零れていた
「ふふ……こっちですよ」
そんな友也の言葉に優しく微笑んだ千歳は、誘導のために少しだけ前へと歩を進める
グラールハートと契約を結んでから三日。
契約の時に言われた通り、約三日でACから「愚者」の機体が到着し、その報告を受けた友也と千歳は、学校の終わった夕方に、揃ってグラールハート本社を訪れていた
先日はグラールハートの本社ビルに入っただけだった友也だが、千歳に連れられて足を踏み入れたのは、その奥に広がる広大な敷地に建てられた「研究棟」とでも言うべき区画だった。
クレイドルシステムを用い、「DOLL」と呼ばれる機体を遠隔操作して戦うICでは、実際の兵器が用いられる
機体はあくまで人間が遠隔で操作している物であるため、それで危険がお呼びことが無く、また実際の兵器を用いることで、リアルで迫力のあるエキサイティングな戦闘を提供できる――それが、ICの醍醐味であり、人気の秘訣、そして一部の人間から否定的に受け入れられている要因だ
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。むしろ、友也さんにとっては、こちらの方にいることが多くなると思いますし」
実際の武器なども保管されているため、厳重な警備がされた区画に発効されたグラールハートの社員証を提示して入った友也の様子を見て千歳が微笑みかける
「は、はい」
緊張しないようにと、できるだけ自然な声音で語りかけた千歳だったが、その話術を以ってしても友也の緊張を解きほぐすことはできなかった
「あの、ドーム状の建物がICの訓練施設です。アルカナやDOLLの実戦訓練を行うことができるんですよ」
進行方向にある巨大なドーム状の建物を指して言う千歳と共に、友也は施設内を移動するたに用いられる移動用乗具――立ち乗りの二輪車を運転しながら応じる
グラールハートに限らず、ICの研究区画は広大な敷地面積を誇っているため、場内の移動には何かしらの乗り物を用いるのが基本だ
それは自転車であったり、友也達が乗っている立ち乗り式の二輪車であったり、時には車であったりする
「よく来てくれましたね」
そうして移動し、ドームに到着した友也と千歳を、IC部門の主任秘書である彩音が迎え入れる
「いえ」
「遅くなりました」
二人から、各々の言葉で挨拶を受けた彩音は、そっとその手で奥へ続く廊下を示して麗しく響く声音で語りかける
「こちらです」
彩音から見れば、友也も千歳も、年下で後輩。だが、その振る舞いはまるで会社の上司に対するもののような敬意にも似ていた
「一応試運転と、今後の対応を決めるためにも、これから友也さんには愚者を操縦していただきます」
「あ、はい」
彩音に連れられてドームの奥へと進む友也は、アルカナを動かすことができるという言葉に、緊張など押しのけてしまうような期待に胸を高鳴らせる
(俺、ついにIDOLAを――アルカナを動かすことができるんだ)
目の前に立ちはだかっていた重々しい金属の扉が開くと、その先に待っていた人物――安曇が友也の姿を見て口端を吊り上げる
扉の先に広がっていたのは、実践的なICを行うことができる訓練ルーム。国際規定と同じ大きさの会場を見下ろすことができるブリーフィングルームに立つ安曇は、友也を招き寄せると力強い声で語りかける
「やあ、よく来たてくれたね。これが――……」
安曇の言葉に、部屋にいた研究員らしき男性が機械のパネルを操作すると、実際のICと同じように、戦場の外に、柩に似た金属製の箱が出現する
その金属の柩の扉が開くと、柩の中から白い煙が吹き出し、その中で眠っていた機体が、会場を照らし出す照明の光の下に曝け出された
「これが……『愚者』!」
ICという人に見せることを前提とした競技に用いられるため、ある程度装飾にもこだわったその外観は、極めて基本的な人型。
白を基調とした機体は、額にある角、胸や肩といった体の一部に朱色で縁どられた黒い部分が見て取れる
タロットの愚者といえば道化師に例えられるが、その派手な印象とは裏腹に白と黒で統一された機体は、極めてシンプルなものだった
「そうだよ」
画面越しに映し出される白と黒の機体に見入っている友也の様子を見て、安曇はその口元を不敵に綻ばせる
「じゃあ乗ってみようか」
続けて発せられた安曇の言葉に、友也は画面の中の愚者を見つめて頷く
「……はい」
クレイドルシステムは、人の意識と機体を無線で直結させ、人間の意志で機械をまるで自身の身体のように動かすことができる
だがそのシステム上、人間の指令から、機体の動作まで、あるいは機体からの情報に対して人間が反応し対応するまでの時間的な誤差が生じてしまう
ICで用いられている卵形のクレイドルシステムは、その差が最も小さいものが採用され、より人間同士のそれに近い高速知覚戦闘が行われる
クレイドルシステムの操縦席に座った友也が、機体と感覚を直結させるヘッドセットを装着して電源を入れることがシステムの始まり。
ヘッドセットの電源が入ることでクレイドルシステムが起動し、正常に作動している証であるグリーンランプが灯ると、そのシステムに従って友也の意識は遠く離れた位置にある愚者へとつながる
『クレイドルシステム正常作動を確認しました』
友也がクレイドルシステムを起動させると、卵形の機械からその情報がオペレーターの許へと送られる
それを確認した彩音は、傍らでその様子を見守っている安曇に、厳かな凛々しい声で現在の軌道状況を報告していた
クレイドルシステムは、本来脳から身体へ送られる神経に仮想の神経を介入させ、まるで神経をインターセプトするように機械――機体と繋ぐシステム。
そうしてクレイドルシステムによって機体と繋がった人物は、まるで自分の身体が機体になったように、あるいは自身の脳が機体に組み込まれたように操作することができる
まさに人機一体。――それが、クレイドルシステムだ
『個人認証、仮想神経接続正常――愚者、起動します』
彩音の言葉と同時に、画面に映る愚者の金色の瞳が光を放ち、まるで命を吹き込まれたように輝く
『拘束解除』
彩音が眼前の画面を操作したのを合図に、柩の中に収められていた機体の拘束が外れ、愚者が解放される
機械でありながら軽やかに、そして機械らしく重厚に。人の心をもって動く鋼の躰が生物のように滑らかに動きながらゆっくりと前へ進んでいく
光に照らし出される黒いアクセントを持つ白い機体が、その黒い影を会場に落として佇む姿は、まるでスポットライトを浴びて華やかに振る舞うが、常にショーの裏方に徹する道化を彷彿とさせるものだった
「――……」
何歩か歩き、その手を軽く握ったり閉じたりしながら、調子を確かめるように軽く体を動かしている友也に、通信を介して安曇の声が届く
「調子はどうだい?」
「ええ。自分の身体みたいに動きやすいです」
その通信に、機体が顔を向けて答えるが、その声はクレイドルシステムの中にいる友也本人か発せられたものだ
アルカナを操っている友也の意志は一つ。しかしその意志は人間の身体と機体の両方に繋がっている
「そうかそれは良かった。じゃあ――」
通信越しに聞こえた友也の言葉に口端を吊り上げた安曇の言葉を合図に、反対側からも金属製の柩が出現する
「早速、練習と行こうか」
「!」
安曇の声を通信越しに聞く友也は、まるで自分の目で見ているかのように眼前に出現した金属製の柩が開くのを愚者の目で見ていた
ロックが外れる金属製の音の後に続き、その扉が圧縮された空気が解き放たれるような音共に開く
その中から現れたのは、抜身の刀のように研ぎ澄まされ、洗練されたボディを鋼の機体だった
「あれは、『ミセリコルダ』!?」
それを愚者の目を通して見た友也は、卵形の機械の中で驚愕の声をあげる
「ミセリコルダ」――慈悲の剣と同じ名を持つICプレイヤー「凛々島千歳」の愛機。テレビを通して何度も見てきたその姿は、抜身の刃のように美しく人の目を引き、命を奪う武器としての恐怖を同時に体現しているように思える
『凛々島さんには本来はあなたのオペレーターをお願いしているのだけれど、今日は愚者の試運転の対戦相手を務めてもらいます』
「!」
ヘッドセットの通信を介して届く彩音の言葉に友也が目を瞠ると、そこに千歳からの通信が介入してくる
『よろしくお願いしますね』
普段のように優しい声を聞いた友也は、これまでテレビで何度も見てきたあこがれの選手を前にして表情を引き締める
「……はい」
静かに佇むミセリコルダと、その意思となって自分を見据えている千歳の存在を幻視する友也は、高揚と緊張に強張る身体を一瞥し、無意識の内に口端を吊り上げていた
『とりあえず、装備はこれを使って頂戴』
その沈黙を了承と受け取った彩音が合図すると、会場に武器が入った小さなトレーラーが入ってくる
それを見た友也は、いくつかある武装の中から盾と剣、銃の三つを選択して愚者に装備させる
『では、二人ともいいかしら?』
愚者が装備を整えたのを確認し、通信越しに友也と千歳の二人に声をかけた彩音は、二人からの返事を聞くと雰囲気を出すためにICの対戦開始の合図を口にする
『じゃあ、始めるわよ。――FLAG UP!』
抑揚のない彩音の声によって戦闘の火蓋が切って落とされると同時に、千歳が駆るミセリコルダが地を蹴り、銀の閃光となって友也に向かう
「!」
(は、疾……ッ!)
ミセリコルダは、その兵装と機能を高速近接戦闘に特化させている。頭では分かっていたはずなのに、テレビでは何度も見ているはずなのに、実際に目の当たりにするその速さは友也の予想を遥かに超えていた
そんな友也を嘲笑うように、一瞬にして間合いを詰めたミセリコルダは、その手に装備された光の剣を振るう
日本刀のように、あるいはレイピアのように洗練された細い刃は、空気を斬り裂いて天空にその斬閃の軌跡を残す
「――ッ!」
間一髪、それを左腕に装備した盾が生み出す光の壁で遮った友也だったが、その激突によって生じた衝撃と火花に歯を食いしばる
「この……っ」
先手を取られた友也は、右手に持った銃をミセリコルダへ向けて引き金を引いて銃声を響かせる
光学兵器ではなく、実弾を発射する銃が火を噴き、空気を震わせる乾いた音が耳朶を叩く
しかし、音速を超えて放たれる銃弾は、刃のように細くなっている足で舞うように地面を滑るミセリコルダを捉えることはできなかった
「それにしても、変な機体ですね。固有武装がないなんて」
画面越しに友也と千歳――愚者とミセリコルダの戦闘を見る彩音は、その視線を安曇に向ける
相手に合わせた武器の装備はICの醍醐味ではあるが、通常のアルカナは、程度の差はあれど固有兵器――機体として初期から備えている武器――がある
例えば身体の部位に仕込まれた銃。あるいは装甲に仕込まれた刃、あるいは体の一部そのものがその役目を果たすものさえある。
ところが愚者にはそれがなかった。まるで素体のように武器など何一つ装備していないただの人型機械。
どんな武器でも使うことができるからなのか、あるいは戦うことを望まないのかその真意は分からない。しかし愚者はその初期装備が通常のアルカナとは違って存在していないのだ
「それが、愚者の特性なのかもしれないな」
彩音の言葉に答えた安曇は、そう言って武装を持って戦う愚者とミセリコルダの戦いを見ながら独白する
「さて、『運命権能』も見せてもらおうか」
同じ現代の技術で製造されている以上、IDOLAとDOLLの間に、明確な性能の差などは存在しない
だが、それでもアルカナと呼ばれるIDOLAがDOLLの上位互換として称されるのは、クレイドルシステムに搭載された『セフィラム』によって生み出される「運命権能」という特殊な力によるものだ
この地球上に存在しないセフィラムが、適性を持つ操者の意志を受けることで発現するその力は、現代の科学を超えた能力をこの世界に顕現させる
「――ッ」
(分かってたけど、千歳さんメチャメチャ強い……!)
愚者の視線を介して千歳の駆るミセリコルダの動きを見る友也は、風のように速いその動きと、大気を研ぎ澄ますような鋭い攻撃の中で歯を食いしばる
アルカナに選ばれたからと言って、DOLLの操者より操縦技能が優れているわけではない。
長年ICで戦い、国内に数百人、あるいは数千人もいる操者の中で、その名と力を知らしめて来た千歳の実力は、現在の友也を遥かに上回っていた
左腕に装備した盾でかろうじて防ぎながらも、愚者はミセリコルダによって徐々に追い詰められていく
よく言えば万能型、あるいは汎用型の愚者とは違い、速度を重点的にカスタマイズされたミセリコルダは、千歳の操縦によってその力を存分に揮っている
(い、一端距離を取って……)
このままでは、ミセリコルダの速度に翻弄されて徐々に削られていくだけだと考えた友也は、愚者に宿した思念で斬撃の舞撃から回避を図る
「うわっ!?」
しかしその瞬間、愚者の機体が瞬間的に加速し、まるで吹き飛ばされたように後方へと移動する
『……?』
移動というよりも、まるで突如極端に加速したように見受けられるそれを見た千歳は訝しげに眉をひそめた
その視線の先では、あまりの急加速に制御を失ったのか、背中を地面に擦りつけながら吹き飛んだ愚者が、友也の制御によって体勢を取り戻していた
「あれは」
地面を叩き、中空で一回転して体勢を整えた愚者の姿をモニター越しに見ていた彩音は、目の前の仮想ディスプレイに映る操作状態を見ながらその怜悧な目をさらに細める
「なんで……? わわっ!?」
神経によって機体を動かすクレイドルシステムで動くIDOLAは、操者の意思によって制御されている
そのため、スロットルの強さを間違えたり、レバーやスイッチの操作を誤るなどといった操作的ミスは起こり得るはずがない。にも拘わらず、まるで暴れ馬のように自分の制御を無視する愚者に、友也は困惑しながらも懸命に機体の制御を試みる
「これは……随分とピーキーな機体ですね」
目の前に表示されている友也のバイタルデータと、愚者のデータ、そしてこれまでの戦闘で蓄積された情報に目を配りながら、彩音は眉間に皺を寄せた険しい表情で呟く
もちろんそれはただの独り言ではなく、隣にいる自分達の主任――安曇に対して発せられているものだ
「確かに友也さんは免許を取って間もない。凛々島さんに比べれば操縦が多少拙いのも仕方がないことでしょう――ですが、これはそういう問題ではありませんね」
それが分かっている安曇は、隣で独り言のように言いながら状況を説明する彩音の言葉に無言で耳を傾ける
「操縦の状態を見ていても、ここまで急速に加速するような要因は見られません。おそらく、あの愚者という機体は、ある一点で能力が一気に飛躍していると思われます
それも、彼の操作とは無関係に。一度は急加速しなかった部分で、二度目はなぜか加速している――常に、スロットルの強さと機体の出力が一定ではない……」
データを見比べながら言う彩音は、自身でも信じ難いその事実を口にしながら、確信が得られない様子で安曇に視線を向ける
「整備不良でしょうか?」
愚者の戦闘データが物語るのは、友也の操者として経験値の低さだけでは説明できない機体の反応だった
IDOLAだろうがDOLLだろうが、あるいは他の機械だろうと、普通使う者が指定した以上の反応を行うことは無い
例えば、車ならアクセルを踏めば一定の速度で加速するし、それが変動することは無い。強く踏めばそれだけ早く加速し、ゆっくり踏めばそれに答えるように徐々に加速するものだ
だが、愚者という機体はそうではなかった。限りなく同じパフォーマンスを求めた操者の指示に対し、一度目と二度目で全く異なる出力を出しているのだ
友也が制御を失ったのも、友也自身が求めた離脱の速さに対して、愚者の機体がそれを超える速度を出して見せたことが原因であることを、目の前のデータが雄弁に物語っていた
その信じ難い情報を見れば、普通は彩音のように何らかの異常を疑うだろう。だが、安曇は画面の中で繰り広げられている愚者とミセリコルダの戦いに目を向けたまま、小さくその口端を吊り上げていた
「……いや、これこそが〝愚者〟なのさ」
「?」
確信を得ているかのような安曇の言葉に彩音は一瞬その柳眉をひそめるが、その思案が巡らせられる前に、視線を向けている直属の上司が追い打ちをかけるようにさらに言葉を続ける
「それよりも、常陸君。彼に運命権能を使うように指示を」
「はい」
安曇の言葉に凛とした声で応じた彩音は、画面に手を触れてクレイドルシステムの中にいる友也に通信を接続する
『友也君、そろそろ運命権能の発動を』
通信を介して聞こえてくる彩音の声を聞いた友也は、自分そのものとして戦っている愚者から伝わってくる映像と衝撃に耐えながら言う
「それが、ずっとやろうとしてるんですけど、うんともすんとも言わないんですよ」
運命権能は、アルカナ二十二体それぞれに備わった特殊機能。クレイドルシステムに備えられたセフィラム鉱石が、操者の意思を顕現させてIDOLAそのものから発現させる超常の力だ
通常のDOLLとIDOLAの決定的な能力差を作り出すその力は、クレイドルシステムと同化しているため、意識すればその力を発現できる――はずだった
「……どういうことでしょう?」
通信から返された友也の言葉を聞いた彩音は、訝しみながら意見を求めて安曇に視線を向ける
それを聞いた安曇は、彩音を一瞥もすることなく腕を組んで仁王立ちしたまま、画面の中に映し出されている愚者を見て口端を吊り上げる
「よほど、ひねくれた機体らしいな」
愉快気に言った安曇は、組んでいた腕をおもむろに解くと、通信を接続して重厚な声で言う
「凛々島君。悪いが、もう少し彼を――というよりは、愚者を追い詰めてみてくれるかい? どうやら、中々に寝起きの悪い機体らしい」
「了解しました」
通信越しに聞こえてきた安曇の言葉を聞いた千歳は、クレイドルシステムを介してミセリコルダの視界で見えている愚者を観察して友也へと通信を繋ぐ
『少し、攻撃のテンポを上げます。しっかりついてきてくださいね』
「ぅえ!?」
千歳からその通信が聞えた瞬間、友也は乱れた呼吸で声を上げる
クレイドルシステムに接続している今の友也は、その視覚、聴覚、触覚の全てが愚者のものに置き換わっている
まるで自分がその場にいるかのような戦闘は、迫力と共に実際に殺傷力を持つ武器を行使するDOLLと相対する恐怖と精神的な疲労をもたらすのだ
(なんで、こんなに動かし辛いんだよ……! 試験の時はもっと楽に動いたのに)
免許を取るときに動かした機体に比べて、遥かに操り辛い愚者に四苦八苦していた友也が内心で独り言ちる暇もなく、千歳が駆るミセリコルダがその速度を上げる
「――ッ!」
咄嗟に上げた手に叩き付けられたミセリコルダの刃のような腕から伝わってくる衝撃に、クレイドルシステムの中で友也は顔をしかめる
まるで鈍器で殴られたような鈍い衝撃が腕に奔り、まるで自分が戦場に立っているかのような錯覚が友也を襲う
「わ、わ、わ……ッ!」
圧倒的な速度で動きながら、舞うような動きで翻弄し、一撃を見舞って来るミセリコルダの猛攻に完全に翻弄された友也は、圧倒されるままにたたらを踏んで後退する
意識を直結させるクレイドルシステムを使用している友也には、愚者を介して自分のそれと寸分違わぬ迫力の世界が脳内に映し出されている
殺傷力を持つ武器を躊躇いなく振るう相手を前にすれば、自身に迫る「死」を強く認識させられ、恐怖も抱く
離れた安全な場所から操っているため、一見ゲームの延長線上にしか見えないが、「アイドルクレイドル」という戦いは、自身が武器を以って戦場で決闘するのとなんら変わらないのだ
『落ち着いてください。今愚者を動かしているのは、あなた自身です。あなたが焦って我を見失えば、愚者もまたその力を発揮できません』
通信を介して聞こえてくる千歳のアドバイスに、友也は懸命に愚者を制御しようと、意識を集中させる
「――っ」
今まさに自分を怒涛の勢いで責め立てている人物の言葉とは思えないが、操者として自分より経験も実力も上の千歳の言葉だからこそ、友也の心に素直に響いてくる
『うまく使おうとしてはいけません。DOLLもIDOLAも、ただの機械仕掛けのロボットではないのです。
今のあなたは、愚者そのもの。小手先ではなく、あなた自身が愚者になったつもりになってください』
微塵もその攻撃を緩めることなく責め立てながら、通信越しに届く千歳の叱咤激励の声に、友也は歯噛みして懸命に愚者を操る
クレイドルシステムは、人と機械の神経を繋げ、生物と無機物の身体を等しいものとして繋ぐ技術
DOLLもIDOLAも同じ。それは、操るものでも、使うものでもない。人が機械の身体を、そして機械の身体が人の心を得るのだ
(――んなこと言われても、そんなに速く動かれたら、手も足も出ないんですけど!?)
盾を出せばそれを弾かれ、後退すれば基礎移動力で上回っているミセリコルダが瞬く間に肉薄してくる
「く……ッ」
『愚者を――そして、自分を信じてください』
(自分を、信じる……!)
容赦なく撃ち込まれてくる怒涛の攻撃を、愚者を介して感じ取る友也は、凛とした千歳の声に、心の中で懸命にその言葉を反芻する
(来い! 来い……)
愚者と繋がった今の友也には、その内に眠る力が自分のそれとして感じられている。愚者が装備している兵装を使うように、セフィラム鉱石の核が抱く力が手の届くものとして認識されているのだ
自分を信じるなどと言われても具体的にどうすればいいのか分からない。だから友也は、自分の内側に在る――愚者の中に眠っているその運命の力に懸命に訴えかける
手が届いているのに手に入らない。触れることができているのに繋がることができないその力に、自分の心が届くように、クレイドルシステムによって繋がった意識の中で混迷に中で叫ぶ
(――来い!)
瞬間、何かが脈打つような感覚が奔り、そして友也の意識の中にクレイドルシステムを介して愚者が宿す力の胎動が伝わってくる
『!』
その変化は、愚者と相対するミセリコルダを駆る千歳にも伝わっていた
目の前にいる愚者から心臓の鼓動のように脈打つ力が発せられた瞬間、その身体から煌めく光が噴き出して、その背に天輪と翼を生み出す
『これは……!!』
白を基調にした愚者が、色鮮やかな極彩色の光の天輪と翼を背負い、煌めく光をその身体に纏ったのを見た千歳は、思わず息を呑む
「あれは……運命権能!?」
同じように、モニター越しにその姿を見ていた安曇や彩音――グラールハートのIC部門に属する者達が、それを食い入るように見つめていた
(これが、お前と俺の力……)
極彩色の翼を顕現させた愚者と意識を繋げる友也は、そこから伝わってくる力に、胸を高鳴らせていた
クレイドルシステムによって繋がっているからこそ分かる、自分と愚者が一体となった感覚。そして、それを介して伝わってくる運命の力は、自分一人でも愚者一機でも成しえない二人の力なのだと分かる
「……行きます」
思わず声を上げてしまいそうな歓喜を抑制した声に押し込めた友也は、抑えきれない昂りに口端を吊り上げて宣言する
『――ッ』
運命権能を発現させたIDOLAの力は、DOLLを遥かに凌駕する。それが分かっているからこそ、自身の経験と才能の優位性を棄て、全ての感覚を最大限に引き上げて警戒していた千歳は、しかし次の瞬間目を瞠っていた
(いつの間に!?)
先程まであった愚者との距離が一瞬にして詰められ、自分へと向けて伸ばされるその手が眼前に迫っていたのだ
「く……ッ」
それを見て千歳がミセリコルダを全速力で加速させた瞬間、クレイドルシステムを介して、機体が愚者に捕まった感覚が伝わってくる
距離を取ろうとしたにも関わらず、まるでそれをあざ笑うかのように接触してきた愚者の手は、ミセリコルダの装甲を剥ぎ取り、気付いた時には錐揉み回転させながら、ステージ上を転がらせていた
「そこまで」
ミセリコルダの視界を介して、三百六十度不規則に回転しながら地面を転がる感覚に支配されていた千歳が体勢を持ち直したところで、その耳に戦いを終える彩音の声が届く
「――……」
その声に戦意を解いた千歳は、クレイドルシステムとのリンクを切断すると、卵型の操作席から外へ出る
クレイドルシステムから離れ、DOLLの目ではなく自分の目で戦場を見た千歳は、その目をわずかに細めて息を呑む
(これが、IDOLA……)
そこから見える会場にあるミセリコルダ――先程まで自分自身であった機体は、その肩口が抉られたように破損していた
(愚者は、万能汎用型。バランスがいい代わりに、特に秀でた能力はない。機体性能の上では、ミセリコルダの方が機動力で勝っていたはずなのに、最後のあの動きを避けることができなかった……)
事前に愚者の性能を見ている千歳は、機動力で勝るはずのミセリコルダが、先程の攻防で成す術もなく捉えられた事実に内心で戦慄する
決して油断したわけでもなく、まして操作を誤ったなどということは無い。だが、機体性能で劣るはずの愚者があの瞬間でその差を埋め、さらには凌駕してみせた
機械で作られている以上、その性能以上の能力を出すことなどできるはずはない。だが愚者はそれを実際にやってのけた――その常識では考えられない力に恐怖すると同時に、千歳は、これこそが自分が求めていたIDOLAなのだと強く実感していた
「ご苦労様。メンテ班、愚者とミセリコルダの修理をお願い。操者の二人は休憩よ」
彩音の声で待機していたメンテ班が動きを止めている二機の許へと駆け寄っていくのをクレイドルシステムの傍らで見ていた友也は、初めてIDOLAを操った精神的、肉体的疲労から大きく息をついて腰を下ろす
「はい」
その時、反対側のクレイドルシステムからやってきた千歳が水の入ったペットボトルを差し出すと、友也はそれを少し照れながら受け取る
「ありがとうございます」
蓋を開けてその中身を半分ほど一気に飲み干した友也は、身体の疲労を吐き出すように大きく息を吐いて千歳を見る
「やっぱ千歳さんは凄いですね。俺なんて、もうバテバテなのに」
「初めてにしては上出来だったと思います」
これまでプロの世界で活動していた経験値もあるのだろうが、全く疲労した様子を見せない千歳に、たった数分間の戦闘で心身ともに大きく疲弊してしまった友也は、その差を実感しながら言う
「けど、俺全然うまく扱えなかった」
千歳のフォローを聞きながらも、先程の模擬戦でうまく愚者の機体を制御できなかったことを思い返した友也は、自己嫌悪気味に息を衝く
「いや、それがこの機体の特性なんだ」
「……主任」
その時、まるでタイミングを見計らっていたかのように彩音を伴って訪れた安曇が、友也に答える
「特性?」
その言葉に訝しげに眉をひそめた友也に、安曇は一つ頷いてから話を続ける
「IDOLAは、全二十二体。そして、その機体にはタロットの大アルカナにちなんだ名称が与えられている。
そしてそれは飾りではない。それぞれのIDOLAは、その機体に与えられたアルカナにちなんだ外見や性質を強く反映した性能を持っているんだ」
IDOLAはタロットの大アルカナをモチーフにしている。その二十二の機体は、アルカナにちなんだ外見と性能、運命権能を有しているのだが、その性質がなぜか、機体の操作性に反映されるという特性がある。
アルカナがあるから、セフィラム鉱石がそれに反応しているのか、セフィラム鉱石の特性がIDOLAの力になっているのかは判然としない。いずれにしても、鶏が先か卵が先かという話でしかないが
ただ一つ言えることは、IDOLAという機体はDOLLと同じ技術手作られていながら、まるで生き物のような非機械的特性を有しているということだけだ
「そして、この愚者という機体は、全てのアルカナの中で最も癖が強く、操縦が難しい機体でもある」
前もってその事実を友也に告げた安曇は、それに息を呑んだ愚者の操者たる少年に、自身が手に入れた力についての説明を述べる
「なぜなら、愚者は道化に例えられるからだ。この機体は、常にスロットル――つまり、君が求めた機体パフォーマンスに対して、常に同じパフォーマンスを返してはくれない
道化がわざと失敗して観衆の笑いを誘うように、その機体は常にその出力を変化させるということだ」
「それは、厄介ですね」
安曇の言葉を聞いた千歳は、神妙な面持ちで考え込むようにその柳眉を顰める
安曇の言葉を信じるならば、愚者という機体は操っている者が求めているパフォーマンスを、機体自身の気まぐれで無視するということ。
これから友也とパートナーを組み、アイドルクレイドルの世界で戦っていこうと考えている千歳にとって、操者の思い通りになりにくいという特性は厄介なことこの上ないのは明白だ
「まあ、少々じゃじゃ馬な機体ではあるが、それを乗りこなすのは君の腕の見せ所という訳だ」
愚者という機体の難しさを介しながら友也を見据えた安曇は、力強い口調で語りかける
アルカナの事は操作できない者にはどうしようもない。IDOLAを操り、運命を従えるのは、あくまでその機体に選ばれた操者だけなのだ
「お言葉ですが主任、『君の』ではありません。『君達の』です」
その安曇の言葉を遮った千歳は、凛とした声でその意思を告げる
これから共に愚者を駆って戦っていくパートナーとしての自覚と誇りに満ちた千歳の言葉を聞いた安曇は、その眼差しに宿る強い光にわずかに皺が目立ち始めたその目元を綻ばせる
「そうだね」
友也と千歳に微笑んで見せた安曇が視線を向けると、それを受けた彩音は小さく頷いて持っていた電子タブレットを操作する
「では、二人には今後の予定を簡単に説明します。近い内に愚者のお披露目を兼ねたエキシビションマッチを執り行いますので、調整を怠らないようにしてください」
「はい」
彩音の言葉に、友也と千歳は揃って声を上げる
新しいIDOLAが起動したり、操者が変わったときには、エキシビションマッチを執り行い全世界にその紹介を行うのが通例になっている
それはアイドルクレイドルでのデビュー戦。それが予定されているということは、愚者の起動の事実とその力が世界に伝えられ、友也がその操者として世間に認知されるということを意味していた
(俺、アイドルクレイドルの舞台に立つことができるんだ――)
彩音の言葉で、これまでいているだけだったICが手の届くところまで来ているという実感を覚える友也は、武者震いと同じだけの精神的重圧が湧き上がってくる
(ヤバい。考えたら、超緊張してきた)
憧れ続けた夢の世界。それが、もう手の届くところにある――その事実が飛びあがりたくなるほどに嬉しく、同時にその世界でこれから自分はちゃんとやっていけるのかという不安がこみあげてくる
「友也さん」
「は、はい」
自分の頭の中で期待と不安がループしていた友也は、千歳の声で意識を現実に引き戻され、思わず上ずった声を発してしまう
「気持ちは分からなくもありませんが、そんなに緊張しないでください。それよりも今は、エキシビション当日までに、厄介な愚者の操作と運命権能を確実に発動できるようになりましょう」
友也のその様子から、ICの先達としておおよその心情を察した千歳は、優しい声でエキシビション当日までにやるべきことを確認する
その諭すような優しい声音は、緊張いていた友也の心を幾分がほぐし、夢が実現する興奮に熱せられていた気持ちを穏やかに冷ましていく
「はい」
「じゃあ、それまでの予定を立てましょう。あと、誰か私の代わりに友也さんの対戦相手を務めてくれる人を頼まないといけませんね。――私も、オペレーターとして友也さんの足を引っ張らないようにしないといけませんから」
友也の様子を見て頷き返した千歳は、自分もまた未熟であることをアピールして共に強くなっていこうと明るい声で伝える
「……少し、嫉妬してしまいますね」
しかし、踵を返し友也に背を向けた千歳の口からは、誰にも聞こえないような小さな声で心の声が零れていた