グラールハート
グラールハートから派遣された女性――常陸彩音に声をかけられた次の日曜日、紬を家に残し、友也は両親と連れ立って、都心の東にそびえ立つビルへと向かっていた。
AC傘下の四つの会社は、都心にあるAC本社の東西南北に建てられている。その中で友也が誘われたグラールハートは、東に居を構えている――蛇足ではあるが、ちなみに、その位置取りにあまり意味はなく、どちらかといえばただその方が見栄えがよいからという理由らしい
「ここが、グラールハートか……」
そうして、そこまでやってきた友也は、天を衝くようにそびえ立っているビルを見上げて感嘆と感慨の入り混じった声を漏らす
都心から少し離れた位置にある代わりに広大な面積を持つそれは、ビルというよりも小さな都市という印象を受ける
「よし」
その建物だけで見る者を威圧するビルの前で気圧されている両親を横目に、二人に聞こえないように小さな声で気を引き締めた友也は、自身の夢が待つその場所へ第一歩を踏み出したのだった
グラールハートのビルの中は、吹き抜けになっており、高い位置に設けられた窓から振り注ぐ光は御来光のようにロビーを照らし出してくれる。
そして、入り口から入った正面には、ICの主催であるAC系列にふさわしい、モデルのように美しい受付嬢がまるで天女の彫刻のように静かに佇んでいた
「あの、括野と申しますが」
その美貌に緊張しながら、太糸が受付嬢に声をかける
その最中やや冷ややかな視線を背後にいる妻から感じている太糸だが、そこはあえて素知らぬ顔でやり過ごしていた
「伺っております。少々お待ちください」
括野という名前を聞いた受付の女性は、作り笑顔だとしても分からないほどに自然で、人当たりの良い笑みを浮かべて、手元の内線電話で連絡を取り始める
「間もなく担当の者が参りますので、適当なところにかけてお待ちください」
「はい」
受付の女性に促されるまま、近くに置かれていた待合用のソファに座って待っていると、一分もしないうちにロビーのエレベーターの一つが開き、その中からパンツスーツを凛と着こなした彩音が姿を見せた
「ようこそお越しくださいました」
事務作業用らしき眼鏡をかけ、髪を束ねたいかにも秘書然とした存在感を纏う彩音は、友也とその両親に穏やかに微笑みかける
その後、両親と自己紹介を兼ねた簡単な挨拶を交わした彩音に連れられ、友也達はエレベーターに乗って、グラールハート本社の最上階にある一室へと案内された
友也達が通されたのは、一目で高級だと分かる調度品が置かれた一室。――応接室と思して使っている部屋に三人を案内した彩音は、適当なところに座るように促すと、軽く一礼する
「こちらでお待ちください。間もなく、社長と主任が参りますので」
そう言って彩音が応接室の奥へと入っていったのを見届けた愛は、万が一にも聞こえないように配慮してか、小さな声で夫と息子に囁きかける
「凄い部屋ね」
「ああ。きっと、これ一つとっても、家にあるものとは値段が一桁違いそうだな」
妻の言葉に、太糸は自分達が腰を下ろしている座り心地の良いソファの感触を確かめながら感嘆の声を漏らす
ICは世界で最も大きな金額が動く興行。しかも、グラールハートは、たった四社しかないIDOLAを保有数大会社。その資金は他の事務所とは一線を画すものであろうことは想像に難くない
座り心地はいいのに、なぜか居心地の悪さを感じながら待っていると、不意に扉が数度ノックされる
「!」
その音に視線を向けると同時に、応接室の扉が開き、そこから二人の壮年の男性が入室してくる
一人は目鼻顔立ちの整った白髪交じりの知的な男性。これまで生きてきた時間が刻まれていながら、若々しい雰囲気を失わず穏やかで温和な印象を見る者に与えてくる
そしてもう一人は眼鏡をかけ、口ひげを蓄えた精悍な顔立ちの男性。短く髪を切り揃えスーツを着こなすその姿は、SPやボディガードのように思えた
部屋に入ってきた二人の男性は、友也達に軽く一礼すると、三人の対面する位置に置かれた椅子に腰を下ろす
「ようこそ、グラールハート日本支社社長『ケイネス・キンバリー』です」
二人が席に下ろすと、まず白髪混じりで知的な印象を纏う壮年――というよりは、初老といった方が適切に思える男性が自己紹介する
当然の話ではあるが、ICは世界中で行われている。そのため、グラールハートのようなAC直下の大手は、世界に何カ所か支社を持っているのが普通だ
そして、四つに分社されているとはいえ、グラールハートを含むIDOLAを保有する四つの会社は、ACの一部。当然、グラールハートの職員はイコールでACの職員でもある
「グラールハートIC部門主任『安曇』です」
社長であるキンバリーの自己紹介に続き、眼鏡をかけた精悍な顔立ちの男性が続く
「この度は、休日だというのに遠いところをお越しいただきましてありがとうございます」
「あ、いえ。こちらこそ、息子がお世話になります」
安曇と名乗った男性が、社長に代わって話すのは、彼の肩書である「IC部門の主任」が関係しているのだろう
「息子さん――友也君には、『アルカナ』との適合が確認されました」
「アルカナ?」
安曇主任の言葉に、ICに関する知識が乏しい愛が首を傾げる
「IDOLAの事です」
それなりにICを知っていれば知っているであろうことを知らない無知に気分を害することもなく、安曇は丁寧にその疑問に答える
それは、IDOLAと適合した友也を自分達の会社に迎え入れたいからというだけではなく、安曇自身の人格によるものであろうことは、その表情や声音から滲み出る雰囲気が如実に物語っている
「世界に存在するIDOLAは二十二機。そして、その二十二の機体には、タロットカードの『大アルカナ』にちなんだ名称が振られているのです
そこにちなんで、IDOLAは『アルカナ』と呼称されることがあるのです」
「なるほど」
愛が合点の言った様子で頷くのを見た安住は、その口元を綻ばせる
その時、奥へ姿を消していた彩音が人数分のお茶を持って戻ってくる。話の邪魔をしないように無言のままお茶を配る彩音に、友也達は軽く一礼して謝意を伝える
「友也君の適正機体は№0『愚者』です。アルカナのファーストナンバー――ある意味で、アルカナのリーダーのようなものかもしれませんね」
彩音がお茶を配り終えたのを見て取った安曇は、冗談めかした言葉を述べて場の雰囲気を仕切り直す
「さて、話は戻りますが、アルカナは全部で二十二機しかおりません。そのため我々は、その二十二機はACグループである我々四社が可能な限り均等に保有し、世界の皆様にICにおけるIDOLAのステージを楽しんでいただきたいと考えております。
現在、我々グラールハートにはアルカナが少なく、友也君には是非ともわが社と契約していただきたいのです」
「あの……」
本音を隠さず、率直に自分達の希望を語る安曇の言葉を聞いていた愛は、恐る恐るといった様子で軽く手を上げる
「はい、何でしょう?」
「質問があります」という意思表示をした愛に、安曇は嫌な顔一つせず、誠意のこもった視線を返す
「根本的な質問で申し訳ないのですけれど、なぜそのアルカナ? は、二十二機しかないんですか?」
友也や太糸と違ってICに関する知識が比較的乏しい愛は、根本的なその疑問を問いかける
無論、あえて言葉にはしないが、その言葉の裏には、「IDOLAを量産していれば、息子がICで戦わなくてもいいのに」という本音もある
AC参加で、ICに登録している機体と操者は、非常時――災害はもちろん、内乱などの紛争への参加、協力を要請されることがある。
いかにそれが本人の夢であり、誰かがやってくれているからこそ平穏が守られていることなのだと分かっていても、そんな危険なことをしてほしくないというのが親心というものだった
「それは、アルカナの核のためです」
そんな母としての愛の想いを汲み取りながらも、安曇はそれに対する同情も同意も示さず、ただICに携わる者として粛々とその疑問を解きほぐすための答えを述べる
「通常のDOLLと違い、アルカナには、『セフィラム』という特殊な機構が組み込まれています。
これは、クレイドルシステムを介して得た力をアルカナの代名詞ともいえる神秘の力へと変換する機構なのですが、その中核をなす『セフィラム』という鉱石は、地球上に存在しない上、現代科学でも全く分からない未知の物質なのです」
そもそも、何故、IDOLAが限られた人間にしか使えないのか――それは、IDOLAの中枢に使われている「セフィラム」に理由がある。
科学の発展よって宇宙へも進出し、その生活圏と活動圏を広げている人類は、約一世紀前に、宇宙を漂う隕石群の中から特殊な鉱石を発見した。
組成、原子構造一切不明のその鉱石は、当時のACに持ち込まれ、解析されるも結局それが何なのかは分からなかった。
ただ一つ分かったのは、その鉱石は一定以上の密度と大きさを持っているときに限り、特性の人物の意識に反応し、さながら魔法のような神秘の現象を引き起こすことができることだけだった。
そして、後に「セフィラム鉱石」と名付けられることになるその原石から作ることができたのが、たった二十二個のセフィラム機構――IDOLAの核だったのだ
「そして、それ以来セフィラム鉱石は見つかっていません。つまり、量産も開発も不可能なのです」
現代科学でも一切不明。かつ産地も不明。探してはいるが、一世紀前のその時以来、セフィラム鉱石は発見されていない
つまり、二十二機しか存在しないIDOLAは、ただ単にそれ以上の数を作ることができないのだ
「全てが未知の物質ではありますが、それを使う人体には現在のところ悪影響は一切確認されておりませんので、その点はご安心ください
ご存知の事とは思いますが、クレイドルシステムには、操者のバイタルを常に確認し続ける機能もございますので、万が一の時には即座に対応することができます」
全てが不明の未知の物質「セフィラム」。それを組み込んだアルカナの力は強大だが、同時に親族にとっては、それが人体に及ぼす危険性に対する危惧は拭えないだろう
そういった配慮からそう付け加えた安曇は、友也と両親の顔をゆっくりと見回して膣紋がなさそうだと判断し、次の話題へと移る
「そして、アルカナの操者は芸能活動にも少々協力していただくことになります。もちろんICへの参加が本職ですので、本当に簡単なものですが」
「あの、この子は、そういうタイプじゃないと思うんですけど……」
アルカナの操者に限らず、ICに参加する者は皆芸能活動を行うというのが不文律――というよりもお決まりとなっている
その程度は知っている愛が、友也を見て恐縮するように言う。
顔立ちは悪くないが、良くも悪くも凡庸。学校の授業や習い事でも凡庸以上の成果を残してこなかった自分の息子のことを愛は良く理解していた
「ご心配には及びません。芸能人として大成するかは問題ではなく、芸能人であることが大切なのです」
「?」
そんな愛の懸念も、安曇は小さく微笑みながら一蹴する
二十二人しかいないIDOLAクラスはまだしも、ICクラスにはその百倍は操者がいる。
確かにIDOLA操者や、DOLLのトッププレイヤーともなれば、その知名度、人気はすさまじいが、ICに関わる者全員に芸能活動をさせたとして、成功する者ばかりではないことなど想定の内だ
大切なのは、安曇の言うようにICの操者が芸能人――すなわち「アイドル」であるという事実の方なのだ
「そもそも、アイドルクレイドルのアイドルは、芸能人的な意味でのアイドルではなく、その本来の意味――『偶像』を意味する『idol』です。
その由来は、IDOLA開発当時、開発チームがその機体に仮に神話の神や精霊、モンスターの名前をつけていた事に由来します」
アイドルクレイドルのアイドルが意味するのは、芸能人としての意味のアイドルではなく、開発当初の機体に、仮名称として神話上の生物や神の名前が与えられていたことに所以する。つまり、IC操者がイコールで芸能人である必要性は確かにない
「では、なぜICの操者が芸能活動を行うかわかりますか?」
にも関わらず、ICの操者は芸能人としての活動を求められる――当然、それにはある理由があった
「簡単に言えば、監視のためです」
「監視?」
安曇の口から出た少々物騒な言葉に、友也達三人が驚いたように目を丸くする
IC操者がなぜアイドルなのかなどという理由は公表されていない。ICのファンである友也でも、「そういうものだから」という程度の認識だったため、その意味には驚愕を禁じ得ない面があった
「DOLLは今やこの世界とは切っても切れない関係にあるものです。DOLLが世界にもたらす恩恵は確かに大きい。ですが、同時にDOLLが多大な危険性をはらんでいるというのも確かな事実なのです」
その表情を厳しいものに変え、抑制された語気を強めた安曇の言葉は、これからその強大な力を手にすることになる友也を戒めているように思える
神経を直結し、まるで自分の身体のように機械を操作することができるクレイドルシステムは、人類に多大な貢献をしている
人間が容易には入り込むことができないような危険地帯、災害地帯での作業。あるいは遠隔からの難度手術等々、その技術そのものは現在の文明にとって必要不可欠なものでもある
だが同時に、人がその場にいないという利点は欠点にもなり得る。はるか離れた地から人型の機械を操るということは、軍事的にも多大な利益があり、人の犠牲をほぼ失くすことができるメリットは、人の命を軽んじるデメリットにも繋がりかねない
どんな技術にも、利益に比例する不利益がある。
紙を作るために森林を伐採し、生物たちの生息を脅かしてしまったように。化石燃料を採掘する代わりに温室効果ガスを地球に満たしてしまったように。――技術そのものに善悪はない。どんな技術も結局は使う人間次第であり、それを使う人間は常にそれを自身に戒めていなければならないのだ
「操者自身がそういうことをするかもしれません。あるいは操者を拉致して、そういうことをさせるかもしれません。
アルカナの力はDOLLとは比較になりません。先ほどお話しした『セフィラム』という機構によって、アルカナは物理法則を超越した魔法のような力を行使することができます。その脅威は通常のDOLLの比ではないでしょう」
真剣な眼差しで語る安曇の静かだが険しい口調に、友也達は思わず息を呑む
そんな三人の姿を見回した安曇は、一拍の間を置いてから厳かな声音で、最後の言葉を発する
「つまり、IC操者をアイドルとして扱うのは、衆人の力を得てその動向を監視し、人と操者自身を守るためなのです」
芸能人となれば、有名であればあるほど人の目に触れやすくなる。ICに関わる者達をそのようにして扱うのは、世界に何十億もある人の目を用いて、その人と世界を守るためだった
「ですから、友也君にはIC操者として、毅然とした生き方をしていただきたいと思います」
そうして、重厚な声で釘を刺した安曇は、その表情を優しく綻ばせてそう付け加える
ICに関わった者に課せられる義務と責任。それを強く認識させ、求める安曇の言葉と視線を受けた友也は、一つ息を呑んで拳を握りしめる
「……はい」
その友也の眼に宿った光を見て取った安曇は、その口元を綻ばせると、無言のまま一度頷いて見せる
「それで契約の方ですが、どうされますか? ご家族で話し合う時間が必要でしたら、また後日ということでも構わないのですが……」
友也を信頼し、力強く頷いて見せた安曇は、その視線を両親へと向けて話を切り出す
通常ならば、ICに参加するか否かの意志も問われるのだが、友也の場合は、二十二機しか存在しないアルカナの操者に選ばれたために、その選択はほぼ皆無に等しい
そのため、友也に取ることができる選択肢は、このままグラールハートと契約するか、他社へと渡ってICに参加するかしかない
その意図を理解している太糸と愛は、友也に視線を向けてその意思を確認する
「……いえ」
そうして友也の視線を受けた二人は、小さく首を振ると、安曇に向き合って深々と頭を下げる
「色々と至らぬところが多いとは思いますが、息子をよろしくお願いします」
これまでの対話から、この人ならば信用に値すると判断した太糸と愛の言葉に、安曇と隣にいるキンバリー、そして彩音の三人が頭を下げる
「ありがとうございます」
こうして、友也はグラールハートとの契約を結び、IC部門の操者となったのだった




