運命の適合者
三月二十一日。――冬の寒い空気の中に、うっすらと温かな日和や緑の息吹が混じり、初春の気配が感じられる頃。
「――っ」
眼鏡をかけた黒髪の少年は、とある建物を見据えて不安と期待に満ちた息を呑み込む
「ようやく来たんだ」
実感の込められた言葉と共に、少年が歩みだしたビルには、文字を映し出す仮想パネルで「クレイドルシステム免許試験場」という文字が打ち出されていた。
この世界で広く普及している「クレイドルシステム」――人間の意識を機械と直結させることで、体の一部のように動かすことができるシステムは、車などの運転免許と同じで、国がその資格を発行する国家免許であり、十六歳から取得することができる
その理由は一定の責任能力に加え、身体ができていない幼少の頃から機械の身体を代行して動かしていては、本来の肉体の発育に影響を及ぼすことになりかねないためだ。
「よろしくお願いします」
試験会場となっているビルの中に入った少年は、鞄の中に入っていた書類を取り出し、受付にいる中年の男性に手渡す
「はい。えぇと、『括野友也』さん」
「はい」
やる気に満ちた少年――「括野友也」の書類を受け取った受付の男性は、その初々しさに表情を綻ばせる
「はい、結構です。では、試験会場でお待ちください」
「はい」
書類に一通り目を通し、不備がないことを確認した受付の男性の言葉に頷いた友也の声には、試験に対する不安と、クレイドルシステムを使っている自分への期待感が同居していた
クレイドルシステムの免許は、筆記と実際に操縦を行う運用試験の二つに大別される。筆記試験ではクレイドルシステムを使うにあたっての基礎知識や法律を習得し、運用試験では極稀に神経が拒否反応を起こす人物がいるために、その適合性をはじめとしたものを見る
蛇足ではあるが、クレイドルシステムの免許はDOLLの規格や、形状、あるいは行える作業によっていくつかのランクに分かれている。
「ここか……」
受付の男性から言われた通りに、試験場を訪れた友也は、緊張と期待で震える手でドアを開き、室内へと足を踏み入れる
そこには、友也と同年代から、中年ほどの男女まで多様な年齢の受験者がおり、皆各々この時間を免許取得のために費やしていた
当然必死になってテキストに向き合っている人が大半だが、しかし友也と同年代の少年少女には、そのようなものを見い出すことはできなかった
それもそのはず。いくつかある規格のクレイドルシステム免許の中で、十六歳から取れるのは、「私有地内での使用、運用に限られる」という、本当の意味でただ使うことができるという程度のもので、試験を受けさえすればほぼ落ちることがないものなのだ
公共の場でDOLLを動かすための免許は、十八歳からの取得で筆記試験も九割以上の正解率を要求されることを思えば、その気分の軽さはさもあらんと言ったところだろう
ただし、アイドルクレイドルに参加するためのDOLLの運用だけならば、十六歳で取れる免許で十分でもあった
(ようやく、この日が来たんだ――!)
昂揚し、高鳴る鼓動に胸を膨らませ、その若い瞳を希望に輝かせる友也は、自分の受験番号の席へと腰を下ろして、試験の時を今か今かと待ちわびるのだった
アイドルクレイドルが普及した現在、そこへ選手として参加したいという人は多い。当然この場にいる受験生の若人の大半が、それを目標としているのも事実だ
しかし、クレイドルシステムの免許を取ったからと言ってアイドルクレイドルに参加できるかといえばそんなはずもない。
しかしその確率が低いことなど百も承知の上で、少年少女達はアイドルクレイドルへと参加するために、クレイドルシステムの免許を求めるのだ
その後、試験はつつがなく終了し、友也は念願のクレイドルシステム免許を取得したのだった
免許がなければ、クレイドルシステムを使うことはできない。だが、仮に無免許でもクレイドルシステムを使うことができるのではないかと考える者はいる。
確かにその通りだ。法律的に問題はあるが、別にクレイドルシステムを使うこと自体は誰にでも出来、免許の取れない幼いころから親に練習をさせてもらっている者がいることも事実
だがこのクレイドルシステムの免許発行にはもう一つの顔があることも、試験を受ける者達にとっては常識だ。
DOLLを動かすために共感する人の思念には個人差があり、一つとして同じものはない。免許を取得するということは、その個人ごとに異なる思念波の情報がデータベースに保管されるということ。
そして、そうして集積された思念波長の情報は、「アルカナコーポレーション」へと送られ、データベースに照会されることになる。
アルカナコーポレーション――通称ACは、クレイドルシステムを開発した会社であり、同時に現在アイドルクレイドルを開催する胴元でもある世界最大の企業だ
「今期、クレイドルシステム取得者の思念波長データが送られてきました。これより、照会を始めます」
そんなACの一室。無数の機械が整然と並ぶ部屋の中で、データとして送られてきた免許取得者の意識の波長がシステムによって精査されていく
オペレーターらしき女性の眼前で、画面の中を次々にデータが流れ、それが終わるたび、「不適合」の文字が並んでいく
だがそれは、彼女にとってみれば、いつもの事。そのため、何の感慨もなく、ただ表示される不一致の文字をただ無機質に眺めているだけだった
しかし、その作業はコンピューターから流れた機械音と、「一致」の文字によって失われる
「一致しました。適合者有りです」
オペレーターの女性の声に、現場責任者らしき壮年の男性が立ち上がって声を荒げる
「誰だ! 何と一致した!?」
その声に従い、「一致」の文字が表示されている情報のウインドウを開いた女性は、そこに表示されている人物の名を読み上げる
「適合者氏名、『括野友也』。適合機体――№0『愚者』です!!!」
※※※
四月――桜咲く新たなる出会いの季節が始まり高校生となった友也は、学校の制服に身を包み、花盛りを終えてほとんど散っている春の代表ともいえる木を見つめていた
「おい、『友也』!」
そうしている友也の前の席に、軽快な声と共に、少年が背もたれを前にして椅子に座る
「太一」
友也の前の席に座った茶色の髪の少年の名は、「峰崎太一」。友也にとっては、中学時代からの悪友であり、親友でもある気の置けない人物だ
「もうすぐ、ICの時期だな」
「だな」
見る人によって、人が良さそうとも、軽そうとも取れる茶目っ気のある無邪気な笑みを向けてくる太一に、友也も子供のような好奇心を垣間見せる笑みで応じる
ちなみに、「IC」とは一般的に用いられるアイドルクレイドルの略称だ。
世界的に広く浸透している機械人形による実戦型格闘技であるIC――アイドルクレイドルは、老若男女問わずに人気の競技であり、当然友也も太一もその熱狂的なファンだった。
「『人間の娯楽は、遥か数千年の時を経て、コロッセオのそれに戻った』なんて揶揄する奴もいるけど、面白れぇもんは面白れぇよな」
「あぁ」
太一の言葉に友也は同意を示すように頷くと、手元の画面に視線を落とす。
アイドルクレイドルは、人型の機械を使った実戦戦闘。戦うのが機械の人形であるため、その装備は実戦使用のそれであり、人と人では決して味わえない本物の戦闘のスリルを味わう事が出来る。
それこそがアイドルクレイドルの醍醐味の一つでもあるのだが、それがまるで中世のコロッセオを彷彿とさせる――闘争を娯楽として用いている、と一部の人間には批判的な感情を抱く者がいるのも事実だった。
「俺もお前も免許は取ったっていうのに、憧れの舞台は遠いな」
「まぁ、俺達もまだ学生だし……本格的にICに入るには、ACの試験に合格しないといけないからなぁ」
今の時代、ICに憧れて十六歳で免許を取ることは珍しいことはない。しかし、そこからICの舞台に立つことができるのは、ほんの一握りという狭き門だ
それが分かっていても、若さも手伝って自分の未来に希望を抱く二人の少年がそんな憧れを口にしていると、不意に太一が友也の机の上に突伏してくる
「それにしても、なんで引退しちゃったんだろうな、凛々島千歳。俺、超ファンだったのに」
――凛々島千歳、アイドルクレイドルを引退
それは、先月突如発表され、世間を騒がせた一大ニュースだった。
ICは、四月から三月までの一年を一期として行われる。エクエススペードに所属するDOLLのトッププレイヤーだった凛々島千歳は、突如前期一杯での引退を表明したのだ
「あれだろ? テレビとかじゃ、IDOLAクラスに携わるために、事務所を変わるって言ってたな」
太一の言葉に、連日マスコミが取り上げていた千歳の引退報道の内容を思い返しながら友也が言う
凛々島千歳は、今や押しも押されもせぬ、人気、実力共にDOLLで指折りの実力者。その人気が、「引退します」だけで終わらせることを許さなかった
会見を開いてまで、マスコミの前で語った凛々島千歳の引退理由は、「ずっと夢だったIDOLAクラスに関わるため」だったのだ
「ぅぐ……っ、俺、ICに入ったらエクエススペードに入って、千歳ちゃんとお近づきになろうと思ってたのに」
「……」
実際に泣いてはいないが、泣いているような声で言う太一に、友也はさすがに同意を示すことはできなかった
「分かるだろ? 俺達の一ッコ上で、美人で可愛いだけじゃなく、歌もダンスもできるスーパーアイドルなんだぜ?」
「あ、あぁ……まあ、な」
太一の言葉に、友也は気の抜けた様な声で応じるのだった
そんな他愛もない――いつも通りで、当たり前の時間は、今日までと変わらずに過ぎ、気が付けば下校時刻となっていた。
しかし、友也は知らなかった。その平穏な日常が刻一刻と終わりの時を迎え、変化の時を迎えようとしていたことを。