プロローグ
鮮やかな光に照らされる巨大なドーム。観客に埋め尽くされた、中世のコロッセオを思わせるその会場にマイクを通した声が高らかに響く。
『さあ!今宵も熱戦が繰り広げられている「アイドルクレイドル」! 会場の皆様もテレビの前の皆様も、共にこの戦いの行方を見守りましょう!!』
実況の言葉が響き渡ると同時に、ドームを埋め尽くす満員の観客から唸りに似た声が上がり、会場中を呑み込む。
割れんばかりの歓声が響き、ドームの中に表示された電脳ディスプレイに、「NEXT BATTLE」の文字が浮かび上がる。
『さあ、次のバトルの始まりです!!』
その言葉と同時に、リングの両端にある扉が白いスモークを上げて開き、その向こうから二つの人影が現れる。
『まずは赤コーナー。『エクエススペード』所属「凛々島千歳!!!』
その言葉を合図として、降り注いだ一筋のスポットライトが二つの人影の片方の人物を照らし出す。
そこに現れたのは、美しい白と黒のコントラスト。腰まで届く漆黒の髪に、雪のように白い肌。その身に纏うのは漆黒を基調に、純白の差し色が加えられたドレスに似た衣装。
それを着て日常を過ごすためではなく、この場で魅せるために作られた衣装に身を包み、その上からでも窺うことができる清楚でありながらも大人の色香を纏う抜群のスタイルを持つ十代後半と思しき少女だった
その優しい表情を凛々しく引き締め、白と黒のその肢体をスポットライトの中に翻らせるその姿は、その少女は華やかさと煌びやかさに映し出している
黒髪の少女――凛々島千歳は、まるで宝石のように澄んだ輝きを宿す瞳を抱く切れ長の目で真っ直ぐ前を見据えると、ゆっくりと前に歩き出す。
まるでモデルのように美しく歩を進めて行く少女の前に、会場の床から出現した卵のような機械が現れる
白銀に覆われた卵の様なそれが開き、その中に現れた座席に千歳が腰を下ろすと、再びその扉が閉じ、眼下に広がっているフィールドから柩を思わせる金属製の箱が出現する
『DOLLはもちろんこれ! 「ミセリコルダ」!!』
会場に流れるアナウンスの言葉と同時にその柩が開き、その中に隠されていた人の形をした「もの」がその姿を現す
それはその身体を金属で構成された人型の人形。研ぎ澄まされたシャープなデザインは抜き身の刃を彷彿とさせ、白を基調としたその出で立ちは、まるで聖女の旗のように人の目を惹きつけてやまない
卵型の機械の中で席に座った千歳が中に用意されていたヘッドセットを取りつけると同時に「ミセリコルダ」と呼ばれた純白の人型機械の目が、まるで命を吹き込まれたかのように光を灯す
『対するは青コーナー!『ペザントクローバー』所属「渡辺悠里」!!!』
凛々島千歳とミセリコルダが準備を終えたのを確認した司会者の言葉に応じ、もう一人の人物をスポットライトが照らし出す。
そこに乗っているのは、やや赤みの強い茶髪をウェーブにした女性。先に現れた千歳よりもわずかに年上と思しきその女性は、その年齢差にふさわしく千歳以上に女性として成熟した大人の色香を纏っていた
『DOLLは「コールドフレア」!!!』
千歳と同様に悠里が卵型の機械に腰を下ろすと、会場の真下からせり出した棺の様な箱が開き、青い装甲が印象的な重装甲の人型がその姿を現す。
ヘッドセットをつけると同時に、命を与えられたかのように動き出した青い機体「コールドフレア」が歩くその先には、すでに所定の位置についている純白の機体「ミセリコルダ」が静かに佇んでいる。
『前評判では、ミセリコルダ――凛々島選手の勝率が高いですが、ミセリコルダは典型的な高速近接戦型。対して渡辺選手が操るコールドフレアは、同様に近接戦に特化しているものの重装甲が自慢のパワータイプ! 一撃が決まれば、装甲の薄いミセリコルダは一たまりもありませんッ!!』
実況の解説に観客席が、興奮を抑えきれない観客達が息を呑む。
『二人の才媛が操る、二体のDOLL。その激突と勝敗をその目に焼き付ける時です。さあ、早速はじめましょう!』
熱気と期待に包まれた観客席が透明のバリアによって包まれると、ドームの中央――会場となる場所に佇むのは、「DOLL」と呼ばれる白と青の二体の機械人形のみ。
『アイドルクレイドルぅぅぅぅぅぅぅぅ』
その言葉に、客席の興奮は臨界に到達し、会場内に佇む二体の人型機械に、全員の意識が集中する
『FLAG・UP!!』
開戦を意味する言葉が告げられると同時に、向かい合った二体のDOLLは互いの間に設けられていた距離を瞬く間にゼロに変えて、丁度会場の中央でぶつかり合い、激しい火花を散らした
※※※
――時は。二二××年。
「兵器は戦車や戦闘機を強化したほうが強く、人型兵器は非効率的」。――そんな科学の常識は、「ある技術」の開発によって終焉を迎えた。
「CS」。――それは、人間の脳波や思念といった意志を機械と直結し、機械と人間の五感を共有させる技術であり、遠距離存在感技術と、感覚同調技術を応用して作られた人間の意識に同調して動くシステムの総称。
その技術により、人により近い形状をしたものの方が感覚を掴みやすく、共有しやすいという利点が発生し、それに伴って一気に人型機械が普及することになる
人と感覚を直結し、まるでその場にいるように活動できる人型ロボットは「DOLL」と呼ばれ、人が立ち入れない危険地帯や宇宙などの局所作業を、人間が直接赴くことなく行うことができる技術として期待された
しかしその一方で、本来の使用用途である「危険な場所での作業への導入」以上に兵器としての運用を危惧され、世界はDOLLの軍事運用を禁止する法案を可決することで、世界にDOLLというシステムを取り入れた。
だが、人体と分離された機械の人形を用いるため、実際の武器を使うことも、対人では不可能な武装や環境でのエキサイティングな戦闘を行うことができるというDOLLの利点に目を付けた人々は、それを用いて実戦そのものと思える対戦を行う娯楽を生みだす
それは結果的に大成功を収めた。
本物の武器を用い、機械仕掛けのDOLLが破壊される大迫力の実戦型バトルは刺激を求める人々の心を瞬く間に掴み、あっという間に娯楽の代表となった
世界中で人気を博したそのDOLL同士による実戦ゲームは、現在では賭けによって収入を得るプロスポーツにして、一大興行となっていた
現在の世界で、最も華々しく、最も激しく、最も力強く人々の心を魅了するその戦いの名は――
『アイドルクレイドル』
※※※
西暦二二××年、二月一六日。天をそびえ立つ摩天楼が立ち並ぶ日本の首都、東京の中に立つ巨大なビルの最上階にある執務室で一人の男と一人の少女が対面していた。
「……決意は変わらないのか?」
黒革の椅子に背を預け、机の上で組んだ手の上に顎を乗せているのは、白髪が混じり出した黒髪とひげを持つ精悍な顔立ちの壮年の男性。
その男と机を挟んで対面している少女――「凛々島千歳」は、腰まで届く黒髪を揺らし、強い意志と気高い魂を感じさせる凛とした視線で壮年の男へ視線を向ける
「はい。私は今の『DOLL』クラスではなく、『IDOLA』クラスに携わりたいんです」
澱みなく紡がれる千歳の言葉にため息をついた壮年の男は、目の前で凛と立つ黒髪の少女に視線を向ける
「お前の意志を無下にするとは言っていない。しかし、お前も知っているようにIDOLAは誰にでも操れるものではないのだ。
現に、お前も操る事は出来なかった。――悲しいが、それは才能と資質がないと言う事だ。そんな人間は五万といる。だがお前には、それではない才能がある。それを捨ててまでその道を目指すというのか?」
抑制のきいた男の声が、最終確認とばかりに千歳に問いかけてくる
その言葉の意味を千歳は誰よりも理解している。この世には才能があり、そして目の前の男性が自分の才能を惜しんでくれている事も重々承知している。
人には容姿、血統――後天的な努力では決して変えられない才能があることは、否定しがたい事実だ
天才も凡才も非才もすべからく人間なのだ。そしてそれであるが故に、かなえられる夢もあれば夢のまま終わる夢もある
「はい」
しかし、千歳はその言葉に一切の迷いのない声で答える
夢が必ず叶うものではないことなど分かっている。もうただの夢見る少女ではないのだから。
しかし千歳は、たとえ自分に微塵の才能がなくとも、それ以外の才能の全てをドブに捨てることになろうとも、自身の意志を貫き通す決意を以って今この場に立っていた
「私は、IDOLAクラスに行きたいのです。例え裏方に徹しようとも」
千歳がこの道を歩む事を選んだのは、自分の心に嘘をつき続ける事をしたくなかったからだ
人が聞けば傲慢だというかもしれない。人が聞けば羨むかもしれない。それが分かっているからこそ、千歳は男の言葉に揺るぎない決意を宿した凛とした口調で応じる。
「DOLL」には、大別して二つの規格が存在する。それが、一般的に「DOLL」と呼ばれているものと、その中でもほんの一握りだけ存在する「IDOLA」だ
「IDOLA」は、DOLLとは一線を画する性能、能力を有した機体であり、これを用いたアイドルクレイドルは、まさに最高峰というべきもの。
しかしその反面、使用者には著しい制限がかけられており、その特殊なクレイドルシステムを使えない限り、IDOLAを動かす事はできない。現に千歳は「適正なし」の判定を受けていた。
「お前も、私が嫌がらせでこんなことを言っているわけではないことは分かってくれているな? 確かに会社の収益や宣伝の上での打算が皆無だとは言わない
だが、IDOLAクラスへいくより、今のままでいる方がお前の才能をいかすことができるのもまた事実だ――日の当たる場所にいられるというのに、それを捨てて陰に徹するというのか?」
男はそれを知っていた。千歳がIDOLAクラスに憧れている事も、そこを目指し続けてきた事も。――しかし、人の想いや願いがいくら強かろうと、才能がそれに見合っているとは限らない。
千歳にはIDOLAを動かす才能はない。ならば、裏方として接するしかないという千歳の結論は男にも分かる。
しかし、望んでも才能がないのと同様、望まなくとも持つ才能というものがある。そして千歳にはそれがある。
類稀な美貌や、恵まれた多様な才能。それを活かせる場があるというのに、それを捨てさせる事は、誰よりも千歳の才能を認めている男からすれば避けたい選択肢だった。
「はい」
しかし、男は誰よりも千歳を知っているが故に、この少女が一度決めた事を止めないという事を理解していた。
ここで力任せに引き止めるのは得策ではないと判断した男は、しばらくの黙考の末に苦渋の決断を下す
「……そこまで言うなら、何も言うまい」
「ありがとうございます」
男の言葉に千歳がその凛とした表情に花のように可憐な笑みを浮かべる
しかし、男が千歳の意志を尊重したのには理由がある。男が安堵の笑みを浮かべている千歳に視線を向け、言葉の真意を伝える
「だが、夢に挫折する事はよくある事だ。それを恥じる必要はない。――いつでも、戻ってくるといい」
その言葉に、少女の眉が一瞬顰められる
現実に夢を求め、それを追い求める事は何も悪い事ではない。しかし、その大半の人間が、現実と才能の前に膝を折るのもまた必然。
誰よりも千歳の才能を知っているが故に、男にはまるで手に取るようにその結末を思い描く事が出来ていた。
「長い間お世話になりました。社長……いえ、お父さん」
そんな男――エクエススペード社長、「凛々島京一郎」は、優美に執務室から立ち去って行った娘の背中をため息混じりに見送って、自身の携帯端末に保存されている写真を開く
「ああいうところはお前似だな、『八千代』……」
呟いた京一郎の視線の先には、その手の端末に映し出された優しく微笑む最愛の妻の姿があった。