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50音

作者: 文月響

「あたしさ、こないだまではこう思っていたんだ。」

 大きな通りに面したガラス張りになっている喫茶店のテーブルで、コーヒーを啜りながら絵都子はそう言った。

「こうって、どう思ってたの」

 二人掛けの小さなテーブルをはさんで向かい側に座っている響が、口元に運んでいたコーヒーカップの中身を飲まずに、そう尋ねた。

「こないださ、あたしが公募展に出した作品があるじゃない。」

「ああ、『至福のとき』がテーマのやつね。」

「うん、そう。それでさ、あたし本当は作品解説とかってあんまりしたくない質なんだけど、あの公募展って、しなきゃいけないのね。でさ、あの絵って女の子がいて、水槽のなかに金魚を見つけてるような絵だったじゃない。」

「ああ、たしかそんなんだったっけね。」

「だからさ、「探しているものがみつかったとき、それが至福のとき。」とか、それっぽいことを書いたのさ。」

「ああ~、たしかにそれっぽい。」

「でしょ。」

「で? 本題は?」

 絵都子は既にぬるくなっているコーヒーを一口含んで味わうようにゆっくりのみこみ、カップをおいて続けた。

「これからなんだってば。それでさあ、そのときはまあ、仕方なく考えたのはあるけど、でもたしかにそうだよな~って思ったの。だってさがしているものがみつかったら、そりゃうれしいよね。」

「そりゃ、さがしていたものなんだろうからね。」

「うん。でもね、最近になって思うんだけど、実は探しているときのほうが至福のときなんじゃないかと!」

 絵都子の力説に少々あきれた表情をみせながらも、一応はなしをちゃんと最後まで聞いてくれるのが、響と他の人間との違うところであった。

「探しているときのほうが? 探しているときはあせっていたり、いらいらしたりするもんじゃない?」

「・・・こんな話をきいたことないかな。」


 とある街の入り組んだ狭い路地に、一人の男の子がしゃがんでいた。その男の子は、熱心になにかを見つめているようだった。男の子のしゃがんだ目の前にあったものは、いままでに見たことのない、得体の知れないものであった。 男の子は、その得体の知れない『なにか』を前に、いろいろな想像を膨らませていた。これは一体何に使うものなんだろう。どうやって使うものなんだろう。少年の空想はどんどん膨らんでいった。そこに、一人の大人が通りかかる。ああ、それはこうやってつかうものなんだよ。親切な大人は、そう教えてくれる。だけど、そこで男の子の空想は止まってしまう。なあんだ。と。それから男の子は、あんなに夢中だったものに、全く興味がなくなってしまう。・・・・・・



「・・・へえ。 その話はおもしろかったけど、聞いたことはないな。何の本にのってるの?」

「ほら!いま!今だ!」

「・・・はあ?」

「今まさに響は何の本に載っているのかを探している、至福のときなんだよ!」

「・・・それは極端だと思うけど。で、何の本なの?」

「いやあ・・・」と、絵都子は少し渋りながら、「じつは、何の本にも載ってない。」

「ええ~ じゃあ、あんたの都合のいいつくり話じゃん!」

「いや、あたしがつくったんじゃないよ。」

「へ?じゃあ誰がつくったの。」

「弟。」

「ああ!あんたの弟、小説家志望だったもんね。なあんだ。」

「ほら!いま!今だ!」

 響は手で絵都子を制止する。

「はいはい・・・どうせ『いま探しものがみつかってがっかりした!』とでも言いたいんでしょ。」

「いや!がっかりとは違うんだよ。う~んなんていうか・・・そこでとりあえずの満足はするんだけど、そこで終わっちゃうっていうか・・・つまり、至福の終わりなんだ。」

 絵都子は途中からぶつぶつと独り言をいう様に、そう言った。そしてそこで結末がついたのかと思うと、唐突にまた喋りだした。

「でね、その探しているときが至福のときって考え方からすると、人間ってのは、わからないものが楽しいのかなって。」

「つまり?」

「うん。人間ってさ、まあ特に日本人なら、言葉って50音しかないじゃない。外国でもアルファベットって決まってるでしょ。で、その並べ替えだけで会話をしているんだよ。でもさ、人間の感情とか、深層心理とか、身体に感じる変化とかさ、本当はものすごく複雑なはずでしょ。で、もし人間の中に、・・・まあなんかの方法ではいって全てを感じとってくることができるとするよ。そうすると本当に便利だよね。言葉を駆使して結果うまく伝わらない、なんてことは絶対ないしね。・・・でもさ、それじゃあつまらないって思わない?もしそんなことが可能なら、今こうやって響と話している時間もいらないってことになっちゃうんだよ。お互いの話したいことをちょっとみてくれば済んじゃうんだから。」

「・・・それもまた極端だと思うけど。でも、考え方としてはおもしろいかな。で、あとは?これで終わり?」

 絵都子の話はオチがつくことがあまりないので、響は続きを期待せず、念のため尋ねてみた。 だが意外なことにまだ続きがあった。

「あたしって絵描くじゃない。」 絵都子はいつも唐突な喋り口調だった。

「うん?」 だから?と聞きたい様子の響が答える。

「絵も同じかなあって思ってさ。わからないことを楽しみたい、だから描いている、そんな気がするんだ。芸術とかって、そういうところから生まれたんじゃないかなあ。あと音楽とかもさ、決まった鍵盤数の中で、なにかを伝えようと並べ替えをするんだもんね。小説なんかは50音の並べ替えでさ。絵は色の並べ替え。そうやってできたものを観る人間が、それを観ながら考えるんだ。あの曲はああいう風景を表現している、あの絵はこういう感情を表現している、あの小説はこういうことを言いたいんだろう、ってね。それがきっと楽しいんだよ。あとさ、人との会話も、わからないから楽しいんじゃないかな。いや、もちろん全然わからないのは困るけど、わからない部分がある、ってのがおもしろいんだよ、きっと。あの人の言っていたことは、きっとこういうことなんじゃないかな。とかね。 ・・・だからさ、つまり・・・」 絵都子は、少し考えるような仕草をしてから、

「映画とかを観てさ、何年か後になってから、ああ、あの映画のあのシーンで言いたかったことは、つまりこういうことだったんじゃないかなぁ、とか思うってこと。そういうことが、人間にとって大切なことなんじゃないかって、今は思うんだよ。」


 そう、あのとき言っていた。





#文学フリマ短編小説賞

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