#06
渇きを覚える光景だった。
プロト・イェーガー内の俺の分身たるアバターは、巨大な人型ロボット――猟機の操縦席にいた。
前方と左右に配置されたモニターから見えるのは砂や岩、草木のないむき出しの山肌ばかり。斜めに切り立った山の足元で、浅い川が唯一の恵みのように流れている。
ここは、深い渓谷の底だ。
感じるのは乾いた風と容赦ない暑さ――もちろんそれは実際の体感ではなくイメージでしかないが、まるで本物のように感じられる景色だった。
ちなみに、いま俺は一切猟機の操縦を行っていない。
谷底を猟機が自動的に移動している。それを俺は操縦席から眺めているだけだった。
「あの……こういうところは、自分では操作できないんですか?」
俺はこのゲーム映像をリアルタイムで共有しているはずの久世間に言った。
『それは、どういう意図での質問かな?』
「いや、ちょっと思っただけですけど……。そういう風にできたほうがいいんじゃないかな、って」
『ああ、そういうことか。貴重な意見をありがとう。だが、残念ながら現状はそこまでの設計はできていないんだ。今回は我慢してくれ』
「はい」
俺がこれまで、このプロト・イェーガーでこなしてきたのは、その大半が戦闘アクションの部分ばかりだった。
もちろんそれがメイン要素のゲームだから、わざと戦闘以外の部分は省いているのかもしれない。とはいえ、自分でもっと自由に動けたほうがいいと思うのは、俺が普段はゲームなどほとんどやらない素人だからだろうか。
せっかくこれほどの広大な仮想世界が用意できているのに、とは思ったが、仕様的まだそういう段階には達していないらしい。
やがて猟機の歩行が停止した。
川の上流には、小さな林があった。そこに猟機は身を隠すように分け入っていく。触れた木々が大きく揺れ、モニター越しに枝に止まっていた小さな鳥たちが飛び立つのが見えた。
そのまま視界が下降。猟機がしゃがみこんだのだ。
『予定地点に到着した』
久世間が告げる。
『さあ、ここからは守皇くんに操縦をゆだねる。準備はいいかい?』
「はい」
『これは事前にブリーフィングした通りだが……、正面から戦おうとは思わないでくれ。必要なのは――奇襲だ』
「はい。もうすぐ、敵が出てくるんですよね」
『そうだ。こちらから敵の情報を、きみがいま見ているモニター上に投影する。守皇くんには敵が射程圏内に入るのを待ち、攻撃してもらいたい。武装はこれまで通りの大口径ライフルだ。なにか質問は?』
「大丈夫です」
『結構。ではあと……約70秒後だ』
久世間が張り詰めた声で言った。
たかがVRゲームのテストで、ずいぶんと細かい手順を踏むものだ。もちろん製作している彼らからすれば「遊び」ではないのだろうが。
70秒が経過する――すこし前だった。
ばらばらと、空気が重い鉈で叩かれるような音が響いた。
それは俺にも聞き覚えがあるもの――
やがて渓谷の向こう側から、くすんだ空にひとつの影が浮かび上がる。
砂漠色のヘリコプターだった。
だが俺の知っている一般的なものとは、形状が大きくちがう。
細身で無骨なシルエット。小さな翼の下に装備されているのはロケットとかミサイルとか、そういう武器なのだろう。あるいはその両方かもしれない。
攻撃ヘリ。
このプロト・イェーガーでは、初めて登場する「敵」だった。
風切音がどんどん大きくなる。攻撃ヘリが緩やかな弧を描くように旋回している。
まだだ。
俺はこれまでのテストプレイで、この猟機が装備しているライフルの射程を体感で把握できるようになっていた。まだ――遠い。
幸いにも、敵はこちらの存在には気づいていない。
『タイミングはきみに委ねる』
久世間が短く告げる。
意識を集中した。
これまで通りだ。
たとえゲームだろうと、真剣に全力を注ぐ。それが彼らの望みであり、交わした契約だった。
それに、負けるのはあまり楽しいことではない。
最初は戸惑うことが多かったが、しだいにそう思う程度の余裕が俺のなかにも生まれつつあった。もしかしたら自分も一端のゲーマーになってきたのかもしれないな、などとらしくもないことを思ったとき。
稜線の影から攻撃ヘリが飛び出した。
今度はすぐ近く――
風圧で周囲の木々が揺さぶれ、機体を叩かれる。
全身に緊張が走る。
攻撃ヘリがすさまじい音と風をまき散らしながら、上空を通過する。
いま――
俺は右のスティックを引き、機体を立ち上がらせると同時に照準。
両手で保持したライフルを上空に向ける。
一発で当てられるか?
照準のマーカーを頼りに、トリガーを引く。
発砲。
衝撃で機体が揺れ、砲弾が空に吸い込まれる。
弾は――
攻撃ヘリのわずか下を貫き、轟音だけを響かせた。
「ちっ……!」
外した。
最大のチャンスだったのに。
ヘリが速度を上げる。機体を大きく傾け、小さい半径で旋回。
まずい。気づかれた。
『稜線に隠れて移動してくれ』
久世間に言われるより早く、俺は機体を走らせていた。
河川に沿うように狭い渓谷を抜ける。
だが川には巨大な岩がごろごろと転がっており、そこを避けようとしても両側は斜めに切り立った岩肌に囲まれている。ひどい地形だ。さきほどから何度も機体が傾き、そのたびに速度を大きく殺された。
敵は――
モニターにオーバーレイ表示で、自機と敵の位置関係が表示される。
真後ろだ。
こちらは地形に足を取られ、平坦な場所よりも動きが著しく制限されてしまっている。一方、それは空を行くあちら側には一切関係がない。
ヘリが進路を変えた。大きな円を描くように一旦距離をとる。なにをしようとしているのか、すぐにわかった。稜線を迂回してこちらの正面に出るつもりだ。
まずい。
今回の敵の攻撃力がどれくらいに設定されているかはわからないが、これまでの経験から言えば生易しいものではないはずだ。
これまでのテストプレイで、俺はいくつかのことを理解していた。
まず、猟機の装甲はそれほど堅牢ではない。
戦車の砲撃の直撃を受ければ、一撃で破壊されることもありうる。
それらに対して猟機が勝っている点は、瞬発的な運動性と、様々な地形を踏破することのできる「足」があることだ。もっとも、今回のように必ずしも優位に立てるわけでないが。
正面から撃ち合えば、火力で粉砕される。
なんとかして背後を取らなければ。
機体の進路を変更。モニター上の敵の仮想画像に注意しながら、山の斜面を駆け上がる。
頂上部付近で停止。右上空を通過するヘリを目視で確認。射程圏内ぎりぎり。すぐにライフルの照準を合わせる。トリガー。
空を切り裂いた砲弾は、しかしまたしても敵の後方をすり抜けてしまう。
駄目だ。
空を飛ぶ敵に攻撃を命中させることが、こんなにも大変だとは。
もっと近距離で背後を狙おうとしても、単純に向こうのほうが速い。追いつく前に逃げられてしまう。
今回のクエストは、ちょっと難易度が高すぎるのではないかと思ったが、それは終わってから伝えればいいことだ。いまは敵を全力で倒すのが、俺に与えられた仕事だ。
どうする?
最初は獲物を狙う側だったのが、立場が逆転してしまっている。
ヘリのローター音が獣の咆哮に聞こえた。現実の身体がぶるりと震える。
これではまるで、猛禽類におびえる小動物だ。
獲物――?
この俺が――?
ふつ、と激情が身体の内側から沸き起こる。
歯がゆさを感じた。
同時に理不尽さも。
どうして俺が逃げなければいけない。
自分のなかから湧き上がってきたもの――これはきっと「怒り」だ。
同時に自分でも不思議なほど、頭が冷めて、思考が冴えていく。
地上をはい回る小動物が、空を飛ぶ鷹を落とせないとだれが決めた?
後ろから回りこむのが難しいなら――
迷いを捨てた。
俺は機体を傾け、斜面を一気に駆け下りた。谷底が一気に近づく。その間も敵は有利な位置に移動している。
『守皇くん。危険だぞ』
久世間の警告は無視した。
恐れるな。
襲われる側になるな。
襲う側に立て。
猟犬の――狩人の側に――――
比較的広い谷底へと降り立つ。すでに逃れる時間も、そのつもりもなかった。冷静に覚悟を決めていた。
渓谷に挟まれた空から、攻撃ヘリが現れる。
威圧的な外観。どことなく蜂を連想させる面構えと向き合う。
俺はライフルを腰だめに構えたまま、攻撃ヘリに正面から近づくように機体を前進させた。
ヘッドオン。
敵からなにかが切り離さる。ワイヤーの尾を引いてこちらに飛来する。
それがなにかなど、どれだけの破壊をもたらすものであるかなど、考えはしなかった。ただそうすべきという本能のままにスティックを操り、ペダルを蹴りつける。
スラスター・オン。
機体がこれまでとはけた違いの加速を行う。
直後、背後から衝撃と轟音が弾ける。
爆風を背に飛び、斜面を蹴りつけ、そこから再度加速。
敵と進路が交差する。
機体が攻撃のヘリの真下を通過。
抜けた。
姿勢制御の激しいアラーム音を無視し、俺は機体を前方に投げ出した。
対空状態で腰部をひねり、ライフルの照準をヘリの腹に合わせる。
トリガー。
砲口から吐き出された徹甲弾がヘリのテイルロータを吹き飛ばす。
命中。今度こそ。
ヘリが炎を吹く。
その機体は急速に制御を失い、くるくると回りながら一気に高度を失っていく。
地面に墜落。
大きな爆発が起き、煙と大量の砂埃が吹き上がった。
<< TARGET DESTROYED >>
モニターに撃破認定の表示が流れ、俺は大きく息を――現実の身体のほうで吐いていた。
「ははっ……」
胸がすくようだった。
気持ちがいい。
楽しいじゃないか。
これはきっといいゲームになるだろう、と俺は本心から思った。
こんな風に、狩人の側に立てるゲームなら。
『――――くん。守皇くん』
久世間の声が聞こえた。
「あっ、すみません。なんですか?」
『いや、ご苦労だった。実にすばらしい動きだったよ。……やはり、きみは予想以上だ』
「……どうも。えっと、じゃあこれでよかったですかね」
『ああ、十分いいデータが取れた。あとはまたこちらでコントロールを引き継ぐ。通常の手順でログアウトしてくれ』
「は、はい」
俺は言われるまま、これまでのように猟機のコンソールとは別にアバターからメニュー画面を呼び出し、ログアウトの操作を行おうとした。
そのとき、頭に割れるような感覚が走った。
「いっ……」
鋭く走り、鈍く残る頭痛。
いままでにも似たものは何度かあったが、これほど強いものは初めてだった。
とても奇妙な感覚だった。
なんだろう――――わからない――不思議な――――
いま――――なにか――大切なことを――――
ぼんやりとした頭のまま、俺はふとさきほど撃破した敵の残骸のほうに視線を向けた。
炎の勢いはいまだ衰えず、攻撃ヘリのグラフィックもまだ消えずに残っている。演出のため、しばらくは表示されるようにしているのかもしれない。
メインカメラで墜落地点を拡大した。
その映像は非常に精密で、リアルだった。
ぐしゃぐしゃになった攻撃ヘリのコックピット――キャノピーの中の操縦席が覗いていた。ぼんやりと眺めていると、もぞりとなにかが動くのが見えた。
「え?」
パイロットスーツを着た人間、のように見えた。
だが、なにかがちがう。
どこか騙し絵を見ているような違和感。その理由を、俺はすぐに理解した。
その人間は小さかった。
なぜかといえば、それは下半身がなかったからだ。
残骸の下から、腰から下が欠けている人間が、ゆっくりと這って出てくる。
前方に手を伸ばし、地面を何度も何度も掻いている。それにもかかわらず、身体はほとんど進んでいなかった。
これは――――なんだ?
リアルという言葉では到底補い切れない映像。
ここまで精巧なCGが作れるのか。いや、作れたとして、このゲームでここまで作り込む必要があるのか。
俺はもう一度、その人間を注視した。
ヘルメットのバイザーが割れ、そこからわずかに浅黒い素顔が覗いていた。
パイロットが顔を上げ、こちらの機体を――“俺”を見る。
目が合った。
その瞬間、俺は反射的にVHMDをむしり取っていた。
*
見慣れた自分の家の居間。
端末を広げた久世間の会社のスタッフたちが、驚いた顔で俺を見ていた。
全身にびっしりと鳥肌が立っている。
吐き気と寒気に同時に襲われ、俺はその場にうずくまった。
「大丈夫かい?」
「……!!」
久世間が俺を見下ろしている。
いつもとなんら変わらぬ態度。なにも変わったことはないという態度。
それが、それこそが、恐ろしくてたまらなかった。
「あ、あれ……」
この眼で見た。
強い確信があった。
あれは決して――――CGなどではない。
「守皇くん。なにをそんなに恐れているんだい?」
久世間は俺を落ち着かせるように、穏やかに言った。
いや――言い聞かせるように。
まるで、信じ込ませるかのように。
「これはただのゲームだ。そうだろう?」
その言葉はある意味で、嘘偽りのない真実だったのだろう。
すくなくとも、この男――久世間有為にとっては。
その言葉の本当の意味を。
そのとき俺が理解できていたのなら、なにかを変えられたのだろうか。
未来は、変わったのだろうか。
次回、EP00/第3話『誤りと過ち』
分水嶺です。