#03
すべてが白に埋め尽くされている。
気づくと、俺は見知らぬ場所に立っていた。
とてつもなく広大な空間。
壁や天井も終わりがどこかわからないほどに、白く半透明な地面が延々と広がっていた。
ここは、どこだ?
俺はとっさに、自分の手を見た。まず違和感を覚える。
にぎって、開く。繰り返す。手のひらをつねってみる。
感覚はない。
『はは、触覚のフィードバックはないよ。現行の技術だとさすがにまだそこまでの再現は難しくてね。その代わり、視覚と聴覚から部分的な“体感”を再現するようになってる』
どこからか久世間の声がした。
『けど、ちゃんと身体の動かし方はわかるみたいだね』
「俺はなにもしてないですけど……」
『思うだけでいいんだよ。VHMDがきみの脳波を検出し、それをアバターの動きとして指先一本まで再現してくれる。コツはあくまでアバターを動かすと意識することだ。できるかな?』
「はい、たぶん……」
俺は周囲を改めて見渡してみた。
広いだけでなにもない。
『すまないね、まだ色々と調整中の部分が残っているんだ。まあここはいずれ廃棄する予定の場所だから、自由に動き回ってもらって構わない』
本当はここにもちゃんとした景色ができる、ということだろうか。
『きみはいま、仮想の身体を与えられて、VR空間内にいる』
目の前に、突如として鏡が出現した。
そこに映っていたのは、見知らぬ少年だった。
顔だちは俺とは似ているようで、微妙に異なる。奇妙な気分だった。服装も見慣れないライダージャケットのようなものを着ている。
「これが、俺ですか……」
『なるべくきみに似せて作ったつもりだけど、ちょっとちがったかな?』
手も、指も、よく見ると細部は現実の俺のものとはまったく異なる。
当たり前か。
これはデータで作られた映像なのだから。
『まあ、アバターについてはそんなに重要じゃないんだ。いまのところはね』
そういえば、まだこれがどんなゲームなのか聞いていなかった。
久世間は矢継ぎ早に説明する。
『それでは、「コマンド、ロード」と口にしてくれ。できるだけ、はっきりとだ』
「それは、どういう意味ですか?」
『口で説明するより、体感してもらったほうが早い』
なにが起こるのか、不安が頭をよぎる。
ためらいがあったが、どうせゲームのなかだ。思い切って口にする。
「コマンド、ロード」
一瞬にして、視界が切り替わる。
狭い空間のなかに俺は座っていた。
正面や左右には、変わらずあの白い風景が広がっている。だがなにかちがう。遅れて、俺は、自分の視線が十数メートルほど高くなっていることに気づき、ぞっとした。
目の前に映っているのは、どうやらモニター越しの映像のようだ。
「ここは……?」
『きみはいま、猟機と呼ばれる人型兵器のコックピットにいる。さっきのは、機体の呼び出し命令となる言葉なんだ』
左右にスティックが二つ。
足元には同じく二つ、踏み込み式のペダルがあり、下手に踏まないようにそっとつま先を浮かした。
視界に重なるいくつかのアイコンには指で触れることで操作できるようだった。
『じゃあ、好きに動かしてみて』
「動かすって、どうやって……」
いきなりロボットを操縦しろと言われても、なにひとつわからない。
『スティックはきみの微妙な力加減を感知し、それを機体に伝えてくれる。左が機体の移動制御、右が姿勢制御をつかさどっている』
右のスティックをそっと手前に引いてみた。
視界がゆっくりと、上を向く。
だが俺の身体は水平を保ったままだ。
左に傾けると、景色は変わりばえしなかったが、横を向いたのがわかった。
『じゃあ今度は、左足のペダルを踏んでみて』
「はい……」
足をつけ、慎重に踏み込んでみる。
視界が縦に揺れ、振動が伝わってきた。
ロボットが一歩前に踏み出したのだ。
本当に操縦席にいるような感覚だった。
『そのまま前に踏み続けていれば、機体は勝手に歩き続ける』
一歩、また一歩。
地面を踏みしめる感触が全身に伝わる――正確には、映像と音響によってそれを体験しているのだろうが。
『スティックを保持したまま、今度は右のペダルを、強めに蹴ってみて』
久世間に言われるまま、ペダルを蹴った。
途端、周囲の光景が風のように流れる。
「うわっ!」
俺はあわててスティックを戻して、ペダルから足を離していた。
がくん、と強く揺れ、静寂が戻る。
止まった。
動悸が速まる。もちろん現実の身体のだ。
「なにが……」
『はは、ごめんよ。どういう反応をするか見たくてね。いまのは、スラスターによる加速だよ。これにより、猟機は人間では不可能な、立体的で変則的な機動をとることができる』
笑みを含みながら久世間が説明した。
『ただ、戦闘中はほとんどいまの速度で動き続けることが必要になる。だんだと慣れていってもらいたい』
いまの速さでずっと?
そんなこと、本当にできるようになるのだろうか。
想像ができなかった。
久世間の説明を聞く限りでも、やることは山のようにあった。
動き回るだけではない。
敵を倒す武器の操作。敵を探す索敵行動。自機の状態管理。
これだけのことを同時にこなさなければならないらしい。
軽くめまいがした。
まだ開発段階のゲームとはいえ、これを極めるやつは、日常生活を犠牲にしてひたすらゲームに打ち込むような根暗なコミュ障野郎にちがいない。
絶対に会うことはないだろう未来のだれかを中傷しながら、俺は教えられたことをなんとか頭のなかで整理した。
『これからアシスト機能は充実させていくつもりだよ。あまり難しすぎるとゲームとして成立しないからね。その一方でマニュアル操作による幅広い自在性も再現したい。バランスが難しいところでね』
そういった部分の調整を行うための被験者。それが自分ということだろうか。
スティックには指の数だけスイッチが並び、親指の位置には丸いボールセンサーがついている。マニュアルに切り替えればこれで細かい手足の動作も行うことができるとのことだった。
だがそんな余裕など、いまの俺にはない。
なんとか歩かせられるようになったところで、久世間が言った。
『さて、じゃあ時間もないことだし、そろそろ演習をはじめてみようか』
「演習?」
久世間が言った直後、再び周囲の光景が切り変わった。
一気に薄暗くなった。
見えるのは赤茶色の土と、まっすぐ伸びた無数の大木。
深い森の中だった。
田舎の田園風景を見慣れていたからか、一目で日本の森林とは雰囲気がちがうことに気づいた。
モチーフは、どこか外国の原生林だろうか。
さきほどまでとは打って変わって精細な光景だった。これはたしかに、現実と区別がつかないほどだ。
『敵が近づいているよ。北の方角から』
「敵……?」
『画像を拡大して出す』
視界の端に、べつのカメラで捉えたらしき映像が表示された。
森のなかを進む平べったい影。
長い砲塔に、重機のようなベルト付きの車輪。
――戦車だ。
SFチックな奇抜な外見ではない。俺に詳しい知識はないが、おそらくは現実のどこかで動いているような無骨な雰囲気だ。
ウィンドウの映像が、戦車の位置を示すかのように動き、しだいに視界の中央へと移動する。
やがてウィンドウが消え、モニター上に戦車が見えた。
直後、轟音が鳴り響いた。
湿った土砂が大量に吹き上がり、コックピットが激しく揺れた。
「な、なに!?」
『撃たれているね。そのままだと、戦車砲に吹き飛ばされるよ』
「そ、そんな……」
逃げなければ――
本能的な恐怖からスティックを動かす。
だがまだ俺は思った方向に歩かせるのが精一杯だった。
木々の陰の隙間から、走行する戦車の影が見えた。
速い。戦車とはもっと鈍重なものだというイメージを勝手に抱いていたが、どうやらこのゲームではちがうらしい。
焦りがつのる。
一方で、久世間の声は淡々としていた。
『きみの猟機は、KGFR……大口径のライフルを装備している。照準は右のスティックで合わせるんだ。初期設定では機体の姿勢と連動している』
そう言われても、いまの俺にはすぐに攻撃に転じる余裕などない。
砲撃は止まない。
再び至近距離に着弾。水しぶきのような土が横から降りかかる。
斜面を見つけて、そこになんとか機体を隠した。
砲撃音が止まない。
俺は迫力に気圧され、身動きがひとつとれなかった。
頭上の大木が弾け飛ぶ。
大量の葉と木の破片が頭上から降りかかる。
大木は壁にはならない。出た途端、撃たれる。
しだいに大きくなる――近づく走行音が、俺の恐怖をかきたてた。
戦うなんて、到底無理だ。
『どうした。あれは敵だよ。きみが倒すべきものだ』
久世間が言った。
敵。
現実と同じ。
沖田に殴られたときの、血の味がよみがえる。
敵は、たしかに存在する。
それは向こうが、こちらを敵と認識するからだ。そして邪魔をし、ときには攻撃してくる。そうなればただ耐えるしかない。
もし、それができないのなら、
敵は排除しなければいけない。
自分が排除されるくらいなら。
これはゲームだ。べつにやられたところでなんの問題もない。やられてもやり直せばいいだけのはずだ。
血が沸いてくる。
たとえゲームのなかであろうと、いやだからこそ、遠慮なくやり返すことができる。
完膚なきまでに。
取り返しがつかないほどに。
壊していいんだ――
「……この武器で、敵は倒せるんですか?」
『距離があると装甲が抜けない可能性が高い。一番確実なのは至近距離で、かつ装甲のうすい砲塔の天井部を狙うことだ』
戦車の音が近づいてくる。
『左下にあるKGFRというアイコンに触れるんだ。それで自動的に武器を構える』
KGFR、これか。
触れると腕が勝手に動き出し、視界に銃身が映った。いまこの機体の腕で、ライフルを構えたのだ。
同時にモニター上に、照準らしきマークが表示される。
「やります」
もう迷いはない。俺は機体を斜面から飛び出させ、すぐ横手に移動した。
疾駆する暗い影に照準を合わせ、トリガーを引く。
向こうも撃った。
同時に着弾。衝撃と轟音が重なる。
どちらも命中せず。
あきらかに砲の威力がちがう。たしかにこれでは撃ち負ける。
移動速度も互角。
それなら――
右のスティックを動かし、振り向く。今度は斜めから切り込むように接近していく。
当たったらそれまでだ。
だがそのリスキーな行動を、いまの俺はどこか楽しんでいた。
いや、いける。
当たらない――そんな気がする――俺ならかわせる――――
ほんの数メートル手前の大樹の幹が弾け飛ぶ。
思った通りだ。
密集する木々が邪魔をして、照準が定まっていない。
あとすこし。
戦車が後退しながら、その砲塔が旋回する。
場所が開ける。砲がこちらを向いた。
「飛べ……!」
スティックを引き、ペダルを蹴りつけた。
大気を貫いた衝撃は、足元――そのさらに下。
機体が宙に浮いていた。
真下に戦車を捉えながら、その上を通り過ぎる。
すべてをスローモーションに感じた。
戦車の真後ろに着地。
シェイクされるような振動に耐え、ライフルの照準を合わせる。
だがそのとき、戦車の砲塔が回った。
砲に殴られる――
とっさに照準をずらし、背中で受ける。
視界揺れて機体が前に傾く。だがその場で姿勢を戻し踏ん張る。倒れていない。
今度はこちらの番。
戦車の天井に銃口を押し当て、トリガーを引いた。
「うあああああああ!!」
銃口の先から閃光がまたたく。
もうもうと吹きあがった煙で視界が悪い。だが命中している。貫通する手応えのようなものがあった。
やがて、発砲が勝手に止まった。
反応しないトリガーを不審に思ったとき、先ほどのアイコンが赤く点滅していた。
弾切れ、ということだろうか。
俺が戦車の様子を確認しようとしたとき、
『離れろっ!』
久世間が叫んだ。
とっさにスティックを戻し、ペダルを蹴った。
後ろに飛び退り、木に衝突。
直後、戦車が爆発した。
「な……」
薄暗い森が、炎に照らされる。
あっけにとられていた俺はバランスを崩し、機体が後ろに傾く。
転ぶ――思わず身構えたが、予想していた衝撃はない。どうやら機体は姿勢安定のため自動的にしゃがみこんだらしい。
目の前の光景に、俺は息を飲んでいた。
<< TARGET DESTROYED >>
なにかの文字列が、視界の正面に流れた。
「これは……」
『撃破認定。敵を倒したってことだよ』
「倒した……」
そうか。
ゲームなのだから、そういう判定があるのは普通か。
いまの敵がどのくらいの難易度のものなのかはわからないが、ちょっと難しすぎるのではないかと思った。
いや、だが結果的に倒せたということは、そうでもないのだろうか。
なにか意見を言ったほうがいいのかと、考えあぐねていたとき。
くぐもった声が聞こえてきた。
久世間が笑っていた。
まるでこみ上げる衝動に耐えられないように。
「……久世間、さん?」
『はじめてにしては、上出来だよ。やはり、僕たちの認識は正しかった』
なにがそんなに愉快なのかわからず、黙り込んだ俺に、久世間は最初に会ったときと同じく軽薄な口調で言った。
『これからもよろしくね、貴峰守皇くん』
まもなくVHMDの接続が切られ、俺は現実へと帰った。
*
教壇の横で、教師が数学の応用問題を解説している。
前にいた高校より授業のレベルは高かったが、ついていくのは難しくなかった。
多少話をする友人もできた。入学初日、俺のことを野球が上手いと決めつけていた長谷部という男だ。もちろん俺は野球部には入らなかったが、ときどき他の連中とグラウンドで遊ぶこともある。
沖田も無事退院し、学校に戻ってきていた。
事故の前にあの一件があったため、復帰後もまともに話すことはなかったが、かといって衝突もない。
順調な日々。
気が付けば、もう三限目まで終わっていた。
妙な感覚だった。
いつの間に、こんな時間が経ったのだろう?
だがノートはしっかりと取ってある。記憶だけが不鮮明だった。
「どうしたの、すーくん。ぼーっとしてない?」
リリが隣に立っていた。
「べつに。ちょっと、眠いだけ」
「そう? なんか、元気なさそう」
リリがのぞきこむ。その視線になぜか向き合うのが億劫で、俺は目をそらした。
「大丈夫だって」
「でも……」
リリが俺の顔に手を伸ばした。
無意識の行動だった。
俺の手がそれを払っていた。
リリが驚いたように目を開き、ぶつかった手をおさえている。俺自身も似たような表情をしているにちがいなかった。
「すーくん、なんか、こわい」
「悪い……」
「ううん。それより、ほんとにだいじょうぶ? ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるよ」
「なら、いいんだけど……」
リリは控えめに笑った。
普段の屈託のない笑みをよく知っているからこそ、それがこわばっていることが、すぐにわかった。
無理をしているのはどっちだよ。
妙な疲労感が、頭に残っていた。
あのゲームをやってからだ。
はじめてのVRゲームだったので、車酔いのようなものかもしれない。ただそれにしては、休んでもなかなか消えてくれなかった。
不快な頭痛。
だが、あのよくわからないゲームに付き合うだけで、俺は自活できる。こんなに恵まれたことはない。
斜め前に座るリリは、真剣に授業を聞いている。
その横顔を眺めていられることを、幸運だと感じる。
いま俺の近くには、こいつがいる。
そうだ。
俺には力が必要だ。
そうすれば、いずれこいつとだって。
もしかしたら、あの頃からすでに芽生え始めていたかもしれないその願いを、俺は胸の奥に押し込んだ。
だがその隣には正体のわからない不安が、気配を殺してひそみ続けていた。
それは、俺がずっと渇望していたものを、この手に収めるまでの顛末。
それは、俺がすでに手に入れていたはずのものを、失うまでの記録。
――それは、俺が“黒の竜”と呼ばれるまでの物語。
このような形で始まりとなりました
『プロト・イェーガー』ですが、
こちらは本編の進行に合わせてまた更新していければ、、と思っています。
すこし気が長い進行となりますが、
お付き合い頂ければ幸いです。