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プロト・イェーガー  作者: 来生直紀
EP00/ 第1話 歪んだ刃 
2/10

#01

 さびれた無人駅のホームに、俺は降り立った。

 ほかに客の姿はない。

 時刻表にある電車の到着時間は、一時間おき。 

 そこからバスに乗り継いだ。やはり閑散とした車内で揺られていると、まもなく延々とつづく田園風景に囲まれた。

 ひさしぶりに見るその光景は、記憶とほとんど変わっていない。

 田舎なのは変わらないが、それでもあそこよりはだいぶマシだった。空気も澄んでいる気がする。良く言えばのどかと思えなくもない。 

 バスを降りて、俺はこれから住むことになる貸し家に向かう予定だった。久世間が言うには、少々古いものの良い物件らしい。 

 だが俺の足は自然と、家とはべつの方向の、ある場所に向かっていた。

 近づくにつれ、記憶が勝手に掘り起こされていく。

 よく遊んだばかに広い公園。学校の裏山。遠くから眺めたダムの壁。どれもが長い時間の奥に仕舞われていたものであったにもかかわらず、こうして歩いているとその隔たりそのものがなかったかのように、鮮明に思い出すことができた。

 やがて、俺は目的の場所に到着した。

細い土道から脇に入っていったところで、大きく林が切り開かれている。かつて一軒家があった広い敷地は、いまではただの更地になっていた。

 当たり前だ。

 あいつはもう、ここにはいない。

 しばらく立ち尽くしていたが、俺は自分で予想していたより淡々としていた。

 感傷はない。

 そもそも昔の出来事であり、なにかを期待していたわけではない。ただこれでようやく、これまで中途半端に揺れていた気持ちがすっぱりと整理された気がした。

 立ち去ろうと、俺はきびすを返した。そのときだった。


「すーくん……?」


 声がした。

 目の前に、見知らぬ少女が立っていた。

 少女は俺の顔をまじまじと眺めたまま、固まっている。だがきっと俺もまた、同じような、あるいはそれ以上の驚きをあらわにしたのかもしれなかった。

 えんじ色のチュニックを着ている。私服姿なのは、今日が休日だからだろう。くせのついた淡い栗色の髪がそよ風に揺れる。すこし垂れぎみの目は大きく、やわらかく笑っている表情が容易に想像できる印象のそれを、いまはいっぱいに見開いていた。

 似ている――――と思った。

 少女がゆっくりとこちらに近づいてくる。

 俺は一歩も動けない。まさか、と強い疑いを持ったまま、しかしすぐには信じられない。

 呆然としたその表情が崩れ、大きな変化が生じる。

 大きな瞳から溢れた雫が、頬を伝い落ちた。

 唐突な涙に、俺は確信を抱く。

「すーくん!」

 少女がぶかつるような勢いで、こちらに飛び込んできた。

 衝撃によろけながら、少女の華奢な身体を受け止める。胸から伝わるその温かさに、彼女が幻ではないと思い知る。

「うそ…………すごい…………戻って、きたんだ……」

 その声。

 記憶に刻まれたもの。

 それを自分がどれだけ鮮明に覚えていたのか、そのとき俺ははじめて理解した。


「リリ」


 俺の呼び声に少女が顔を上げ、記憶の通りに目を細めた。

「また、昔みたいに呼んでくれたね……」

 俺は感動や興奮といった言葉を超えた衝撃に打ちのめされていた。

 どうして、こいつがここに――

 とっくにいなくなったと、そう思っていたのに。

 俺は混乱した頭で必死に状況を理解しようとしたが、胸に預けられる現実の重さに身動きがとれず、とりあえず固まっているしかできなかった。

 かつて友達だったその少女が離れるまで、しばらくそうしていた。



「おじいちゃんの具合が、悪くなってね」

 まだ生き残っていた小さな商店の前の休憩所で、リリは語った。

 リリとは、俺が小学校に入る前からよく遊んでいた。

 小学校に入ってから、俺の回りからは友達と呼べる存在がどんどん離れていくなか、唯一、変わらずに接してきたのがリリだった。

 だがそのリリも、両親の仕事の都合で引越しが決まっていた。

 その直前に俺も施設に移ることが決まり、後のことはお互いなにも知らなかった。

 それが二年前、病気をわずらっていた祖父の容態が悪化し、母親と近くの実家に戻ってきているとのことだった。

「すーくんは、どうして?」

「施設を出た。いまは……というかこれからだけど、一人暮らしすることになる」

「えっ……す、すごい!」

 リリは目を丸くしている。

 この大仰な反応。まるで昔と変わっていない。

「リリは、どうなんだよ」

 “リリ”というのは愛称だ。

 本名は、弓月凛理(ゆづきりんり)。同い年だ。いつから、どうしてそう呼びはじめたのかは、よく覚えていない。

「ふつうに学校行ってるよ。ここの私立高なんだけど。すっっっっっごく勉強して、ようやく受かったんだから」

 リリは鼻を高くしていたが、俺は妙な予感がした。 

「すーくん、高校は?」

「……宋英ってところに、通う」

「うちの学校! すごい!」

 リリは興奮して俺につかみかかり、すさまじい勢いでゆさぶった。されるがまま揺れながら俺はさらなる驚きに唖然とするほかなかった。

 試験に合格した俺は、新しい高校に転入が決まっていた。

 こちらに戻ってきたのはそのためだが、その土地にリリまで帰ってきていて、あまつさえ学校まで同じとは。

 もっともこのあたりは子供の数も学校の数も少なく、それほど選択肢は多くない。大抵は学区内の公立高校に通うか、やや県の中心部に近づいた場所に立地する宋英高校に通うことになる。

「またいっしょだね、すーくん」

 リリはなんの照れもなく笑顔を向けて口にした。

 俺は妙な気まずさを覚えて視線をそらす。

「それ、よせ」

「なにが?」

「だから……その、呼び方」

 リリは目をまたたかせ、首をかしげた。

「なんで?」

「なんでもだ」

「じゃあ……守皇くん? う~~、なんか、へんだよ」

「……それは、俺の名前が変だって言いたいのか?」

「そ、そんな意味じゃないってば!」

 あわてふためいたリリは、すっちぃ、すーじぃ、おーじぃなどと奇妙な呼び名をつぶやきはじめたため、俺は結局もとの愛称で妥協せざるを得なかった。

「とにかく、またよろしくね、すーくん」

 リリはいまにも小躍りしそうなほどはしゃいでいる。なにがそんなに嬉しいのか。

 呆れるほど、変わっていない。

 まるで小さい子供のように笑うリリを見て、俺はようやく帰ってきたのだということを実感した。


 *


 翌週から、俺はリリと同じ学校に通いはじめた。

 一年三組の教室で、俺はこの時期としては、あるいはこの学校としてはめずらしい転校生として紹介された。

「貴峰守皇です。よろしくお願いします」

 クラスメイトから、よそ者に対する好奇の視線が注がれる。

 窓際の席にリリがいた。小さく手を振っている。

 内心でため息をついた。

 学年に3クラスしかなければ、当たる可能性は十分予測していた。それでも俺は運が悪いほうらしい。

 HRが終わると、さっそくクラスメイトたちに囲まれた。

「ねぇねぇ、どこから来たの?」

「なにか部活やってた? うちの天文部こない?」

「いやこいつはきっと野球が上手い。まちがいない」

「弁当派? 学食派? 今日いっしょに飯食おうぜ~」

 浴びせられる質問の嵐。とりあえず最初の問いにだけ答える。

「……東ヶ谷から」

「なんだぁ。もっと遠くから来たのかと思った。仙台とか東京とか」

 なぜか残念そうに言われた。 

「貴峰くん、なんか大人っぽいよね。言われない?」

「べつに……」

 知らない。言われたこともない。

 それを言うならそっちが幼いのではないかと思ったが、自分から雰囲気を険悪にする必要はないため俺は黙っていた。

 ようやく昼休みを迎えて、俺が適当な男子連中と飯を食おうと弁当箱を取り出すと、横からリリが食いついてきた。

「お弁当つくってきてるの!? 自分で!?」

「俺が作らなかったら、だれが作るんだよ」

 節約のため、俺はなるべく自炊するようにしている。

 たいして見栄えのいいものは作らないが、施設では当番制で手伝いをさせられていたので、簡単な料理くらいなら慣れていた。

「そうだけど……すごい」

「べつに……米炊いて、夕食の余りとか、冷凍食品詰めてるだけだ」

「十分すごいよっ!」

 因みにリリの口癖は、すごい、だ。

 昔から、それすら変わっていなかった。

 まるで成長していないような気がする。変わったことといえば背丈と、あとは――

 俺の視線はすこし下がり、その女らしい盛り上がりにぶつかる。

 たしかに、成長はしている。すこし予想以上に。

「……どうしたの?」

「な、なんでもない」

 ぽかんとしているリリから身体をそらし、俺は弁当をかきこんだ。

「なに、ふたりは知り合いなん?」

 人の良さそうな坊主頭の男子がリリに聞く。たしか名前は、長谷部、だったか。

「すーくんはね、もともとここに住んでたんだよ」

 リリはなぜか誇らしげに胸を張った。その会話を近くの席にいた女子グループが聞きつける。

「なになに、凜理の知り合いだったの?」

「もしかして……彼氏?」

「え……?」

「うそ――――――!!」

 教室が沸いた。金切り音のような女子の悲鳴を俺は顔をしかめる。

「ち、ちがうよっ……そういうんじゃ……」

 リリが慌てて弁解しているが、周りが面白そうにいじって彼氏だと騒ぎ立てる。さきほどまでの勢いはどうしたのか、リリは言葉に詰まっている。

 俺はさっさと弁当を食い終え、仕方なくリリに助け舟を出そうとしてすると、

「その辺にしとけよ」

 太い声がした。

「あ、沖田くん」

 リリの視線の先――背が高く体格のいい男子生徒が、こちらを見ていた。

 目が合った。

「次、体育だぞ」

 一瞬ぽかんとしたクラスメイトたちだったが、しだいに蜘蛛の子のようにぱらぱらと散っていく。着替えないといけないので昼休みはやや削られる。

 俺もリリに促されながら教室を出たところで、さきほどの沖田と呼ばれたやつに声をかけられた。

「おまえ、弓月の知り合いか?」

 俺は小さく顎を引いてうなずいた。

 その剣呑な視線を訝りながら見返していると、リリが短く紹介した。

「えっとね、沖田晃くん。部活一緒なんだ」

「部活?」

「陸上部だよ。あれ、言ってなかったけ? わたしはマネだけど。沖田くんは選手だよ」

「……遅れるぞ」

 沖田は無愛想に言って、先を歩き始めた。

 沖田晃。

 第一印象は――――嫌いなやつだった。



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