大騒ぎ
「まさか知らない訳じゃないだろう。日本が戦争に負けた事を」
井深さんはあっけらかんと私に大切な事を言った様な気がする。
その事を聞いてなんだが口角の右端が引きつってきた。
私は「はは…」と引き笑をすると恐る恐る
「あのー、今日の日付けって何月何日ですか…」
と聞いてみた。
「んー。そういえば近々、仕事の打ち合わせがどっかとあった様な気がするなぁ」
と、言いながら盛田さんは向かい側の壁に掛けてある黒板に目をやった。
「おっと…僕もこうしちゃあおれないぞ」
そう言いながら井深さんは私の前から足早に去って行った。
結局ラジオ用のコンバーターの詳細は聞きそびれた。
そして私は盛田さんの見ている黒板に目線を合わせた。
そこには商品の納期と、材料などの入庫予定思われるものがビッシリと書き込まれており、そこからこの会社の忙しさが伺えた。
盛田さんは少し離れた場所にあるこの黒板を目を細めながら見て「今日は5月15日だね」と教えてくれた。
しかし、私は日付けの横に書かれていた年号を見て思わず絶句した。
「昭和21年って…」
しかし、盛田さんは私の心情とは裏腹に「あぁ、そうだけど、それが?」と、軽く受け流す程度だった。
背筋に一筋の汗が流れる。私は改めて部屋の中を見渡す。
オフィスとも町工場とも取れない微妙な感じ。
どちらかと言うと言葉は悪いがモグリの業者が何かを密造しているようにも見えかねない。
そして今のオフィスで絶対見かける物がこの部屋には無いのだ。
嫌な予感はするが私の今いる場所の事をハッキリさせる為にも、その疑問を盛田さんに聞いてみた。
「あの~、この会社はパソコンを使わないで在庫管理をしてるのですか?」
「ぱそ…こん…。何かを測定する装置かな?いやでもキミは在庫管理と言ったね…アメリカとかにはそんな便利な機械があるのかなぁ」
先程までのやり手のビジネスマンのような成りを潜め、盛田さんは「パソコン」と言う聞き慣れない
言葉の答えを模索している様子だ。
私はその自問自答している態度がもどかしくなりつい、
「パーソナルコンピュータ、コンピュータの事です」
と、口走ってしまった。
「コンピュータ⁉」
盛田さんが素っ頓狂な声をあげる。その声は部屋に響き渡り、一瞬の静寂が訪れた。
すると
「コンピュータがどうしたって!」
とその静寂を破るように井深さんと他の人達も一緒になって私の周りに集まって来た。
私はその人だかりに一瞬驚いたが自分が今、何処にいるかの核心も同時に持てた。
正直、今時パソコン如きで人だかりが出来る事なんてあり得ない。
明らかに私の周りにいる人達は自分が今生きている時代とは違う人達なのだ。
そしてそれは同時に私がこの時代の人間ではない事を告げている。
つまり私は何らかの原因で過去に飛ばされてしまったのだ。
ここにいる人達にとってコンピュータの存在はまだまだ遠いものなのだ。
私は自分が軽率に発した言葉に少し後悔した。まさかただ一言「コンピュータ」と言っただけでこの黒山の人だかり。
この人達の好奇心は正直、尋常ならざるを得ないものだ。
色々な所から色々な質問が飛んでくる。
私は当然パソコンの技術者ではないので何も答えられない。
「うー」とか「あー」とか言ってるウチに場の空気がどうやら白けて来た。
人の輪がバラバラと外から崩れていく。
そして最後に残ったのが井深さんと盛田さんだ。
二人は何か言いたげな顔をしていたので思わず「すみません」という言葉が突いてでた。
そんな私を見ると二人は顔を見合わせて少し申し訳なさそうな顔した。
「すまない。私が変な声をあげたばかりに」
「いや、盛田君が悪い訳じゃない。僕が年甲斐もなく騒いだからこうなったんだよ。なんせコンピュータの情報なんて日本には殆ど入ってこないからね~。ほんのちょっとでも何か知る事ができたら儲け物、って感じで皆んな集まったんだよ」
私はバツが悪くなり黙り込んでしまった。
「しかし、キミは何者だい?我々、技術者でも滅多使わない言葉や新技術の事をよく吐き出すが…」
盛田さんは少し疑いの眼差しをこちらに向けた。
私は意を決して自分の素性を明かそうと顔を上げて二人を見た。
しかし井深さんが
「盛田君。初対面の女性にそんな事を聞くのは野暮ってもんだよ、機械が好きな女性が現れた。ただそれだけでいいじゃないか!我々、技術者にとって同志が増える事は実に喜ばしい事だ」
と言って遮った。
「まぁ、井深さんがそう仰るなら…。それにコンピュータのことなら最近『無線と実験』にちらほら記事が載ってますしね」
「その雑誌私もたまに見ます!」
思わぬ所に共通点を見つけて私は喜びの声をあげて立ち上がった。
「おぉ!そうか」
「なるほど!それで合点がいったよ!君もあの雑誌の愛読者だったんだね!」
井深さんと盛田さんの表情がパッと明るくなる。
まるで公園で子供達が意気投合して集まるような雰囲気だ。
「よし!こうしちゃあいれないぞ!早く仕事を終わらせよう!今宵は盛田嬢にわが東京通信工業の未来について御指南してもらおうではないか!」
井深さんはそう言うと猛烈な勢いで作業台に戻って言った。
私はそれを見るとひと安心感したが、少しばかり心に引っかかりを感じた。
「盛田…、井深…、東京通信工業
…この人達の名前。どこかで聞き覚えが…。」