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6話

この国は古来、年功序列が著しく守られてきた。

それは今でも古い習慣として残っており、人々はそれを当然の事として生活している。


長男としてその家を継ぐ者の、呼び名を家名にするのもその一つだ。

ランス家に生まれた二人の男児。当然のように先に生まれたエルマーはランスと呼ばれ、リューイは己の名で呼ばれることになった。

人々がランスと呼べば、それはエルマーの事を指す。青いキャスケットを被り、明るく利口なエルマー。


そんなエルマーが一度、風邪を引いて寝込んだことがあった。

10年前の秋。美しい満月の夜。

重い体を引きずって外に出ようとしていたエルマーを見つけ、リューイは慌てて引き止めた。

「何をしてるんだ。安静にしてないと。」

「行かなきゃ。今日は満月なんだ。」

「何を言ってるんだ。ほら戻るぞ。」

どうにかしてエルマーをベッドに戻し、リューイは息をついて自室に戻ろうとすると、エルマーが服の裾を引っ張りこう言った。

「リューイ、いつもの遊びをしないか。」

眉を寄せて首をかしげるリューイに、エルマーは震える指で壁を指差した。


青と緑のキャスケット。

二人を区別する二つの色。


いつもの遊び。キャスケットを交換するだけの、簡単で滑稽な二人だけの遊び。

村人は入れ替わっていることに気付かず、反応を見るのがとても面白い。


よく分からず青のキャスケットを手に持つリューイに、エルマーは小声で話し始めた。




言われた場所には確かに小さな穴があり、通り抜けると目の前にあの『イバラ屋敷』がそびえ立っていた。

『約束したんだ。』

耳元でそう言ったエルマーだったが、リューイはいまだにエルマーの話が信じられなかった。


街で噂される、『イバラ屋敷』。

こんな所に人が、それも自分達とそう変わらない少女がいるとは到底思えなかった。


バラ園を見渡していると、突如後ろから声がかかる。

「ランス。」

思わず肩を震わせ振り返ると、屋敷のガラスに隔たれた向こう側に、幼げな少女がいた。


リューイの目が見開かれる。自分を見て優しい笑みを向ける少女。

その姿は冷ややかさを持つ屋敷に似合わず、可憐で儚げで明るい。


普段あまり人間に対して関心がなく、どこか冷めている所があるリューイだったが、目の前にいる少女に確かに見惚れていた。

どこかいつもエルマーと比べられていたリューイは、皆同じように考えているのだと見下していた。

濁りのない瞳を向けてくる、屈託のない笑顔をする少女。

そこには自分を卑下するものはどこにもない。


アイリスは二人が入れ替わっていることに気付いていないようだった。

エルマーから色々聞いていたので、最後まで怪しまれることはなかったように思う。


話をするうち、リューイの想いは強くなる。

この少女が太陽の下を歩くところを見てみたい。

自分の隣を歩いて、互いに幸せそうな笑顔を向けて。


「約束するよ、アイリス。」


リューイがアイリスに会ったのはその日だけだった。

だがリューイは決心していた。エルマーも知らない、リューイとアイリスの約束。


いつかきっと。

たとえ何年かかっても。


君が見ているのはエルマーだとしても。



そう決意し、10年の時が過ぎ、アイリスに自分の存在を打ち明けようとした矢先だった。


「なんとも不運としか言いようのない事故だったと聞いています。馬車から投げ出されて崖に落ちたとか…。」

「えぇ。俺は運よく木に引っ掛かって無事でした。そう深くない谷だったんですが、打ち所が悪かったようで…、三人とも亡くなりました。」

リューイが急いで谷の底に降りるも、両親は即死だった。

エルマーはかろうじて息はあったものの、リューイの袖をつかんだまますぐに息絶えた。


「なのに、あなたはアイリスと会うのをやめなかった。それはどうしてなの?」

「一人になり途方もない悲しみが襲った時、真っ先に思い浮かんだのがアイリスでした。」


一人で帰ってきた祖国。暗い部屋。

ただ茫然と椅子に座っていると、窓から月明かりが差し込んできた。

まさかと思い外に出ると、そこには丸い月が浮かんでいた。


アイリスが、待っている。

エルマーを、待っている。


そう思うと真っ先に体が動いたのだ。あの青いキャスケットをしっかり握りしめて。


「俺にはアイリスしかいません。アイリスが笑ってくれるなら、俺は…。」

「あなたの誠意はしっかり伝わりました。」

目の前に座っているウェーデルを見つめる。

そこには安堵した表情があった。優しく笑い、リューイの固い拳を、その暖かな手で包む。


「本当にありがとう。あの子の事を誰よりも考えてくれて。あなたと出会えて、アイリスはきっと幸せだわ。」

その瞬間、不意に一筋の涙がリューイの頬を伝う。

そんな優しい言葉をかけてくれるようなことは何もしていないのに。

とても温かな言葉は、確かにリューイの心を溶かしていくようだった。


「あなたにすべてをかけるわ。1週間後の私の生誕祭。その日、あなたの人生が大きく変わることは間違いないでしょう。あなたはアイリスの為に、すべてを捨てる覚悟はあるかしら。」

そんなこと、決まりきっていた。初めて会ったあの日から、リューイは心に決めていた。


「あります。アイリスの為ならば。」







決して開かれることのないカーテンの傍にあるロッキングチェアに腰かけ、アイリスはゆらゆら揺れていた。足元には本が山積みになって置いてある。


今日はウェーデルの誕生日だ。

毎年町ではそれに合わせてパレードが開かれると聞いた。王族が大きな馬に乗り、民衆に姿を見せる特別な日だ。

今年からアトラスもパレードに参加する。人々の前に現れるのがこれが初めてだ。

「パレードか…。」

街の方角のカーテンを見つめながら、アイリスは自分が馬に乗っている姿を想像する。

隣にはウェーデルがいて、まだ見ぬアトラスが、クリフォードがいて。

叶わない願いだと知りつつも、願わずにはいられない。


先日屋敷を訪れたウェーデルの様子がおかしかったことにアイリスは気付いていた。

なにかあったことは明白だった。それもアイリスの事だろう。


幼い頃から、自分が人とは違う状況にいることは分かっていた。

見たことのない、行ったことのない外への憧れ。開けてはいけないと言われていたカーテンの裾を少しだけ開け、僅かな視界で街を眺める毎日。それだけで十分だった。


だがあの夜。一人の少年がくれた誓い。

『君をここから出してあげる』

その瞬間、気付いてしまう。自分はどうしようもなく自由を望んでいたことに。


だがあの約束はきっと叶わない。私はここから出ることはできない。

私の自由には、犠牲が伴ってしまう。10年の月日で痛感したことだった。

あなたがくれた約束は、私にひと時の夢を見せてくれた。


城に帰る前にウェーデルが包んだ手の平は、今でも暖かさが残っているようだった。

悲しみを宿した瞳を最後に見せたウェーデル。

昔からそんな表情しかさせることができなかった。

心の底から嬉しそうに、楽しそうに笑う母は、きっとこの上なく美しいだろうに。


「お母様…。」


小さく呟き目を閉じる。視界が闇に包まれる。

そうすればあっという間に時間は過ぎる。いつものように淡々と時計の音だけが聞こえる。


筈だった。


カンッ。


何か聞こえる。いつもはしない音だ。


カンッ。


また聞こえた。

アイリスは目を開く。それが確かなら、窓の方から聞こえる。いつもランスがやってくるのを待っている窓だ。

カーテンを僅かに開き、そっと外を見る。瞬間、見慣れた青いキャスケットが飛び込んできた。

「アイリス!」

一人の青年が今まさに小石を投げ上げようとしていた。アイリスは目を見開き、口を小さく開く。

すると青年は下に来るように促すので、アイリスは茫然としながらも、ゆっくりと階段を下りる。


「どうしたの?昼間に来るなんて、見つかったら大変よ。」

「大丈夫だよ。今日は大事なパレードだから皆広場に行ってるし、城の人達は王達の護衛に行ってて皆いないんだ。」

「なんでそんなこと知ってるの?」

「アイリス、外に出よう。」


唐突にその言葉は投げかけられた。アイリスはその場で固まってしまう。

「え…?」

「俺と一緒に行こう。この国を出て二人で世界を回るんだ。」

青年は真剣だった。アイリスの目を見て離さない。


アイリスは戸惑いながら視線を避け、弱々しく言った。

「…駄目よ。」

「どうして?昔言ってたじゃないか。大きな花畑が見たいんだろ?」


だがアイリスは俯いて黙ってしまう。しばしの沈黙が続き、青年は訴えるような声で言った。

「ウェーデル妃のことか?」

アイリスの体が小さく震える。しばらくするとつぶやくような声が聞こえてきた。

「私がここを出ると、お母様に迷惑がかかるわ。それだけじゃない。ここから出たら、私は二度とこの国には戻れない。お母様に、会えなくなる。」

「そのウェーデル妃が、それを望んでいるとしたら?」


聞こえてきた言葉が、アイリスの頭を一瞬で真っ白にさせた。

顔を上げ、青年を見つめる。

「この前、ウェーデル妃に会ったんだ。あのお方は、誰よりもアイリスが自由になることを望んでいた。この日を選んだのも、俺達がこの国から出ていく準備を進めてくれたのも、あのお方だ。」

「…お母様が?」

「アイリス、よく聞くんだ。君のお母さんも、これから君に会えなくなるのはきっと辛いだろう。でもね、それ以上に、君に幸せになってもらいたいんだよ。この閉じられた屋敷を抜け出して、自由になってほしいんだよ。」

青年は必死に訴える。その一言一言がアイリスの心に伝ってゆく。


「君のお母さんだけじゃない。クロアさんだって、ペトロさんだって、それを願っているんだよ。迷惑なんて思うわけないじゃないか。」

「あなたの…。」


静かに涙を伝わせながら、アイリスは言葉を紡ぐ。


「あなたのお兄さんも、望んでいたの?リューイ…?」


青いキャスケットを被ったリューイは息を飲み、途端に言葉を失ってしまった。

途端に話が切れたように思いますが、次回に続きます。

うまくいけば次が最終回です。

でも書きたいことが一杯あるので終わらないかも…(笑


長い目でお付き合いください。

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