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5話

この国は昔から、家長となる長男が重要視されてきた。

時代とともにその風潮は薄くなっていったが、その名残は強く残っているのだ。…-。




「わあ、綺麗ね。」

広げて見せる本には、ページ一杯の海の絵が描かれていた。

「家にあったんだ。たくさん本があるんだよ。」

「ここにも本はたくさんあるけど、こんなに大きな絵が載っている本はないわ。」

「他の絵も見てみるかい?」

ペラペラとページをめくるたび、アイリスの瞳が輝くように見えた。

「あ、これは何?何か動物の絵が描かれているけど。」

「これはね、ヤギだよ。山頂付近によくいるんだ。」

「これがヤギなのね。本で読んだことはあったけど姿は初めて見たわ。」


何とも不思議な感覚だった。16歳になるのに、アイリスは何も知らない子供のようにはしゃいで本を眺めている。

この本も実物をしっかりと描いたものではない。本物をみたらさぞ喜ぶのだろうと頭を巡らせる。


「ねえ、アイリス…。」

「何?」

本にくぎ付けだったアイリスの瞳が向けられる。淀みのない、輝く瞳だ。

「い、いや、なんでもない。」

言いかけていた言葉を押しとどめ、ランスは本に視線をずらす。

「もっとたくさんあるんだ。また持ってくるね。」

「えぇ…。」

アイリスは何か言いたげだったが、言及することなく、小さく頷いた。



本を持っているので進みにくかったが、何とか外の景色を確認できたので、ランスは屈めていた体を上げる。

降り立った場所はやはり人気がない。時も遅いのでなおさらだった。

ランスは息をつき、家への帰り道へと視線を向けた。その時だった。


思わず息を飲む。

ランスが向かおうとしていた先に、燕尾のスーツを着こなした男性が立っていた。

偶然その場に現れたわけではないことは察しがついた。男はずっとランスを見ていた。城の垣根からいきなり現れたランスに驚いている様子はない。まるでそこから出てくることを知っていたかのようだ。

男は微塵を表情を変えることなくランスに歩み寄る。


見られた。ほかの者にばれてしまった。

正面から顔を見られているので逃げても無駄だと思ったランスは、大人しく男が近寄ってくるのを待つしかなかった。

先程まで出ていた汗が一気に引く。その立ち振る舞いからして、男は城の関係者のように見えた。

おしまいだ。そう思ったランスは頭をがくりと落とす。


だが男はランスの目の前でぴたりと止まると、穏やかな口調で言った。

「ランス様…でございますね。わたくし、ウェーデル王妃の従者のペトロと申します。」

「…は?」

下からものを言うペトロの態度に、ランスは思わず間抜けな声を出してしまう。

さらにペトロは胸に手を当て、頭を軽く下げていった。

「実は、王妃が直々にあなた様にお話があるとのことなので、お待ちしていました。今から大丈夫でしょうか?」

ランスの心臓が跳ねる。王妃の直々の申し出を受けることなど滅多にあるものではない。

「それは…、大丈夫ですけど、王妃が俺なんかに一体…。」

「おや、なぜかはあなた様がよく存じているのではないですか?」

背筋に冷たいものが走る。ペトロが言っているのは間違いなくアイリスのことだ。

顔に動揺を色濃く見せるランスを見て、ペトロはわずかに口角を上げる。そしてランスの後ろに手をやって言った。

「あちらの馬車の中で王妃がお待ちです。会って頂けますね。」

後ろを振り返る。以前ランス達が使ったものと比べものにならないくらい立派な馬車が闇の中にあった。


ランスに拒否権はないようだ。だがランスもここで逃げるつもりはない。

アイリスを自由にするためには、乗り越えなければいけない。

たとえ罪を負わされるようなことがあっても。

ペトロに誘われ、ランスは馬車へ向かって歩を進めた。



「そんなに固くならないで。私はあなたを罰しようとしているわけではないの。ただ一度お話をしてみたくてね。」

向かいの席に王妃・ウェーデルが座っている。そんな状況がいまだに信じられなくて、ランスは緊張せずにはいられない。

だがそんなランスにも、ウェーデルは微笑みかけてくる。笑い方がアイリスとよく似ていた。

いや、容貌、声の質感など、本当によく似ている。アイリスの成長した姿を見ているようだ。


ランスは恐る恐る考えていた疑問を口にした。

「あの…俺の事、知っていたんですか?」

「えぇ、それは随分昔からね。あなたとアイリスがまだ本当に幼い時から知ってたわ。」

アイリス、とためらいなく発言したウェーデルの顔を驚いて見上げる。

すべて知られているのだと改めて覚悟した瞬間だった。


「あのバラ園には毎晩兵が見張りをしているの。でもあの子が見つかるといけないから、あの周りは数少ない人が徘徊していてね、丁度このペトロが、あなたとアイリスが話しているのを見つけたのよ。」

ウェーデルは後ろに控えていたペトロに視線をやる。

ランスもつられて目を向けると、ペトロは薄い笑いを向けてきた。


「本当に運がよかったわね、見つけたのがペトロで。ペトロはあなた達の事を見つけた時、すぐに私に報告したの。あなたを厳罰せずそのままにしておいたのは私よ。それから毎晩見張りはペトロに任せていたの。ペトロはいつもあなた達を見守っていたのよ。」


ランスは言葉を失っていた。全く気付かなかった。

今思えばおかしい話なのだ。幽閉しているアイリスがいる屋敷の警護があんな手薄な筈ないのだ。

まして8歳の子供が夜に何度も忍び込んでいるのに気付かない筈がない。

10年の間、ランスはずっと黙認されてきたのだ。アイリスと会うことを。


「でも、なんでそんな…。」

「そうね、不思議に思うのも無理はないわ。あの子を人目から隠したがっているのに、そんなこと許すなんてね。あなたが誰かに話したりしたら一大事だわ。」

変わらず優しく微笑むウェーデルの表情がわずかに翳る。ランスはそれを見逃さなかった。


「でもね、あなたなら大丈夫だと思ったのよ。ペトロからあなた達の事を聞いた時、会話は分からないけどアイリスの声がとても楽しそうだって聞いたわ。だからせめて、あの子が笑える時を奪いたくないと思ったの。あの子にあんな生活をさせている母親失格の私の、せめてもの親心のつもりだったのね。

後悔はしていないわ。今思えば、あなたと会うようになってから、あの子はよく笑うようになった。普段から私に気を使って無理に笑うような子だったけど、本当にうれしそうに笑うの。あなたのおかげね。今は感謝しているわ。」


僅かにランスの心が締め付けられる。

違う。自分は感謝されるようなことは何一つしていないのだ。

心が重い。先ほどアイリスに言えなかった言葉が吐き出てしまいそうだ。


「どうか、アイリスをこれからもよろしくね。……って言いたい所なのだけど、そうもいかなくなっちゃったの。」

突如ウェーデルの声音と顔つきが真剣なものに変わる。

なにか事態の重さに気付き、ランスは息を飲む。

どういうことだ。ウェーデルの言葉の意味がよく分からない。

「アイリスは近いうちに、王族の養女として嫁ぐことになったの。ここから遠いとある王国に。」

「え……。」


アイリスが、花嫁に。

アイリスが、知らない人と結婚する。


アイリスが、行ってしまう。自分の届かない所へ。


二人の約束が叶わないまま、アイリスは目の前から消えてしまうというのか。


「その王国はね、女性に対しての戒律が厳しいの。その国に行ったら、あの子は今まで以上に孤立することになるわ。外にも出られない。必要がない限り部屋から出ることも許されないの。」


『花畑が見たいの。』


ウェーデルの言葉は、あまりランスには聞こえていなかった。

聞こえるのは、アイリスの小さな願い。


『海ってどんなのかしら。』


「どうされました?」


それまで黙っていたペトロの言葉で、ランスははっと顔を上げた。

「す、すみません。驚いてしまって…。」

二人とも咎めることなく心配そうな瞳を向けてくる。

「私も驚いたわ。今日国王から聞いたばかりなの。だから気持ちの整理がついてないのだけれど一刻を争うの。だからこうしてあなたと会って話をしたかったのよ。」


「俺と、話を…。」

「正直に言うわね。私はこの婚約には反対しているの。私は誰よりも国王に意見できる立場にいるけれど、国王は考えを変える気はないわ。でもアイリスをそんな形で外に出すのも許せない。」

礼儀正しく膝に置かれているウェーデルの手が、見えるくらいに小刻みに震えていた。

怒りからか、怯えからなのかランスには判断できないが、感情的になるのを必死に抑えているように見えた。


「…悩んだわ、本当に。でも私はあの子の母として、あの子にとって一番良い選択をしようと決めたの。

それがあなたよ。でも話をする前に聞かせてほしいことがあるの。その返答によっては、これからアイリスと会うことはやめていただくわ。」

さらに馬車の中の緊張感が張り詰める。

ウェーデルの瞳がランスを捉える。今にも飲み込まれそうな気迫に、ランスは拳をきつく握りしめ必死に堪える。


「あなたにとって、アイリスはどんな存在なの?」


その瞬間、なぜかふと肩の荷が下りたように軽くなる。

緊張して体がこわばっていたのが嘘のようだ。

理由ははっきり分かった。その問いに対する答えはすでに自分の中にあったからだ。


自分など到底手が届かない身分のアイリスに、そんな感情を抱くなんておこがましいにも程がある。

でも抑えきれない。昔から変わることのない、この純粋な想いだけは。


「愛しています。心の底から。」


ガラス越しに聞こえる、くぐもった声。

日焼けを知らない、白く細い肌。

二人を隔てるイバラの棘は、自身の感情をせき止める事はなかった。


「アイリスは俺の大切な人です……!」


その言葉ですべてが伝わったようだ。ウェーデルの顔からわずかに緊張の糸がほぐれる。

「ありがとう。あなたの気持ちは十分伝わったわ。でも、これから私が話す内容に同意するかはあなた次第よ。あなたの事を事前に調べさせてもらったの。悲しいことがあったばかりなのにこんな話をするのは、本当に申し訳ないと思っているのだけど…。」

「いいえ、だからこそです。」


先程まで口数が少なかったランスの声が力強いものになり、ウェーデルは少し驚いた表情を見せた。


「両親を、そして兄・エルマーを一気に失って、俺にはアイリスしかいないんです。」


肩を落とし悲痛な面持ちを浮かべながら、リューイ・ランスは暗く沈んだ声でそう言った。





初めて後書きを書かせていただきます。


最後の最後であれ?と思ったかもしれませんね(笑)

この人がこうで、この人が…という相関図が一気に崩れたかと思います。

次で全てが明らかになる…予定です。


今までの話でいくつか伏線を張っておいたので、鋭い人は分かっているかもしれませんが、どうか最後までお付き合いください。

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