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その9

「あれ? 今日は食べなくていいんですか」

 いつものランチタイムに、いつもの公園のベンチ。

 私がお弁当を広げても一向に黒葉さんは寄ってこようとせず、黙って下を向いている。

 人通りが少ない場所ではあるけれど、万が一見られた所で『カラスを餌付けしている変なOL』にしか見えないだろう。

「もしかしてハンバーグ、飽きちゃいました?」

 毎日毎日よく飽きもせずに同じものを食べたがるなと感心していたが、ようやくハンバーグブームが終りを告げたのだろうか。

(ということは、黒葉さんとのランチタイムも終わりかな……)

 そう考え、想像以上に寂しい気持ちになっている自分に驚いた。

「……だ、は」

「え?」

「まつだは、食わんのか」

「え、食べます、けど……」

 答えが尻すぼみになってしまったのは、言葉通りの食生活を送っていないせいだった。

 ここ数日、私は食欲が無い。

 黒葉さんの為にお弁当は作ってくるけど、2、3口しか喉を通らない。その為、いつもより小さな弁当箱を持ってきていた。

「わ、儂のせいでまつだがどんどん細うなっていく……」

 黒葉さんは悲し気なしゃがれ声を上げた。

「儂が、はんばーぐを毎日食べるせいで、まつだは草しか食べていない」

「これ、ほうれん草ですよ」

「のうまつだ。それ以上痩せ細ってしまっては、抱き心地が悪くなってしまうではないか。

 食え。もっと米を食え、はんばーぐも食え」

 バサッと黒葉さんは羽を広げて力説した。

「抱き心地って……ちょっと、変な事言わないで下さい」

「何が変だ! 毎夜お前を抱いておるではないか!」

「それはそうですけど……」

 けれどそれは、

『まーつだー!』

 と目をキラキラさせながら跳ね寄ってくる等身大の黒葉さんが、タックルするように抱きついてくるだけの話だ。私はただぬいぐるみのようにわしわしと撫でられるだけ。色気とはほど遠い。

「まつだ、このままではそこの棒みたいになるぞ」

 黒葉さんはくちばしで落ちている枯れ枝を指した。

「し、失礼ですよっ」

「いや、儂は本気で言っておる。

 まつだ、食え。儂のはんばーぐ。

 お前が肥えるまで儂ははんばーぐを断つ」

 一見凄い頑張っている風だけれどその実ちっとも格好良く無い台詞を真剣な声で黒葉さんは言った。

「はい……」

 食べなきゃ、とは自分でも分かっていた。

 けれど、無理矢理口に運んだ米粒は白いプラスチックのようにしか感じなかった。




 給湯室に向かう事が、ここ数日私が一番緊張するひとときだ。

 なるべくお茶を口にしないようにと思うけれど、どうしても夕方が近付く頃にはクーラーによる乾燥で喉が傷んでくる。

 仕方なく席を立ち、マグカップを持って移動する。

 シンクの前で中を濯いでいると、

「お疲れ様」

 聞きたくなかった声がした。

「――お疲れ様です」

 なるべく下を向いたまま、キュッと蛇口を捻り水を止め、マグの中にティーバックを落とす。

「……あ、すみません。ポット、使ってもいいですか」

 係長の身体で電気ポットが隠れている。どいてもらうのを待つ間、私は両手で固くマグを持ち、うつむくようにして待っていた。

 給湯ボタンを押しながら、

「この間は、どうもありがとうございました」

 と何度も練習した言葉を震えないように気を付けて言う。

「ああ、うん。楽しかったし、美味かったよね。

 松田さんさ、あの時タイ料理の話してたけど、よかったら今度――」

「あの、失礼します」

 下を向いたまま、私はマグを持ち給湯室を出た。



 暗くなった道を駅に向かって歩く。

 少し残業をしたけれどなるべく早く終わらせようと頑張った。

 おかげで、会社の誰とも鉢合わずに帰宅できる。

 は、と小さな息を付き人混みの中を進む。誰からも気に止められないのって、寂しくはあるけれど穏やかだ。いきなりかき乱されたりなんてしないから。

 ぽつ、ぽつ、と頬に雨粒が当たった。

 と思ったら、あっという間に土砂降りになった。夕立だ。

 人混みが、あっという間に達ち並ぶビル群の中へと消えていく。まるでシャワールームの中にいるようで、打ち付けられる雨粒の一つ一つが痛く響いて。

「――は」

 今なら。

 ここで泣いても、きっと誰にも気付かれない。

 今だけ、今だけだから。

 鞄を抱えたまま、俯いてしゃくりあげようとしていると、ふいに雨がぴたりと止んだ。

 いや、止んだのは私の頭上だけ。後は相変わらずの土砂降りで。

 見上げると、怒ったような顔の係長が私に傘を差し出していた。

 ぐい、と何も言わずに腕を掴まれる。そうしてそのまま、私はぐいぐいと係長に引っ張られていった。



 プルル……カチャ

『ご注文はお決まりですかぁー?』

 静かな室内に受話器向こうの気だる気な声が響く。

「ああ、えっと……紅茶でいいかな」

 係長の問いかけに、私はこくんと頷く。

「では、紅茶とコーヒーを、ホットで一つずつ」

 係長は注文を終えるとカチャリと受話器を置いた。

 ミラーボールが回るカラオケルームの大部屋に沈黙が訪れる。

 無言のまま、係長は私に先程コンビニで買い占めた白いタオルを何枚も渡した。

「……あ、ありがとう……ございます」

 気まずい空気の中、私は受け取ったタオルで濡れた髪と身体を押さえていった。たった数分の出来事なのに、全身がずぶ濡れだった。

「――貸しなさい」

 ぎこちない拭き方を見かねたのか、係長がタオルの一枚を手に取ると、私の頭をごしごしと拭いてくれた。力が入っていないのにしっかり水気を取ってくれる器用さが、係長らしいと思った。

「――顔、上げて」

 言われて上げると頬を拭かれた。目を閉じてされるがままになっていると、ぴたりと動きが止まった。

 瞼を開くと、タオルを頬に当てたまま、係長がじっと私を見つめていた。

 どう、動いたらいいのか分からない。目線が会うのが怖くて下を向くと、我に返ったように再びごしごしが再開した。

 飲み物が運ばれてきたのと同時に係長の交渉で店からドライヤーを持ってきてもらっていた。それを使い、簡単ではあるが私は髪と服を乾かすことができた。

 二人共、何も話さなかった。

 口下手な私はともかく、いつも人あたりのいい係長がこんなに黙り込むなんて見たことがない。

 やがて、ピ、とリモコンを取り出し、係長が曲をセットした。

 流れ出したのはバラードだった。


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