表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/21

その7

お題:穏やかな逃亡犯 制限時間:1時間


 陶器のような白肌に黒い直垂がよく映える。香が焚き染めてあるのだろう、心騒ぐ甘い香りに身体がこわばり動揺する。

「――どうだ? 儂はなかなかの美丈夫だろう?」

 得意気な顔で胸を張る黒葉さんの頭にはいつもの金糸の冠があった。手にはさっき鳥の姿で持っていたのと同じ、黒い透かしの扇。

 カラスだったことを忘れそうになるほど、人型の黒葉さんは素敵だった。優美で繊細な顔立ちはともすれば中性的に見えそうなのに、きちんと男性なのだと分かる造りだ。

「うむ、うむ。まつだ、お前も儂を気に入ったか」

 嬉しそうな声にハッと我に返る。いつの間にか私の顎が持ち上げられ、黒葉さんの顔が迫っていた。

 声にならない悲鳴を上げ、私は思いっきり黒葉さんを突き飛ばした。

「おうっ!」

 黒葉さんは欄干に腰をぶつけ、見た目にそぐわない声を上げた。

「何をするまつだ!」

「なな、何って! そっちこそ何しようとしてるんですかっ」

「? 接吻だが」

 何を今更といった様子の黒葉さんの物言いに私は必死で抗議した。

「か、勝手に物事を進めないでください! 黒葉さんはいつも強引過ぎるんです!

 大体、き、きき、キスなんて、私まだ一度もしたことないんです! 

 それなのにどうしてあなたといきなりそんな事――」

「はて、まつだは儂を好かぬのか?」

「す、好きだとか嫌いだとか、そういう問題じゃなくてですねえっ!」

「好かぬのか?」

 ずい、と顔を寄せられ覗き込まれる。月に照らされたその瞳は、黒曜石をはめ込んだように深い闇の色をしていた。

 一瞬、全てを忘れてぼうっと見とれてしまったその隙に、私は黒葉さんにキスされていた。

「――!!!」

 思わずパーン! と思いっ切り頬をひっぱたく。黒葉さんは「おぶうっ!」と叫んでよろけ、再び欄干に腰をぶつけた。

「ひ、ひどい……っ!」

 わなわなと拳を握り締めながら私は叫んだ。

 モテなくても、それなりにファーストキスには夢があったのだ。

 大好きな人と両思いになって、何度目かのドライブデートの帰りに綺麗な夜景を見ながら……

 とか、

 誕生日にプレゼントを渡されて、中には欲しかったペンダントが入っていて、つけてもらったその後に……

 とか。

 とにかく、ちょっとロマンチックなムードの中で、幸せな気持ちに浸りながら初めてのキスをしたかったのに。

 なのに。


「く、黒葉さんなんてっ、だいっきらいですっ!」


 揺らぐ視界の向こうで黒葉さんがぽとり、と扇を落とすのが見えた。





「松田君、今日はお昼どうするの?」

 昼休みが始まって10分。

 外食組が出払ってしまい、フロアには数人しか残っていなかった。出遅れたらしい係長が、デスクに残っている私にに気付いたらしく声をかけてきた。

「あ……今日はお弁当、持ってきてなくて」

 とても作る気分にはなれなかった。

「外に買いに出たりしないの?」

「……食欲、ないんです」

「そうか」

 係長は少し考えるように顎に手をやると、

「――良かったら少し付き合って欲しいんだが」

 と私に尋ねてきた。その言い方が仕事を頼む時と同じ口調だった為、お使いか何かなのだろうと私は頷き立ち上がった。


 連れて行かれた先は小さな喫茶店だった。

「あの……」

「松田君は何にする?」

「あ、いえ……特には」

「じゃあ、このガレットを食べてみないか」

「はあ」

「じゃ、決まりだ」

 運ばれてきたガレットは綺麗な色の野菜で彩られていた。中央にはぷくりと盛り上がった目玉焼き、それから分厚いベーコン。

「――美味しそう」

 思わず漏らした呟きに、

「ここのメニューは何でも美味いぞ。少しでもいいから口に入れておきなさい。午後も長いからな」

 と係長が仕事口調で言った。

「はい」

 プチトマトを口に入れると、スーパーで買うのとは全く違う、濃い味がした。甘くてほんのり青臭い、お日様を食べ物にしたような、そんな味。

 食欲がないにも関わらず、私は半分以上ガレットを食べる事ができた。そのほとんどが土の匂いのする野菜のおかげだった。

「――ああ、いいよ。僕が勝手に連れてきただけだ」

 店を出て支払いを渡そうとすると係長は手で遮って断った。

「どうもありがとうございます……」

「お礼もいいけれど、良かったら、今度は松田さんのおすすめのお店を教えてくれないかな」

「あ……はい……」

 係長が満足するお店なんて私には分からないだろうな……、と思いながら横に並び歩いていると。


 ぎゃあ、ぎゃあっ


 しわがれた叫び声と共にバサバサと黒い翼が私たちに襲いかかってきた。

「きゃっ」

「何だ!? カラス!?」

 係長が私をかばおうと覆い被さってくれながら、驚いたような声を上げる。

 顔を見上げると、黒い小さな瞳と目が合った。

 ――怒っている。

「係長、こっちです」

 私は係長の手を引くとそのまま近くのコンビニまでずんずんと歩いた。

 ぎゃあ、ぎゃあ

 カラスは叫び、係長をどすどすと足やらくちばしやらで攻撃しながら付いてきた。

 私は自動ドアの前に立つのと同時に振り返った。

「――それ以上意地悪するなら、もっと嫌いになりますから」

 途端に、カラスはピタリと動きを止めた。そうして、私達がコンビニの中に入るのを固まったまま見ていた。


「大丈夫でしたか?」

 スーツをはたきながら尋ねると、

「ああ、ありがとう。しかし松田君は勇敢だな」

 感心したふうに係長は私を見た。

「あ、いえ、カラスには慣れているので」

「いや、それにしても、うん。意外な一面というか、驚いたというか……」

 係長にまじまじと見つめられ、私は気恥ずかしくなり俯いた。

(私のせいだ。私が一緒にいたから、係長に迷惑をかけてしまった)

 午後の仕事をこなしながらも、頭の中はただただ罪悪感でいっぱいだった。


 帰宅後、風呂に浸かって落ち着いてから、ようやく私は昼間の事を思い出していた。

(ん?

 そういえばガレットの残りって、係長に食べてもらったんだっけ……)

 よく考えずとも、上司に残り物を食べさせるなんてかなり失礼な行為だ。

(わーっ、どうしようどうしよう! 黒葉さんの件だけじゃなく、食べ残しまで渡しちゃっていたなんて!

 ……って、あ、あれ?

 確か、『食べるよ』って皿を取ったのは、係長から、だったよう、な……)


「――たくさん食べる人、なのかな」


 呟きは、風呂場の中でポワンと響いて弾けた。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ