その2
お題:ゆるふわな動機 制限時間:30分
なんだかんだで生まれてこのかた、ワクワクする事なんて私には一つも起こらなかった気がする。
だから、馬鹿らしいと思いつつもどこかで私は期待をしていたのかもしれない。お弁当に詰めていたのは、買い置きをしていた冷凍ハンバーグだったけれど。
『コイツァいまいちだな』
カラスはベンチの下で冷凍ハンバーグをつつきながらしゃがれた声で呟いた。
『昨日のヤツの方がうまかった』
「あ……それは冷凍食品だから……」
『れーとーしょくひん?』
「えっと……工場で一度に機械を使って作られた食品で、それを凍らせて売っているんです。時間の無い時なんか便利ですよ」
『ふむ』
「昨日のは……私が作ったものだったから……」
『そうか。うむ、お前の作ったやつの方が旨かった』
「そ、そうですか……」
ぽ、と頬が赤くなるのが分かる。相手がカラスであっても褒められるのは嬉しいものだ。
『うむ。お前は今時なかなか古風な佇まいをしておるな。気に入ったぞ。
儂の嫁になれ』
「……え?」
箸を止めてカラスを見ると、うんうん、と満足気に頷いていた。
「あの、私……人間ですけど……」
『分かっておる。愛に種別など関係ないわ』
「……」
困る。
生まれて初めてのプロポーズが妖しいカラスだなんて本当に困る。固まったまま動けずにいると、
『ほほほ。そんなに照れずとも良い。今宵迎えに来るからな。
はんばーぐ、馳走になった。では』
ペラペラと言い終わると、カラスはばさあっと羽を広げて飛んでいってしまった。
(ほほほ、って笑うんだ……)
人は突飛な目に遭うとどうでもいいことに反応してしまうらしい。
オカマさんみたいだな、とぼんやり思いながら私はベンチで残りの弁当を食べた。
ふわふわとした暖かな羽毛に埋もれて私はうっとりと目を閉じていた。
『――どうだ、気持ち良いか』
「はい……溶けちゃいそうです……」
『ほほほ、そうか。儂の毛はどの鳥よりも美しいからな。
お前にならいつでも貸してやるぞ』
ほほほ。
その聞き覚えのある笑い方に、私はハッと顔を上げた。見下ろすカラスの大きな顔が私のすぐ目の前にあった。
「あわわ……」
バッと飛び退き口元を手で押さえていると、
『どうした。何を怯えている』
とカラスが不思議そうに尋ねてきた。
きっと今、私は夢の中にいるのだろう。
だって、目の前の鳥は私と同じ……ううん、それ以上に大きかった。つやつやとした漆黒の羽は埃一つ絡まっておらず、頭の上には昨日の夢で見たのと同じ、黄金の冠が乗っていた。
「え、ええっ?」
妙な貫禄にどぎまぎしていると、
『そういえば、お前の名をまだ聞いておらぬ』
とカラスが黒く光る目で私に促した。
「あ、えっと……松田……」
下の名を続けようとしていると、
『まつだ、か。ふむ、少々変わってはおるが嫌いではないぞ』
勘違いしたらしいカラスは頷いて私の頬に羽を伸ばしてきた。触れたその翼は鳥の匂いなんて少しもしなくて、お香のような不思議な香りがした。こそばゆさに首をすくめていると、
『儂の名は黒葉だ。人間ではお前だけに教えておく』
艶のある低い声でカラスはそう言った。そういえば、昼間のカラスっぽいしわがれ声じゃないんだと今更ながら気が付く。
「くろば、さん……」
『黒葉でよい』
「く、くろ、ば……さ」
カラスとはいえ異性の名を呼び捨てなんてしたことはない。私がしどろもどろになっていると、黒葉さんは可笑しそうに、『では好きに呼ぶがいい』と言った。
『さてまつだ。今宵は何処で愛を語ろうか』
「あああ、あいですかあっ?」
『そうだ。愛だ』
うんうんと頭を縦に振りながら黒葉さんはばさり、と翼を広げ、そうして私の身体をすっぽりと覆った。
『はんばーぐを食べたかっただけなんだがのう。いい嫁取りができた』
闇の中、くぐもった声が嬉しそうに響いた。