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その13

お題:たった一つの夜  制限時間:2時間

※若干アダルトな香りがします

「どうしたまつだ、今宵は元気が無いな」

 とばりの中、黒葉さんが心配そうに私の頭を撫でてきた。

「ちょっと、仕事でミスして叱られちゃって……」

 へへ、と笑ってみせたら、黒葉さんの顔がみるみるうちに引きつった。

「な、なにぃ!? 儂の可愛いまつだを虐めるとは、許さーん!

 そやつの名を言え名を、成敗してくれるわー!」

 しゃきん、と腰から剣を引き抜き(それまで私は彼が帯刀していたことにすら気が付かなかった)、黒い刃をぎらつかせながら黒葉さんが詰め寄ってきた。

「ええええっ!? あっ、あのっ……ご、ごめんなさい嘘です嘘っ!

 えっと……か、悲しい映画を観た、から」

「――まつだは嘘が下手だな」

 かちゃり、と刃を鞘に納め、黒葉さんは苦笑いした。

「ご、ごめんなさい……」

「よい。儂を気遣っておるのだろう」

 何も言えなかった。口を開くと今夜は余計な事を言ってしまいそうで、怖かった。


『――お前のそれ、払うから』


 昼間、兄に言われたその言葉を思い出すだけで胃の奥がきゅっと捩られるようだった。


『ええー、何で? 別に何も被害無いって言ったでしょ。そんな、払うなんてことしなくても』

 冗談っぽく返そうと懸命になっている私を見て、みるみる兄の顔が固くなった。

『お前、魅了されてるな』

 言い返せなかった。

『人間はなあ、人間としか恋愛できないんだぞ?』

 口調は幼い子どもに言い聞かせるようだった。普段はとても人当たりがいいのに、兄はこんな時には容赦ない。

『お前がどこまでそれと繋がってるのか知らないが、それ以上深入りをするんじゃない。

 堕ちたらそれで終わりだ』

『終わりって……?』

『言葉通りだよ』

 兄はアイスティーをずずっとストローですすり上げた。

『お前が終わる、って意味』




「まつだ」

 呼びかけに、身体がこわばる。罪悪感だとか緊張だとか恥ずかしさだとか、昨日までのそれらに加えてまた一つ、新たに小さな感情が生まれる。

「まつだ、来い」

 悟られたくない。

「もっと近う」

 これ以上、この世界を壊したくない。

 ――ただでさえ、いろいろと限界がきているのに。

「まつだは可愛いのう」

 解いた私の髪を梳きながら、黒羽さんが愛おしそうに呟く。

 受け止めたキスはとろけるほどに優しかった。そのまま押し倒されそうになる前に私は黒葉さんに訊いてみた。

「あ、あのっ、黒葉さんって、どれくらい生きているんですか?」

「何だ、藪から棒に」

「もしかして、神様……なんですか?」

「……そう呼ばれていた時もあったな」

 黒葉さんの言葉は少し歯切れが悪かった。

(と、いうことは、今は違うのかな……)

 私は兄にどれだけの『払う』力があるのかを知らない。

 だから、黒葉さんに神様であってほしかった。どんなにちっぽけな神様でもいいから、とにかく兄に消されたりなんてして欲しくなかった。

 だって神様なら、きっと人間なんかより、ずっとずっと強い力を持っているだろうから。

 私のせいで。

 こんなに汚い私のせいで、お願いだから黒葉さん。

(――消えたりなんて、しないで)

 黒葉さんが私を強く抱き締める。

「何を考えてる、まつだ」

「何も考えてないですよ」

「そうか」

 本当は違うって分かっている筈なのに、黒葉さんは何も言わない。あの夜からずっとそうだ。

 そうして、そうやって二人とも決して口にしなくなった名前がある。

 

 黒葉さんの住む黒と朱塗りの御殿の中は、いつもい草とお香の香りがした。普段はあんなに明るくって元気なのに、内部は意外なほど穏やかで静かだった。

 その、一番奥の、美しい御簾みすがかけられた寝所に、私と黒葉さんはいた。

 黒葉さんが、再び甘いキスをする。目を閉じ、それを受け止めながら、

(考えちゃだめ)

 そう思うのに、今夜もまた、浮かんでしまうその人の姿を消し去ることはできなかった。

 吐息が荒く、熱を帯びてきても尚、消えてくれない。消えてくれない。




『ごめんなさい』

 あの夜の次の日、給湯室で一緒になった時に私が言えたのは、その一言だけだった。

『……そうか』

 顔を上げれなかった。上げて、顔を見てしまうと、確実に何かが変わりそうで怖かった。

 彼が立ち去るまで私は俯いたまま動けずにいた。やがて一人になり顔を上げた私の目に入ったのは、置き忘れたマグカップだった。中には私の作ったインスタントコーヒーが、出来立てのまま残っていて。

 震える手でそれを持つ。ゆるゆると持ち上げ唇をつける真似をしようとしたけれど、できなかった。

 シンクにコーヒーを流し、クレンザーを付けたスポンジで洗う。もう触ることはないのだと思うと寂しかった。

 ――そうして、彼と私は昔のように、上司と部下の一人の関係に戻ったのだ。




 私はなんて浅ましいんだろう。

 瞳を閉じてはだめ。そう分かっているはずなのに。

(黒葉さんが好きなのに。一緒にいたいのに)

 普段はお喋りなのに、こんな時だけ言葉数が少ないなんて。

「く、ろば、さっ」

 名前を呼ぶのは、あなたを確認したいから、

「まつだ……」

 低くうわずったように呟かれて、切なさと愛しさに胸をときめかせながらも、尚。

(――ごめんなさい)

 


 私は兄から聞いた時、あなたの事を怖いと思いました。

 けれど、それでもやっぱり、あなたと一緒にいたかったんです。


 あなたは私を『まつだ』と呼びます。けれどそれは名字なんです。

 私の名は、私の本当の名前は――。


「あ」

 息をのみ、眩暈を起こし、私は思わず瞼を閉じる。


 闇に浮かんだ幻は、係長だった。

お題を見るまでは健全ラブコメのつもりだったのに……。

さすがにもうコメディじゃない気がしてきましたので、「恋愛」にジャンル変更します。

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