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その12

お題:死にぞこないの兄 制限時間:2時間


 あたしは茫然として黒葉さんを見た。


『お前が取るのは、儂かあいつか』


 ――言われた瞬間浮かんだのは、係長の姿だった。



 でも。



『まああつだああああ、好きじゃあああああ』

 絶叫しながらぶつかってきた、夢の世界での巨大な鳥形の黒葉さん。


『うむ。やはりはんばーぐは、まつだが作ったヤツが一番上手い!』

 ランチタイムにコツコツと隣でハンバーグをつついていた、カラス姿の黒葉さん。


『――来い、まつだ』

 そして今、金の冠に黒い装束姿で手を伸ばす人型の黒葉さん。



「あの、もし……係長を選んだら……その時は黒葉さん、どうするんですか」

 我ながら情けないとは思ったけれど、口から零れ出てきたのはそんな台詞だった。

「うむ。その時は儂も男だ。潔く身を引き、まつだの前から消える」

「え……」


 黒葉さんが私の前から、いなくなる。

 黒葉さんに会う前の、地味で冴えない私の日常に。


「やだ……」

 気付けばふらふらと足が前に出していた。

「黒葉さん、行かないで……」

 私の言葉に黒葉さんはぽろりと扇子を落としかけた。が、慌ててごほん、と咳払いをすると、

「それは儂を選ぶという事か」

 と、確認するように尋ねてきた。

「わ、私……あの、ごめんなさい……よく分かりません。

 でも、黒葉さんがいなくなるなんて、嫌です。

 だって、わ、わた、わたし」


 どろどろしたものがぐうっと喉にせりあがってきて、決壊した。


「っ、だってわたしっ、今まで素敵な事なんて一つも無かったんだもの! 子どもの頃はいじめられてたし、美人じゃないからお洒落もできないし、うじうじしてみっともないし!

 だから、黒葉さんと出会った時、どきどきしたの! こんな私でも、子どもの頃読んだおとぎ話の主人公みたいに、素敵な事が起こるんだって、すっごく嬉しかったの!

 だ、だから、お願い、黒葉さん……消えないで……私の前からいなくなら、な」

 言葉は最後まで言えなかった。

 私は黒葉さんに抱き締められていた。

「もうよい」

 温かな羽根の中、低く優しい声が響く。

「もう、聞かぬ。

 ――だから泣くな、まつだ」

 言われて初めて、私は自分が泣いていたことに気が付き、慌ててごしごしと瞼をこすった。それを見て何がおかしいのか黒葉さんは、ほほほ、と笑った。

 そうして私はキスされた。

 以前されたことのあるキスとは少し違う、嘴でついばまれているような優しく長いキスを、私は黒葉さんの首に手を回して受け止めた。

「――ばかだの、まつだ」

 唇を離した黒葉さんの言葉に、私は何も言い返せなかった。


 本当に馬鹿だと自分でも思う。


 恋をしてるとようやく気付いたのに、目を背け、今の幸せを選んでしまった。

 そうしてその事に、きっと黒葉さんも気付いている。


 冴えないくせに最低な女だ。


「頼むからもう泣くな、まつだ」

「泣いてなんか……」

 言いながらじわりと盛り上がってきた涙の正体が悲しいからなのか嬉しいからなのか、それとも別の感情なのか私にもさっぱり分からなかった。

 ただ黙って黒葉さんの手を取り、二人で木のうろに出た漆黒の入口へと入っていった。




 * * * * *




 ピーンポーン


 玄関からのチャイム音に、私は音を立てないようにして入口に近付く。

 大企業に勤めているわけでもないOLの一人暮らしなんて、そうそう贅沢はできない。オートロックにセキュリティの行き届いたマンションじゃなく、5階建ての普通のアパートに私は住んでいる。

 だから、チャイム音が鳴ると毎回どきどきしてしまう。

 変な勧誘か何かだろうか。

 二重ロックとチェーンがしっかりかかっていることを確認し、私はドアスコープから外を伺った。

 ドア越しに所在無さげに立っていたのは、兄だった。白に近い金髪頭に片耳ピアスが平凡な顔立ちに全く似合っていない。

 私はチェーンを外すとドアを開け、兄を迎え入れた。


「久しぶりー」

 見た目の派手さと裏腹に、兄は常識的で優しい人物だ。ただ、数年前に事故に遭い生死を彷徨って以来、こうして髪を染めピアスを開け、カラフルな古着を着るようになってしまった。今でもこうして数か月に一度、ふらりと訪れては私がちゃんと一人でやれているか確認して、帰っていく。

「紅茶でいい?」

「うん、ここってコーヒー置いて無かったよな」

「私が飲めないから」

「じゃ、ストレートのアイスでよろしく」

 お湯を沸かす間、キッチンに立ったまま私は兄と取りとめも無い近況を報告し合った。兄が長年勤めていたドラッグストアの店長に昇格したと知り、私は素直に喜んだ。

「でもその頭でよく店長になれたね」

「いや、髪を黒く染めてピアスも外せっていうのが条件」

「えっ、そうなの? お兄ちゃんよく決心できたね。こだわりだったのに」

 退院後、真面目だった兄の突然の変わりように、当初は私も両親も猛反対した。不良みたいだし、何より全く似合っていなかったし。

 けれど兄は頑なに今の姿を貫き通した。見た目さえ許容できれば後は以前と何ら変わりないと知ったため、少しずつ私達家族は慣らされていったのだ。

「まあ、そろそろ身を固めたいからさ」

「えっ、彼女さんと結婚するんだ、おめでとう!」

「おう」

 兄ははにかんだ笑顔で頭を揺らした。学生時代から付き合っていた彼女とはもう随分長いこと続いていて私もよく知っていたから、素直に嬉しかった。

「これをきっかけに更生しようと思ってな」

「やっぱそれ、不良のつもりだったんだ」

「いや、そういうワケじゃないんだけど。うん」

 ここで兄は急に口ごもると、目を細めて私をじっと見た。

 ケトルが騒ぎ出したので私は火を止め紅茶をいれることに専念した。

 お盆に二つのアイスティーとおはぎ(昨日会社帰りに無性に食べたくなって買っていた。家にある甘いものはこれしかなかった)を載せてローテーブルに戻る。コトリとそれらを並べながら兄を伺うと、やはり目を細めたまま私をじっと見据えている。

 こうなったら、暫く待っていなくてはならない。

 私は兄が来るまで読んでいた本を手に取ると、ページを開いて再開した。けれどやはり、頭に全く入ってこない。ミステリの犯人がもうすぐ分かりそうだという場面なのに。


「――うん、終わり」 

 やがて、兄がふっとため息をつき指で目頭を押さえたため、私もほっとして本から目を離した。

 年に一、二度、こうして兄が不思議な行動を取ることがある。

 曰く、事故に遭って以来、見えないものが見えるようになったらしい。ごくたまに、こうして身近な人だけを透視(というものなんだろうか。私にはよく分からない)して、気になったことをアドバイスしてくれる。そうしてその言葉は結構な割合で当たるので、不審がっていた私も今では大人しく見てもらうようになっていた。

「どうだった? はい、これ」

 おはぎと氷が溶けて薄まったアイスティーをすすめつつ、私は何気なさを装って訊いてみた。


「お前、憑りつかれてるぞ」


 兄は容赦なく一言で済ませた。


 ――ああ、やっぱり分かってしまうんだ。


 兄の力が本物だったことにひっそりと驚きつつ、それを疎ましく感じる自分がいた。

「えー、そうなのー?」

 努めて平静を装いながら私はおはぎをつつく。

「でも別に今のところ何の不調も無いけどね。むしろ絶好調♪ なーんて」

「やっぱ、力無くす前に来て良かったわ」

 兄もおはぎを手に取り、かぶりつきながら言った。

「お前のそれ、払うから」

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