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その11

お題:経験のない内側 制限時間:4時間

 こくり、と喉が鳴る。

 唇を開こうにも、そこだけ鉛になってしまったかのように動かない。

 私にできたのはただ係長を見返す事だけだった。

「ほれ見た事かー!」

 得意気な声で扇子を広げて黒葉さんが叫んだ。

「やはりこやつは好色目的でまつだに近づいていたのだ! 

 まつだ、帰るぞ! このような危険な男の傍にいてはならん!」

 私はぐいっ、と黒葉さんに手を引っ張られた。よろけるようにして引きずられながら、何も言えないままカラオケルームを後にする。

「松田さ――」

 閉じられたガラス扉の向こう側で、係長が手を伸ばしかけたまま私を見ていた。



「は、なして……」

 ようやく口がきけるようになったのは、いつも黒葉さんとランチタイムを過ごすあの公園だった。

 ひとしきり雨が降った後の公園は、ベンチも濡れたままで座ることすらできない。黒葉さんが手を離してくれたので、私はうつむいたまま湿った芝生の上をローファーでぺしゃぺしゃと音を立てて歩いた。

「……あー、まつだ……」

 声をかけにくそうにしている黒葉さんに、

「――黒葉さん、教えてくれませんか?」

 と私は思い切って尋ねてみた。

「黒葉さんは……恋って、したことありますか?」

「勿論だ! まつ」

「私じゃなくて、もっと以前に、です」

 黒葉さんは黙り込んだ。

「私は……今まで一度も無いんです。こんな、地味な見た目で性格もそのまんまで。

 だから、諦めてました」

 白い外灯の下、桜色に染めた爪をじっと見る。

「よく、知らないまま、諦めてたんです。私」



『僕は松田君が好きだよ』



 係長の言い方は、恋に慣れた人のものだった。



「――どうして、私なんでしょうか」


 あんなに、素敵な人なのに。

 こんなに、冴えない私なのに。


「黒葉さん、教えてください。

 恋ってどんなふうに始まるものなんですか?

 どうやって、それが恋だって確かめることができるんですか?」


 ばさぁっ


 闇夜色の軽やかな風が私の視界を遮った。

「知らーん!」

 黒葉さんが背中から大きな黒い羽根を生やし、すっぽりと包み込むようにして私の身体を抱き締めていた。

「そんなもん、理屈なぞ無いわー!

 そんなことよりまつだ! そいつが」

 黒葉さんが言葉を止めたので私は顔を上げた。

 人型の黒葉さんは、初めて見る顔で私を見下ろしていた。

「そいつが好きなら、な。

 言葉にだせ」

「え?」

「好き、なのだろう?」

「……あのう……実は、よく、分からないん……です」

 歯切れが悪くなってしまうのが自分でも情けなかった。これがドラマや漫画なんかだったらちゃんとカッコ良く決まる場面なのだろう。

「伝えぬままというのは、後々後悔するぞ」

「もしかして、後悔したことあるんですか?」

「――まつだのくせになあ」

 黒葉さんは苦笑いすると私を抱き抱え、バサリと羽根を広げると木の上まで飛んだ。

「えっ、えっ?」

「しっかりつかまっておれ」

 黒葉さんは天辺付近の枝を蹴ると、風に乗って飛び立った。


「えええええっ!?」

 突然の環境の変化に付いていけない。

 安全ベルトも何もない状態で空を飛ぶという行為が如何に恐ろしいものなのか、その夜私は存分に味った。

「どうだまつだ! 気持ち良いだろう!」

「お、お、降ろし……っ!」

「おっと、あまり動くと落ちてしまうぞ。しっかりと儂にしがみついておけ、ほほほ」

 黒葉さんは相変わらずオカマさんのような笑い声をだしつつ、機嫌良く夜空を滑空し続けた。

「あ、あのっ、なんでいきなりこんな事……っ」

「下を見ろ、まつだ」

 言われておそるおそる下界を見下ろす。

 夏の夜、雨で洗われた空気の下、広がるビルや街の明かりが遠く後方にずれてゆく。

 綺麗だと思った。

 それから、その明るさが煩い、とも。

「お前は少し頭を冷やせ」

 黒葉さんは前を見たまま飛び続ける。

「お前を含めて人間は小難しい事を考え過ぎだ。好きだと思ったら好きと言って愛でろ。不快ならば近寄るなと言え………儂に言ったようにな」

 ぐぅん!

 ばっさばっさと動いていた黒葉さんの羽根が止まり、広げたまま斜めの体制で降下する。

「きゃああああっ!」

 絶叫して力いっぱいその胸にしがみつけば、再び羽根が動き出した。

「ほら、ちゃんと声が出るではないか」

「ひ、ひどっ」

「訊いてきたのは、お前だ」

 黒葉さんの声の調子がまた少し変わる。

「まつだ、儂は今のお前を好いておる。だがの、もちーっと腹から声を出せ。

 言葉にはな、キが付いておる」

「……き?」

「そうだ」

 黒葉さんは前を見たまま頷いた。

「キ、は生きるもの全てが皆、必ず持っているものだ。

 人間は欲を出し過ぎた。キだけでは足りぬと言葉を生み、故に、不安を抱くようになった」

 ビョオオオオ……

 山が近付くにつれて風が強くなり、寒さを感じだす。

「まつだ、儂はお前を嫁にしたい故、こうして人型も取ってみた。

 だが、今宵でそろそろ答えを出してもらわねばならん。あまりゆっくりもしていられぬ」


 そっと降ろされた先にあったのは、大きな神社の大木の前。三人がかりでないど抱えきれないほど太い幹には紙垂しでがかけられている。おそらく、御神木なのだろう。

 黒葉さんが印を組むと、幹のちょうど私の胸辺りにゆっくりと黒い歪みが生まれた。

「――来い、まつだ」

 黒葉さんが手を差し出す。

「お前が儂の嫁になるならこの手を取るが良い。儂の寝所に連れてゆく。

 まつだ、腹から声を出せ。

 お前が取るのは、儂か、あいつか」



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