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その10

お題:哀れな団欒 制限時間:2時間


 係長の歌声を聴いたのは初めてではない。たまにある会社の飲み会で、誘いを断りきれず二次会に付いて行く事がある。大抵はカラオケのパーティールームで皆が騒ぐのをひっそりと隅で眺めているだけだ。

 係長は元々騒ぐタイプの人ではない。けれどノリが悪いわけでもなくて、歌を勧められるとアップテンポな曲で周りのタンバリンや手拍子と共に場を盛り上げたりもする。そんな姿を遠目で見ながら、やはり上司なんだなあと感心していた。

 係長のバラードなんて、初めて聴いた。

 少し掠れて落ち着いたその声は切ない片思いの歌詞にとてもよく合っていた。タオルを頭にかけたまま、私は手を両膝に置き、自然と聴き入る体勢になっていた。

 やがて曲が終わり、私は夢中でパチパチと手を叩いた。

「係長、歌お上手なんですね」

「これはプライベート用」

 係長は私に本を渡すと、

「松田君も歌ってみない?」

 と私に勧めてきた。

「あの……私音痴なんです」

「歌う事自体、苦手?」

「……そういう訳じゃないですけど」

「じゃあ、一曲だけ入れてみよう。どうせ僕しかいないから」

 散々迷った挙句、結局私は聴き馴染みのある曲を選んだ。幼い頃に流行っていた、甘くメロディアスなヒップホップ・ベース。ボーカルの暖かな歌声が大好きで、学生の頃にもよく電車の中で聴いていた。

「あー、これ懐かしいなあ。松田君よく知ってるね」

 リモコンで曲を入れてくれながら係長が唸った。

「兄が好きだったんです」

「お兄さんいるんだ」

「はい、結構年が離れているんですけど」

 たわいもないやり取りをしているうちに、いつの間にかさっきまで感じていたぎくしゃくとした雰囲気は消えていた。係長の前で歌うのは恥ずかしかったけど、思っていたよりずっと気持ち良く歌えた。ミルクチョコレートのような歌詞とメロディの余韻に浸っていると、

「それ、付けてくれてるんだね」

 係長が私の携帯電話を見て言った。

 ひつじのマスコットのジョーンとジェーン。黒ひつじのジェーンは係長がくれたものだ。

「あ、はい。可愛くって気に入ってます」

 私は携帯電話を手に取りジェーンのマスコットを係長に向けて『アリガト♪』と2トーンほど高い言葉で話しかけた。ぶっ、と係長が噴き出す。そのまま二人であはは、と笑っていると、


 バァーン!


 いきなり、凄まじい勢いでガラス扉が開いた。

 ずかずかと中に入りこんできたのは、

「く、黒葉さんっ!?」

 以前変化へんげした時と全く同じ、黒装束に金の冠姿の黒葉さんが、係長の前に立っていた。

「おい。そこの『かかりちょう』とやら」

 黒葉さんは鋭い黒曜石のような瞳で係長を睨みながら凄んだ。

「お前みたいな人間のオスにまつだはやらん。まつだを嫁取りするのは儂だ。

 そうやってたぶらかそうとするいやらしい魂胆、おお、気色悪い。虫唾が走るわ。

 下がれい、そして二度とまつだの前に顔を見せるでない!」

「ちょ、ちょっとちょっとー!」

 私は慌てて黒葉さんを引っ張り部屋の外に出した。

「ど、どうして黒葉さんがここにいるんですかっ!?」

 ひそひそ声で詰め寄ると、

「まつだへの愛故だ!」

 と黒葉さんは反り返るほど胸を張った。

「なっ、何言ってるんですかっ!? っていうか、なんて事してくれたんですかー!」

「まつだ、心配せずとも良い。あやつがお前から身を引くまで、儂はどこまでも付いてきてやるぞ」

「……もしかして、黒葉さん……私を付け回してるんですか?」

「そうだ!」

 胸を張った黒葉さんに、

「それってストーカーですっ!」

 私は悲鳴混じりで抗議した。

「すとおかあ……? なんだそれは」

「一人の人を一日中付け回す気持ち悪い人のことですよ」

「気持ち悪い? はて、そこは『愛が深い』とでも言い換えるべきだろう」

「知らない間にこそこそと後を付け回しているなんて、そんなの愛じゃありません!」

 小声のつもりが、いつの間にか声を荒げていたらしい。

「――うちの部下に何か御用でしょうか」

 気付けば私は係長に肩を抱かれ、守られる体制となっていた。

「なっ……は、破廉恥だぞ!」

 黒葉さんはカンカンになって私と係長の間に手を入れて引き離そうとした。が、係長は黒葉さんの腕を掴むと、

「こそこそと後を付け回す事が松田君の迷惑になると考えた事はないのか」

 と厳しい声で言った。

「まつだは儂の嫁になる予定だぞ、のう、まつだ」

「松田君。この人とは知り合いなの?」

 ほぼ同時に二人に言われ、私はどう答えて良いものか考えあぐねていた。



「松田君、本当なのか。この人、虚言癖があるんじゃ」

「儂は鳥の王だぞ! 王は嘘なぞつかぬわー!」

 憤慨して扇子を振り回す黒葉さんをげんなりして見ながら、

「概ね、本当です……」

 と私は蚊の鳴くような声で呟いた。

 あれから室内に戻り、運ばれてきたお茶を飲みながら(黒葉さんは内線電話を面白がり、無駄におつまみを追加注文しまくっていた)黒葉さんは私との出会いから毎夜の逢瀬の事まで順を追って係長に説明していた。

「あの、愛だのラブだの、そんな事は全く関係無いです……」

「何ぃぃい!? 今まであれだけでえとをしておきながら、愛を育んでいないと言うか、まつだぁ!」

「そ、そんな事言われたって、黒葉さんが一人で騒いでいるだけじゃないですか」

「ななな」

 黒葉さんはショックを全身で表現していた。真っ青になって髪を掻き毟り、パクパクと口を開けていた。漫画みたいなリアクションだなー、と若干他人事のように眺めていたら、

「では、まつだはこのかかりちょうを好いておるのか!?」

 黒葉さんが扇子の先をビシィ! と係長に突き付けながら詰め寄ってきた。

「……えっ」


 一瞬、辺りが恐ろしいほどに無音になった。


 係長の方を見れない。見たくない。

「……な、何、言ってるんですか、黒葉さん……」

 笑って吹き飛ばそうとしたのに、喉に絡みついたような掠れ声になってしまった。

「――松田君」

 係長に呼ばれ、そちらを見なきゃと思うけど、錆びついたように首が動かない。

「あ、あは、は、やだなあ、もう」

 自分でもわざとらしいほどに乾いた笑い声が出た。

「係長って、お仕事先の上司ですよ? そんな事今まで考えた事なんてあるワケないじゃないですか。

 大体、係長に迷惑ですから、そんな事」

「――僕は、松田君が好きだよ」

 係長の声が静かに響いた。


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