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いろいろ短編

わたしのプロデューサーさん

作者: 三澤いづみ

 わたしはアイドルである。名前はまだ無い。(あんまり売れてないから無名という意味で)

 実のところ、最初あんまりアイドルというものに興味はなかったのだ。事務所に入ったのはスカウトで、そのスカウトのひとがあんまりにも熱心だったから、つまり、抵抗むなしくすっかりきっちり口説き落とされてしまったのだ。

 あ、でも、口説かれたといっても恋愛的な意味ではない。

 もしそうだったら大変だ。いきなりアイドル活動に支障でまくりになってしまう。

 いやいや。プロデューサーさん相手だったらそういうのも悪くないかも、とかなんとか思ったりもしてしまうのは、わたしがそういうことに免疫が無いからなんだろう。

 彼氏彼女という関係になるには、ちょっとだけ年齢が離れすぎているけれど。

 いや、うーん。

 十五歳差くらいなら、アリかな?

 少し真面目に考えてから、我ながら何を真剣に考えているのかと、ぷはっと噴き出してしまった。

 なにしろわたしのプロデューサーさんは、どうにもこうにも頼りになるのだ。

 すっごく、格好良いのだ。

 ……いやその、顔に関してはそれほどでもない。愛嬌のある顔ではあるのだけれど、決してイケメンという感じではない。丸っこくて、すこしふっくらした感じ。ぶよぶよじゃなくて、ぷよぷよ。見たことがあるなら、分かってもらえるんじゃないだろうか。この違い。

 でも。力持ちだ。一昨日なんか、社長が思いつきで机の配置換えを言い出して、事務所がわたわたと混乱した。事務用の机っていうのは結構重い。所属のアイドルも巻き込んで、えっちらおっちら必死の作業になったとき、外回りに出かけていたプロデューサーさんが帰って来た。

 あっという間に、終わった。

 三人で動かした机を、プロデューサーさんはこともなげに持ち上げて、ほいほいと動かした。わたしたちは汗だくで、へとへとになっているのに、プロデューサーさんは汗ひとつかかないで、社長が好き勝手に指示している内容をそっくりそのまま作り上げてしまった。

 そんなに筋肉があるようには見えないのだけれど、このあいだ腕相撲をしていたとき、社長の知り合いだっていうプロレスラーのひとを圧倒してもいた。あれは凄かった。にこにこしながらじりじりと降りていく腕、がっしりしたプロレスラーのひとが真っ赤な顔で懸命に力を込めた腕が、ゆっくりゆっくり沈んでいくのだ。

 最終的に、あのプロレスラーさんは、プロデューサーさんを勧誘してた。うちに来ないか、なんて真顔で言われて、社長がうちの主力なんだから困るよーと情けない声を出していた。プロデューサーさんにその気は無かったみたいだけれど、たぶんあのプロレスラーのひとは本気だったと思う。

 しばらく前から、勉強も教えて貰っている。なにしろアイドル活動と学校を両立させるのはわたしの頭だと難しいから、なんだかんだで試験勉強とか疎かになりがちだった。

 まっったく期待してなかったんだけれど、一応、とりあえず、上手く行ったらめっけもんと思ってプロデューサーさんにノートを見せて、少しだけ聞いてみた。

 パなかった。

 神さま、仏さま、プロデューサーさまさまである。

 普段テストで五十点、アイドルをやり始めてからは辛うじて赤点回避だった点数が、プロデューサーさんに教えてもらった途端に八十点前後平均というとてつもない結果を弾き出してしまった。勉学を疎かにしてはいけない、とプロデューサーさんが全く嫌がる素振りを見せなかったことで、随分と甘えてしまったのだけれど、いくらなんでも即効性がありすぎる。

 パネェ、と普段使わない言葉遣いをしてしまったのも無理はないと思う。

 だってアイドルやる前ですら、そんな点数を取ったことはほとんど無かった。時間が有り余っていても、真面目に取り組んでいたつもりでも、そんなのはあんまり意味が無かったのだと、出て来た結果で思い知らされてしまったのである。

 一回なら偶然で済む。

 三回続けば、もうこれは疑いようもない。

 つまり、教え方がとっても上手だったのだ。

 で、教え方が上手いってことは、わたしが何が分からないでいるかも、プロデューサーさんは分かってくれているということなのだ。

 それ以来、分からないことがあると、プロデューサーさんに聞くことが増えた。

 プロデューサーさんは物知りだ。

 力持ちで、物知りで、口も上手い。

 そう、口が上手いのだ。

 わたしがアイドルになってしまったのも、プロデューサーさんが色々と話しかけてきたからだ。

 これでもわたしは、容姿にそんなに自信があるわけではない。頭だって良くないし、要領が良いかといえばそうでもない。喋りだって最初は慣れてなくて、詰まることも、噛むことも多かった。運動神経だって微妙で、ダンスも、演技も、それほど才能があるわけではない。

 ついでに言えば、歌も下手だ。毎日、頑張って練習はしているけれど。

 歌については、上手いか下手かなんて、会ったばかりのプロデューサーさんに分かるはずもない。ファンのひとにすら、こうしてデビューした今、わたしの歌が好きと言ってもらえることはあっても、上手いねと言われたことは一度もない。

 だけど、それでもいいと言われた。

 アイドルになるべきだと。アイドルとして、育てたいと。

 正直、プロデューサーさんの目は節穴だと思った。だって何の変哲もない、ただの普通の女の子でしかなかったわたしを、アイドルとしてスカウトするなんて無理がありすぎる。勢いに押されて、あれよあれよといううちにデビューしてしまったけれど、鳴かず飛ばずのままフェードアウトするんじゃないかなと、わたしが一番思っていた。

 一ヶ月で消えるかな、という自分の予想は、あっさり裏切られた。

 二ヶ月目にCDデビューして、ラジオ番組にゲストで呼ばれてた。プロデューサーさんが、どこから取ってきた仕事なのか、人気ドラマの台詞のない脇役として出演して、と思ったら最終話近くで再出演を果たしていた。

 自分の出演したドラマだから記念に、とシリーズ最後まで見ようと思い、続きを毎週見ていたら……予想外のタイミングで、高笑いをする自分が出て来たのだ。

 しかも、ドラマの事件でそれまで執拗に隠し通されてきた黒幕である。

 ええええ! とリアルに声が漏れた。

 目が点、唖然、呆然、そんなわたしの様子を見て、家族は大爆笑。

 目眩がした。あのときはマジ恥ずかし死ぬかと思った。

 現場で、お遊びとしてやらされた悪役ごっこ。それを隠れて撮影していたらしいのだ。で、思った以上に面白い絵が撮れたらしく、これ使えるんじゃね、という監督の無謀な鶴の一声で脚本が大手術、一歩間違えれば大惨事だったのだが、そこはそれ、上手いことやったらしい。

 その展開、視聴者は予測できなかっただろう。わたしだって知らなかったくらいだ。というか、分かる方が頭おかしい。あの最初の演技からは想像も付かない、凄まじい変わりっぷりだ、こんなにノリノリで地に足の付いた新人がいるか。でも黒幕だったということには納得。脚本考えたヤツは天才か、さもなくば大馬鹿野郎だ。そんな評判がネットを中心に業界を駆け巡った。

 各界で話題沸騰だった、らしい。概ね好意的に受け取られた、らしい。さらに視聴率が凄まじいことになった、らしい。

 らしいというのは、それどころじゃなかったから後で聞いた話だからだ。

 で、あっという間に人気アイドルに。

 意味が分からない。

 一週間に一度か二度のお仕事が、毎日まともな休み無く馬車馬状態。ひいこら言う羽目に。それもこれもプロデューサーさんのおかげです。うらんでやる。

 とまあ、そうやってなんとかかんとかアイドル稼業を続けてきて、ようやく落ち着いてきたところなのである。

 余裕が出来た途端、恋について想いを馳せてしまうのは仕方のないことではないだろうか。

 じゃあ相手は、となると、ぱっと思い浮かんだのがプロデューサーさんの顔なのだ。

 この業界、イケメンには困らない。困らないが、どうにもプロデューサーさんの顔がちらついて他に見向きする気にならない。これは困った。アイドルとプロデューサー。熱愛発覚、そして週刊誌に取り上げられてしまう。

 そんなことになったら、まさにスキャンダルだ。

 スキャンダってしまうのも仕方ないかな、と思ってしまうあたり救いようがない。

 うん。

 認めよう。わたしは、プロデューサーさんに恋をしている。

 それを認めてしまったら、いろいろと楽になった。きっと報われない恋なんだろーなー、とわたしはなんとなく、気づいている。

 気づいているから、気づいているけれど、どうにもならない。

「ままならねー、ってやつですかね、これ」

 わたしのつぶやきは、事務所の空調の音に紛れて、そして。

 するすると、冬の冷たい空気に、暖房のぬるい空気に、はかなく溶けていくのだ。 


 たとえば昔の小説ならば、忍ぶ恋なんて言葉で表現したかもしれない。

 お慕い申し上げております、なんてリアルで口にするひとは見たことないけど。

 わたしが恋心を自覚してからしばらく経った。今のところ誰かに気づかれている様子はない。うんまあ、気をつけているのだから、簡単に見抜いてもらっちゃ困るのだけど。

 プロデューサーさんは相変わらずだ。当たり前のように、わたしを褒める。いつかスカウトしてくれたときのように、おだてて、純情なわたしは、すっかりのぼせ上がってしまう。

 ファンに向ける視線と、プロデューサーさんに向ける眼差しに、果たして差はあるのだろうか。最近そんなことを考えてしまい、いったん考え出してしまうと止まらなくなる。応援してくれる彼らがわたしを見つめる目と、わたしがプロデューサーさんを見る目の色は、きっと似ている。

 それはもしかしたら、一方通行かもしれない。

 でも、あるいは、違うかもしれない。違うように、変えられるのかも、しれない。

 淡い期待。

 もっと近くに。もっと親しくなりたい。そういう希望。

 みんながわたしに、わたしがプロデューサーさんに抱いているそれ。

 最近、わたしは可愛くなったとよく言われる。お仕事としてコンサートをしたり、映画の端役として動いたり、トーク番組に呼ばれてみたり、それなりに慣れて、CMなんかも入るようになって、でも自分としてはそんなに以前と違うことをしているつもりも、変わったつもりもないのに、そういうふうに受け止められる。

 変わった、って。綺麗になった、って。

「なんだかなぁ」

 ソファに座って天井を見上げて、ため息を吐いた。

 そこを、事務所のひとにしっかり見られていた。

「どーしたのよ、切なげにたそがれちゃって」

「いえ、なんだか遠いところに来ちゃったなあって」

 まるで自分が二人いるみたいだ。今の自分と、アイドルとしての自分。すっかり人気者になってしまったアイドルの自分は、演技も上手くて、本心なんかどこにあるのかもう見えなくなっている。

 きっと、おそらく、だいたいプロデューサーさんのせいだ。

「そうねえ。今だから言えるけど、プロデューサーさんが連れてきたときは……この娘、大丈夫かしらって本当に不安だったわ」

 すとん、と隣に座ったそのひとは、前を見て懐かしむように語り出した。

 そんなに昔のことでもないのに、わたしも、随分と時間が経ったような気がしていた。

 最近ずっと慌ただしくて、いつも騒がしい事務所なのに、今はぽつんと静かだった。こんなゆっくりしてていいのかな、と少し心配になる。

「でも、今の人気を見てるとね、プロデューサーさんの見る目は確かだったとしか思えないのよねえ。うちの事務所、今はすっごく忙しいけど……あの頃、けっこう厳しかったのよ。社を挙げて全力で売り出すつもりで、プロデューサーさんにスカウトが一任されて、それで、あなたが連れてこられて……あ、終わった。って割と本気で思ったもの」

 似たような気分だったけれど、それを本人に直接言うのはいかがなものか。

 わたしが口を尖らせているのは見て見ぬふりか、そのひとはくすくす笑う。

「なんていうか、プロデューサーさんには、何かが見えていたんでしょうね。社長は首をかしげてたけど。いきなりあなたをスカウトしてきて、渋る社長を説得したのはプロデューサーさんだもの」

「ですかねー」

「そうよ。普段はあれこれ気を回して、上手く立ち回るプロデューサーさんなのに、あなたに関してだけは一歩も引かなかったし。じゃなかったら、あなた、アイドルなんてやってないでしょ?」

「……ですね」

 やばい。にやけてしまいそうになるのを、必死に抑えた。

「ああそうだ、アイドルだもの。……恋愛は厳禁よ?」

「え」

「一応、釘を刺しておかないとね。まあ、同性だから見えることもあるってことよ」

 そして、そのひとはすっと立ち上がると、仕事に戻っていった。

 わたしはひとり、取り残されて、その言葉の意味を考える。

 どこまで見抜かれているのかを。

「……なんだかなぁ」

 アイドル稼業も、楽じゃない。


 上手くやっていた、と自分では思う。

 その頃、わたしはアイドルとして絶頂期だった。CDを出せば売れるし、コンサートは満席。ドラマは主演を任されて、ついでとばかりにバラエティのレギュラー番組まで持たせてもらって、これ以上何を望めばいいのか分からない状況だった。

 懸命に仕事をしていた、と思う。

 いつだって全力で、ぶつかっていった。そんなわたしをファンも応援してくれていた。

 何もかもが楽しかった。何をやっても面白くて、努力は評価されて、すべては輝いていたのだ。

 そう、プロデューサーさんがわたしの担当から外れると聞かされるまで。


 わたしは、困らせる気なんて、なかったのだ。

 アイドルを続ける意味が、分からなくなってしまっただけなのだ。

 それまで、わたしはアイドルだった。ファンを楽しませて、喜ばせて、夢を見せて、そうやって愛されるキャラクターだった。

 でも。

 わたしはアイドルになりたいと思っていたわけでは、なかった。

 プロデューサーさんが向いていると言ったから、そうなっただけなのだ。そのプロデューサーさんが離れた途端、不安で不安でたまらなくなる。これまで積み上げてきた実績は、わたしというアイドルを形成しているものだけれど、それは輪郭に過ぎなかった。

 その中身は、ただの女の子で、それはずっと変わっていなかったのだ。

 事務所はとっくに安定していて、他のアイドルも育ってきていた。そろそろ世代交代すべきなんじゃないか、という意見が出ていることも知っていた。

 最盛期を過ぎたアイドルは落ちていくだけだ。

 わたしは、まだ若い。高校は卒業したけれど、二十歳にすらなっていない。やろうと思えば、まだまだ現役でやっていける。それだけの人気は保っていたし、アイドルの代名詞として名前を挙げられるくらいには、その世界の中心でスポットライトを浴びていた。

 でも。

 だんだんと、わたしは仕事を減らしていった。

 次についたプロデューサーが悪いわけじゃない。仕事はちゃんと出来ているひとだった。人当たりだって悪くなかった。

 理屈じゃないのだ。

 露出が減ったアイドルは、あっという間に埋もれていく。見られて輝くのが仕事なのだから、当然ではあった。

 CDが出なくなり、コンサートの回数は激減し、レギュラー番組も改編期を機に他の気鋭のアイドルに明け渡した。

 女優の仕事だけは少し増えたが、全体としてみれば微々たるものだ。

 そうして、わたしというアイドルの名前は、業界から緩やかに薄れつつあった。


 すっかり、いや、ちゃっかり女優として生き残ったわたしは、過去アイドルであったという事実を忘れ去られるようになった。

 女優が板に付いた、ということなのだろう。

 以前のように主演女優を任されることはほとんど無くなり、面白いが難しい脇役、画面に出ているだけで印象づける端役を振られるようになった。

 ある日、現場に来ていたプロデューサーさんと顔を合わせた。新しい担当のアイドルの付き添いで来たらしかった。

「あ、おはようございます。プロデューサーさん」

「ん、おお! おはようさん」

 事務所で顔を合わせなくなって久しい。わたしが事務所に顔を出すことが減ったこともあるし、プロデューサーさんが忙しさゆえにいつも出張っているのも理由だ。

 といっても、二ヶ月くらい間が空いただけだ。

 以前は細かくメールをしたり、電話をしたりしていたけれど、わたしがアイドルを辞めてしまってからはすっかりプライベートでの付き合いは無くなった。どちらからともなく、それを避けていたような気がしている。

 昔、この人に恋をしていたのだ。

 そんな風に懐かしむことがある。

 結局、気持ちを伝えないまま、今に至ってしまった。それが良かったのか、悪かったのか。今となっては何が正解だったのかも、もう分からない。

 まだ好きなんだろうか。

 自分でもよく分からない。嫌いでないことは確かだ。だけれど、あの頃のような気持ちでいるのかと問われれば、それに対する答えがはっきりしない。

 そういえば、とずっと疑問に思っていたことを、わたしは思い切って尋ねた。

 何度聞いてもはぐらかされてしまった質問。

 今なら、答えてくれるかもしれないと。

「あの頃……わたしをスカウトしたのは、どうしてだったんですか」

「どうして、って言われてもな」

「わたしがアイドル向きだったとは、どうしても思えなくて」

 実際には、知らぬ者のいないほどの立場に上り詰めてしまったのだが、それは結果論だ。

 こうしてアイドルから遠ざかった今では、あの日々が夢だったかのように感じている。

「その……言わなきゃダメか?」

「ダメです。ずっと答えが聞きたかったんですから」

「でも、なあ」

 それでも言い淀むから、わたしは少し勢い込んで、こう告げた。

「わたし、今度結婚するんです。そのお祝い代わりとして、教えてくれませんか?」

 プロデューサーさんは照れくさそうに、仕方ないかと口にした。

 それからぽりぽりと鼻をかいて、答えてくれた。

「君が、輝いて見えたんだ」

 もう四十近い年齢だというのに、その言い方が青臭くて、驚くくらいだった。

「笑われそうだから……君には言えなかったけどな。アイドルじゃなくても、やっていけるだろうとは思った。でも、この輝きを自分一人だけしか知らないなんてもったいない。他のひとにも知ってもらわないといけない。そう考えたら、いてもたってもいられなくて」

 鼻をかいている自分に気づいて、手を離し、だが手持ち無沙汰で今度は頭をかく。

「そのうちにトップアイドルになって、俺の仕事は終わったんだって気づいた。みんなが君のことを知っていて、その輝きを邪魔するものが無ければいいと思った」

「……え」

「済まないね。あの頃、君がどういう気持ちでいたか……知ってたよ」

「で、でも」

 わたしの声は上ずっていた。

「でも」

 それきり、言葉が出なかった。今更何を言えばいいんだろう。

 今になって、それに何の意味があるんだろう。

 わたしは、臆していた。

 プロデューサーさんは眩しいものを見るようにして、わたしを見つめた。

「うん。良い女優さんになったよ」

 その言葉は、まるで。

 あの頃、わたしを導いてくれたときと同じようで、胸の奥が、すごく寂しくなる。

 プロデューサーさんは、今の担当アイドルの元へ帰ろうとしていた。

 昔より年を取ったその背中を見ると、どうしてか泣いてしまいそうになる。


 さよなら、わたしのプロデューサーさん。

 ……さよなら、わたしの初恋。


 わたしは言葉の代わりに、プロデューサーさんの後ろ姿に笑いかけた。

 きっと誰が見ても見惚れてしまうような、そんな笑顔で。

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― 新着の感想 ―
[一言]  地味に、といっては失礼ですが、文章がとてもうまいと思いました。近年、文法がないがしろにされる傾向の中で、この作品の文章はいぶし銀--アイドルという女の子の目指す業界にはふさわしくない言葉な…
2013/02/15 03:00 退会済み
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