001 ぼく の かんがえた さいきょう の PC
初回のみ一気掲載、基本不定期です
発端は【ぼく の かんがえた さいきょう の PC】というふざけたタイトルの動画がヌコヌコ動画というコメントつき動画サイトにアップされた事から始まる。
内容は簡単に言うなら動画をアップした本人が作成したオリジナルPCのスペック自慢と言えるものだ。但し、そのスペックが俄には信じる事の出来ない異常なスペックだった事が騒動の引き金となる。
具体的にどれ位異常なのかというと、動画の中では各種ベンチマークプログラムを走らせていたのだが、そのスコアがワールドレコードのスコアを数桁で上回っていた事だ。単に上回っていたのではない、桁違い所の話ではない。数桁である。数千倍から数十万倍、物によっては比べるのも馬鹿馬鹿しくなる数桁差のスコアが表示されていた。
現在まで、コンピュータの性能はトランジスタの微細化をもって集積回路の数を増やし、クロック周波数を上げる事によって性能をあげてきた。その性能の伸びはムーアの法則などと呼ばれ、“18か月ごとに倍、5年後には10倍、20年で一万倍以上の性能アップが見込める”と言われこれまではその法則に従い急速に発展してきた。
だが近年ではそれも陰りが見えている。原因は微細化に限界があるためだ。CPU等は当然電気で動く。もっと言うならば電子の移動を操作する事によって動作する。そして電気を通すには導線が必要だ。ところが微細化技術が進んだ事により、導線や導線でない部分、非導電体部分がそれぞれの役目を果たさなくなってきているのである。
量子力学的にはトンネル効果と言われる現象で、電子が非導電体の壁を越えて移動してしまうのだ。トランジスタはゲートと言われる箱の中に電子が居るか居ないかによってデータを判別している。しかし箱の中にあるはずの電子が勝手に出て行ってしまったり、正規でないルートから侵入されれば当然正常な動作は望めなくなる。したがってトンネル効果を防ぐ為に一定以上の厚み、原子数個分の厚みが最低限必要なのだ。所が現時点の微細化技術は既にその領域に入っており、これ以上細かくしようにも物理的な限界が近いのだ。
よって理論的に理想の集積回路を組もうとも、恐らく性能は数百倍で性能限界を迎える。実際の製造工程を考え、民生品として普及するまでマージンを取るならせいぜい数十倍で限界だろう。従ってPCの性能を数千倍やら数万倍に引き上げるのは現在のトランジスタ技術を考えれば物理的に不可能といえる。そもそも理論値に近い微細化でさえ成功したなんて話は全く聞かない。原子数個分の域に達した微細化はそんな簡単に進める事は出来ない状況なのだ。現状5年以上掛かって集積密度を2倍弱、性能でも消費電力を考えずにクロックアップして4倍弱にあげるのが精一杯なのだ。
では、それ以外の技術、量子コンピュータと言われている物ならどうだろうか? これも現状では話にならない。理論値では正に現在のコンピュータの数桁違いの性能を叩き出す予定ではあるが、完全に机上の空論の域をでず、実験段階ですら実用的なハードが存在していないのだ。
従って少しでもPC技術に明るい人間であれば、動画の内容は“釣り動画乙”“合成乙”となる。どう考えても地球上の科学技術で実現不可能なのだから当たり前である。しかも動画に写っているPCはデスクトップPCですらない、ウルトラブックと言われるシステム手帳サイズの小型PCなのだ。一般的にそのランクにまで小型化するとデスクトップ型の3ランク程性能が落ちる筈なのだ。しかもそのサイズにも関わらず、動画に写っていたモニタ解像度が3840*2160というフルHDの4画面分、一般的に4K2Kと呼ばれる超高解像度だったりする。そんな高解像度パネルもやっぱり聞いた事がない。どう見ても釣り動画にしか見えない。疑われて当然の動画だった。
所が、ところがだ!! この動画にはオチがあった。このPCを近々販売予定であり、既にサンプルを有名PCショップ、大手家電量販店、そしてPC雑誌編集部等に送っていると言うのだ。もちろんこれも“釣り乙”と言い放つのは簡単だろう。が、しかし事はそれで終らなかったのだ。
この動画をアップした主は、某有名掲示板にも宣伝スレを立てており、ヌコヌコ動画にはそのURLも表示されていた。幾つかのスレでは、この動画に気付いた人間によって『アホ動画発見』などと紹介されもした。しかし当然ながらその動画の事を誰も信じる事は無かったのだ。そう、ある書き込みが上がるまでは。
それは秋葉原のとあるPCショップ店長の書き込みだった。
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102 名前:Socket774[sage] 投稿日:2012/10/26(土) 11:25:18.56 ID:xxxxxxxx
ちょ、このPCマジでヤバイ性能です。現在当店にて、サンプル展示中。
あわせて、予約も開始しました。ウソにしか思えないかも知れませんが、本当です。
ウソだと疑うなら是非一度実物を見に来てください。しかもこの性能で希望小売価格2万円です。
当店では、初回予約キャンペーンを開催し、初回特典として値下げも視野に入れています。
是非一度御覧下さい。まじで是非一度御覧下さい。
大事な事なので二度言いましたw
PCショップ チョッパヤ店長 柏崎
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そして同時に、ヌコヌコ動画の説明文にもサンプル展示しているPCショップ一覧が次々と追加されていったのである。それが皮切りとなり『実物見に行った、まじでやべぇ!』等の書き込みが続々と上がりはじめ、一転して祭り状態へと移行していく。
さて、何故こんな事を書いているかというと、今目の前にそのPCが在るからである。
自分はPC雑誌のフリーテクニカルライター幹本忠士。そして話題のPC『infinity』のレビューを書く事になったからである。