伍、深夜のDinner
タンッタンッタンッ
子気味良い一定のリズムを保った音が台所から響いてくる。
「さくらー、何作ってんだー?」
一応、好き嫌いはあるので聞いておこうと思った。まぁ、嫌いなものを作っていたとしても食べるけど。
「野菜炒めだよー。准ちゃん、嫌いじゃないー?」
野菜炒めか。
俺の大好物であり、この時間でもあまりもたれない最高の一品だ。俺は、肉じゃかとかかなと、予想していたのだが、嬉しい誤算だな。
「いや、大好物だよ。ありがとう。」
こういう時は素直に礼を述べておくべきだろう。そもそも、桜がわざわざこの時間にここに来ているのも俺のせいだし。
「別にいいよー。よし、出来た!准ちゃん、お箸やお皿はどこにあるの?」
出来たようだ。すごくいい匂いがする。これは期待大だな。
「今そっちに行く。」
*
『「いただきまーす。」』
どうやら、桜も食べるらしい。この時間に食べるのはな~と、迷っていたようだが、誘惑に負けたみたいだ。
「んっ、おいしい!桜、すごくおいしいよ!」
お世辞なんかじゃない。本当にすごくおいしかった。
「そう言ってもらえると嬉しいかな。」
てへへと、恥ずかしがりながら、俺の称賛を素直に受け取る。
俺、明日死んじゃうんじゃないか。こんな幸せ、一生分使い果たしてしまってないか?
深夜、一人でお腹を空かせて精神的にもやられているところに、俺を心配して嵐くらいの天候の中、わざわざ来てくれるなんて。桜は聖人なのではないだろうか。俺が彼氏でいいのか?こんなにいいやつならもっと天秤のとれた他のやつの方がいいんじゃないのか。
卑屈に考えるな、落ち着け俺。こんなにおいしい料理が目の前にあるのだから、今はそれに集中しよう。
ふと、桜の方を見ると、ニコニコしながら俺の顔を見ていた。
「ん?どうした?俺の顔に何かついてるか?」
「いや、その、なんか新婚の夫婦みたいだな~って思って。」
ぐわフッ!
オノマトペでは表現出来ないような効果音を伴いながら、座っているイスごとひっくり返る。こ、この子を逮捕してくれ!殺人未遂でも銃刀法違反でもいいから!
「だっ大丈夫!?どこか変なところ打ったりしてない?」
あぁ、大丈夫さ。少し神経的な部位でのダメージは大きいけどね。薬も取りすぎると毒みたいなやつさ。
深夜、恋人同士と屋根の下に二人っきり。すでにシチュエーションだけでも途方もないレベルだっていうのに、料理を作ってもらって、新婚さんみたいだねって発言が相手側からぁああ。
落ち着け。
落ち着くんだ。
良く考えろ。
なんだかさっきからやられっぱなしじゃないか?
押して引いてが丁度いいと誰かが言っていた気がする。というわけで、このままやられっぱなしは良くない。そう、ギブアンドテイクさ。桜からはお腹一杯物理的にも精神的にももらったからな。その分返してみせようじゃないか。
「あぁ、悪い桜。少し頭を打ってしまったようだ。腫れてないか見てくれないか?」
「だっ、大丈夫!?どこが痛いの!?」
わざわざテーブルを迂回して俺のところに駆け寄ってくる。まあ、俺が意図的に呼んだのだけれども。
「もうちょっとこっちに来てくれないか?」
「え、あ、うん。」
照れながら近付いてくる桜。ここまでは、考え通り。しかし、ここから先は羞恥との戦いだ。本当にやるのか、俺?誰かに知れれば晒し首同然だぞ。だがしかし、もらったものが大き過ぎて一気に返済するためにはこれしかない!
よし!
作戦決行だ!
って、あれ?
「あの、もしもし、桜さん?近くに来てとは言いましましたが、マウントポジションをとれとは言ってませんよ?」
「え?だって、頭を打ったっていうから、見てあげようと思って。」
なんつー、考えの持ち主だお前はっ!!普通、横だろ!なんで、俺の上に跨ってるんだよ!軽くデジャヴだよ!
これにて俺の作戦、未遂にて失敗。混乱し過ぎて訳の分からない独り相撲で赤っ恥をかかずにすんだと気付くのは後の話。
「それで、どこら辺が痛いの?」
俺に跨ったまま、頭のところまで上半身を移動させているものだから、当然俺の目の前は桜でいっぱいになる。主に、発展途上と思われる一部で。
なに?なになに?天然なの?計算されてるの?鼻孔に甘い匂いがあああぁぁ。
ど、どうするんだ俺?結局、ギブされっぱなしじゃないのか?なら、どうするんだ?この状態から何かできることはあるのか?
桜は、俺の頭で腫れている部分がないか探してくれている。
こ、こ、こここのままじゃあ男の名折れだ!どうにかひっくり返さねば!物理的に!
よし、よーし、押し倒してやる。ふふふ、そんでもってそんでもって(壊)
「准ちゃん?大丈夫?なんか、変な顔してるよ?」
「え?あぁ、ごめん。大丈夫だ。」
桜はすでに要件を果たしたのか、俺の上にはおらず、横に立っていた。
俺、壊れてたな。なんだか、だらしない。こんな俺みたいなやつ、やっぱり桜の彼氏には相応しくないのだろうか。下心もあって、世話受けてばっかで、自分じゃ何も出来やしない。いったい、桜は俺のどこに惹かれたというのだろうか。いや、それは少しおこがましいのかもしれない。好きではないが、ただなんとなく付き合っているだけなのかも。今日、告白されたばかりなのだから、もしかすると明日フられるかもしれない。一日だけ、様子を見てみるつもりで告白をしたのかもしれない。それでも、仕方ないか。三日とならず一日だけの幸福だったけど、男の俺には過ぎたものだったし。その代償として、両親がいなくなったというのであれば、納得はできる。
…………
なぁ、俺。
こんな頭の中でうじうじと自己嫌悪に陥っていくことが美徳なのか?違うだろ?
シャキッとしろ。
お前が悩んだって分からないことだってあるだろ。それに、その答えを持ってるやつが目の前にいるだろ。
お前らしさ、自分らしさを保て。他人に如何なる横槍を入れられようと自分の思想は曲げるな。
思ったことを言い、思った通りに行動しろ。体面なんて気にするな。
例え、どんな答えが帰ってこようとも、恐るな。真実と向き合うんだ。
頭に響く、もう一人の俺の声。これは心の奥に眠る本音なのだろうか。邪気眼みたいなやつかな。
何にしても、もう一人の俺の言っていることは正しい。
俺は、少し怖がっていたのかもしれない。もし、俺の想像通りの展開が現実だとしたら?そんなことを考えると、答えを聞く勇気がなくなって、自己嫌悪で自己解決するのを繰り返していただけなのかもしれない。でも、それが自分の短所や弱味だとは思わない。ある種の自己防衛みたいなものだからな。でも、それでも、逃れられない場面にも出くわす。今、まさにそうなんだと思う。
このまま、自己嫌悪を引きずりながら桜とうまくやっていける自信なんてない。この、自分の中でモヤモヤしている部分をスッキリさせよう。
女々しい、かもしれない。
いいさ、女々しいやつが出世する世の中なんだから。なんたって、女々しいことがステータスだろ。
「桜、一つ聞いてもいいか?」
不安や疑いなんて持ち合わせていられない。だから、聞こう。この疑念を晴らす答えを期待して。
「えと、いいよ。あんまり、シリアスなのは嫌だけどね。」
後半は冗談混じりの声色でおどけてみせたように聞こえた。だから、俺もなるべく明るい声を出そうと努める。
「桜、俺のどこが好きなんだ?」
「え?どうしたの、急に。」
予想と全く違った質問をされたからなのか、キョトンとしている。
「桜は、俺のどこを気に入って告白したんだ?」
「えと、どうしたの?そんな急に。」
この際だから、全て吐き出そう。
「不安になったんだ。どうして桜みたいに可愛いやつが、俺のことなんて好いてくれるんだろうかってね。だからさ、教えてくれよ。俺みたいなやつのどこがいいんだ?メールするっていう約束すら守れないやつだぞ?」
「はわわ…」
なるべく大きな声を出さないよう努めて言ったのだが、桜は顔を真っ赤にして混乱している模様。変な事を聞いてるっていう自覚はあるにしても、ここまで混乱されると罪悪感がふつりふつりと沸いてくる。
「その、急にごめんな?でも、どうしてもはっきりさせておきたくて。」
「う、うん。分かったよ。准ちゃんがそこまで真剣に考えてくれてたんだもん。私も真剣に考えるね。」
「あぁ、ありがとう。」
顔は真っ赤なままだが、自分の意見をまとめているのか、う~んと唸りがら悩んでいるように見える。
そして、考えがまとまったのか、ぽつりぽつりと、話し始める。
「私さ、准ちゃんのことが好きなんだ。それも、どうしようもないくらいに。」
「准ちゃんは、どうして、どこに私が自分のことを好いてるのか気になってるんだよね?」
「……好きになるのに、理由や理屈っているのかな?」
「私は准ちゃんのことが好き。それだけじゃだめなの?」
「私は、まだ一日しか経ってないけど、准ちゃんに不安なんて感じてないよ?だって、もし准ちゃんが私に愛想を尽くしたとしたら、ちゃんと切り出してくれると思うもん。」
「でも、例えばこういうところが好きとか、こういうところは好きじゃないとか、言ってくれたなら、善処だって出来る。でも、それはあくまで前向きな姿勢をとるためのもの。だから、それを知らないからといって、不安になるのはちょっと違うよ。」
「だからさ、信用して?私はずっとずっと、准ちゃんのこと好きだよ。」
「さっき、可愛いって言ってくれたよね?あれ、すごく嬉しかったよ。でも、その後に准ちゃん、自分なんかって卑下してたでしょ。そういうの、良くないよ。」
「それでもさ、ちょっと不謹慎かもしれないけど、それも嬉しかったの。准ちゃんが、自分と私を対比した時に、私のことを自分よりも大切に見ててくれたみたいだったから。」
「それに、それにね?正直に言うとさ、私も准ちゃんと同じ事考えてたんだ。」
「どうして准ちゃんみたいにかっこいい人が私なんかの告白を受けてくれたのかなって。今日だってそう、急に深夜に駆け込んでくるような真似をして、変に思われてないかなとか。でもね、それの答えは自分で考えても絶対に出てこないものだから、准ちゃんのこと信じる事にしたの。」
「私は、准ちゃんのことが好き。そして、きっと准ちゃんも私の事好きでくれている。」
「それだけで、良かったの。」
「准ちゃんは、自分に自信を持ってよ。私なんか遠く及ばないくらい、優しくて誠実でかっこいいんだから!」
「……………」
返す言葉が見つからなかった。
桜を疑うような結果になっていないだろうか?
桜は俺を好いていて、信頼してくれている。
これは、揺るぎない事実。今のところは。
何故なら、いつ俺なんかに愛想をつか…おっと、卑下はしないようにしなくては。
桜が俺のどこが好きなのかは分からなかった。でも、その事で案じる必要はないみたいだ。
杞憂、っていうと少しおこがましいかな。
桜の話しを聞いていて、一つ心を咎める内容の発言があった。
「私は、准ちゃんのことが好き。そして、きっと准ちゃんも私の事好きでいてくれている。」
そう、桜の話しはあくまで、『お互いが信頼しあい、好きあっている』ことを前提、というか、根幹としている。だが、俺は桜をどう思っているのか自分で全然分からない。好きか嫌いかで聞かれれば考える余地もなく好きの方だろう。かといって、恋愛感情を持ち合わせているかというと、少ししこりが残ってしまう。
桜のことは、今の出来事で信頼出来た。でも…
屈託なく、えへへと恥ずかし気に笑っている桜に一抹の罪悪感を感じずにはいられなかった。