肆、約束のメール
午後4時7分32秒。
授業を耐え切り、特に部活に入っていない俺は、同じく帰宅部とする桜と一緒に帰路につくことになった。
桜は、華奢な体つきなわりに運動神経がいい。
なんでも、中学の頃は陸上部で全国大会に出るほどだったらしい。なのにもかかわらず、帰宅部。何故だろうか?
そこまで、有望視されていれば推薦などであの手この手と引くては数多であろうに。
特にこの学校にする必要もなかっただろうし…
何か深い事情でもあったのだろうか?
と、そのことが気になったので隣を歩いてる桜を見ると、落ち着かない顔。よーく見ると挙動不審な手。持ち上がったり、下がったり。
俺の視線が手にいっていることに気付いたのか、手を胸のあたりまで上げて軽く握りしめ、違うの!と、否定の言葉で弁解する。何に対して弁解してるのか。
はぁ、仕方ない。
「今度、一緒に探してやるよ。お前の手袋。」
我ながら、人思いな奴よ。
まぁ、にわかとはいえ彼氏だから当然かな?
というか、この時期に手袋ってなんだよ。
冷え性なのかね?
「……………」
あれ?
俺の気遣いをよそに目が点になって呆然とその場に立ち尽くしている桜さん。
何かありましたー?
ぐおぅっ!
「こんな、時期に、手袋なんて、つける、わけが、ないでしょ!」
何故か文節毎に一発お見舞いしてくる!
「ちょっ、ちょっとタンマ!」
「な、なによ。反省でもしたの?」
自らも肩で息をしながら、痛みで顔を顰めているであろう俺に聞き正す。
こっ、こいつは何故こんなに怒っているのだ!?
いいか、俺。よく考えろ、ここで間違えた返答をしてしまえばまた拳の雨が降り注ごう!
KooLになるんだ。よし、素数を数えよう。
2.3.5.7.11.13.17.19.23.29.31...
よし。
中学校で習ってきた素数は完璧のようだ。
…落ち着いてきた。流石は心の師、Kだっ!
さて、まずは何故桜が怒っているのかということだが…
俺はただ、手袋を一緒に探してやると言っただけだ。なのにもかかわらず、あの暴行。
り、理不尽だっ!
しかし、そんな理不尽な行動にも俺は自分の過失をどうにか見い出さねばならん。
ということで、話を一旦整理しよう。
シチュエーションは、下校中。
俺は、考え事をしていた。(部活のことについて)
桜はあの不審な手の動きから推測するに、なくしてしまったものとみられる手袋がないためにそわそわ。そして、それを探す手伝いを申し出た。
これの、どこらへんで俺に過失があるのだろうか。
まぁいい。
自分に過失がないと分かったところで次のステップだ。
悪いところがないのであれば、攻撃される理由も見つからない。しかし、桜がここまで道理からズレたことをするとは思えない。だから、何かしらの理由があるのだろう。そして、そこに俺のミスではないとすると、出てくる答えは一つ。
「照れ隠し」
これではないだろうか。
手袋を失くすなんてドジがばれたのだ。つまり、それが俺にばれてつい照れ隠しに俺を殴ったのではないか。
それなら、桜の性格的には納得のいく答えだ。
つーか、照れ隠しで人殴るってどんだけ捻くれてるんだよ。
まぁ、桜にとっちゃ自己防衛みたいなもんだからなぁ。あんまり責めるのは得策ではないだろう。
そう、ここからが勝負だ。
三つの策を思い浮かべよう。
上策、相手のプライドを守るために完全に下手に出る。
中策、話を変える。
下策、責める。
もちろん俺は龐統先生の言う通りに、中策でいきますとも。
つか、上策とかリスク高すぎる。
下策は、論外だな。
ということも兼ねて、中策とする。
急に変えたんじゃバレる可能性もあるため、すこーしずつ変えていくことにする。
よし、いくぞ!
(この間わずか0.2秒)
「桜、悪かった。充分反省したよ。」
二カッと、with a スマイルで。
にもかかわらず、
「なんでそんなに胡散臭いの?」
なんと失礼な。
まぁ、ここからが本番だしいいか。
「手、冷たいんだろ?」
「えっ?どうしたの、そんな急に?」
よしよし、期待通りの反応だ。
よく分からないといったような感じを醸し出そうとしているが、内では何かに期待している。
お前、そんなに手袋が愛しいのか…?
悪いが、俺は手品師ではないためにパッと手袋を出すことが叶わないので、今回はこれで許してくれ。いつか、探してやっから。
「ほらっ、これで多少は暖かくなるだろ?」
ギュッと、手を繋ぐ。
羞恥は、昼休みの時にすっ飛んだからたいして感じたりはしない。ただ、手を繋ぐという行為を理不尽な暴力から逃げるために利用していることに多少の罪悪感を感じずにはいられない。
まぁ、一応彼氏だから拒否されることはないだろうけど。
作戦の核である話題替えなのだが、桜が生返事しかしないため会話が成立しなかった。
「そういえば、なんで部活入らなかったの?」なんて聞いても、「そ、そうだね。今日はいい天気だね。」なんて返してくる。一体どこの電波を受信しているんだか。
こんな状態だったが、家までの道のりは分かるようで、送って行った。
初めて桜の家の場所を知ったけど、なんとマンション住まいらしい。入る段階で指紋認証が必要な高級ぶりで慄いた。
「じゃあ、また明日な。」って手を振ると「う、うん。明日も晴れるといいね。」だとさ。
そーだな、明日も晴れるといいな。
*
桜を送った後は、家に直で帰り、自室のベットに突っ伏した。
高校生である俺の人生の一番の至福の時間はこの時ではないだろうかと、真剣に考えてしまうほどの気持ちよさ。グリーン車のスイートルームもびっくりな居心地だろう。入ったことないから分からないけど。
腕につけていた電波式腕時計が腕に窮屈感を与えてくる。それがこの安らかな時間を遮ってくるようで不快だ。とはいえ、指一本動かせない。否、動こうとしない。全身から力が抜けきったみたいだ。そう、例えるなら冬場のこたつに入ってる時に催す尿意を無視しようとしている時と同じ感じかな。
一応、抗ってみようと顔だけ腕時計に向けるが、指は頑なだ。顔を向けた瞬間の時刻は17時13分44秒。何か不吉なものを予感させられるような時間だ。まだ、不幸が重なるとでもいうのか。ちなみに、今日起きた不幸というのがどこからどこまでなのかは俺じゃない誰かが決めてくれ。先に言っておくが、あまり幅を広めすぎると俺の命に危険が及ぶ可能性があるから、気をつけるように。
明日は、火曜日。憂鬱この上ない。これ以上の不幸が訪れるというのか。運試し程度にもう一度腕時計に視線を向ける。現在、17時14分44秒。
まだ1分しか経っていなかったのか、という驚きと、これ絶対この後何か起こるフラグ立っちまったよ…という諦観が俺を鬩ぎたてる。一体、何が起こるのだろうか。何だよ…この4の数…
俺は、想像の中での危険に備え、さっさと寝ることにした。宿題が少し出されていたのだが、これだけ早く寝れば早起きくらい出来よう。
というわけで、このまま寝ることにする。着替えも風呂も歯磨きも夕食も全てを放棄して目を瞑った。何かを忘れているような不安が胸中に渦巻きながら。
*
目が覚めた。
寒いとか、眩しいとか、小鳥の囀りが聞こえてとか、そんな日常的なものではなく、居心地の悪さが台頭した、とでも言おうか。そう、なにか罪悪感めいた感覚に囚われたのだ。
現在、1時9分45秒。
さて、この45秒というのはどう解釈しようか。
不吉な数字の回避?しご、つまり死後ということですでに危険は過ぎ去った?はたまた、1秒という危険の一歩前進?
どれが正しいのかなんて、俺には分からない。ただ、自分の心境的にあまり好転したとは思えない。というか、そもそも危険も何も寝る前にたまたま見た時間が44秒であったというだけの話かもしれない。心配のし過ぎじゃないのか、俺は。普通に考えれば偶然というのが一番現実的ではないのか。
少しの間思案に耽った後、感じていた違和感に気づいた。
何故か、部屋の電気が消えているのだ。
寝る寸前の17時過ぎ頃、雲行きが怪しくなっていたので少し早いが電気をつけたのだ。それから、ベットにダイブしたからつけっぱなしで寝たはずなのだ。冷静になって考えてみれば、親が消してくれたという選択肢も出てくるのだが、それはあまり考えられない。今日のように夕食をボイコットすることはよくあるので、わざわざ俺の部屋に来るとは考え難い。基本奔放に育てられてる。その家庭内状況下で親が部屋に来るとすれば。そう、何か特別な事情がある時だけ。例えば、出張が急に決まったとか、長期旅行に出かけるとか、田舎に帰省するとか…
…………
も、もしや?
ガバッと勢い良くベットから起き上がる。その勢いのままドアを乱暴に開く。急いで階段を降り、すでに寝ているであろう親の寝室に向かう。
「おいおい、勘弁してくれよ…」
嫌な予感ほど当たるとはよく言ったものだ。見事に誰もいない。急に喉が渇き始める。
「いやいやまて、ほんの1週間ほどかもしれないじゃないか。」
なんだか、自分で変な方向にフラグを立ててしまった気もするが、気にしてはいけない。とりあえず、このネガティブな頭を冷やそう。丁度喉が渇いてきたところだし、台所で水を飲もうじゃないか。それから、親に連絡しよう。よし。
「あぁ、我が神よ。この私めにこのような試練を与えてどうしろというのでしょうか。」
思わず、誰もいない台所で懺悔でもしたくなるような文面が書かれたメモ用紙が二枚、台所のシンクの上に置いてあった。
最初は、何故シンクの上に置くんだよ。とか、心の中でつっこんだ後、少し濡れて破れやすくなったメモ用紙を手にとった。見る前に、一呼吸おいて、軽く神様やら仏様やらに祈った。どうか、俺にとって悪い方向に向かいませんようにって。しかし、現実は小説よりも奇であった。
《妻と子へ。私はもう疲れた。この女尊男卑の社会に疲れたのだ。どれだけ一生懸命働いても報われない。どれだけ一生懸命働いても女性より上役になることはない。どれだけ妻の言うとおりに動いても喜ばれることはない。もう、かかあ天下はごめんなんだ。私は、旅立つ。新たなる新天地を求めて。男性も女性も平等な社会を求めて。無理ではない。いざとなれば自分で創ってみせる。あい、きゃん、どぅーいっと。そして、我が息子よ。わざわざお別れの挨拶を言いに部屋に行ったのだが、寝ているようだったので、邪魔はしないでおいた。お前宛に手紙を書いたから読んでおいてくれ。机の上に置いておいた。そして、我が妻よ。お前との結婚生活、序盤は楽しかったよ。序盤は。序盤はね。さて、そろそろ私は行くとしよう。どうか、探さないように。父より》
「なにこれ。」
色々と、言いたいことはあったけど、特に言いたいことは、どうしてこんな小さいメモ用紙にびっしり文字敷き詰めてるの、だ。遠目で見たらハングル文字みたいだよ。しかも、水で滲んで見にくいところが結構あったし。
とりあえず、二枚目にも目を通すことにした。
《准一へ。母さん、ちょっとあなたのお父さんを探しに出かけてくるわね。大丈夫、心配しないで。すぐに連れて帰ってくるから。母さんより。》
母さんは、父さんを探しに行ったみたいだ。一体どれほどの時間を要するというのだろう。すぐにと書いてあるが、目星でもついているのだろうか。こんな展開、小説でも読んだことネーヨ。どーすんだよ、帰ってこなかったらよ。それまでどーしてりゃいーんだよ。グレるぞこの親どもめ。つーか、父さんそんなに追い詰められてたのかい。つーか、母さん追い詰めるほどこき使ってたのかい。つーか、どこから俺の生活費でんだよ。仕事は?家事は?子育てはあああぁぁーーー?
はぁ…はぁ…はぁ…
水を飲みに来たというのに、さらに喉が渇いた。しかも、肩で呼吸するはめになった。実質上、一人暮らしを強要されたのではないだろうか。親が帰ってくるのは、未定。長年連れ添った母さんとはいえ、父さんの行く場所など分かるはずもない。すぐにバレるような場所に行かないだろうし。はぁ、俺は何を恨めばいいんだよ。明日ちゃんと起きれるだろうか。弁当はどうしようか。
あれ?自分のだらしなさに気付いてしまったぞ?母のありがたさが身に沁みます。もしかすると、全部父のありがたみかもしれない可能性が今さっき浮上したけど。
自分の脳が混迷を極めているのに気付いたので、コップ一杯の水道水を喉に流して、とりあえず父さんの残した手紙を読みに部屋に戻ることにした。
*
外は、嵐が来たかのように風と雨が踊り狂っていた。時折、雷の音や光がちらつくので、本当に嵐が来ているのかもしれない。今朝はいい天気だったのに。
開けっ放しのカーテンを閉めて、電気をつける。俺の机の上に視線を向けると、封筒が置いてあった。これが、父さんの残していった手紙だろう。封筒を開けると一枚の手紙。少しドキドキしながら中身を確認する。
《歴史は繰り返す》
手紙一杯に、それも無駄に達筆な文字でそれだけ書いてあった。
「何が言いたいんだよぉぉぉぉォォ!!!!」
その時、チャイムがなった。こんな深夜に、しかもこの天候の中。わざわざ、来るほどの用を持った人がいるだろうか。もしかすると、もう母さんが父さんを連れて帰ってきたのかもしれない。
僅かに期待しながら、玄関に向かった。
無用心にも、誰かを確認せず扉を開ける。泥棒ならチャイムは押さないだろうし、こんな深夜に来るということは、知人だと思うし。
「はーい、どちら様でしょうかー?」
「准ちゃんっ!!」
ガバッと勢い良く雨合羽に身を包んだ人が俺に抱きついて来た。その勢いはまるで、寝起きの時の俺の如く。
「あ、あの、どちら様で?」
雨合羽のせいで性別すら区別がつかない。だが、さっきの声から察するに、女性の声だろう。母さんではなさそうだけど。ちょいと残念。というか、雨合羽冷たい。
「准ちゃん、無事だったぁ。どこか怪我はない?」
む、どこか聞き覚えのある声だ。もしかして、この声は桜?
「さ、桜か?」
俺に抱きついている女性もとい少女(体格的に)は、顔を上げる。
「うん。心配したんだよっ!」
やはり、桜だった。
「心配?心配かけるようなことしたっけか?それより、どうしてこんな時間に来たんだ?変な奴が彷徨いてるかもしれないだろ。」
何故か俺を心配している桜の瞳は潤んでいる。本当に心配しているようだった。しかし、どちらかというと俺が桜の心配をしてしまうような状況ではないだろうか。
「だって、准ちゃんからメールが来なかったから。准ちゃん、メールしてくれるって言ったのに。だから、何かあったんじゃないかと思って。でも、なんだか准ちゃんを疑ってるみたいですぐに行動に移せなかったの。」
あぁー、そういえば、メールするって言ったよな。寝る前に感じた何かを忘れているような感じは、これだったのか。
「ごめん桜。帰った後、すぐ寝ちゃったんだ。まぁ、とりあえず上がって。このままじゃ風邪引いちゃうから。」
桜がではない。俺がだ。
「でも、この時間にお邪魔したらお家の人に迷惑かかっちゃうよ。」
すでにチャイムを鳴らした時点で手遅れだと思うけどね。なんて、元凶の俺が言ってみる。
「あぁ、今家に誰もいないんだ。だから大丈夫だよ。」
しれっと言い切ってやる。
「え?誰もいないの?」
驚きを一切隠さず素直に驚きを表情にだしている。
「そ。だから、入って入って。」
桜をリビングまで誘導して電気をつける。先程まで暗いところにいたせいか、目が少々痛む。そんなことはないのか、桜は怯むことなく雨合羽を脱ぐ。どこに置くか悩んだ後、玄関に置きに行ったようだ。だが、既に廊下は滴った水滴で濡れている。ま、別にいいんだけどね。
ソファーに腰をかけて、桜が戻って来るのを待つ。それまで、少し頭を落ち着けることにした。
よし、一旦整理しよう。
まず、俺帰宅。
そして、寝落ち。
その後、父さん家出。
続いて、母さん捜索。
俺起床。
桜の突撃。
んでもって、現在。
とてもシンプルにまとめたところこうなるだろう。
あ、桜戻って来た。
「准ちゃん、何で誰もいないの?」
どうしようか。
父さんが家出したんだ。それを母さんが追って行ったんだ。と、本当のことを言おうか。
それとも、適当に嘘をついておこうか。
実は、両方とも出張に行っててさ。みたいに。
んー、どうしよう。
本当のことを言えば、変に心配させるかもしれない。嘘をつけば、俺の良心が痛むし、桜にも悪い。
よし、ここははぐらかそう。
「それよりさ、桜は料理って出来るか?」
「え?まぁ、その、食べられる程度になら。」
よし、うまく(?)脱線させたぞ。
「それじゃあさ、何か作ってくれないか?夕食食べてないからお腹が空いてるんだ。無理にとは言わないけど、良かったら作ってくれ。自分じゃ料理できないんだよ。」
「え、あ、うん!頑張るよ!!」
「ありがと、桜。恩に着るよ。」
そう言って、桜を台所に招待する。冷蔵庫のものは適当に使っていいし、調理器具も使っていいと、場所を説明しながら言う。桜は張り切っていて、なんだか期待出来そうだ。
「よーし!頑張っておいしいもの作るぞー!」
「おー。」
深夜だしね。
感嘆符じゃなくて句点になってしまうのは許してくれ。
天候が悪い夜中は気を付けて下さい。
泥棒は、天候が悪い夜中を好むとされています。
雨の音である程度の音は隠す事が出来たり、夜中にうろつく人が少ないためなそうです。
中には、人がいるか確認するためにチャイムを鳴らすこともあるそうです。
皆さん、そんな日に可愛い女の子が押しかけて来る可能性はゼロに等しいので無用心に開けたりせぬよう。