それよりなにより、
吐き気がした。それはわたしの奥の奥から静かにゆっくりと沸き上がって、もうすぐ喉に届きそう。
生暖かくてぐるぐる回ってもやもやしてて、呆れながらも苛々するような、なにもかも取り込んでぐちゃぐちゃに掻き回したいような、そんな行き場のない気持ちがわたしを内側から蝕む。例えば殺虫剤のように、一気にこの気持ち悪さを簡単に掃除してしまえるものがあったなら。わたしは喜んで飛び付くのに。現実にあるソレは、きっとわたしには巡って来ない。
「……あ、あのう……」
「ナンデスカ」
「高岡沙由ちゃん、だ、よね」
「そうです」
「ちょっと来てくれないかな」
行きたくない、と言えばそれで終わっていたのかもしれないのだけれど。そうすれば余計にややこしさが増すのは目に見えていた。
ちらりと目を向ける。いわゆるオジョウサマ、が三人。昼休み真っ只中の三階廊下、突き当たり。後ろにはくすんだ壁が立ち塞がり、わたしを圧迫する。同じように呼び出しをくらうのなら、風通しの良い裏庭の方がよっぽどいい。壁に囲まれる廊下の突き当たりは、窓から吹き込む風が重苦しく溜まり、それに絡まるようにいろんな音や匂いや、埃なんかも連れて、わたしはそんなごちゃごちゃに溺れそうになる。
昼休み独特のざわざわが響いて耳に当たる。教室から染み出てスーッと流れた誰かの焼きそばパンの匂いが鼻について、更に嫌気が増した。
「あのね、沙由ちゃん」
「なに」
右側の一人が口を開く。薄いピンクのルージュが、油っぽく見えた。
言いたいことは分かってる、というか、わからないはずがなかった。もしこの場にもう一人全くの他人がいたとして、「何? どうしたの?」なんて聞こうものなら、わたしのこの気持ち悪さを全てぶちまけてやりたいと思う。
「竹中くんと付き合ってるの?」
「どうしてそんなこと聞くの」
「都はずっと前から竹中くんのことが好きだったの」
その子は、そうなのよね、と隣の女の子の方を向いて優しく同意を求めてから、もう一度じろりとわたしを見た。
――くだらない。
今まで黙りこくっていた、主役である真ん中の髪の長い女の子は、遠慮がちにコクンと頷いただけだったけれど、そういう奴に限って自己中で図々しい性格なんだってことを、わたしは知っている。
「へーそうなんだ。ふうん」
わたしがへらっと口だけで笑うと、彼女たちは露骨に面白くなさそうな顔をした。
わたしと竹中が付き合ってないなんてことは、みんな知っている。私たちはそんな関係ではないし、わたしがいくらそう願っても、そうはならないことは明らかだ。彼女たちがそんなことを聞きたいわけではないことは、承知の上での会話だった。解りやすく乙女の嫉妬を説明してもらわなくたって、そんなことは分かりきっているから、回りくどい言い方は止めて欲しいと思った。時間の無駄だ。
恥ずかしがり屋で根性無しで弱いから。そしてちょっぴり楽しいから。
小さな計算。それから、それとなくゴウインな約束。単純過ぎる展開に、思わず笑った。
「付き合ってないんだったら、もうこれ以上竹中くんに近付かないで」
――笑えない。くだらない。つまらない。
女ってどうしてこんなに面倒臭いんだろう。
「イ、ヤ」
「なんでー! 俺は絶対いいと思うんだよね!」
「……そこからのいじめネタでしょ。あたしそんなヤラレ役ヤダ」
長く綺麗な指と指でシャーペンをくるくると回す竹中は、「でも負けない主人公、かっこいいじゃん」と、口を尖らせた。
相変わらず昼休みの教室はざわざわと揺れていた。白いカーテンが、夏の終わりを告げるにはまだ早い、生温い風を目一杯吸い込んで膨れた。昨日の夜から今日の朝にかけて雨が降っていたから、まだ少し湿っぽい。
「なんか暗いよ。だって文化祭だよ、ウケないって」
でもなあ、と粘る竹中を横目に焼きそばパンをかじる。ソースの香ばしい匂いが、開けっ放しの窓からふよふよと駆け出してどんどん昇って、平凡の塊であるあたしと竹中を見下ろして笑った。無表情の雲が薄く均一に張られた空はどこを見てもずーっと白で、やっぱり退屈だった。
「あ、」
「何」
「そういやさ、さっきあの子見かけたよ。ほら、誰だっけ、あんたが最近よく相手してる子」
「ん、ああ、高岡?」
一旦止まった緑色のシャーペンは、間を置いてまた回った。
「また呼び出されてたよ、今度は都に」
「へえ」
「へえってあんた、かばいに行かなくていいの?」
彼女候補なんでしょ、とあたしは笑った。
シャーペンのくるくるは静かに止まって、代わりに大きなあくびが顔を出す。潤んだ瞳であたしを眺めて、竹中もちょっと笑った。
「で、あいつをかばいに行って、俺は何て言うのさ」
「俺の彼女に手え出すなーって怒鳴り散らすの」
「彼女じゃないし、少女漫画かっつーの」
今時腐ったヒーローでもそんなことしないよ、と笑った竹中の顔が綺麗で、モテる理由が少しだけ分かった気がした。
湿気を含んだ風があたしたちの髪を撫でる。昼休みの残り時間を気にしながら、焼きそばパンを頬張った。机に俯せる竹中の手からシャーペンが零れて机に当たるカツンという音と、間抜けなあくびがふわりと香った。
↓
終。
結局は他人事、がテーマです。ちょっとベタな女子高生ごたごたネタって初めて。個人的にはベタ展開も好きなんですけどね!
そしてやってみたかったのが場面の切り替え。楽しかったです。