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第1輪:普通の裏方です(妖精が逃げるだけで)




むかし むかし くにが まだ できるまえの おはなしです。


ひとりの こどもが もりの はしに すんでいました。


こどもは たくさん ことばを もっていました。


でも―― だれにも きいてもらえませんでした。


「こっちを みて」 「きいて」 「ほんとうだよ」


こどもの こえは かぜに ほどけて きえて いきました。


こどもの こころの なかには くろい もやが ありました。


かなしい もや、 くやしい もや、 だれにも いえない もや。


こどもは その もやを かかえたまま まいにち あるきました


 ――――――毎日、




 毎日、私は黒い石で出来た水盤で手を洗う。暑い日はまだいいが、問題は寒い日だ。手が悴み、痛みと痒みが手を襲う。冬の間はずっと、じんじんと感じる血流を歯を食いしばりながら耐えていた。

 王宮庭園の奥にある要塞のような建物が私の職場だ。下は白石の重い基礎、上は鉄と真鍮の骨組みに大きな採光窓。屋根は緑青の浮いた古い銅で出来た建物。見た目だけなら、ちょっと素敵な温室だろう。黄薔薇と赤薔薇意匠のアーチを潜った先にその建物はある。

 何度か肌に残る匂いを洗い落とそうとするが、骨の髄まで染み込んでいる”青薔薇”の匂いだけは落ちない。香水でも、石鹸でも絶対に落ちない、生まれた時からずっと絡みついている匂いは、たったそれぐらいでは落ちやしない。

 今だ残る薔薇の匂いに私はガクリと肩を落とす。軽く落ち込む私に声がかけられた。



「お嬢様」



 背後で上品な声が落とされた。そちらを振り向けば、セルリアンブルーの瞳の色と目が合う。同色の髪を長く伸ばし、藍の髪紐を真鍮の留め具で結っている。留め具の中心にはラピスラズリが一粒、深い青の光を宿し、その光は彼の端整な姿形によく合っていた。基本的な黒い執事服を着ており、手元のカフリンクスには髪留めと同じようなラピスラズリが1粒ずつ青い光を宿している。真鍮製のネクタイピンが彼の胸元で主張していたが、それが彼を損なうことはなかった。

 ――――――――嫌になる程の、美しい執事である。


 私は素早く彼から離れる。このままいたら、きっと私の先ほどの行動はこの執事によって木っ端微塵にされるだろう。だが、私がそう思った時には遅かった。



「お嬢様、いつまでも手が濡れていてはお仕事に障ります」

「あ゛あ゛ーーーーーーッ!!!?」



 指先を包む上等な布の手触りは、彼が長年愛用しているハンカチだ。さらには指先から香る”青薔薇”の匂い………………絶対、このハンカチは”すりすり”済みだ。



「さあ、これで準備はできました」

「その準備が木っ端微塵なんですけど!!!?」



 落としたはずの“青薔薇”の匂いが、むしろ増しているような気がする。そんな手を見つめながら、私は毎日のように続く攻防戦に――――――今日も敗北した。非常に端整な執事は、そんな私の匂いに大満足したらしく、上品に勝ち誇った顔をしていた。



「(やめろ。そんな満足そうな顔をするな!)」



 ふんす、と満足そうに鼻を鳴らす執事はそんな私の心の声など気にすることもなく、私の職場へと続くドアを開けていた。


 私は諦めて中に入る――――――――そうすれば一瞬で匂いが切り替わる。

 樹脂と蝋と金属が混ざった封緘香。紙と封蝋の匂い。様々な妖精を呼びだす為の香。その全てが私の”職場”の匂いだった。

 そして、その奥で既に事件は起きていた。


 私は契約書倉庫の奥、封緘台の前………………そこで大騒ぎする若い役人の姿を見て、自分の目が死んだ魚の目になっていることを理解していた。若い役人は涙目になって必死に叫んでいる。



「出ない!出ないんですよぉ!!!」

「出ないって何がだ。君の給料か?」



 そんな冗談を、若い役人の教育係らしき人が言っていた。だが、その冗談は私にとっては笑えない冗談だった。騒いでいるのは黄色い薔薇のバッジをつけた2人。おそらく、今年新しく入って来た役人と、その教育係だろう。新人らしき若い役人がパニックを起こしながら、半泣きでシーリングスタンプ片手に教育係を睨んだ。



「妖精が出ないんです!手順も、匂いの誘導も、全部合ってるのに………………鈴を鳴らしても出て来てくれないんです!」

「馬鹿なこと言ってないでさっさと妖精を出せよ」

「出来たらそうしてますよぉ!」



 2人の会話を聞いた私は、現実逃避するように視線を上へ向けた。天窓の向こう、空は今日も変わらず青かった。教育係が眉間に皺を寄せ、記録簿をぱらぱらとめくる。倉庫は封緘と記録の聖域だ。空白は許されない。まして“呼べませんでした”など、書けるわけがない。



「この倉庫は結界も問題ない。香炉も規定のものだ………何が問題なんだ?」

「わ、わかりません!でも、さっきからなんか、この倉庫、薔薇の匂いがしませんか………?」

「薔薇ぁ?薔薇祭りはまだまだ先だろ。それに倉庫に花は持ち込み禁止だ。それは説明しただろ?」

「は、はい………」

「御伽噺でもあるまいし………そんな訳あるはずがない」

「そ、うですよね………?」



 その言葉を聞いて、私は思わずギクリと自分の体を硬直させてしまった。しかも、間の悪いことにその2人と目が合ってしまった。私は慌てて2人に挨拶をした。2人はすぐに私に挨拶し返してくれた。



「おはようございます、エルディア嬢」

「お、はようございます………………ははっ」



 教育係の言う「エルディア嬢」という呼称に新人役人が反応した。



「エルディア嬢って………」

「ああ、お前は初めてだったな。こちらはここの倉庫番のセシル・エルディア嬢だよ」

「え、彼女だけなんですか?しかも、”嬢”って………………確か、貴族位の女性のみにつく呼称ですよね?」

「ああ、彼女は一応、子爵令嬢なんだよ――――――で、エルディア嬢の後ろにいるのが、付き人のセルリアンさんだ」

「お初にお目にかかります。私、エルディア家にお仕えいたします、セルリアンと申す者です」

「え、付き人………?」

「あッ、あー………エルディア嬢はちょっと特別でな」



 特別ではない。セルリアンが書類も手順も全部、“ごり押しで”通しただけだ。当の本人は、当然ですと言わんばかりに微笑んでいた。

 すると、新人役人が何かに気づいたように私を見た。



「エルディア嬢………もしかして、香水をつけていらっしゃいますか?」

「あ、いえ………………でも、家に薔薇の庭があるので………」

「それだな。薔薇の匂いの出どころがわかったじゃないか」

「はぁ………」



 新人役人は腑に落ちない顔をしながら、ポケットに入れていた小さな鈴を取り出した。おそらくは自分の妖精を呼びだす時の呼び鈴なのだろう。それを持って、新人役人はキリッとした表情で宣言する。



「――――――もう一回、呼びます!」

「なんでもいいから早くしろよ」



 新人が鈴を鳴らす。澄んだ音色が響くと何処からか不思議な匂いが漂ってくる。妖精が来る前兆の匂いだ。しかし………



「来――――――何処かへ行ったぁ!!!?」

「何してんだよ………」



 匂いはスッパリサッパリ消えて、辺りにはほんの少しの薔薇の匂いが残った。おそらく、私の――――――いや、セルリアンの”青薔薇”の匂いの所為だと理解し、私はもう一度、2人に頭を下げてから、いつもの倉庫番の位置につく。そこまで離れれば、きっと彼の妖精も出てくるだろう。そう考えて書類整備をしていると、新人役人の歓喜の悲鳴と不機嫌MAXの妖精が新人役人を引っ掻く音と声………そして、遅れて新人役人の悲鳴が来た。



「………そりゃ、機嫌も悪くなるよなぁ」



 少しすると、引っ掻き傷だらけの新人役人がやって来ていた。

 頬に一本、首に二本、手の甲に四本。制服の袖は半分裂けている。目は涙で潤み、魂が抜けた顔をしていた。隣にいる教育係が顔を青くしながら新人役人から距離を取っている。そんな新人役人の姿に私は思わず声をかけてしまった。



「………大丈夫ですか?」

「だいじょうぶです………」

「ま、まあ、出たからよかったじゃないか」

「確かに出ましたけど………なんで怒っているんですか………?」

「それは俺にもわからん」



 周囲にいる別の用事で来ていた役人達が新人役人を見て苦笑を浮かべていた。私はその間に封緘台の端で淡々と記録用の紙を引き寄せ、羽ペンの先を整える。

 ――――――倉庫は封緘と記録の聖域。つまり、誰が泣こうが引っ掻かれようが、記録は残る。



「本日の契約補助、妖精召喚。呼び鈴による誘導、一回目失敗、二回目失敗、三回目成功で間違いありませんね?」

「え、そこまで書くの?」

「規定ですので………」

「そうか………ややこしいな」



 私が苦笑しながら答えると、教育係がそう呟き、新人役人が肩を縮こませて「すみません」と言っていた。すると、独特な匂いが私の鼻を掠めた。それに驚いて、私がちょっと顔を上げると新人役人の悲鳴が轟いた。



「ぎゃあっ!」

「うおッ!?」



 どうやら妖精に引っ掛かれたようだ。新人役人の声に驚いて教育係の悲鳴も響いた。



「どうして………」

「ま、まあ、出て来てくれているんだからさ!」

「出て来てくれていますけどぉ!」



 新人役人の、半泣きの情けない声が響き渡る。私は横目でそんな彼ら見つつ、羽ペンを止めずに心の中だけで呟いた。



「(そりゃあ、妖精も機嫌も悪いよなぁ………すぐ傍に格上がいるんだからなぁ)」



 チラリと少し遠い所で書類整備をしているセルリアンを見た。セルリアンは目を細めて新人役人――――――いや、正しくは”彼の妖精”を見ていた。

 私は哀れな妖精を助ける為に羽ペンを走らせ、最後まで書き上げる。書類の端に封蝋を落とし、上から支給された印面を押す。そうすれば、薔薇の匂いがほんの少しだけ濃くなる。何度やっても印面を押すとこうなってしまう。血筋の宿命ということにしておく。

 濃くなった薔薇の匂いに教育係が反応する。



「うん………?今、匂いが………」

「気のせいですよ」



 教育係の言葉に思わず、心の中でしまったと呟いた。だが、眼前の2人はそんな私の様子に気づいていなかった。



「………………倉庫って、こんなに怖い場所なんですか?」

「怖くないですよ。ここは何処にでもある――――――普通の裏方ですから」



 ぴゃっ!と引っ込む妖精を見て、セルリアンが”ふんす”と満足げに鼻を鳴らした――――――――今日も、平和に倉庫から妖精だけが逃げ足を鍛えていた。
















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