壱 嫁入りは土砂降りと共に
その日は朝から雨が降っていた。
それなりに雨足は強く、降り止む様子はない。まるで自分の今の気持ちと同じだと、花霞は思って、そんな考えを振り払うように首を振った。
天子が生活をし、政治をするべき場──天子宮。
首都に来てすぐの花霞と侍女は、その天子宮から少し離れた場所にある宿屋に泊まり、朝食を食べた後に花嫁衣装へと着替え、出立の合図をひたすら待っていた。合図が出たら宿屋から天子宮までゆっくりと歩いていく、花嫁行列をすることになっている。
寝起きをしたのとは別の部屋に移動し、着替えを済ませてからは脚の長い座椅子に腰掛ける花霞。外の景色が見えるはずの障子窓は閉められ、車の走行音や時計の音が部屋中に響いた。
「暇だな」
侍女が口を開く。男のような話し方だが女であり、染めたのか派手な赤い髪を肩口で切り揃え、普段は赤い作務衣姿だが、本日はハレの日ということもあり、赤い無地の小袖に身を包んでいる。
この場には花霞と侍女以外には誰もいないから、花霞も安心して声を出した。
「暇ですね、紅白姉さん」
赤朽葉紅白。
領地にて、花霞が五歳になる頃に侍女となった、四歳ほど年が離れた花霞の母方の従姉だ。
母同士が仲の良い姉妹ということもあり、令嬢と侍女という立場でありながら、姉妹同然として育ってきた。
紅白には紅雪という弟もおり、三人仲良く過ごしてきた。紅白と紅雪も、この婚姻には怒り狂っている。
『俺達の花霞には指一本触れさせねえ!』
気合い十分の紅白。武術にもかなり秀でており、護衛も兼任している。
『あっしも女だったら侍女として一緒に行けたのにな。女装しちゃ駄目かな?』
残念そうな紅雪は、伯母よりも花霞の母にそっくりな美人であり、確かに女装すれば誰も疑わないだろう。それもいいなと紅白は言ったが、当然、そんなことはまかり通らないはずだ。花霞としては、諦めて地元に残ってくれているかと思ったが……。
「なあ、紅雪」
『なに、兄さん』
普通についてきていた。
表立ってはついてこれないということで、今は屋根裏に潜んでいる。まるで忍者みたいと花霞が言えば、昔ちょっと……と言葉を濁された。昔、何があったのか。
「外の様子はどうだ?」
『夜中から降っている雨が降り続いてる以外に変化はないかな。廊下では宿屋の方と……天子宮の女官かな、そういう人達が慌ただしく動いてる』
「神子二人がいっぺんに嫁さん迎えるもんな、そりゃ忙しいか。……もう一人の、春露様だっけか、そちらのお相手の方も、ここのどっかにいんのか?」
『違う階で待機中だよ。あっちは花霞みたいな白無垢じゃなくて、流行りのうえでぃんぐどれすを着てる』
「そうか」
春露。
花霞の義弟になる男。
彼は世継ではないから、天子宮ではなく、少し離れた場所にある星空離宮という所に住むらしい。そして、花霞の夫となる春霧が天子として即位すれば、首都を出て、公爵の位を得て、どこかの領地を治めることになるのだろう。
春露とは、一度会ったことがある。
昔、花霞は双子の兄弟に引き合わされた。二人の内どちらかと婚約しろと命じられた上で。
春露は終始大人しく、時に出された茶に口を付け、和菓子に手を伸ばそうとして、春霧に横取りされていた。
何度も何度も邪魔されて、春露は全然和菓子を食べれず、そんな姿が可哀想で、花霞は自分の和菓子を彼にあげた。
『さくらもち、おいしいですよ』
『……ありが』
『ずるい! おれさまがくう!』
結局それも横取りされてしまったが。
春霧はないなと花霞は思っていたが、彼女が自分の気持ちを言う暇もなく、勝手に春霧との婚約が決まっていた。
春霧が、そう望んだから。
『やっぱり、おれさまのとなりにたたせるなら、びじんでないとな!』
花霞は、桜子譲りの美人に育った。後から生まれた弟妹達も桜子によく似ていて、冬雫はいつも幸せそうだった。
少しだけこの顔に生まれたことを後悔したが、決まってしまったものは仕方ない。
だけど、あの時、もしも希望を伝えられたなら、花霞としては……。
まあ、もう遅いのだけど。
「あとどれくらい待つんだろうな」
『儀式が始まるのが、ざっくり一時間半くらい後だから、もう少しじゃない?』
「今日は一日長いなあ。終わったら疲れて寝ちまうかもな」
「……その方がいいですね」
つい、本音が溢れた。
儀式が終われば初夜を迎えることになる。いくら覚悟していても、好きでもない男に身体を許すのは、やはり、嫌悪感がある。
失言に慌てて口許を手で押さえたら、素早く紅白と、そして瞬時に紅雪が傍に寄ってきた。
癖のない真っ直ぐな黒髪を後ろで縛る紅雪。その身は黒い作務衣に身を包んでいる。そして、女性的な美しい顔は、花霞と瓜二つであった。
「今からでも遅くない、紅雪を替え玉にして、ここから逃げるぞ」
「あっしもそれでいいから。気にせず逃げて」
「……二人とも、もういいですから」
花霞は二人の手をそっと握り締め、静かに語り掛ける。
「僕が春霧様と夫婦になれば、天子宮は我が領地にいくらか支援をしてくれるそうですし、この婚姻は、誰かを幸せにしてくれるものになります」
「だけど、その幸せにお前が含まれてなかったら、何の意味もないだろうが!」
「そうだよ花霞、逃げよう!」
花霞は首を横に振った。二人が何を言おうと、泣き出そうとも、何度も、何度も首を横に振る。
もう、決めたことなのだ。家族の為に、領民の為に、花霞は春霧の妻になる。
時間はゆっくりと過ぎていく。その間に、二人の涙は止まり、花霞が手拭いで彼女達の顔を拭った。
花霞はその時を待つのだが……待てども待てども、合図は来ない。
「……なんか、遅くないか?」
泣いて赤くなった顔を険しくし、紅白が呟く。
紅雪が「ちょっと調べてくる」と出ていってすぐ──どこからか、泣き声が聞こえてきた。
嫌だ、と。
嫌だ嫌だと、子供のように泣き叫ぶ声が聞こえてくる。花霞は紅白と顔を合わせ、首を傾げていると──何の声掛けもなく、襖が開かれた。
「はっ……花霞様!」
見知らぬ女がそこにいた。真っ白な小袖に、黒い帯を締めた格好をしており、動きやすそうな作務衣姿であった宿屋の人間ではなさそうだ。おそらくは天子宮の女官だろう。
「無礼ですよ、何の声掛けもなく入るなど」
三人でいた時の砕けた様子は微塵も感じられない態度で、紅白が口を開く。紅白を一瞬睨み付けた後、女は花霞に視線を向けた。
「こちらの準備が整いましたので、すぐにでも、行きましょう! さあ、早く!」
「おい!」
「紅白、その辺で」
人前なので姉さんとは呼ばずに紅白を窘め、花霞は立ち上がろうとし、慌てて紅白が花霞を支える。そして女に先導されるまま、部屋を出た。
『どうして……どうしてよ!』
誰かの涙混じりの叫びを背に、花嫁行列は始まる。




