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デビュー作

 オープニングにイメージビデオめいた映像が流れる。


 パッケージの写真と同じように、道着を着た彼女の薙刀の演武。

 

 キッと眦の上がった意志の強い瞳が虚空を見詰め、踏み込みと同時に振り下ろされる薙刀。大して力を入れているようには見えないのに、その動きは鋭く速い。


 柔らかい手の動き。体重を感じさせない足の運び。彼女の動きに合わせて跳ねるポニーテール。


 それは薙刀なんて欠片も分からない僕が見ても分かる。


 彼女がこれまでに修練を積み、練り上げてきた「一流」の動き。

 

 実家が道場故に、物心がついた時から薙刀に触れていたという“彼女自身”だ。



 それ故に見事で――

 それ故に悲しかった。



 演舞にも感じられるその演武は、張り詰めた空気を感じさせる残身で締められた。


 恐らく定められた武道の所作に則って、腰を下ろし薙刀を置いた彼女は、正座のまま背筋を伸ばす。

 瞼を閉じ大きく、しかし静かに息を吐き出す。


 演武の余熱をまといながら息を収めるその姿は、誰が見ても『巴御前』と感じさせるだけの説得力を持っていた。


 画面がそんな彼女を写したままゆっくりとズームアウトしていった。

 

 引いたカメラに映りこんだのは、板張りの道場に置かれた畳と布団。


 その演出が意図するところは明白だった。


 つまりここは道場なんかではなく、道場風のスタジオ。

 それは、ここがそのまま彼女の“はじめての”舞台になるという事。

 

 道場を模したこの場所で――


 生まれ育った道場の厳粛さはなく、ただ薄っぺらく「道場風」に作られただけのこの場所で――


 彼女は処女を散らす。



 そしてそれは同時に、さきほどの見事な演武が、処女だった彼女の“最後の姿”として残る映像という事だった。


 僕には、この作品の監督を褒めるべきか、罵るべきか分からなかった。



 吐き気を堪えていると、カメラのアングルが変わった。


 彼女の肩を舐めて映し出されていた、畳と布団が中央に据えられていた。


 先ほどと違うのは――布団にラフな格好の男が座っていること。


 言語化できない感情が、胸だけじゃなくて脳みそまでざわつかせる錯覚を覚えた。



 だって――そうだろう?



 今、ここに座っているという事は、この男優が彼女のはじめての相手ということなんだから。


 彼女への配慮なのか。相手役はAV男優にしては至極真っ当な見た目の男だった。

 僕達から見れば年上ではあるけども、オッサンと言う程でも無い相手。


 本当のところはわからないし、認めたくはないけど、少なくともハゲやデブよりは彼女にとってはマシな相手なのかも知れない。


 そう自分に言い聞かせて、名前を付けられない衝動を必死で抑えつける。



 画面を睨みつけていると、カメラが僅かにパンして、そこから彼女がフレームインして来た。


 先ほどと同じ道着姿。けれど、演武の時と違って、その表情は痛々しいほどに強張っていた。


 その理由が、彼女が男のすぐ横に腰を下ろしたことで分かった。



 殆ど隙間が無いくらいに近い。明らかにそれは会話する距離じゃない。触れるための距離。


 つまり、当然あるであろうと思っていたインタビューなんか無くて、このまま本番が始まるという事だ。


 あの演武が彼女のすべてを伝えるための、最初で最後の自己紹介だったのかもしれない。



 だからこその、もはや血の気が引いて、白を通り越して青くなっている気がする彼女の顔。



 きっと僕もおんなじような顔をしてる。



 たぶん、この瞬間だけは。


 一度も交わらなかった僕と彼女の気持ちが――『もう少し猶予が欲しかった』という想いで、ほんの一瞬だけ、重なっていた気がした。



 でもこれはアダルトビデオ。


 彼女の青褪めた顔、ましてや僕の猶予を求める気持ちなんて、まるで無価値だと言わんばかりにシーンは進行していく。


 真横に座って固まっている彼女の頭を、男優が馴れ馴れしく撫でる。


 もしかしたら流れを聞かされていたのかも知れない。

 彼女は覚悟を決めるように、一度大きく息をつくと、少し背の高い男優の瞳を見詰めるように、顔を持ち上げた。


 その顔の角度が、これから何が起こるのかを告げていて、僕は一時停止ボタンに手を伸ばしかけた。


 何度も妄想したシチュエーション。

 何度も妄想した、彼女の顔の角度。


 僕の予想に、正解だと告げるように、彼女の瞼が閉じられ、男優の顔が重なった。



 ここまでの彼女の態度が、どこか“もしかしたら”を告げていた。


 それでも僕には、目の前の触れ合いが『はじめて』だと信じたいのか、そうじゃないと思いたいのか――自分でも、わからなかった。



 既にどうにかなってしまいそうな気分だったけど、神聖にも悲劇にも見える画面の光景なんて、導入に過ぎないのはわかっていた。 


 わかっていたのに、彼女がほんの少しだけ身体を強張らせた時、僕は心臓を射抜かれたような気がした。


 だって、さっきまで閉じていた彼女の口が、僅かに開かれている。


 そしてその隙間から除く柔らかな物、ノイズのように混じる水音。何かに耐えるように寄せられた眉根。時折、微かに震える、白い喉。


 悲しくも、どこか神聖に見えた光景が、ただのアダルトビデオの映像に変わっていく。



 画面の中で眉を寄せる彼女が、情けなくも硬くしてしまった僕を、責めている気がした。



 やたらと耳に残る湿っぽい呼気を漏らしていた彼女が、再び微かに身を竦ませる。


 男優の手が、袴の帯を掴んでいた。

 何の為になのかは明白だった。



 観念したかのように、小さく――でも確かに、引かれる細い顎。



 帯が解かれ、袴が落ちた。

 彼女の身を包んだ道着が一枚ずつ丁寧に剥がされていく。


 彼女の表情は変わらない。

 恥ずかしそうに俯いたままだ。

 

 でも、僕には一枚脱がされるごとに、彼女が僕の知らない『巴さな』に変貌していくような錯覚を覚えた。


 布団の上に取り残された袴が、くしゃくしゃになっていて妙に目についた。



 液晶モニターの向こうで、最後の一枚が静かに袴の上へと滑り落ちる。

 柔らかく丸まったその布地は、どこまでも彼女らしい楚々としたデザインだった。


 カメラがティルトアップし、2本の脚を辿って全身が映し出される。



 この時の気持ちの名前を、僕は知らない。



 見たくて見たくて――

 何回も何回も夢想したその答えが――そこにあった。


 事前に指示があったのかも知れない。


 隠すことも無く立つ彼女は、耳が真っ赤だったけど、こんな時でもやっぱりしゃんと背筋を伸ばしていて。



 現実の彼女は、僕の妄想なんかより、ずっと綺麗だった。



 立ててしまったテントの屋根がジワリと熱く湿った気がした。



 男優の手が無遠慮に彼女に触れていく。


 髪、耳、頬、首筋――

 細い肩を撫で、鎖骨をすべらせ――


 何故だか僕は、有名な文豪の変態小説を思い出した。


 そして、その指は僕の知らなかった、僕の知りたかった柔らかさを知る。


 指が柔らかな踊り場でステップを踏むたびに、彼女の頬に赤みが差していく。


 ステップがポールダンスに変わると、彼女は口を抑え、時折身体をビクリと弾ませた。


 それは僕が見たことの無い彼女で、僕の見たかった彼女だった。薄っぺらいモニターが無限の厚さを持っているような気がした。


 そんな馬鹿げた考えていると、画面に新たな動きがあった。


 彼女の滑らかな背に男優の手がそっと添えられた。そしてもう片方の手で彼女の肩をそっと押す。


 それに逆らうこともなく、彼女はゆっくりと身体を倒していく。


 また一つ――その時に近づいているのがわかった。


 ああ、どうしてAV男優ってやつは肌を焼くんだろう。小麦色の腕と、雪のような彼女の肌のコントラストが、いやに鼻についた。

 

 そして音もなく彼女の背が、敷かれた布団の上に着地する。

 薙刀を捧げ持っていたあの背筋を包み込む、布団のシワだけが、彼女の存在を物語っていた。



 横たわった彼女の上で、指の旅が再開する。


 なだらかな丘を後にし、道の真ん中の窪みを、時折ステップを踏みながら、ゆっくりと通り過ぎる。


 そして――


 文学の名作で語られた、薮をくぐり抜けた先。

男優の指はまるで、その話をなぞるかのように、そこを目指していく。


 思い出すのは、こんな日が来るとは夢にも思わなかった頃の記憶。


 彼女の赤くなった耳と、黙って閉じられた本。



 温かく湿った洞窟――

 そんな暗喩を使いそうな過去の文豪の著作。



 読書家だった彼女はきっとそういうのも知っている。

 本を閉じた時の表情が、今の彼女の沈黙に、よく似ているから。



 そして指がその洞窟へと辿り着いた。


 彼女の口から漏れる、本当に小さな声。



 五十音の最初を飾る文字が、これ程までに人の官能を刺激することを、僕は今はじめて知った。



 男優の動きは丁寧で執拗だった。


 まるで、未だ顔を強張らせている彼女を、念入りに――芯から柔らかくほぐすように。


 じわりと滲んだ首筋の汗が、彼女の滑らかな肌を伝って落ちていく。


 撮影現場は熱いのだろう。


 だから、彼女の内腿を伝うそれも――汗なんだと、僕は思いたかった。


 青白かった彼女の頬に、いつの間にか血の気が戻っていた。


 充分にほぐれきったということなのだろう。


 男優が徐に彼女の腰を持ち上げ、布団の端に置いてあった枕を、丁寧に、けれど迷いなく滑り込ませた。



 ――ああ、いよいよなんだな。



 AVでは良くある、本当に何気ない所作。きっと男優自身は特に何も意識していないであろうただのルーティーン。



 けれど、彼女の腰が、ほんの数センチだけ浮かされた。


 そのたった数センチが、彼女が二度と戻れないところへ行ってしまう為の一歩に思えて仕方が無かった。


 細かく彼女の角度を調整し終えた男優が、彼女の脚の間に腰を下ろす。


 中腰になって今度は自分の角度を調整。


 ほんの少しだけ距離を詰める。


 一つ一つの所作が、何かのカウントダウンのように思えた。


 モザイクで見えないけれど、きっともう触れ合っているのだろう。ちょうど良い角度で。


 だって、ズームで映された彼女の顔は、さっきまでの行為などなかったかのように、血の気が引いていたから。



 そして男優の、ロマンチックとはほど遠い合図から一拍――



 ギュッと目を瞑った彼女の口から、引攣れたような――短い呼気が漏れた。

 眉根が強く寄せられ、形の良い顎がクッと持ち上がる。


 カメラは彼女の顔を捉えたまま、肝心なところは映さなかった。



 でも、だからこそより強く――


 たった今、僕が大好きだった彼女は、少女じゃ無くなったんだとわかった。



 わかりたくなかったけどわかってしまった。



 僕が欲しくて欲しくて堪らなかった、彼女の純潔は――


 彼女のことを好きでも何でもない、名前も知らないAV男優に仕事として散らされたんだって。



 ああ、まさに――



 『私の純潔、AVに捧げます』のコピー通りに。



 高校のころ、好きだった娘がいた。



 ――画面がボヤける。



 薙刀をしているスラッとした美人で。



 ――嗚咽が我慢できない。



 気さくで優しくて。


 

 ――滲む画面で彼女がリズミカルに揺れ始める。



 女の子らしい可愛らしい夢があって。


 

 ――男優が体位を変える。犬のように後ろから。



 そんな彼女が大好きだった。



 ああ、パンツの中が、ぐちゃぐちゃで気持ち悪い。


 熱く汚れた部分が、冷えていく感触も――

 そうしてしまった、自分自身も。



 汚れてしまったそれを脱ぎ捨てている内にも、シーンは進行していく。



 ポニーテールがリズミカルに跳ねる度に、彼女の口から漏れる、粗く短い呼気に、ほんの微かに掠れた声が混じる。



 それが快感なのか、痛みなのか、それとも悲しみなのか――



 僕には聞けないし、画面の中の彼女も応えてくれないからわからないけど、彼女の表情は終始、何かを堪えているように見えた。



 それだけが、僕が縋れる救いだった。



 やがて彼女のトレードマークの動きが変わる。


 跳ねるようなそれから、小刻みに震えるような揺れに。


 そして彼女の腰を引き寄せた男優の咆哮と共に、一度だけ尻尾が踊るように大きく跳ねた。


 耐えきれず枕に突っ伏した彼女の背に、お約束のように男優の手がそっと添えられる。


 その仕草の向こうに、男の昂ぶりが静かに終わっていくのが、嫌でも理解できた。



 その証拠に、息が整った男優が彼女から離れ、外した物を彼女に置いた。

 それはお決まりの、AVの作法のような物。



 でも――



 ああ、どうして―― 色付きのものを使ってくれなかったんだ。

 どうして、彼女の肌は、雪のように白くて、眩しいんだ。



 息を荒げる彼女の臀部に乗せられた異物に、無意識に視線が吸い寄せられる。


 透明なはずのそれに散った赤が、白すぎる肌の上で、あまりに鮮やかに映えていた。



 だから、気付いてしまった。




 それが、少女の証の残滓だということに――




 カメラが、彼女に刻まれた証拠を記録するように、ズームインしていく。

 まるで、激しい行為の予熱を冷ますかのように、静かに、ゆっくりと。


 赤い斑模様の合成樹脂を、舐めるように収めるフレームの中。

 彼女の白い背中には、幾筋もの汗が、照明のライトを無機質に反射していた。



 未だ息の整わない彼女の肢体が、小刻みに震えて見えたのは――



 僕の、願望混じりの感傷だったのかもしれない。


 それでも僕は、あの汗に、顔が映っていない彼女の、涙の気配を見つけたかったんだと思う。




 ――摩耗しきった気持ちが多少持ち直すのに数日かかった。


 ふと他の人はこのビデオをどう思ったのか気になった僕は、例の動画サイトにアクセスする。


 そこでレビューより先に目に入ったのはーー

 「4K版ダウンロード+4K版ストリーミング 無制限:3,980円」の文字。



 それが、僕が欲しくて堪らなかった、彼女の“大切な一度きり”に付けられた販売価格だった。




 もうレビューは目に入らなかった。



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