リンジー――ケビンの片想い相手
ケビンは一限目の教室に到着し、自分の席にどさりと沈み込んだ。
周囲では、生徒たちが週末の出来事やスポーツの試合、最新のファッションについて楽しそうにおしゃべりしている。
いつもなら、ケビンもその輪に加わっていたかもしれない。
だが、今日ばかりはその気になれなかった。
「ダメだな……」
机に頭を乗せながら、ぽつりとつぶやく。
「あの狐のことが頭から離れない……」
エリックがこの様子を見たら、きっと大爆笑するだろう。
いや、それどころか例のごとく、獣姦ネタまでぶっ込んでくるに違いない。あの変態野郎め。
――でも、それでもいい。
ケビンは、ただもう一度あの狐に会いたかった。
彼女が完全に治ったと確信できたら、森へ返すつもりだったけれど――その前に、少しでも多く遊びたかった。動物好きの彼にとって、こんなチャンスは滅多にないのだから。
「ねえ、ケビン!」
そのとき――
聞き慣れた声が、ケビンの耳に飛び込んできた。
びくっ、と体が硬直する。
彼の片想い相手――リンジーの声だった。
ゆっくり、というより、機械仕掛けのようにぎこちなく顔を上げるケビン。
そこには――
明るい金髪のピクシーカットを軽やかに揺らしながら、彼の方へ歩いてくる少女の姿があった。
ボーイッシュな性格がよく似合う、気取らない笑顔。
ふくらはぎまでのデニムと半袖シャツというシンプルな装いが、彼女のかわいらしさを引き立てていた。
――心臓、爆発寸前。
「り、り、り、り……りんじー!!」
「それ、あたしの名前だよ?」
リンジーはにこっと笑ったかと思えば、にやっとからかうような笑みに変わった。
「でももう“L”一つくらい追加してくれてもいいんじゃない?」
ああああああああ――!!
ク、ク、ク、ク、ク――クラッシュゥゥゥゥゥ!!(※脳内絶叫)
目の前に、彼の片想いの相手がいる!
笑いながら!話しかけてきて!隣に座ろうとしている!これは夢か!?現実か!?
……あ、そういえば。
彼女、同じホームルームだった。席も隣だった。
つまり、彼女が話しかけてくるのも、隣に座るのも当然の流れだった。
――でも、パニックは止まらない。
《落ち着け、ケビン。深呼吸して。クールに、自然体でいけ。お前ならできる……!》
「き、今日は……空が……真っ黒……ですね!!」
リンジーは椅子に座りかけていたところでピタッと動きを止めた。
「……え?空は青いけど?」
「あっ、そ、そ、そうだよね!?モチロンだよ!?つまりその、新しい黒は……オレンジってことだよね!?」
「それ、多分“赤”だと思うよ?」
リンジーはクスクス笑いながら、ケビンに顔を近づけてくる。
その距離、あと数センチ。まるで空気が止まったような気がした。
「ケビン、大丈夫?いつもより赤くない?」
ケビンの顔は、たちまち真っ赤というか、もはや茹で上がったロブスターだった。
ケビンは答えなかった。いや、正確には――答えられなかった。
なぜなら、今まさにリンジーが身を乗り出してきて、彼の目の前には……
……シャツの内側という夢と現実の狭間が広がっていたからだ。
《うおおおおおおおおおおおおお!?》
脳内に警報が鳴り響くも、体はもう限界だった。
次の瞬間――
「ぶしゃあああああっ!!」
鼻から噴き出す大量の血液。それはまるで消防用のホースの如く、圧倒的な勢いで放たれ――
「うわあっ!?」
ケビンの体はイスごと吹き飛び、教室の壁に激突。
ゴンッ!という不穏な音とともに、彼は壁を伝ってズルズルと床へと滑り落ちていった。
教室は一瞬で静まり返った。
天井、壁、床、机……あらゆる場所が真紅に染まっていた。
……にもかかわらず、リンジー本人だけはというと、なぜか一滴も血を浴びていなかった。
白いシャツはそのまま。ジーンズも無傷。髪の毛すら乱れていない。彼女は完璧なまでに無傷のままだった。
「……なに、今の?」
数秒の沈黙のあと、リンジーは目をぱちくりさせながら、床に倒れたケビンを見下ろして呟いた。




