3.シルヴァンに生まれて
「ロウェンナ、まずは宿親のもとに向かいましょう。あなたの上に降る雨露を遮る傘を共にするのだから、挨拶をしなくてはね。」
ナラの洞を出た後、ロウェンナはアルナと共にシルヴァンたちの集落へと向かっていた。
何でも、シルヴァンたちの宿木は、ここ一帯の森に点在しているが、人の形を取り、シルヴァンとなった者たちは、集落で生活を共にしているのだという。
「かさとは何ですか?」
「そうねぇ。傘は、あなたの上に降る雨露を遮ってくれるものよ。私たちの宿木にとっては、天からの水は命の恵だけれど、人の形を取ると、雨は恵ばかりではないわ。」
『傘』が何かの比喩かと思い、聞いてみたのだが、どうも傘自体の説明を求めていると受け取られてしまったらしい。
さもありなん、今のロウェンナは、生まれたばかりのシルヴァンなのだ。
本来は、植物の派生存在であり、人間(の姿を模したもの)文化初心者のはずなのである。
「例えば、今、私たちはお互いの姿が見えているけれど、それは、この2つの目を通して見ているの。その目に突然、雨水が入ったら、びっくりしてしまうのよ。だから、雨が降ってきたら、雨水が直接当たらないように、人間は傘をさすの。」
空を見上げながら、アルナは話し続ける。
今の空からは、木の葉越しに、雨粒ではなく陽の光が優しく降り注いでいる。
「私たちが夜に眠りにつく時、空から雨が降り注ぐと、眠り辛いの。それに、生活する場所が露に濡れていると、何かと不便なのよ。だから、私たちは大きな傘の下で、何人かのシルヴァンたちで集まって、生活しているのよ。」
つまり、傘とは家のことなのだろう。
「アルナ様も同じかさの下でくらすのですか?」
アルナが澄ました笑顔を崩し、親しげにロウェンナに笑いかけた。
「いいえ、私の住んでいる傘はもうシルヴァンでいっぱいなの。だから、別の傘になるわ。でも、すぐ近くだからいつでも会えるわよ。安心してね。」
アルナの笑顔を見て、ふと、記憶にある姉の笑顔を思い出した。
姉は■■と少し年が離れていて、忙しそうだったけれど、休みの日には良く構ってくれた…。
ロウェンナは郷愁に駆られたが、直ぐに気持ちを切り替えた。
だって、今の自分はロウェンナであって、もう■■には戻れないのだから。
「さっき、アイスリン様がわたしのことを『しるばん』とよんでいました。わたしは『しるばん』なのですか?それともナナカマドですか?」
「『シルヴァン』ね。そう、子のドライアドの森の木々に宿った精霊である私たちは、『シルヴァン』と呼ばれるのよ。あなたはナナカマドの木に宿った精霊だから、ナナカマドのシルヴァンね。」
ナナカマド、あまりこれまでの自分には縁のなかった植物である。
どんな姿なのか、あまりピンとこない。
「…よく分かりません。」
「最初はどの子もそうよ。自分が生まれた時を覚えているシルヴァンは居ないわ。私だってそう。私たちは、時間をかけて自分の木に宿り、ドライアド様に名を頂くことで、自分の存在を確立する。それまでは、とても不安定な存在なの。」
アルナは昔のことを思い出すように、道の奥を見つめている。
「アルナ様はなにの『しるばん』ですか?」
「私は、ハンノキのシルヴァンよ。ほら、そこに沢山生えている木ね。」
2人の歩く傍には、柔らかな陽の光を浴びる、青々とした樹林がある。
「ここにあるのは私の宿木ではないけれど、いつかこのハンノキたちからも、私と同じハンノキのシルヴァンが生まれるかもしれないわね。」
ハンノキの樹林には、成木に混ざって若木も生い茂っている。
硬そうな葉が力強く茂り、空からの陽の光を集めて、天高く育とうとしていた。
「どの木にも『しるばん』がやどっているのではないのですか。」
「全ての木々に宿っている訳ではないわ。木々の中、限られたものにだけ精霊が宿り、精霊の内、限られたものだけが姿を取ることが出来、名を与えられ、シルヴァンとなるの。私もあなたも、この森に生きるシルヴァンなのよ。」
「ほかの子たちも『しるばん』ですか?」
「他の子たち?」
この森で初めて自分の存在を自覚したときの記憶を思い出す。
どこからともなく現れた子どもたちがアルナを取り囲んでいたが、彼らもシルヴァンなのだろうか。
そうであれば、彼らは兄弟のようなもの、ということなのだろうか。
過去の自分の家族を思い出しながら、それに当てはまらない関係にはどうにも違和感がある。
「あの子たちは、若木に宿っている精霊たちではあるけれど、シルヴァンではないわ。精霊としての姿が取れるようになったけれど、まだ安定しない子が多いのよ。自分の宿木からあまり離れることが出来ないから、ドライアド様にもまだご挨拶に行けないの。」
アルナが立ち止まり、こちらを見つめる。
「その点、あなたは不思議ね。普通、声を出せるのはシルヴァンとして名を頂いてからなのよ。それまでは、姿は取れても像であって、実体ではないの。それに、アイスリン様の前に立っても姿を保っていた…。少なくとも、私は、あなたのようなシルヴァンを初めて見るわ。」
「それは…。」
私には、シルヴァンという樹木派生の精霊などといったファンタジー生命体ではなく、ヒト属ホモ・サピエンスであった時の記憶があるからではないでしょうか。
なんて思いはするが、流石にこれ以上疑いの種を投げ込んでは、私が群れから追い出されかねない。
そもそも、違う生命体であった頃の記憶を持つこと自体がファンタジーではあるけれど。
「まぁ、不思議ではあるけれど、あなたもドライアド様に認められたシルヴァンなのだから、何も不安に感じる必要は無いわ。大丈夫、宿親となるシルヴァンも、他のシルヴァンも、あなたを受け入れてくれるわ。新たなシルヴァンの宿親となることは、どのシルヴァンにとっても義務であり、名誉なことなのよ。」
不安がる幼子を宥めるように、アルナがこちらに笑いかける。
その目は、シルヴァンの同胞としてロウェンナを扱ってくれていると口ほどに語りかけてくる。
「怖がらなくても大丈夫。さぁ、もう少しで集落に着くわ。」
進む先に、鬱蒼とした森の切れ目から差し込む光が見えた。