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シルヴァンは知恵と共に歩みて  作者: 金崎イチル
1章 ドライアドの森
3/8

2.シルヴァンの名付け

「ドライアド様、お目通り願います。我らの森に、新たにシルヴァンの若木が茂りましたので、ご挨拶に伺いました。」

女に連れて行かれた先は、見たことの無い程大きなナラの巨木の洞だった。

女は呼びかけつつ、洞の入口に吊るされたどんぐりの束を揺らした。


カラカラとした音が辺りにも脳裏にも響く。

思い出すのは、幼い頃に姉と一緒にどんぐりを拾い集めた記憶。

広げたスカートいっぱいに集めて、ツヤツヤしたどんぐりを選別し、宝箱に大事に入れておいた。

その宝箱も、引越しを繰り返す内にどこかに行ってしまい、記憶の隅から浮かび上がることはなかったものだ。

今頃になって思い出した景色と、目の前に広がる神話の世界にあるような巨木のそびえ立つ風景とに重なるものは無いが、音は記憶をくすぐった。

洞の中にも何か記憶を呼ぶものがあるのだろうか。

洞の入口から中を覗こうとしても、ナラの葉を重ねて作られたカーテンが掛かっており、中を見通すことは出来ない。


ここに辿り着くまで、体感で1時間程度歩いただろうか。

(意識としては)生まれたばかりの幼子にとっては重労働、というか、普通は無理である。

それでも、疲れ果てることなく歩き通せてしまったことに、いっそ不安を感じる。

一体、自分は何者であるのだろうか。

ここに至るまでに、『自分は普通の生物である』などという幻想を抱くことは諦めた。

(元)人間、時に諦めも重要なのである。

それでも、種族とは自分のアイデンティティの根幹であり、いくら楽観的になるにも程があるため、早めに問題解決しておきたいところである。


暫くすると、女の呼びかけに応じて、洞の奥から敷き詰められた落ち葉を踏みしめる音が聞こえてきた。

視界を遮る葉のカーテンの下から、サンダルを履いた男の足のつま先が見えた。

「どうぞお入りなさい。森に今日も陽の光が差しますように。」

男の声に従って、女はナラの葉のカーテンを手で避けつつ、洞の中に入り、私の手を引く。

顔にぶつかりそうになったナラの葉を、咄嗟に屈んで避けながら洞の中に入った。


踏みしめる落ち葉はよく均されており、コルク材の床より柔らかだが歩きやすい。

この床ならば、例え転けたとしてもあまり痛みを感じずに済みそうだが、それを自分の体で実験することもなく、手を引かれながら進む。

洞の中はぼんやりと明るく照らされており、歩く分には困らない。

(何かの実が光ってる?)

光る実などこれまで見たことがなく、好奇心が擽られるが、手を引く女も、先導する男も歩き続けるため、立ち止まってじっくり見ることは出来ない。

むしろ、自分のような幼児基準の歩幅に合わせて歩いてくれていることだけでも、感謝すべきなのかもしれない。


暫く歩くと、行き止まりになっており、そこに小さな人影が見えた。

「森の中、月の光による導きに感謝を。アイスリン様、シルヴァンの守り手が目通りを求めております。」

「月の光による守護があるように。アルナよ、ここへおいで。」

男の口上に小さな人影が応える。

木で出来た小ぶりな椅子に腰掛けていたのは、羽飾りで目を隠した老女だった。

首には玉飾りを掛けており、羽で隠されていない口元は柔らかな笑みを浮かべている。


「アイスリン様、森の中、月の光による導きに感謝を。今朝、我らの森に、新たにシルヴァンの若木が茂りました。その導きにより、名を与えてください。」

「喜ばしいことだ。アルナ、お前に名付けをした日がついこの間のように感じるが、その若木が新たな若木を見つけ、喜ぶ日が来るとは。」

「はい、アイスリン様。私がアルナになったあの日、私の足は地を踏みしめ、目は光を追い、口は季節を歌うようになりました。是非ともその祝福を、この若木にもお与えいただきたく存じます。」

アイスリンと呼ばれた老女は、まるで孫を見つめるかのように優しく、女ーアルナを見つめている。

アルナも畏まった口調ではあるが、その顔は親しげにほころんでいた。

服装から、神官か何かへの謁見のように思っていたが、もっと近しい間柄なのだろうか。

推測に思考を働かせていると、アイスリンの目が自分へと向いた。


「アルナ、お前に限らず、全ての若木に名を付け、それがシルヴァンと成った時のことを私ははっきりと覚えている。しかし…、今日この日のことは、今までに無い程、はっきりと記憶に刻まれることになるだろう。なぜなら、この若木は、既にシルヴァンと成っている。私の目をしっかりと見返しているからだ。」

アイスリンは、私の目をじっと見つめながら語り続ける。

このアイスリンという老女は、どうも、私の手を引いてきたアルナよりも立場が上の存在の様である。

もしかして、目を合わせること自体が不敬とされる文化だったのだろうか。

目上の人に敬意をもって接することは、社会人として円滑なコミュニケーションを図るために必要な技能だ。

例え今は幼子の姿をしているとしても、中身は社会人であった者である以上、その土地の文化に合わせた敬意を示さねばならない。

焦って目を伏せようとしたが、なぜだか、アイスリンの視線から目を逸らすことが出来なかった。


「私の目を見ることが出来るということは、その目は実体を得ているということ。実体を得ているということは、その命はこの地に祝福されているということだ。私が祝福を与えるよりも先に、私が名を与えるよりも先に。」

「それは…この子は、我らと同じシルヴァンではないということなのでしょうか。」

「いや、この若木は、確かにシルヴァンだ。この洞の入口を潜れたことがその証であろう。」

アイスリンの瞳は、真摯な光をたたえ、ただ私の目を見つめている。


「…新たなシルヴァン、小さな若木よ。そなたの名は何という。」

何と答えるべきなのだろうか。

アイスリン達の問答から推測するに、おそらく私にはまだ名がないのが正しい。

しかし、私には前世の名というべきか、精神の名というべきか分からないけれど、名乗ることが出来る名がある。

「わたしはーーー」

思わず手を口に当てた。


確かに名を答えようとした。

拙い声であっても、名乗りを上げようとしたのだ。

アイスリンの真摯な目は、私を害そうとするものではなく、静かに問いかけていた。

だから、問いかけに対し、真摯に対応しようとした。

しかし、その声は私の意思に反し、音を成すことが出来なかった。

私の名は確かに、■■ ■■というのにーーー。


「…答えぬか。はたまた答えられぬのか。」

おそらく、この場は、私を見定める場だ。

アイスリンの目は、ずっと私から離れず、私が何者であるかを見透かそうとしている。

それだけではない、アイスリンの後ろに控える男は、アイスリンよりもずっと厳しい視線を向けているし、私をここまで連れてきたアルナも、私を戸惑いの目で見つめている。


野生動物は、その群れの中に、群れを害するものが在った場合、容赦なく排除するものだ。

しかし、幼い頃から群れに混ざっている場合、そのまま群れがその異端を育てることもある。

さて、私はどちらと見なされるかーーー。

脳がキンと冷えていく感覚が鮮明で、緊張で口に当てた手が震える。

それでも目を離すことが出来ずに見つめている、長い年月を見つめてきたであろう静謐な瞳が印象的だった。


「…少なくとも、この洞に入り、この場で立っている時点で、我らの森で生まれたシルヴァンであることには違いない。私の目を見つめ、声を発することが出来る存在は、特殊と言わざるを得ないがな。」

「アイスリン様、この子は…」

「我らの森で生まれた命は、等しく我らの森で育まれる資格を持つ。我らの森に根を張る若木は、等しく我らと雨露と風を分かち合う資格を持つのだ。」

アイスリンの目が強く私の目を捉えて離さない。


「名を与えよう。この子の宿木はナナカマド。この子は…ロウェンナと呼ばれる。」

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