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シルヴァンは知恵と共に歩みて  作者: 金崎イチル
1章 ドライアドの森
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1.若木の芽生え

私の自我が芽生えたのは、私がまだ若木の頃だった。


初めのうちは、思考はぼんやりとしていて、時々しか起きていなかったように思う。

心地よい水の流れを感じていたような気がする。

軽やかな風の動きを感じていたような気がする。

何度か、何かにかじられたような鋭い痛みを感じた気もするが、思考がはっきりすることはなく、喪失感だけを感覚として覚えている。

何も思考しないことは、人として誰しもが感じるストレスと無縁であることだ。

いっそ怠惰に微睡を享受し続けていれば、楽だっただろうが、その願いは叶わなかったようである。

その内、思考がはっきりしてきて、起きていられる時間も長くなり、自分の状況を理解できるようになった。

否、なってしまった。


(何がどうしてこうなっているんだ…!?)


私は、見渡す限り緑の続く、深い森の中に生きていた。

私は、風を感じ、水を吸い上げ、光を浴びていた。

私は、森の中に根を張っていた。

そう、私は木に宿っていた。


ピチチチ ピチチチ

森の中、自分よりも大きな木の枝にとまった鳥が歌を歌っている。


サワサワ サワサワ

森の中、周りを取り囲む木々の葉が音を立てて囁く。

(ひかりが あたたかいね)

(かぜが きもちいいね)

否、比喩ではなく、文字通り囁きが聞こえてくる。

己の思考能力を自覚したばかりではあるが、思わず早々にその思考を放棄したくなる。


(何で言葉が聞こえるんだ…。コダマか何かの声か?もしかして、自分もコダマ?そもそも『聞こえる』って何?)


思い悩んだところでどうにもならないことは理解しているが、納得することを脳が拒んでいる。

そもそも、今の自分に脳があるかも不明だが。

ただの葉の擦れる音を人語に解するなど、自分の言語脳に新たな言語がダウンロードされたとでも言うのだろうか、理解し難いことである。

第一、自分の本体が木であるということを理解したばかり(納得はしたくない)だが、普通の樹木に聴覚器官が備わっているものなのか、どこまでも疑問は尽きない。


思い悩み、現実逃避の欲望に駆られていると、木々の中から近づく者が居ることに気が付いた。

「おはよう、子どもたち。今日も我らの森は生命力に満ち、喜び溢れているわ。さぁ、今日もお散歩に出かけてみましょうか。」

風になびいた木の葉が鳴らしたような、涼やかな声。

木々の枝葉の隙間から見える木漏れ日に照らされたような、柔らかそうな長い髪。

温かな陽の光を木の葉越しに透かし見たような、淡いグリーンのワンピースのような服。

まるで、幼い頃に夢想した妖精のような女が、そこに立っていた。

誰に向かって話しかけたのだろうか、

少なくとも、自分と目は合わない。

彼女は、木々が生い茂る森の、少し開けた場所に向かって微笑んでいた。


ザワザワ ザワザワ

(あいな ねえさま)

(おはよう ねえさま)

(きょうも あたたかいね)

幼い木々の葉音の囁きが聞こえるが、こちらの声の持ち主たちの姿は見えない。

もしかして、自分のような木に口でも付いているのだろうかと想像すると、ぞっとしないし気色悪い。

嫌な想像を打ち消していると、薄っすらと木々の影に揺れるものが見えた気がした。


(え、お化け?妖精?コダマ?)


気の所為にしたかったが、現実逃避は上手くいかなかったようだ。

木々の影から、数人の幼子の姿が跳び出してきた。

皆、それぞれ若干の色の違いはあるが、若草色のワンピースのような服を着ており、裸足で、幼子らしくふっくらした手足が健康的だ。

幼子たちは女の元に次々と駆けていく。

皆、きゃらきゃらと笑い出しそうな表情をしているが、声は聞こえてこない。

聞こえてくるのは、木々の中から聞こえる葉擦れの囁きたちである。


視覚から得る情報と聴覚から得る情報のズレに混乱した。

聞こえてくるこの声たちは、目の前の幼子たちの声ではないのだろうか。

でも、確かに口は動けども、その姿の方角から声は聞こえてこないのだ。

強烈な違和感に、眩暈がしたような気がして、思わず木の幹に縋り付き、木の陰に隠れた。

雑然とした社会の中で人波に流されつつ生きてきた記憶があったとしても、この幼い姿の人もどきの波に流されるのは、不安が大きすぎるのだ。

縋り付いた手のひらから、木のゴツゴツとした感触が伝わってきた。


(いや、お化けは自分もだったか…。)


いくら現実逃避したいと願っても、手のひらや足の下から伝わる感触が、その願いを妨げてくる。

視界に映る幼児の手足は、自分の意思で力を入れると、それに合わせて思いどおりに動いた。

動かせる肢体があり、意識と動作に少しのラグも発生していないという、生物として標準装備されている機能が、自分にも備わっている事実を認めたくない。

そもそも、自分は生物として名乗りを上げて良いのか、アイデンティティの構築すら出来ていないのだ。

思わず上を見上げて遠い目をしてしまった。

見上げた先、木漏れ日が眩しくて、思わず目を細める。

眩しいと感じる目があることすら、上手く受け止められなくて微妙な気持ちだ。


「あら、あなたも姿がとれたのね。おめでとう。ほら、こっちにいらっしゃい。」

女が足元に幼子たちを纏わりつかせながら呼びかけた。

女の笑み細められた青い瞳とはっきりと目が合った。

暫く動くことを躊躇っていたが、いつまでもこの状態でいても何も変わらないであろうということは分かる。

躊躇う気持ちを押しのけて、そろそろと女の方に重い足を向けた。


「初めて姿をとれたのだから、あなたはまずドライアド様のところに顔見せしなければね。さぁ、他の子たちは、一緒に遊んでいてちょうだい。」

「…とらいあどしゃま?」

自分の幼い唇から、思わず拙い言葉が出る。

さ行も濁点も、幼児に優しくないんだよ!

意図せず自分が発してしまった幼児言葉は、当然なかったことにすることも出来ず、ただただ羞恥心に心を焦がすことしか出来ない。

救いは、この幼児の体を動かすことに慣れていないせいで、内心は大荒れだが体の表面に出た動きは、ひそめられた眉だけだったこと程度である。


「あら!もう言葉が話せるの?こんな若木は初めて見たわ。体の使い方が上手いのかしら。これはドライアド様もきっとお喜びになるわ。」

女は青い目を大きく見開き、驚きを表した。

女に近づくと、女は驚きつつも笑みほころび、私の手を、ゆっくりと引いていく。

「ドライアド様は我らの守り手。まとめ、導いて下さる方々。若木が言葉を話せるなんて初めて見るけれど、まず私たちの元で育まれた新たな若木に名を頂きましょう。」


森の奥に向かって手を引く力に素直に従って、まだ慣れない歩幅で足を踏み出し、腐葉土なのか柔らかな地面を踏みしめた。

周りを、自分と同じような幼子たちが笑み崩れながら駆け回り、木々は葉擦れの音を立てて笑っている。

柔らかな風に吹かれつつ見上げたさきには、大小様々な木々が生い茂る、鮮やかな緑の森がどこまでも広がっていた。


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