第四話【謎の女】
「この子の死亡判断をしたのは誰だ、会って話を——」
「私です」
突如声がして、振り返ると救護服を身に着けた女が立っていた。眼鏡をかけていて人相がよく見えない。セドリックは無意識に唾を飲んだ。今の今まで、人の気配が全くしなかったのだ。
「階級と所属を答えろ」
女は答えず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。ソフィアが袖を引いて耳打ちしてくる。
(知らない顔だわ)
この十年、救護婦長を勤め上げた彼女が、救護棟で知らない人間などいない。ソフィアを背に庇い、完全に臨戦態勢をとる。
「止まれ! 貴様何者だ、なぜ報告を偽装した」
地下空間におれの怒号が木霊する。女はようやく足を止めると、思いもよらないことを口にした。
「あなたが来てくれると思ったからです」
「…おれが?」
「ええ。現にこうして気付いてくださった」
冷たい台座に横たわる少年を指し示す女。狙いはそっちか、とおれは一歩進み出た。
「この子に何をする気だ。何が目的だ」
「何もしません。何もできないから、ここに来たのです」
困惑する俺たちに、女は続けた。
「その方の姿は、崇高な魂の証。この世では生きにくい方です。どうかその方を守って。どうか、どうか…」
『その方は、生きています。
どうかその方を守って。どうか、どうか……』
女に感じていた強烈な既視感が、やっと腑に落ちた。火事の時に追いかけた女だ。夢の中で聞いたあの声だ。
「待て、あんたあの時も…」
その時、地上へ続く階段の方から「アイルズ殿?」と呼ぶ声がした。入口の番兵がおれの大声を聞きつけてやって来たらしい。
「侵入者だ。外の者に連絡を、…!」
一瞬不意を突かれたその間に、女は霞のように消えていた。おれは舌打ちをして傍らのランタンを引っ掴む。
「ここにいろソフィア、外の奴らに知らせないと——」
「セドリック、待って」
思いがけず強い声に、走り出しかけていた足を止める。彼女はランタンに照らされた少年をじっと見下ろしていた。医術者の顔であった。
「見て。この子、妙だわ…」
そう言いながら、少年の頭に触れ、今度は体にかかっている布に手をかける。少年の四肢が露わになって、おれも彼女も、息を飲んだ。
***
「ったく、お前が出歩くとロクな事が起きねェな」
侵入者の知らせを受けて、辺りは一時騒然となった。礼拝堂の中はくまなく捜索され、出入り口の警備も強化したものの、例の女は結局見つからず仕舞いだった。おれ達も不審人物の目撃者として、形式上調べを受けなければならず、目の前のウィルは「仕事を増やしやがって」と文句たらたらで調書を取っている。
「じゃあ、その女はお前を知っている口ぶりだったが、本当に見覚えはねェんだな?」
「あぁ。初めて会った」
隣に座るソフィアから一瞬視線が刺さったが、彼女は何も言わなかった。あの時つい待ったをかけてしまったが、あの女を火事場で見たことを、ソフィアには伝えていない。必死のあまり顔の記憶がおぼろげな上、不可解な点が多すぎて説明しても信じてもらえないと思ったからだ。更に「夢で会った」などとほざいた日には、今後どんな目で見られるか、考えたくもない。
ウィルは調書を見直しながら呆れたようにため息をつく。
「ガキを見に行くだけで一苦労だな。そういや見つかったのか? 聞いた話じゃ、目も当てられねェ面なんだろ?」
ガキ、と聞いて、ソフィアと目を合わせる。彼女は表情を硬くしていたが、おれの背を押すように静かに頷いた。おれ達の反応に嫌な予感がしたのか、ウィルは体を後ろにじりじり引いている。
「おいセド、まさかもっと面倒な話が出てくるんじゃねェだろうな?」
「…そのまさかだ」
おれはウィルの手から調書を抜き取り、机の端に追いやった。彼はいよいよ嫌な顔をする。
「ただ友として聞いてほしい。俺たちだけで判断できることじゃないんだ」
おれ達はあの少年について語った。あの少年の死が偽装されていたこと、ソフィアの見立てとしてはほぼ仮死状態に近く、深く深く眠ったまま今も礼拝堂にいること。そして彼の体に〝異常〟が見受けられたこと。ウィルは険しい顔でじっと聞いていたが、〝異常〟の仔細を聞くや、ぎょっとして鼻の頭に皺を寄せた。
「それが本当なら、死ぬほど気色悪ィな」
「大抵の者がそう思うだろう。だからこそだ」
おれは身を乗り出して畳みかける。
「上にありのままを報告したらどんな扱いをされるか、お前も想像はつくだろう? それにこのままでは、あの子の縁者は絶対に見つからない。誰かが守ってやらなきゃ、遅かれ早かれ、あの子は死んでしまう」
「…てめェのお節介はもはや病気だな」
長々とでかい溜息を吐いて、ウィルは天を仰いだ。長い付き合いだが、ここまでの顔をさせたのは久しぶりだった。
「そこまで言うからには、策があるんだろうな?」
「考えはある」
「……ソフィアは納得してんのか」
天井を見上げたままぼそりと問う。ソフィアは真っ直ぐにおれを見つめ、笑った。
「この人、言ったら聞かないもの。よく知ってるでしょ?」
「このクソ夫婦が」
ウィルは心底嫌そうにぼやいて、姿勢を戻した。隻眼にぎらついた光が宿っている。
「てめェのガバガバな策で、俺まで除隊処分を食らっちゃ敵わん。聞かせろ、手直ししてやる」